がんの遺伝子検査の進化により、がん細胞の遺伝情報をより大量、しかも安価に調べられるようになってきた。しかし現時点では、遺伝子異常が見つかっても、それに対応する分子標的薬が存在しない場合の方が多い。そんな現状を変えるキーテクノロジーの一つとして期待されているのが「ゲノム編集」だ。まだ生まれて間もない技術をいち早く事業として成長させようと奮闘する、徳島発ベンチャーの経営者を訪ねた。

 ゲノム編集は、ゲノム(生物が持つ遺伝情報の全体)中のある場所に特定の遺伝子を挿入したり、特定の遺伝子の働きを停止させたりする技術だ。2012年に米国から発表され、それ以降、世界に研究手法として広がり、中国ではこの技術によりデザイナーベイビーを誕生させたのではないかと社会問題にもなった。

 これまでも遺伝子を操作する技術そのものはあった。1970年代に細菌から発見された「制限酵素」と呼ばれる、DNAを切り取る酵素を応用した方法だ。様々な種類の制限酵素を使い分けることで、ターゲットとなるDNAを切って遺伝子を変化させることができる。しかし、この制限酵素は改良がされたものの、ピンポイントで効率的に遺伝子を変化させるのは限界があった。特定の遺伝子の機能を止めた「ノックアウトマウス」と呼ばれる実験動物を作製する際にも、1年以上の歳月が掛かっていた。

 ゲノム編集は「CRISPR-Cas9(クリスパーキャス9)」と呼ばれるシステムが使われ、この大きな違いは「Cas9(キャス9)」と呼ばれるはさみ型のタンパク質に、「ガイドRNA」というDNAと対になるRNAを組み合わせていることだ(図1)。これでピンポイントに遺伝子を狙え、その機能を止められる。ノックアウトマウスの作製期間も1~2カ月に短縮できるようになる。

図1●「CRISPR-Cas9(クリスパーキャス9)」の概念図(竹澤氏による、図2も)
タンパク質「Cas9」は標的DNA配列を認識しガイドRNAと複合体を形成、2本鎖DNAを切断する。同時に外来DNAの挿入も可能だ。

 徳島大学発ベンチャーのセツロテックは、そのビジネスとしてのニーズを研究現場で実感して、一挙にビジネスに結びつけようとした。

2つの技術で独自の地位を築く

 このゲノム編集を効率的に行うための技術を大阪大学の橋本昌和氏とともに開発し、基本的な技術特許を出願したのが、徳島大学の研究者であり代表取締役会長の竹本龍也氏。一方で、ビジネスとして前線で事業を引っ張っているのは代表取締役社長の竹澤慎一郎氏だ。

 今回は東京の拠点で活動する竹澤氏のもとを訪ねた。同氏はもともと科学分野の編集者であり、書籍の編集からゲノムの編集に活躍の場を移したという異色の経歴を持つ経営者である。とはいえ、竹澤氏ももともとは研究者であり、2016年に編集者として勤める会社の新規事業を考える中で、元同僚の研究者から徳島大学のゲノム編集についての情報を得て事業に加わったという経緯がある。

 ゲノム編集を事業にするまでに動きは速かった。前述の通り、従来にない強みを持つ効率的にゲノム編集を行える技術を開発したのが始まりだ。会長の竹本氏が2015年までに発明した「受精卵エレクトロポレーション法(GEEP法)」と呼ばれる技術のことである。同年に特許を出願。これはゲノム編集のスピードを圧倒的に高速化させる手法だった。

 ゲノム編集技術の中でも効率性の高い技術として知られるクリスパーキャス9を使ってDNAを変化させる場合、タンパク質などを受精卵に入れる必要がある。

 従来技術では、ガラス製の微小な管を細胞に挿入し、DNA塩基やタンパク質を含む溶液を注入する「マイクロインジェクション法」が一般的だ。これには高解像度の顕微鏡を使って、目視で操作する必要があり、受精卵1個1個に注入するには熟練の作業者の腕が欠かせない。しかも150個の処理であれば時間が2時間以上もかかった(図2)。

図2●従来法と受精卵エレクトロポレーション法(GEEP法)の比較

 受精卵エレクトロポレーション法とは、1mmの溝を電極で挟んで、その溝に受精卵を数十個並べることができ、通電することでタンパク質を一挙に入れることを可能とするものだ。セツロテックの電気を使った方法であれば、150個の受精卵の場合、15分以内にタンパク質を入れることが可能となる。自動化可能で誰にでもできる上に、百発百中でタンパク質を入れられるのは大きなメリットだ。

 これをゲノム編集に応用することで世界的にも強みのある技術を確立することができるという見通しが立った。こうした2つの技術を組み合わせることで、ゲノム編集だけではなし得ない独自の地位を築く道を切り拓いたことになる。

ニーズをビジネスに、時間の節約に貢献

 竹本氏の発明を聞きつけた研究者から、研究支援が増え始め、徐々に対応が難しいほどに申し出が急に増えていくようになる。これを見逃さずにビジネスとして発展させたところは、セツロテックの先見の明と言っていいかもしれない。竹本氏は大学で同じ研究者だった沢津橋俊氏と会社を設立。沢津橋氏の元同僚が先述のように竹澤氏で、2016年から一挙に事業を展開させることになる。

 竹澤氏は「ゲノム編集は、当時も今も、ゲノム産業を変えるもの、50年に1度の大発明と見ていた。研究のための研究ではなく、人に役立てられるテクノロジーに必ずしたいという思いだった」と言う。

 2016年2月の事業への着手から、徳島という地方の利も生かし、徳島大学の認定ベンチャーとして選ばれる。2016年12月にはビジネスプランについて新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の「NEDO TCP 2016」と呼ばれるビジネスコンテストで最優秀賞を受ける。さらに、2017年4月、第2回日本アントレプレナー大賞北尾吉孝賞のほか、各種のビジネスコンテストの受賞も続いた。

 会社設立前後から準備し、2017年5年には、クリスパーキャス9の特許を持つ米ブロード研究所と知財ライセンス契約を締結。「最初はアプローチしても連絡がつかず、アポイントも取れなかった。効果があったのはSNSで、連絡を取ることができるように。その後、日本企業の協力も受けながら、何往復かの交渉の末に契約に至った」と竹澤氏は振り返る。竹本氏は研究者としての二足のわらじだったが、ベンチャーキャピタルからの出資を受けるに当たり竹澤氏は常任の経営者に就くことになった。

セツロテック代表取締役社長の竹澤氏(写真:寺田拓真)

 こうした基礎研究はなかなかお金を生み出すまでに時間がかかりそうなものだが、セツロテックではもともとあったニーズを膨らませることで滑走路を飛び立とうとしている。応用は医療のほか、食品や畜産など幅広い。

 セツロテックの技術は、がん医療の分野であれば、あるがんの遺伝子が分かった場合、その遺伝子が薬効に関係するのかを調べるために応用される。具体的には、受精卵の持つターゲットとなる遺伝子を改変して、その受精卵から生まれたマウスを企業に納める。ゲノム編集を使うことの強みはスピードだ。従来の遺伝子改変法を使った場合には、年単位で時間を要したのが、ゲノム編集を使うと、2、3カ月で済むのが大きい。時間の節約で、薬の候補を選抜が早まるので、それだけ早くから経営資源を有望なものに集中させられる。

 セツロテックは、ゲノム編集を中核の技術として、受精卵ばかりではなく細胞の遺伝子の改変を手がけたり、データ解析を行ったりして事業を成長させようとしている。さらに自動化のためにゲノム編集装置そのものの事業化も視野に入れるセツロテックの2019年1月期の収益は、決算公告によると7000万円強の赤字。早期の黒字化を目指す。

 2019年6月、竹本氏らの研究グループは、免疫関係の遺伝子を改変する技術で、世界的な科学誌であるScience誌に論文を発表。国際的な注目も集め、受精卵エレクトロポレーション法を武器に世界も見据える。阿波の企業が、がんゲノム分野を支える世界的なインフラ企業としての地位を確立することも夢ではない。

 次回は、ゲノム技術の世界に精通した研究者から近未来について聞く。

(タイトル部のImage:ipopba / Design Cells -stock.adobe.com)