日本歯科医師会(日歯)は2020年10月15日、「2040年を見据えた歯科ビジョン―令和における歯科医療の姿―」を刊行し、ホームページ上に掲載した。今後20年間の指針に当たるもので、高齢者数がピークを迎える2040年に向けて、歯科医療の果たすべき新しい役割と責任を明確にした上で、歯科界として取り組む事項をまとめている。

10月28日に開かれた「2040年を見据えた歯科ビジョン第4回検討会」の様子。完成したビジョンのお披露目と意見交換が行われた(写真提供:日本歯科医師会)

 中味は4部構成。まずは第1部でビジョン策定の趣旨や必要性を明記し、第2部ではデータ分析を行い、2040年の社会と今後の歯科医療の行方を展望。第3・第4部では2040年に向けて目指す5つの柱を掲げ、その柱実現のための具体的な戦略を記載した。

 かなり骨太のビジョンだが、作成した背景には日歯の強い危機感が見て取れる。

 子どもの虫歯が蔓延して「虫歯の洪水状態」と呼ばれたのは、1960~70年代と既に半世紀も前のこと。当時は歯科医師不足が叫ばれ、大学歯学部の新設・増設が相次いだ。ところがその後、歯科界の虫歯予防に向けた取り組みや歯磨き習慣の定着などで、子供の虫歯は激減。平成の時代だけ見ても、12歳児の虫歯の数は、1989年の平均4.3本から2018年は同0.74本となった。

 虫歯の患者は減れども、歯科医の数は増え続け、2012年には10万人の大台を突破。今も毎年約2000人の歯科医が誕生している。歯科医院の施設数も増えており、生き残りをかけた競争は激しさを増すばかりなのだ。十数年前からは「貧困歯科医」「コンビニより多い歯科医院」などの表現が世間に流布するところにもなった。

 ただし、ここへ来て明るい材料もある。口の健康状態と全身の健康状態が相関することが多くの研究結果から判明し、元気に長生きするには、口の健康維持が欠かせないことの重要性がよく知られるようになった。実際、政府も2017年以降の「骨太の方針」には、生涯を通じた歯科健診の充実や入院患者や要介護者に対する口腔健康管理の推進など、歯科保健医療の充実に取り組む旨を一貫して書き込んでいる。

 人生100年時代を迎える中、長い老後を健康で過ごすことは持続可能な社会保障のあり方にとって大きな課題。また何より最後まで生きがいを持って健康に暮らすというのは国民の願いでもある。それゆえ政府は昨今、健康寿命の延伸に力を入れており、大きな貢献を果たす可能性を持つ歯科に期待を寄せているわけだ。

 期待に応えるべく、日歯が今般まとめたビジョンでも、目指す五つの柱のいの一番にあげたのは「健康寿命の延伸に向けた疾病予防・重症化予防に貢献する」ことだった。そのための戦略の中心は口腔健康管理の充実・徹底であり、日歯はそこに新たな活路を見いだしている。

ハードルが高い保険給付

 とはいえ、日歯がいくら口腔健康管理の充実・徹底を望んでも、肝心の国民がその必要性を感じなかったり、必要性を感じていても費用負担面から実際に管理してもらうまでには至らなかったりするケースは少なくないだろう。

 口腔健康管理は基本的に「予防」の範疇に入る。健康な状態に行われる、病気への罹患を未然に防ぐ予防は、公的医療保険の適用外で自由診療となるため、費用が高額になりやすい。仮に、予防である口腔健康管理が医療保険の適用となれば、普及に弾みがつくのは間違いない。

 そうした事情に加え、欧州には予防歯科に保険を適用している国があることなどから、日本でも歯科の予防推進のために医療保険の適用を拡大すべきという声は以前から根強い。しかし今に至るまで歯科に限らず予防・健康づくりに関する項目は医療保険の適用外として整理されている。

 理由はいたってシンプルだ。日本の医療保険制度の特徴は、勤労者の業務外の疾病や負傷などの稼得能力の喪失に対して保険給付を行うことを基本とし、保険で給付される保険事故を具体的に列挙する形をとった点にあるからだ。このあたりは歯科ビジョンにも詳述されているが、「保険事故が起きた場合の保険給付ということになるため、すべての対象者に行われるサービスや、個人の責任によるもの、病気と言えないものは保険給付の対象には含まれない」とされる。

 ただし、厚生労働省によると、この考え方による給付だけでは保障が不十分になることから、例えば疾病とは言えない正常分娩には定額の出産育児一時金が、予防に係るサービスについては保健事業が、それぞれ制度的に位置づけられ、逐次充実が図られてきたという。

 健康な状態に行われる口腔内のチェックやメンテナンスへの保険給付を望むなら、今の制度上は、診療報酬上の評価が付く何らかの疾患の存在が不可欠ということになる。実は日歯では日本歯科医学会とともに、2015年時点で「生活習慣性歯周病」「口腔機能低下症」「口腔機能発達不全症」「口腔バイオフィルム感染症」の四つを新たに保険病名として採用することを厚労省に訴えてきた。すると、その後、2018年度診療報酬改定において、口腔機能低下症および口腔機能発達不全症に対する管理料が新設されるなどして、口腔健康管理に一部保険が認められるに至った。

 その成功体験を基に、今後は生活習慣性歯周病と口腔バイオフィルム感染症についても保険病名として採用されることを日歯は目指している。

すぐにでも取り組める企業との連携

 もっとも、医療費の膨張で保険財政が厳しさを増していることを踏まえれば、口腔健康管理への一層の保険適用の拡大がそう簡単に進むとは考えにくい。

 そこで打つべき手としては、予防に係るサービスについての市町村の保健事業として、口腔健康管理を軸とした歯科健診を充実化してもらうという方法が考えられる。

 現在、法律で義務化されている歯科健診は乳幼児健診と学校健診の二つだけ。高校生を最後に歯科健診の受診義務はなくなり、その後は健康保険法や健康増進法、高齢者医療確保法などにおいて歯科健診の実施はあくまで努力義務とされるにとどまる。

 市町村によっては補助金を交付して歯科健診を充実させているところもあるものの、その取り組みにはバラツキがみられる。また義務化ではないため、いわゆるメタボ健診のように、義務化かつ受診率が低い場合は保険者にペナルティ的措置が課される事業と違って、受診率が低迷していてもそのままというところも少なくない。

 そうした事情を考慮すれば、ライフステージに応じた切れ目ない歯科健診の法制化に向けた働きかけが日歯には欠かせない。

 さらに言えば、より手を付けやすい対応策として、歯周病リスクが高まる働き盛りの世代に向けて企業の協力を仰ぐという方法が挙げられる。社会人になって働くようになった場合、雇用する事業者側には、労働者が健康で働けるよう、健康診断を実施することが労働安全衛生法で義務付けられているものの、その健診項目に歯科は含まれていない。ただし、独自に会社の補助事業として、企業健診の中に歯科健診も組み込んだり、地域の歯科医院での歯科健診の受診を無料化したりすることは、やろうと思えばもちろんできるし、他にも事業所内で従業員へ口腔健康管理に関する教育・啓発を行う取り組みは企業として比較的に容易に進められる。

 日本では企業のトップや会社がそうした施策を宣言し、意欲を持って進めると実効性が高まるもの。それはここ数年来、関心が高まる企業の健康経営の実践を見ても明らかだろう。

 実際、口腔健康管理に活路を見いだす日歯は今後どのような対策を取っていくのか。注意深く見守りたい。


(タイトル部のImage:kichigin19-stock.adobe.com)