「エピテーゼ」という言葉を聞いたことがあるだろうか。事故や疾患・手術などによって欠損した部分に装着する人工の補綴(ほてつ)物のことだ。手足の機能・形を補う義肢と違って、エピテーゼは“見た目”をカバーすることが主目的で、その仕上がりはハリウッド映画の特殊メイクさながらだ。

歯科技工士として働きつつ、エピテーゼ製作や技術者養成スクールを運営するメディカルラボKの萩原圭子氏に話を聞く。

 人間の皮膚のようにしっとりと柔らかな質感のエピテーゼ。シリコンの特性を生かした補綴物は指先の指紋や爪の質感、乳頭のしわまでも再現される。その緻密さは感動的でさえあるが、製作過程で最も集中力を必要とするのは彩色だという。

 皮膚の色は均一ではない。太い血管の通る部分は青みがかり、毛細血管が密集した部分は赤みが強い。ところどころに黄色や白色が透けたり、茶色のシミが浮かんだりもしている。そんな皮膚の色調を細やかに再現することで、本物以上に本物らしい肌色を作り上げていく。

メディカルラボKで製作したエピテーゼのサンプル。細かな皺や皮膚のまだらな色彩が見事に再現されている(写真:早川 マナ、以下同)

 エピテーゼの需要で多いものの一つが乳房だ。乳がんの手術で乳房を摘出した場合、自家組織やインプラントによる再建という選択肢はあるが、完全に元通りになるわけではない。しかも、現在は国内唯一の保険適用のインプラントが米国FDAの要請で販売停止中。他社製インプラントならば自由診療なので、治療費は格段に上がる。ただでさえ手術には心身の負担が伴うため、「再建しない」ことを選択する人も多く、専用の補正用パッドや下着はさまざまなタイプが発売されている。

 「着衣のときはカバーできても、温泉や公共施設での入浴、子どもや孫との入浴のときにエピテーゼがほしいという声が多い。エピテーゼは専用接着剤で装着するので入浴可能。乳房全体ではなく、乳首だけというニーズもある。人間の認知は不思議なもので、対になっているはずのものが欠損していると気になって見てしまうが、乳頭だけでも存在していれば気にならなくなる」

メディカルラボK 萩原圭子氏

身体の凹凸にぴったりと合うように造形

 これまで萩原氏は多数の乳房のエピテーゼを製作してきた。生来の大きさや形状はもちろんのこと、乳房は年齢と共に下垂するので、それも考慮しなければならない。机の上に置いた状態では柔らかく広がって見えても、装着して下着を着けると自然なふくらみとなり、左右のバランスがとれるようにする。こういった調整は一人ひとりに寄り添って仕上げるオーダーメイドだからできることだ。

メディカルラボK 萩原圭子氏

 「見た目も大事だが、肌に直接触れる部分が重要。乳房を摘出された方は胸部に手術痕があるので、最初に石膏で型を取り、ご本人の身体にぴったり合うものを作る。だから使い勝手がいいし、装着時の負担も軽い」

 この型どりのプロセスに、歯科技工士としての技術が生かされている。

 萩原氏がエピテーゼを知ったのは歯科技工士の専門学校時代だった。さまざまな資料写真のなかに、義眼を使った顎顔面補綴の写真があり、その精巧さに目を奪われた。当時はエピテーゼの普及前。専門学校の教員に質問をしても十分な回答は得られなかった。

 転機が訪れたのは10年前。米国で特殊メイクを学んできた人がエピテーゼの技術者養成スクールを開校していることを知った。萩原氏は地元で歯科技工士を続けながら、東京のスクールに通い、基礎技術を習得。メディカルラボKを立ち上げる。

 「まずは乳がんを患ったことのある母に無料モニターになってもらったが、出来栄えはボロボロ。母も喜んではくれたが、重くて面倒だとあまり着けてくれなかった。もっと経験が必要だと実感し、知人の紹介などで無料モニターを増やしていった」

 がん患者の会にも出向いた。乳房に限らず、身体の一部を失った人たちが普段何に困っているかを知りたかったからだ。その場で売り込むことはしないが、声をかけられればエピテーゼの説明をする。ぜひ試したいと、モニターを申し出てくれた人もいた。

婚活中の女性が出したエピテーゼの条件

 なぜエピテーゼが必要なのか。萩原氏が忘れられないエピソードがある。

 「農作業で小指を欠損した80代の女性にエピテーゼを製作したときのこと。彼女は自転車に乗る時に欠損が目立つと感じ、誰かとすれ違うたびに『こんなものを見せてごめんなさいと思う』と言っていた。周囲にそんなつもりがなくても、本人は長年ツラい思いを抱えている。彼女は出来上がったエピテーゼを喜び、亡くなるまで愛用してくれた」

 また、小指とその付け根部分を欠損した婚活中の女性も印象に残っている依頼者の一人だ。彼女は海外生活中に作ったグローブ型のエピテーゼを持っていた。それは手の大部分を覆うような仕様で、重くて圧迫感がある。もっとコンパクトで使い勝手が良いものができないかと、メディカルラボKにやってきた。

 「初めはコンパクトさ重視で小指だけのものを作ったが、日常生活のなかで頻繁に外れてしまった。そこで2つ目を製作。小指のエピテーゼに薬指用のバンドを組み合わせれば安定感が増すのだが、彼女は『婚活の妨げになる』と難色を示した。それで薬指から遠いところにある人差し指用のバンドにしたのだが、今度はバンドがたるんで使いにくいと、彼女は3つ目をオーダー。婚活の妨げにならないギリギリの選択として中指にバンドをかけるデザインにしたところ、ようやく満足いく仕上がりとなった。苦労した分だけ、喜びもひとしおだった」

小指のエピテーゼのサンプル。エピテーゼを安定させるために薬指にバンドをひっかける。バンドは目立たないが、なかには指輪をする人もいる

 萩原氏は装着する人にとって最良のエピテーゼになるように丁寧に面談を行い、日常的に装着するのか、必要な時だけなのか、水仕事や力のかかる作業をするのかといったことを確認する。しかし、依頼者自身もエピテーゼへの要求をロジカルに語れるわけではない。面談や型どりなどの際に雑談するなかで、ようやくリアルな使用場面が見えてくることもある。前述の女性のように、実際に着けてみて初めて気づくこともあるだろう。エピテーゼはそれだけ繊細なものなのだ。

安易な技術の伝搬に警鐘

 いまメディカルラボKでは技術者養成のスクールを開講し、全国から受講生を受け入れている。萩原氏と同じ、歯科技工士もいる。歯科の領域にも3Dプリンターなどの新技術が入ってきているので、歯科医院の将来に不安を感じ、新しい技術を習得させたいという企業派遣の事例もあるようだ。萩原氏はそれを支援したい考えだが、安易な技術の伝搬には警鐘を鳴らす。というのも、最近は既製品のエピテーゼが出始めた。面談や型どりなどを行わない分、いくらか価格は安い。しかし、既製品では身体にフィットしないため、下手をすると「こんなものか」とエピテーゼそのものへの評価を下げることにつながりかねない。

 「エピテーゼは『こんなものを見せてごめんなさい』という思いを抱えている人たちを助けるものであってほしい。当社には全国から依頼者が来てくださるが、疾患などを抱えている方々にとって移動の負担は大きいはず。エピテーゼを製作できる確かな工房が近くにあれば、それだけで依頼者の負担は格段に減る。スクールの卒業生がそれぞれの地域で工房を開き、依頼者のQOL向上につながったら嬉しい」

メディカルラボK 萩原圭子氏

(タイトル部のImage:udra11 -stock.adobe.com)