2014年、理化学研究所などが加齢黄斑変性患者に対する世界初のiPS細胞(人工多能性幹細胞)移植を行ったことは記憶に新しい。移植するiPS細胞由来再生医療製品の開発を手掛け、実施に関する独占的ライセンスを受けたのが、マザーズ上場のヘリオスだ。創業9年目を迎え、iPS細胞製品から体性幹細胞製品へ軸足を移す。代表執行役社長CEOの鍵本忠尚氏を訪ね、その戦略を聞いた。

 「細胞医療の全体感は非常にいいと思う」。医師でもある鍵本氏は、再生医療の現状についてまずこう口にした。「AIやIoTなどの情報科学関連のドライイノベーションが進んでいるが、ゲノムや細胞医療などの生命分野のウェットイノベーションもさらに進んでいくだろう。それぞれの融合領域もあるかもしれない」

ヘリオス代表執行役社長CEOの鍵本氏(写真:飯塚寛之、以下同)

 「低分子の医薬品は2万分の1の確率で世に出るとされるが、細胞はもっと実用化の確率が高く、開発スピードも速いと考えている。もともと体内に存在するものなので、安全性も比較的高い」と鍵本氏は話す。

 ヘリオスは製品を世に出せるかどうかの正念場を迎えている。2011年創業から2019年で第9期目。2018年には売り上げはなく、純損失が5億5300万円。総資産額が188億円で、自己資本比率は8割超と財務基盤は強固だが、製品あっての事業である。今、同社は自前の製品にこだわらずに事業の成長を求めようとしている。

「間葉系幹細胞」に力を注ぐ

 ヘリオスが扱う再生医療製品は大きく二つに分かれる。一つは、「iPS細胞」。iPS細胞とは、皮膚などの既に機能が分化した細胞を処理し、受精卵のようにどんな細胞にも分化し直せるように人工的に初期化した細胞である。ヒトiPS細胞の樹立に京都大学教授の山中伸弥氏が成功したのは2007年。5年後にノーベル生理学・医学賞を受賞。がん化のリスクなどが指摘され、その実用化には時間を要するかにも見えたが、前回述べた2014年に始まった条件付き早期承認制度により、実用化までの時間は縮まる方向になっている。

 同社が2011年に会社を設立した原点は、iPS細胞による目の難病の治療。その難病とは、「加齢黄斑変性」と呼ばれるもので、年齢を重ねるとともに、目の中で光を受け止める細胞である網膜色素上皮(RPE)細胞が減ってしまう病気だ。欧米では失明原因の1位であり、日本では欧米ほどではないが、失明原因の4位とされ、重要な問題であることには変わりない。

 ヘリオスは、京都大学iPS細胞研究所から提供された他人の細胞(他家細胞)から作製されたもの(他家細胞由来iPS細胞)を用いて、失われたRPE細胞を再生させようと研究開発を続けている。他人のiPS細胞には拒絶反応を引き起こす可能性があるなど課題もある。また、横浜市立大学より独占的ライセンスを受けたiPS細胞由来の肝臓の器官原基という、いわば「肝臓の赤ちゃん」を作り移植する治療の開発も進める。これも前臨床段階で、実用化まではまだ時間を要しそうだ。

 もう一つは「体性幹細胞」。血液を作り出す骨髄のほか、脂肪や皮膚などに存在して、様々なタイプの細胞に分化する能力を残している。iPS細胞のような人工的に初期化する必要はなく、採取した細胞を培養して治療に使うことになる。

 ヘリオスがいままさに大きく舵を切り、事業の軸をシフトしようと注力するのが、骨髄から作り出すタイプの「間葉系幹細胞」である。2016年に1500万ドル(日本円でおよそ18億円)の一時金を支払い、米国企業であるアサーシス(Athersys)とライセンス契約を結んで、間葉系幹細胞の日本国内での独占的な開発権を取得したのが大きな転機だ。

 製品名は「マルチステム(MultiStem)」といい、治療の対象は、日本の寝たきりの主要な原因である脳梗塞のほか、肺炎が悪化して起こる急性呼吸窮迫症候群(ARDS)と呼ばれる特に重いケース。ARDSは、発症すると半数近くが死に至るとされる。

 ヘリオスがマルチステムに注目する理由の一つは、その恩恵を受ける人が多いことだ。同社の推定によると、日本の脳梗塞発症者は年間23万~33万人。このうち重症となるのは13万人。脳梗塞は、発生直後に投与する薬としてtPA(組織プラスミノーゲンアクチベーター)があり、脳の血管に詰まった血栓を溶かすことで、後遺症を残さずに回復させる可能性があるが、tPAは発症後4.5時間以内に投与しなければ効果を発揮しない。ヘリオスはマルチステムを使い、36時間以内まで治療可能にしようとしている。ヘリオスによると、その治療対象となる可能性があるのは年間6.2万人に上る。

 一方で、ARDSも症状を抑えるだけしか治療法がない。病気を治す治療がなく、間葉系幹細胞による治療が可能となれば治療手段の空白を埋められる可能性がある。

欧米で実績、日本で勝負に出る

 この6月には、iPS細胞由来RPE細胞製品の共同開発パートナーである大日本住友製薬との開発体制を変更すると発表。2019年度中に開始を予定している企業治験を大日本住友製薬が主体的に行うなどヘリオスの寄与度を縮小する。iPS細胞は、免疫抑制の仕組みや、拒絶反応を起こさないようにする処理などの課題も多い。ヘリオスが、間葉系幹細胞製品に軸足を移したことを象徴する発表だ。

 さらに、7月には新株予約権付社債の発行による最大130億円の調達も発表。ニコンが40億円を引き受ける。資金増強を経てこれから勝負をかける。

 鍵本氏は「iPS細胞は大切であり、誰よりも理解している。一方で、iPS細胞についてはまだ先だとか、安全性は分からないなどとも言われることがある。否定も肯定もできる状態。私たちは臨床研究の結果を踏まえ、世界中の再生医療、細胞医療も見た上で、短期的に有望なのは間葉系幹細胞と考えた。これを一丁目一番地として黒字化をさせる。体にもともとある間葉系幹細胞は安全性が高く、低分子の医薬品のような失敗のリスクや予測しない副作用が少ない」と説明する。

 マルチステムを重視する背景には、欧米で既に成果が上がっていることがある。アサシスが米国と欧州でいずれについても先行して試験を実施中で、治療効果を確認。ヘリオスは、日本でも臨床試験に着手しており、効果の検証を進める。日本も欧米に続いていこうとしている。

 間葉系幹細胞の治療メカニズムは炎症を軽減するというもので特徴的だ。マルチステムにより、なぜこうした病気を治せるのかは、再生医療という言葉からは想像しづらいかもしれない。

 というのも、脳梗塞にせよ、急性呼吸窮迫症候群にせよ、脳や肺の細胞を単純に再生させるものではないからだ。炎症を押さえ込むのである。そのための幹細胞となる。脳梗塞では、腹部にある「脾臓」と呼ばれる、免疫を担う白血球などが集まる場所に幹細胞が定着する。ここで幹細胞は、炎症を促す物質を減らす。一方の急性呼吸窮迫症候群では肺に幹細胞が集まる。やはり炎症を鎮めるのが幹細胞だ。マルチステムを点滴によって静脈に注入してこれらの疾患の治療を行う。

 ヘリオスが実施している臨床試験は、脳梗塞については2020年中までに比較試験を行って治療効果を証明していく。マルチステム投与を受ける110人と、偽薬であるプラセボ投与を受ける110人を比べるのだ。ARDSも2021年までに同じように比較試験による治験を行う。日本では条件付き早期承認制度が走り始めているが、臨床試験で効果を確認する方がむしろ近道だと考えているようだ。海外から早期承認制度は拙速という批判もあるだけに、慎重なアプローチを取るのは賢明といえるのかもしれない。

「60%」で飛び込む

 鍵本氏は「バイオベンチャーは水がまだ満たされていないプールに高い所から飛び込むようなところがある。着水するまでに水が満ちているだろうかと不安になるが、周りがやめろというときがちょうどいい。腹を決めて、やる。そこにはタイミングがあり、臨床医として仕事をしてきた肌感覚としても迷いはない」と話す。

 細胞治療の分野はiPS細胞ばかりではなく、事業も自前の製品ばかりでは成功が約束されているわけではない。再生医療の事業化はそれだけ困難を伴うということだろう。ただ、外部の意見は意見として、自らの向かう方向を根拠に基づいて定めていくことこそ重要だ。

 「準備しすぎてしまうのは、戦後の日本の典型的な弱点ではないか。社是の一つでもあるが、『Jump in 60』という考え方で、60%の状況把握で飛び込むのが大切ではないか」と鍵本氏。完全ではない状況把握から見えたゴールを現実にしていけるか、ヘリオスにとっては、これからがまさに正念場となる。

 続いて次回は、細胞医療を支えるインフラとも言うべき技術を事業化しようとする沖縄のベンチャー企業を訪ねる。

(タイトル部のImage:Sashkin / rost9 -stock.adobe.com)