これまで見てきたように、がん医療への人工知能(AI)の実装においては、データの質と量が雌雄を決する。これは、がんゲノミクスの分野でも同様だ。プレシジョンメディシンの時代を迎え、ヒトゲノム・遺伝子の情報をいかに収集・解析し、現場に実装していくか。そのベンチマークとなるのが、1970年代にバイオ事業をいち早く立ち上げ、以来ゲノムのデータベースや解析アルゴリズムの開発を手掛けてきた三井情報だ。東京・港区にある本社を訪ねた。

 今年6月、がんの遺伝子検査が保険適用となった。がんと診断された患者のがん細胞のゲノムを調べて、異常の有無を見極める検査で、異常が見つかれば、その異常を持ったがんに効きやすい薬を選べる。

 がんの遺伝子検査は、従来のように、大腸がんや胃がんなど、発生した臓器でがんを分類するのではなく、がん細胞の遺伝子の情報に基づいてきめ細かく分類していることになる。こうした考え方を「プレシジョンメディシン(精密医療)」と呼ぶ。もともと2011年に提唱されたものだったが、2015年に、オバマ元米国大統領が一般教書演説で「プレシジョンメディシン・イニシアティブ」として取り上げたことから、広く知られることになった。

 今回、日本において保険適用されたもののうち、中外製薬が提供する「FoundationOne CDx がんゲノムプロファイル」では325個、シスメックスが提供する「OncoGuide NCC オンコパネルシステム」では114個のがん関連遺伝子を調べることができる。それぞれ検査料は8万円で、検査判断と説明料が48万円の合計56万円。受ける人はそれぞれ3割負担で受けることになる。

 「OncoGuide NCC オンコパネルシステム」において解析のためのシステム開発を担ったのが三井情報だ。読み取ったゲノムデータから変異を抽出するアルゴリズム「cisCall(シスコール)」の実装に関わっている。

 この実装には、三井情報が以前から蓄積してきたゲノムのデータベースや解析アルゴリズムに関する知見が生かされている。そして、同社が展開するゲノム事業は、今回保険適用になった検査にとどまらない。

3人で敷いた背水の陣

 そもそも三井情報のバイオ事業の歴史は長い。同社は、1967年に三井物産の情報システム部門が独立した三井情報開発に端を発する。1970年代の石油危機に伴って多くの企業がバイオ事業をはじめとした新規事業に続々と着手したことがあったが、ちょうど三井情報がバイオ事業に乗り出したのも1975年のことだった。

 ゲノム事業は1990年代に盛り上がったが、2001年には国際プロジェクトとして進められてきた「ヒトゲノム計画」が完了。13年をかけて日本円で3000億円が投じられ人間のゲノムが全解読される。

 全解読が済んだということで、国内では「金のかかるゲノム研究はもうやらない」という雰囲気が強くなり、ゲノム研究の勢いが一気に萎んでいった。また、2007年に京都大学の山中伸弥教授によりヒトiPS細胞が作製されたことが大きな注目を集め、研究費予算も一気にそちらに流れていった。この期間についてはゲノム研究者の間で「忘れられた10年間」と呼ばれているほど暗闇時代となった。

 三井情報でも、そこから現在のがん遺伝子検査の事業に着手するまでには10年の歳月がかかった。2013年、バイオ事業を背負った一人が若い研究者、佐久間朋寛氏。現在でこそ、ソリューションナレッジセンターバイオサイエンス部ヘルスケア事業室室長として、遺伝子検査事業を引っ張るが、当時は1000人を超える企業にあって、当該部署はわずか3人にすぎなかった。

三井情報の佐久間氏(写真:寺田拓真、以下同)

 「2000年代にはゲノム解析で数年の予算がついたものの事業は縮小傾向にあった。そこからもう一回やらせてくれ、と背水の陣で臨んだのが、がんのゲノム解析だった」と佐久間氏は振り返る。その後、佐久間氏を除く2人は会社を去った。

 クモの糸と言えるのが、がんの遺伝子検査を事業化するというものだった。2010年代に入り、米国では「プレシジョンメディシン」が医療の中で重視され始め、遺伝子検査は事業として注目され始めていた。数百の遺伝子に絞り込んで、読み取ったゲノム情報から解析結果を出すというもので、「パネル検査」と呼ばれた。医療従事者から見ると、データ解析などハードルは高くも見えたものだが、ゲノム解析に関するシステムエンジニアリングを強みとする佐久間氏らからは「手のつけやすい事業」と見えていた。

 佐久間氏は「ゲノム解析のコストも下がってきており、裏側で使われているデータベースも想像ができた。日本では基準もなかったので米国で検査を手がける安定した企業を探した。三井物産と連携し、米国企業である臨床検査大手のクインタイルズとの協力を取り付けるに至った」と言う。

 新しく注目されたパネル検査の開発動向について“ブラックボックス”だと尻込みしなかった。自社の強みを基礎として新しい事業を創出するために必要なものを求め、異国での協力の輪を広げていったわけだ。主導したのがIT企業であったのは興味深いところだ。

半年で2倍超も、可能性は一つに絞らず

 医療機関のパートナーとの連携は長年にわたるバイオ事業での研究者とのネットワークが生かされることになる。最初のパートナーとして、日本屈指の国立大学である京都大学と組めたのも長年のバイオ事業の中で関係を培ってきたからだった。こうして米国企業などとも協力し、2年を経た2015年4月、200以上の遺伝子を調べられるがん遺伝子検査「OncoPrime」の提供を始めるに至る。研究者などのネットワークで導入する大学を増やし、岡山大学、北海道大学などが採用。2018年8月には13施設に広がり、さらに2019年2月には30施設に。半年で倍増を超える拡大を達成した。

 がんの遺伝子検査のうち2つの検査が保険適用となったが、OncoPrimeは自由診療として検査を広めている。

図1 OncoPrimeの検査報告書のサンプル(提供:三井情報) 患者のがん組織中に認められ、治療に関係する可能性がある遺伝子変異(マーカー)と、その変異に対して効果が期待される薬剤(開発中の薬剤も含む)や変異がある症例を対象とした治験が提示される。

 一般論として、保険適用になると検査費用は公定価格となり、企業にとってはいったん固まると末端価格への決定権は及びづらくなる。自由診療で検査を提供していく方が検査費用は自由に設定可能だ。このため検査を広げるには保険診療は好ましいが、企業の利益とは別問題だ。

 その意味で三井情報は「二正面作戦」を取っていることになる。一つは、自社で提供している自由診療OncoPrime。もう一方は解析システムの開発で関わった、保険適用のOncoGuide NCC オンコパネルシステム。市場の動向を慎重に見極めつつ、双方の関係の中での自社の立ち位置を探っているようだ。

サービス構築や運用などにも収益源を探る

 さらに事業展開は、検査そのものの提供にとどめていない。大学などとの連携では、手順書の作成から、看護師や医療事務スタッフの担当、検査を受けた人との金銭授受を検査前にするか後にするかなど、サービス構築と運用の技術やノウハウも蓄積してきた。

 そんな経営資源を生かし、新たに自前で遺伝子検査の開発しようとする企業や大学などへのコンサルティングにも乗り出している。検査を実施する施設によっては、OncoPrimeのような検査名ではなく、個々の施設のブランドでの検査を構築したいといったニーズもある。裏方に三井情報が回ったサポートをするような形も作り上げた。このほか遺伝子情報の解析をした後に出されるレポート発行といった、検査サービスの個々の機能を切り売りするサービスも作っている。

三井情報バイオサイエンス部バイオサイエンス室コンサルタントの望月洋明氏(左)とともに

 自社の強みをどういった形で生かせるか。顧客のニーズに合わせて、サービスの形は変幻自在。自前主義にもこだわらず、必要ならば提携にも前のめる。これら三井情報は収益の源泉を探るという当たり前のことをやっている。ゲノムの分野でのビジネスの形は一つではない。

 次回は、ゲノムの解析という一部の機能に特化してビジネスを成立させようと動く、ベンチャー企業を訪ねる。

(タイトル部のImage:ipopba / Design Cells -stock.adobe.com)