がんの遺伝子検査が、6月の保険適用をきっかけとして、にわかに身近になってきた。とはいえ、「遺伝子」「ゲノム」「DNA変異」といった言葉は、一般の人々のみならず、医療者にとっても難解で、できれば避けて通りたいと思われがち。今後、医療現場で検査の利用を進めるには、分かりやすい言葉による十分な説明が求められそうだ。今回は、がんの遺伝子検査の課題に「ユーザーエクスペリエンス(UX)」という視点から挑戦しようとする企業を訪れた。

 日本でがんと診断される人は年間100万人近くに上る。このうち、今回保険適用された遺伝子パネル検査(関連記事)を受ける人は、メーカーの推測によれば、5年目でピークを迎えて2万6000人ほどになるとみられている。

 将来的には、人体の持っているタンパク質と関連する遺伝子をまるごと調べる「エキソーム検査」や、人体のゲノム全体を調べる「フルゲノム検査」も行われるとみられ、がんの遺伝子検査を受ける人は、もっと増える可能性が高い。さらに新しい技術が出てくれば、異次元の水準で広がることもあり得る。その恩恵は明確になってきており、多くの人にとってがんの遺伝子検査が身近になる未来は確かにやってくるのだろう。

 しかし、がんの患者がそうした検査に慣れている場合は少ない。予備知識の全くない人にも理解してもらう必要がある。そこに事業の機会が生まれる。そうした側面からがんの遺伝子検査に関わろうとしている企業の一つが、東京・本郷に本社を構えるXcoo(テンクー)だ。

Xcoo代表取締役の西村氏(写真:寺田拓真、以下同)

バイオ領域にも求められる「情報の分かりやすさ」

 Xcoo代表取締役の西村邦裕氏は、かつて工学系の研究職に就いていたことがあり、専門は「ユーザーエクスペリエンス(UX)」の領域だった。「バーチャルリアリティー」や「ヒューマンインターフェイス」といった分野の技術を使って、製品やサービスの使用体験をより良くするものだ。

 転機は、2005年に東京大学の中で行われた起業家育成を目的としたプログラムに参加して、生物学分野の研究者と接点を持ったこと。ゲノム研究について知る中で、遺伝子の分野にも「情報を分かりやすく提示する」UXの発想が必要になるという思いを強くした。そこからゲノム分野での起業へと動くことになる。医学分野の中では異色の経歴といえるかもしれない。

 Xcooは2011年4月の創業から、がんの遺伝子検査の広がりとともに発展した会社である。東京大学が進めている、がんの遺伝子パネル検査「Todai OncoPanel」のデータ解析を担うのは事業の柱の一つ。この遺伝子検査は、国が先端医療として例外的に混合診療を認める「先進医療B」の中で行われているものだ。さらにXcooは、東大のほかにも大学や医療機関へ「Chrovis(クロヴィス)」の名前で解析サービスを広げていこうとしている。

 西村氏は、「遺伝子検査で重要なのは、がん細胞の遺伝情報を読んだ後の“アノテーション”と呼ばれるプロセスだ。これは見つかった遺伝子の変異ががん治療にとってどんな意味があるのか解釈していくことである。私たちの会社ではそうした意味づけしていった結果に基づいてレポートを医師向け、患者向けの双方に作成するところまでをカバーしている」と説明する。

 DNAの数が30億などと聞いたことがある人の中には、不思議に思う人もいるのではないだろうか。新たに保険適用になった遺伝子検査は、中外製薬の提供する検査とシスメックスの検査があるが、調べられる遺伝子はそれぞれ325個、114個と決して多くはない(関連記事)。30億ものDNAを調べるのに、なぜ遺伝子検査で調べられる数が数百なのだろうかと。

 その答えは、「数はこれから増える」ということだ。

人手では扱いきれぬ「データの増大」

 がんのゲノムを読むと、30億もの「DNA」が並んだ配列データを得ることになる。その並び方に従い、命を保つ様々な働きを担う基になる「タンパク質」が合成され、人の体は形作られている。ゲノムが人体の設計図と呼ばれるゆえんだ。その配列は、人によって異なり、また体の場所によっても異なる。時間とともに変化し、異常が蓄積するとがんになる可能性がある。

 がんの遺伝子検査は、その異常を見つけるための検査となる。保険適用の検査は数百の遺伝子に注目して異常を探すもの。この検査はまだまだ進化していくのである。そうした異常には意味があるものと、意味のないものがある。その数は数百では済まない。その中で、治療方針など医師の判断に影響する変異をいかに見つけて治療に生かすかが問われてくる。例えば、ある異常が、ある薬に効きやすさに影響しているならば、該当する薬を使うかどうかの判断に生かすことができる。遺伝子の異常を知ることで、がんをより効果的に攻撃できるのだ。

 そうした意味のあるなしは、科学者が過去に行った研究結果から判断できる。本特集連載の冒頭でも紹介したように、論文だけで2800万近くもある。そこから、DNAの異常との紐付けを行い、その意味を解読していくことは大きな負担となる。今後、遺伝子検査の対象となる遺伝子が増えてくると、いずれ人手では対応しきれなくなる。Xcooの手がける、こうした遺伝情報の意味づけをしていくアノテーションが本領を発揮するのは、人手では限界が来たときとなる。なお、医師の判断に関わる遺伝子の変異は「Actionable変異」と呼ばれ、薬の効果を左右する遺伝子の変異は「Drugable変異」と呼ばれている。これらを見極めるのが大切だ。

「UX」という異分野が描く未来

 本特集連載の第1回では、IBMのワトソンを使ったゲノムの解析について見てきたが、Xcooはこれを別の形で実現しようとしている。

 ユーザーインターフェイスへのこだわりは大きな違いと言っていい。データの収集と解析に加えて、自然言語解析と呼ばれる人工知能(AI)も組み合わせ、意味づけや判定といったアノテーションを自動化して、レポートの出力をしていくというプロセス。Xcooはここに医師や患者にとっての「分かりやすさ」を加味するのが、差別化の要点となる。

図1●医師向けのレポートのイメージ(提供:Xcoo)

 医療の分野では既に、例えば障害者にとって医療器具などを使いやすくしていくといった課題にUXの考え方が適用されている。その考え方は、これからゲノム分野にも及ぶ可能性はある。遺伝子検査が広がっていく中で、結果について誰も理解できず、正しく利用されなければ意味はない。我先にそこに力を入れ、技術やノウハウをためていけば、大きな参入障壁を築ける可能性はある。Xcooはそこに異分野から勝負を懸ける。電話の再発明がコンピューター企業からなされたように、これは周辺領域から生じるディスラプティブイノベーションの動きの一つといっていいかもしれない。

 次は、また観点を変えて遺伝情報を読み取るシーケンサーの技術を見ていく。訪ねるのは、これまでの方法を一変させようと研究にのめり込む企業だ。

(タイトル部のImage:ipopba / Design Cells -stock.adobe.com)