シャーレに小さな“ムシ”を入れ、近くにヒトの尿をたらすと、尿に近づいていったり、逆に避ける動きをしたりする――。こうした行動を観察した研究から、高い精度で体にがんがあるかどうかを識別できることが明らかになった。

このムシとは、地球上にありふれた生物「線虫」である。九州大学在籍時にこの研究を主導した広津崇亮氏が立ち上げたHIROTSUバイオサイエンスは、線虫を使ったがん検査サービス「N-NOSE」をいよいよ2020年1月にも、検診センターなどを通して実用化する。初年度の検査規模として25万検体を見込む。

1万円以下を目指す

 N-NOSEの特徴は、簡便、低コストでありながら、高精度でがんの有無を判別できることだ。検査には尿を用いるが、病院や企業などで健康診断を受け、他の検査用に採尿していれば、新たに採尿する必要はない。

HIROTSUバイオサイエンスの広津氏(写真:皆木 優子)

 現在のところ、5大がんと呼ばれる胃がん、肺がん、大腸がん、乳がん、子宮がんを含む18種類のがんを検知できることが分かっており、「ほぼすべてのがんに反応する(広津氏)という。

 気になる検査費用は、現時点では未定。ただし、毎年受けられるように1万円以下を目指すとしている。

実験動物として重宝されてきた「C.エレガンス」に着目

 がん患者の息や尿などに特有のにおいがある。これは、古くから医療関係者の間で知られていた。

 このため、人間よりも優れた嗅覚を持つ犬を訓練してがん患者を見分ける「がん探知犬」を育てた研究が報道され、話題を呼んだことは記憶に新しい。しかし、犬は育成に時間がかかる上、個体差も大きく、引退後の介護まで含めてコストがかかる。がんの大規模スクリーニング用としては適さない。

 線虫は地球上で最もありふれた生物で、土中などさまざまな環境に生息する。人間に危害を及ぼすぎょう虫やアニサキスなども含まれるが、広津氏らは、そうした線虫の一種である「C.エレガンス」に目を付けた。成体の体長は約1mm、全身の細胞数が約1000個と小さい。

カギを握る線虫「C.エレガンス」(出所:HIROTSUバイオサイエンス)

 C.エレガンスは、1960年代以来、実験動物として重宝されてきた。多細胞生物として最初にすべての遺伝子を解読する全ゲノム解析が行われるなど、細胞の一つひとつまで調べ尽くされている。雌雄同体で基本的に自家生殖するため、子世代はクローンとなり、遺伝子変化がほぼない。世代交代は4日と短く、放置しておけば増える。しかも冷凍保存が可能なため、一定範囲の世代で大量供給するのも容易だ。

 C.エレガンスは極めてコンパクトな動物だが、嗅覚を持ち、においを感じ取ることができる。においを感じ取る嗅覚細胞はわずか10個しかないが、個々のにおいを感知する嗅覚受容体は約1200個と人間の約3倍あり、多くのにおいを高い感度で識別することができる。研究の結果、線虫は尿のにおいを嗅ぎ分け、がん患者の尿のにおいを好み、近づいていくことが明らかになっている。

累計約1500例の臨床研究でも高精度を維持

 広津氏は九州大学在籍中だった2015年に、線虫の有用性を確かめる臨床研究を論文化している。大腸がん、乳がんなど7種類のがんを発症し、ステージ0から4とさまざまな段階のがん患者24人と218人の健常者を対象に、線虫による検出の有効性を調べたところ、早期とされるステージ0-1を含めすべてのステージで約88.9-100%と9割以上の患者を検出できた。統計学上の感度(がん患者を正しくがん患者と識別する)は95.8%、特異度(がん患者でない人を正しくがん患者でないと識別する)95.0%と、高い精度でがんの有無を識別できた。

(写真:皆木 優子、以下同)

 人間ドックなどでよく用いられる「CEA」「CA19-9」などといった既存の腫瘍マーカーは、ステージ3-4の進行がんでも、感度は30~50%程度、ステージ0-1の初期がんでは10%程度の感度しかない。N-NOSEは、がんを検出する1次スクリーニング検査として高い有用性を持つことが分かる。

 新たながん検査法が登場した場合、初期の基礎研究段階では好成績を上げていても、臨床研究段階になって症例数が増えると精度が下がることが多い。その点、N-NOSEは累計約1500例の臨床研究でも高精度を示しており、実用的な検査法である可能性は高い。

 しかも線虫自体の提供コストは安い。これに尿検体採取キットやその輸送コスト、判定、検査報告などの費用を加えても、受診者向けの検査費用を1万円以内で抑えることが可能だという。

がん検診の流れを再編する可能性も

 日本の保健医療分野では、がん検診受診率が先進国と比較して低く、3割程度にとどまることが懸念されている。進行がんになってから治療を受ける場合、死亡率が高く、健康寿命を損なう上、治療に高額の医療費が費やされる。

 広津氏は、「めんどくさい、時間がない、費用が高い、痛い・苦しいのはいや、などといった理由で受診しない人が多いようだ。しかし、苦痛がなく低コストのN-NOSEをまず受診し、その結果、陽性なら次の段階の検査に進むようにすれば、その後の検査受診率は上がるのではないか」と期待する。毎年N-NOSE検査を受けていれば、ある時点で陽性になっても早期がんである可能性が高い。順調に普及すれば、がん検診の流れを再編する可能性もある。

 N-NOSEは幅広いがん種に対応していること、検査の苦痛がないことから、小児がんにも使える可能性がある。このため、近く、成育医療センターと共同研究を始める見通しだという。小児がんの生存率は近年、大きく向上したが、その一方で、成人した小児がん生存者が後遺症などに苦しむケースが少なくない。スクリーニングにより、できるだけ早期に発見して治療できれば、体への負担をより減らせると期待される。

将来的にはがん種特定も可能か

 現在のN-NOSEは18種類のがんの「どれかがある」ことしか判定できないが、将来的にはがん種を特定できるかもしれない。がんの種類によってにおいが異なることは以前から指摘されており、線虫の遺伝子を組み替え、特定のがんに対応する嗅覚受容体の数を多くしたり、逆に働きを止めたりすることで、特定のがんだけに反応する線虫を作れる可能性があるからだ。

 既に特定の受容体をノックダウン(停止)したところ、あるがん種だけ反応しなくなる結果が得られているという。実際の検査に使うためには臨床試験を含む検証が必要なため、少し時間を要するが期待できそうだ。

 がん撲滅は世界的な課題であるため、HIROTSUバイオサイエンスは海外展開も進めている。既にオーストラリアで基礎的な検討を終え、近く大規模な臨床研究を開始する。現時点では人種差は認められず、グローバル展開は可能だという。今後、オーストラリアの結果をもとに、米国や欧州でも実用化を進める考えだ。

(タイトル部のImage:adam121 -stock.adobe.com)