先進国の高齢化の進展などを背景として、新たな認知症治療薬開発への期待が高まっている。2021年6月、エーザイと米バイオジェンが共同で開発したアルツハイマー型認知症新薬「アデュヘルム」が米当局から承認され、市場で大きな話題になったのを覚えている人は多いだろう(関連記事:米FDAがアルツハイマー病治療薬を承認、迅速承認制度で)。とはいえ、認知症の新薬開発は簡単ではないとの見方も強い。認知症患者の拡大が予想される中、新薬開発は今どのような状態にあり、どのような方向に向かっているのか、医薬品セクターのアナリスト、SMBC日興証券の田中智大氏に聞いた。

田中智大氏 SMBC日興証券株式調査部アナリスト
田中智大氏 SMBC日興証券株式調査部アナリスト
大阪大学大学院薬学研究科修士課程修了。アナリストとしてのキャリアをSBI証券にてスタートし、2019年よりSMBC日興証券に転じ、引き続き医薬品分野を担当。医薬品・バイオの広範な見識を生かし、アナリストカバレッジの少ない企業まで幅広く、その技術の本質的な将来性を見極めることに注力する。2021年の日経ヴェリタス人気アナリストランキング医薬品部門では、前年の第18位から第6位に躍進した(写真:川田 雅宏、以下同)
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アルツハイマー型認知症は、記憶を司る海馬の周辺から萎縮が広がる病気で、萎縮が進行するにつれて認知機能が低下していきます。日本の認知症患者の中で最も多いのがこのアルツハイマー型で、約7割を占めると言われます。治療現場では現状、どんな薬が使われているのでしょうか?

 承認されているのはエーザイの「アリセプト(ドネベジル)」など4種類の薬です。アリセプトや武田薬品工業が国内販売権を持つ「レミニール(ガランタミン)」、小野薬品工業やノバルティスファーマによるリバスチグミンなどの貼付剤(ちょうふざい。皮膚に貼り付けて使用する薬剤)は、神経伝達物質アセチルコリンを増やすことで症状を和らげる効果はありますが、アルツハイマー型認知症の不可逆性を改善するものではありません。

アルツハイマー型認知症の患者数は全国で500万人近くに達し、高齢化により今後も増加が見込まれています。アルツハイマー型認知症薬の国内市場はどういう状況になっているのでしょうか?

 承認薬はいずれも特許切れでジェネリック医薬品が出ており、価格の低下が進んでいます。価格は年々徐々に引き下げられる傾向にありますので、市場全体が右肩下がりの状況になっています。

そんな中で2021年に注目されたのが、エーザイと米製薬大手バイオジェンが開発した「アデュヘルム(アデュカヌマブ)」です。6月に米食品医薬品局(FDA)の承認を受けた際には初の疾患修飾薬として期待を集め、当時、エーザイの株価は約8割上昇しました。アデュヘルムの、アリセプトなどとの違いを教えてください。

 アルツハイマー型認知症研究は道半ばで、未だ原因物質の特定には至っていません。近年の有望仮説が、長年に渡るアミロイドβ(脳内で生成されたタンパク質が分解されたもの)の蓄積が脳細胞を死滅させ、アルツハイマー型認知症を引き起こすというものです。アデュヘルムをはじめ、最近の有望な新薬候補は、このアミロイドβ仮説に基づいて開発されています。つまり、アミロイドβを脳から排除するような抗体をつくれれば、症状悪化の抑制につながるのではないか、という考え方です。

新薬開発で失敗が続いてきた理由

アデュヘルムの他にも今後、アミロイドβ仮説による有望な新薬候補が続々出てくるということですか?

 エーザイがバイオジェンとアルツハイマー型認知症研究に取り組む中から生まれた別の抗アミロイドβ抗体「レカネマブ(開発品コード:BAN2401)」も、第三相臨床試験(フェーズⅢ)の結果が2022年の7~9月に開示される予定です。スイスの製薬大手ロシュが開発した「ガンテネルマブ」は、フェーズⅢの試験が2022年後半に終了予定です。もう1つ、米製薬大手イーライリリーの「ドナネマブ」はフェーズⅡを終えたばかりで、フェーズⅢの結果が出るのは2023年以降になりそうです。

アミロイドβ仮説の他にも有力な仮説がありますか? 最近よく耳にするのがタウです。

 タウは、神経細胞がネットワークを形成し、情報を伝達するのに必要な軸索(神経細胞の長い突起部分)を支える“微小管”を構成するタンパク質です。アルツハイマー型認知症は、このタウの異常な脳内蓄積が原因とする仮説もあります。タウとアミロイドβは近しい関係にあり、アミロイドβ仮説に立脚した開発を行う製薬会社でも、並行して抗タウ抗体の開発を行っている企業があります。バイオジェン然り、エーザイ然りです。しかし、抗タウ抗体の方は現状、フェーズⅡ試験などで良好な結果は開示されておりません。

この20年ほど、アルツハイマー型認知症の新薬開発は失敗が相次ぎました。優に100を超える新薬候補が消えています。なぜでしょう?

 理由は大きく2つあります。

 1つは、先ほども言ったように原因物質が特定されていないことです。試行錯誤を重ねてきた中でも、現状では有力な仮説は乏しい印象です。

 もう1つ、アルツハイマー型認知症は患者数が多い半面、MCI(軽度認知障害)を含め早期段階の患者を確定診断することが難しいことから、「治療薬を投与することで進行を遅らせることができる」という有効性の評価が難しい面もあります。

そうした中で、日本の製薬会社の取り組みをどう評価されていますか?

 日本ではアルツハイマー型認知症薬の開発に注力している企業は少ないですね。なぜかと言えば、成功確率が低いから。成功確率は低い上に、失敗すれば、それまでの研究開発費が無駄になってしまいます。そのリスクがとれる会社が日本では海外と比較して相対的に少ないと考えられます。

 この分野では国内の第一人者であるエーザイも、単独で研究・開発を行うのではなく、バイオジェンと共同で開発と販売を行う契約を交わし、共同開発してきています。

岐路に立つ「アデュヘルム」

そうした中で登場したのが“希望の星”アデュヘルムですが、残念ながら、最近はあまりいい話が聞こえてきません。例えば、米国での7~9月期の売上高はわずか30万ドル(約3420万円)にとどまりました。

 治療薬として浸透していくには、まず保険適用が前提になります。現在、CMS(メディケア・メディケイド・サービスセンター)は、アデュヘルムを含めた抗アミロイドβ抗体を全米で統一して保険適用にすべきか調査中です。オフィシャルな見解は2022年4月12日まで、中間報告(ドラフト)は同1月12日までに開示予定ですが、シンプルに保険適用か、保険適用外かという二択ではなく、「保険適用だが対象患者・使用方法に制約を設けるべき」といった結論もあり得ます。

 保険適用は市場浸透のための契機となり、されないと困るわけですが、仮にされたとしても、それだけで市場に浸透していくとも限りません。病院や医師によっては、自分の患者にアデュヘルムを処方しないという姿勢を鮮明にしています。その理由として指摘されているのが、科学的根拠の薄弱さです。

 エーザイとバイオジェンはフェーズⅢで大規模臨床試験を2つ行いましたが、結果として再現性は確認できませんでした。一方は偽薬と比べて臨床症状を改善することで有効性を確認することができましたが、もう一方では確認することはできませんでした。しかし、沈着したアミロイドβを脳内から除去する効果が治療効果の代替評価項目として認められ、「迅速承認制度」に基づく条件付きの承認を受けました。両社は、追加試験で治療効果を改めて証明する必要があります。

 とはいえ、処方するかどうかの判断は病院や医師に委ねられておりますので、保険が適用されても医師への啓蒙活動が今後のハードルとなる可能性があります。

 加えて、アデュヘルムには薬価の問題もあります。米国での治療費は患者1人につき年間で5万6000ドル(約638万円)に上ります。米国ではアルツハイマー型認知症患者の約8割は高齢者なので、公的保険から給付を受けられますが、高額な治療費を対象者に制約なく保険償還することは現実的ではないと言えます。

 結果として、薬価を引き下げるか、対象患者数を絞るかのどちらか、もしくは両方の手段によって、保険財政に与える影響を減らす必要があります。

アデュヘルムは欧州での承認申請が山場を迎えていますが、ネガティブな見方が大勢を占め、11月にはエーザイの株価が急落した場面もありました。欧州や日本での承認はどうなりそうですか?

 先ほど、米国で条件付きの承認を受けたと話しましたが、迅速承認制度は米国だけの制度になります。よって、欧州も、日本も、仮置きではなく本承認の可否を決定する必要があります。

 欧州は12月第3週目に開催される委員会で承認可否を決定する予定です。日本では2020年12月に承認申請を行っているので、来年2022年2月以降に開かれる厚生労働省専門家部会で製造・販売の可否を審議することになるでしょう。

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エーザイの本命は「レカネマブ」?

アデュヘルムが治療現場に普及するには、越えなければならないハードルがたくさんあるのですね。他の新薬候補の抗アミロイドβ抗体も含め、田中さんは認知症治療薬の開発についてどういう見方をされていますか?

 アミロイドβを脳内から排除するスピードは、先行するアデュヘルム(アデュカヌマブ)よりもレカネマブやドナネマブなどの方が相対的に速い。先ほど挙げた3つの新薬候補物質については製薬会社も「フェーズⅢで臨床的意義がある結果を出したい」と自信をのぞかせており、私はそこに期待したいと思います。

 とはいえ、アデュヘルムの功績は侮れません。これまでの新薬候補がことごとく失敗してきた中で、臨床的な意義があるという結果を出したのですから。アミロイドβ仮説が正しいというエビデンスの1つになった、とも言えます。

アルツハイマー型認知症薬開発の歴史において画期的な一歩を踏み出したということですね。これから2030年にかけて長期的な視野で見ると、アルツハイマー型認知症薬はどう進化していくとお考えですか?

 足下、新薬開発はアミロイドβ仮説が正しいかどうかの実証段階まで来ています。言い換えれば、この20年何の進展もなかった病気の原因物質がいよいよ判明するのではないかという瀬戸際です。

 2022年にアデュヘルムが抱える課題をクリアするような新薬が出てくれば、業界全体が引き続きアミロイドβ仮説に則った新薬開発に注力していくことになると考えられます。

 現在の抗アミロイドβ抗体薬は、アルツハイマー型認知症の症状悪化の速度を抑制していますが、改善することはできません。速度の抑制だけでも十分に素晴らしいことだと感じますが、将来的には症状を改善させる治療薬の開発へとステップアップしていく可能性もあろうかと思います。

最後に、アルツハイマー型認知症治療の分野で、田中さんが有望と考える銘柄をお教えいただけますか?

 新薬が当たれば、大きなリターンが得られる分野です。フェーズⅢの結果が待たれるエーザイ、日本イーライリリーに期待したいです。中外製薬も、ロシュのガンテネルマブの国内販売権を保有しています。

 また、治療薬ではありませんが、注目したいのがアミロイドβの血中濃度を調べる測定試薬です。2021年にH.U.グループホールディングス傘下の富士レビオが製造販売承認を受けていますが、エーザイとシスメックスが共同で、さらに島津製作所も、開発に取り組んでいます。こうした試薬・診断方法が普及すれば、健康診断などで採取した血液から、将来アルツハイマー型認知症になるリスクを診断することが可能になります。アミロイドPETとの併用で、早期に発見される人が増えれば、治療薬の開発にもプラスに働きます。

(タイトル部のImage:jamesteohart -stock.adobe.com)