「がん患者が運動なんてとんでもない!」 

キャンサーフィットネス(東京港区)代表理事である広瀬真奈美氏が乳がんを発症した当時は、そんな意見が根強かったが、昨今、全面否定派はごく少数。むしろ適切な運動はQOLを向上させると言われており、キャンサーフィットネスでもこれまで多数のがんサバイバーに運動の機会を提供してきた。

しかし、昨年はコロナ禍でフィットネス教室を開くこともままならなくなった。そこでスタートしたのが会員制オンラインサロン。非対面ならではの利点を感じている会員も少なくないという。

退院してから気づかされた、がんで失ったもの

 今から12年前の2000年代の後半、広瀬氏は乳がんの術後の体調不良に悩まされていた。 

 「入院中は気を張っていたが、退院して”元の場所”に戻ると、喪失感に苛まれた。胸をなくし、腕はしびれて動かず、以前ならできていたことができない。今思えば仕方ないことだが、当時は受け入れがたくて落ち込み、精神科を受診したら適応障害と診断された。また新しい病名かと、どん底の気分だった」  

 なんとか運動機能を取り戻したいと、広瀬氏は方々に相談するが、全て断られた。また、乳がん後の運動についてインターネットで調べても、情報は出てこなかった。「それならば自分で」と考えた広瀬氏はスポーツの専門学校に通い始め、生理学や運動学、身体の動かし方などを学んだ。抗がん剤治療を受けながら、エアロビクスや水泳の実習を受けるのはきつかったが、有酸素運動の有効性を検証した論文を読んでいたので、不安はなかった。しばらくして、自分でも驚くほど体調が改善し、運動の効果を実感した。

キャンサーフィットネス代表理事 広瀬真奈美氏(写真:吉澤 咲子、以下同)
キャンサーフィットネス代表理事 広瀬真奈美氏(写真:吉澤 咲子、以下同)
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 その後、米国にはがんサバイバー向けのフィットネス団体があることを知り、単身渡米する。そこで、年齢も病歴も多様ながんサバイバーが楽しく身体を動かす姿を見て、これを日本に持ち帰ろうと決意。後日改めて米国に渡り、認定指導者になるために必要な100時間に及ぶ全単位を取得し、試験に合格して晴れて承認を得た。  

 しかし、当時はがん患者が運動なんてとんでもないという考え方が主流。医療関係者向けの講演会でキャンサーフィットネスの説明をしたところ、「どんなエビデンスがあって言っているのか」と厳しい声が上がった。

 「あまりに悔しくて『患者がこれだけ困っているのだから、先生方も一緒になって研究してくださればいいじゃないですか!』と言い返してしまったほど。それから少しずつ運動の重要性が認知され、リハビリとしての運動を支援する病院も出てきたが、まだまだこれからだと思う」

がんの種類に合ったトレーニングを提案

 現在、キャンサーフィットネスでは参加者が自分の運動機能に合わせて選べるよう、様々なプログラムを用意している。術後間もない人を対象にしたプログラムでは、まず自分の身体をさすり、どこに痛みがあるか、どの程度まで動かせるのかを確認するところから始める。一般にストレッチといえばグッと伸ばすような動きを想起するが、ここではインストラクターが身体にかかる負荷を抑えながら、少しずつ凝り固まっているところを緩めて伸ばしていくような動きを指導するという。

 プログラムの中には椅子に座ったままでできる運動もある。40代の乳がんサバイバーの女性はご家族の支えで立つのがやっとという状態で、キャンサーフィットネスを訪れた。闘病中にすっかり筋肉が落ち、日常生活を送るのも難儀な状態を改善したいと、座ったままの運動に挑戦してみたところ、みるみる表情が明るくなり、その日のうちに自分で一歩を踏み出せるようになった。 

 「がんで失われた機能を回復するためのリハビリは、入院中ならば受診できるが、退院後は対応がまちまち。医療機関が支援しなければ、がんサバイバーは行き場がなくなってしまうので、そのための受け皿になれればと思っている。キャンサーフィットネスのインストラクターは全員ががんサバイバー。身体を動かすことの意味は身をもって知っている」 

キャンサーフィットネスの運動教室の様子。写真は術後初めての体操教室。現在はオンライン配信で行っている(写真提供:キャンサーフィットネス)
キャンサーフィットネスの運動教室の様子。写真は術後初めての体操教室。現在はオンライン配信で行っている(写真提供:キャンサーフィットネス)
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 各種プログラムの中でも特に注目度が高いのがチアダンスだ。がん関連の学会や地域イベント、チアダンスの学生大会などに招待されて披露することもあり、そのショーの様子を見てキャンサーフィットネスに入る人もいるという。

 「ピンクの衣装を着て、濃いメイクをして、元気に足を上げて、踊って、その全員ががんサバイバー。これってすごいことだと思う。ショーを見た方から『これから抗がん剤治療だが、チアに入りたいから頑張ってくる』、『私もこんな風に踊れるようになりたい』などと涙ながらに言われると、やっている意味があると感じる」

さまざまなイベントに出場するチアダンスチーム。学生のUSA全国大会にゲストとして出演したこともある(写真提供:キャンサーフィットネス)
さまざまなイベントに出場するチアダンスチーム。学生のUSA全国大会にゲストとして出演したこともある(写真提供:キャンサーフィットネス)
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これからの人生を後遺症と共に生きていくために

 キャンサーフィットネスでは、がんサバイバーにとって必要な知識を学ぶ場も提供している。各分野の専門家を招いて講義を受ける「ヘルスケアアカデミー」ではがんサバイバー向けの健康管理や、体力作りの方法、心身のセルフケアなどを学ぶことができる。また、昨年からスタートした「リンパ浮腫患者向けスクール」は自分自身がリンパ浮腫に悩まされた広瀬氏の肝煎りのプログラムだ。  

 「患者はこれからの人生をリンパ浮腫という後遺症とともに生きていかなければならないが、どこで治療をしたらよいのかを含め、リンパ浮腫のケアの情報が不足している。“リンパ浮腫の情報難民”になっている人も多く、日々の生活で困ったことが起こるたびに、何をどう判断していいのか分からずに悩んでいる。そんな自分自身の経験も踏まえて、プログラムを開発した」 

昨年春から始まったリンパ浮腫患者スクール。運動療法など、20講座を配信している(写真提供:キャンサーフィットネス
昨年春から始まったリンパ浮腫患者スクール。運動療法など、20講座を配信している(写真提供:キャンサーフィットネス
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 プログラムの監修はキャンサーフィットネスの顧問である慶應義塾大学医学部リハビリテーション教室教授の辻哲也先生。広瀬氏自身の体験をもとにした、セルフケアの方法論も組み合わせた。  

 「リンパ浮腫を悪化させないための注意事項がいろいろとあって、日常生活でそれを気にするあまり、気が滅入ってしまう人も多い。しかし、セルフケアを習得すれば挑戦できることが増えて、QOLが向上する。私はトライアスロンにも挑戦した。運動後は確かにむくんだが、きちんとケアしたら元に戻ったので、その方法さえ知っていれば怖くないと思った。むくみを恐れて何もしないよりは、自分の好きなことに挑戦する前向きな生き方を選択したいし、受講生の皆さんにもそのことを伝えたい」

非対面のオンラインならば男性も参加しやすい

 新型コロナウイルス感染症流行から1年。キャンサーフィットネスにとっては模索の年となった。それまでは一貫して対面で実施してきたが、会員には片道1時間かけてくる人や、飛行機で来る人もいる。移動中に感染してもいけないし、風評が広がれば続けられなくなることから、従来の方式で開催することは断念せざるを得なかった。

 しかし、病気は待ってくれない。ステイホームで家に閉じこもれば、ますます身体は固くなり、機能が衰えていってしまう。そこで対面以外でできることとして、セミナーの様子を収めたDVDの配布や、フィットネスプログラムのオンライン配信に取り組んだ。そして、12月10日からキャンサーフィットネス オンラインサロン「Hello!」を新設した。 

キャンサーフィットネス オンラインサロン「Hello!」(写真提供:キャンサーフィットネス)
キャンサーフィットネス オンラインサロン「Hello!」(写真提供:キャンサーフィットネス)
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 オンラインサロンは運動、情報、仲間という3つの切り口を特長にしている。『Hello!運動』は10分間のフィットネス番組で、ライブ配信とアーカイブ視聴が可能。『Hello!情報』は広瀬氏と各分野の専門家が、がんとの暮らしに役立つ話をするトークセッション。ラジオを聴くような感覚で楽める。『Hello!なかま』はSlackを活用し、会員同士が悩み相談や意見交換をする場。さらに専門家の先生方に直接質問できる座談会形式のプログラムもあるという。 

 「男性は相当症状が悪化してから参加する方が多い。おそらく自分から周囲に困っているとか、助けてほしいとか言い出しにくいのだろうと思う。オンラインのフィットネスならば、他の人と交流することなく身体を動かせる。Zoomを使うので、顔を出さなくても、ニックネームを使ってチャットで質問することもできるので、気軽に参加してほしい」

 日本人の2人に1人ががんにかかるとされる時代。がんになった後をどう生きるのか、考え方は人それぞれ違うかもしれない。がんサバイバーの一人である広瀬氏は、がんサバイバーが運動を通して笑顔になれる場を作る道を選び、今その場はオンラインサロンへと進化した。「オンラインだからできることもある。がんサバイバーのQOL向上につながることなら、どんなことでもやってみたい」と語る広瀬氏の挑戦はこれからも続いていく。 

キャンサーフィットネス代表理事 広瀬真奈美氏
キャンサーフィットネス代表理事 広瀬真奈美氏
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(タイトル部のImage:udra11 -stock.adobe.com)