「腸内フローラ(細菌叢)」という言葉はよく耳にするが、最近、不妊治療の領域で注目されているのが、「子宮内フローラ」。子宮内にも細菌が存在し、その菌環境が不妊治療の成否を左右するというのだ。遺伝子検査スタートアップのVarinos(バリノス)は、世界に先駆けてこの子宮内フローラ検査のサービスを開始。産婦人科医師らとの共同研究にも積極的に取り組んでいる。

社内に掲示されていた看板(写真:稲垣 純也)

 子宮内には細菌が存在しない──。従来はそう考えられてきたが、2015年、米国ラトガース大学の研究で、子宮内にラクトバチルス菌が存在することがわかった。さらに、その翌年の2016年には米国スタンフォード大学の研究で、子宮内の菌環境が乱れていると体外受精の結果が悪くなるとの報告が。またスペインの不妊治療クリニックからも、子宮内の善玉菌(ラクトバチルス菌)が少ないグループでは体外受精による妊娠率が低く、流産率が高いと報告された。こうして子宮内の菌環境、すなわち「子宮内フローラ」に俄然、注目が集まるようになったわけだ。

スペインのIVI Valenciaクリニックで、体外受精を行っている不妊治療患者35人を対象に、子宮内フローラの状態と妊娠率などとの関係を比較した。ラクトバチルス菌が少ない子宮内フローラ異常群では、体外受精による妊娠率が33.3%、妊娠継続率が13.3%、生児獲得率が6.7%と、子宮内フローラ正常群に比べ、治療成績が明らかに低下していた(図:Moreno et al, AJOG, 2016を基にバリノスがまとめたものをBeyond Healthが作成)

 子宮内フローラの存在を明らかにした立役者は、なんといっても次世代シーケンサーだ。「培地で細菌を培養する従来の方法では、子宮内に細菌がいることを確かめられなかったが、次世代シーケンサーの登場で細菌のDNA配列を一度に解読できるようになり、子宮内フローラの発見に至った」とバリノス代表取締役の桜庭喜行氏は話す。

あの「イルミナ社」を出て自ら起業

 桜庭氏は、ゲノム解析のグローバル企業イルミナ社で次世代シーケンサーのクリニカル領域におけるプロモーションに当たった経歴を生かし、同じくイルミナ社で学術営業を担当していた長井陽子氏と共に2017年、ゲノム解析を受託するバリノスを設立した。「イルミナを出て自ら起業したのは、当時、日本には次世代シーケンサーを活用した遺伝子検査を臨床検査として行おうという企業がほとんどなかったから。世界のゲノム医療に比べると、日本はあまりに後れている。ならば、自分がやるしかない、という思いだった」と桜庭氏は振り返る。

(左)桜庭喜行氏 代表取締役。2001年、埼玉大学大学院博士課程修了。理化学研究所ゲノム科学総合研究センター、米国セントジュード小児病院、ジーンテック株式会社、イルミナ株式会社を経て、2017年、バリノス設立。代表取締役に就任。(右)長井陽子氏 2011年、東京大学大学院薬学系研究科博士課程終了。産業技術総合研究所バイオメディシナル情報研究センター、東海大学医学部、イルミナ株式会社を経て、2017年、バリノス設立。取締役に就任。国立成育医療研究センター研究員も務める(写真:稲垣 純也)

 そして同年12月には、次世代シーケンサーで子宮内の菌環境を調べる「子宮内フローラ検査」を開始した。日本はもとより世界でも初めてのサービス内容だ。ゲノム解析を行うベンチャーとして、最初に取り組む対象を生殖医療分野に据えた理由を桜庭氏は、こう語る。

「イルミナ社時代から不妊治療の専門家との交流があり、この領域の需要をいち早く捉えることができた。また体外受精をはじめとした高度生殖医療は自由診療であり、新しい技術が受け入れられやすい土壌もあった。新しい技術を最速で届けるには、この領域は非常に適したフィールドだった」

 日本では晩婚化や晩産化を背景に、不妊に悩む人が年々増加。6組に1組のカップルが不妊治療を受け、体外受精で生まれる子どもは年間5万人を超える。ただし、日本は体外受精の実施数は多いが、妊娠出産の成功率は決して高くないのが実情だ。「不妊治療の進歩は著しいが、それでも不妊の3割程度はいまだに原因不明。完全な受精卵を子宮内膜に戻しても成功率は7割止まりで100%にはならない。その原因不明の不妊要因として子宮内フローラの問題があるのではと考えている」(桜庭氏)。

子宮内フローラ検査の流れ(図:Beyond Healthが作成)

 子宮内フローラ検査は、最新の知見に基づいた、これまでにない検査だけに、不妊治療を行う医療機関からの関心が高く、サービス開始後から導入する医療機関が増え続け、その数は現在90以上に上る。医療機関から送られる検体は、同社のラボで次世代シーケンサーを用いてDNA解析され、2週間ほどで結果が出る。検査費用は医療機関によって異なるが、4~5万円程度が相場だという。「腸内の細菌に比べると、子宮内に存在する菌はごく微量で、解析が難しい。菌量が少なくても安定的に測定ができるよう、試行錯誤を重ねて独自のプロトコールを確立した」と技術開発担当の長井氏は話す。

なぜ子宮内フローラの状態がよくないと妊娠しにくいのか

 子宮内フローラ検査を受けた人はすでに8000人以上。検査結果は不妊に悩む患者の治療に活かされると同時に、貴重な学術データにもなる。バリノスでは現在、不妊治療の専門家との共同研究にも熱心に取り組む。不妊治療専門クリニックのほか、東京大学や日本医科大学などの大学病院との共同研究も進行中だ。共同研究の結果はすでに3報の論文として報告された。どんなことがわかったのか。

 「日本人女性の子宮内フローラの実態が明らかになった。日本人女性も欧米の女性と同様、子宮内には善玉菌のラクトバチルス菌が多い。ただし、不妊で治療を受けている女性ではこの菌が少ない傾向がある。またラクトバチルス菌が優勢かどうかは、子宮内と膣内ではほぼ同じということもわかった」と長井氏。なお、少数の女性ではラクトバチルス菌ではなく、ビフィズス菌が子宮内で優勢だったこともわかったという。

不妊治療を受けている102人と健常者7人を対象に子宮内と膣内の細菌を調べた。不妊治療を受けている女性では、子宮内及び膣内のラクトバチルス菌が減少していることがわかった(グラフは子宮 内のデータ)。京野アートクリニックとの共同研究。この共著論文は日本生殖医学会のReproductive Medicine and Biology誌においてトップダウンロード論文に選ばれたという。子宮内フローラに対する関心の高さが伺われる(図:Reprod Med Biol. 2018; 1-10を基にBeyond Healthが作成)

 それにしても、なぜ子宮内フローラの状態がよくないと妊娠しにくくなるのだろうか。桜庭氏は「鍵になるのは免疫」だとして、次のように推測する。

「そもそも受精卵は母体にとっては異物。その受精卵を免疫寛容によって受け入れることで、妊娠出産が成立する。ところが、子宮内に病原性の菌が存在していたら、どうなるか。その菌を排除しようとして子宮内膜での免疫が活性化し、受精卵の着床まで妨げてしまう。仮に着床したとしても、妊娠の継続が難しくなる。子宮内はラクトバチルス菌という善玉菌が優勢なことで、悪玉菌を寄せ付けないようにし、妊娠出産に適した子宮内環境を保っていると考えられる」

遠隔診療用の検査キットも
膣から検体を採取する方法は簡便なため、患者本人が自宅で検体を採取してバリノスに送る方法もある。この場合は、専用のキットを使って子宮ではなく腟の検体を採取する。検査結果については、遠隔診療で医師から患者に説明がなされる(写真:稲垣 純也)

子宮内フローラの改善は可能か

 では、子宮内フローラを改善させることはできるのか。不妊治療クリニックとの共同研究では、ラクトフェリンの摂取が子宮内フローラを改善させることがわかった。実際に体外受精後の妊娠が成功した例もあったという。「ラクトフェリンは母乳、特に出産後2~3日に分泌される初乳に多く含まれる抗菌・抗ウイルス作用などを持つ多機能性たんぱく質。涙や唾液、子宮頸管液などにも含まれており、子宮内フローラのバランスを整える効果がある。膣・子宮の菌は腸管由来ということが分かってきたので、経口摂取したラクトフェリンは腸内フローラを改善し、結果として、膣・子宮の菌環境を改善すると考えられる」と桜庭氏。

 バリノスでは、ラクトフェリンのサプリメントも販売中だ。「ラクトフェリン摂取については、細菌性腟症の改善効果と早産予防効果が論文ですでに報告されていた。そのエビデンスに基づいてサプリメントをデザインした」と長井氏。

 子宮内フローラをよい状態に保つには、もちろん食事も大切だ。日頃から腸の状態をよくしておくことも、膣と子宮のフローラケアにつながる可能性がある。妊娠出産を希望する女性は、早めに子宮内フローラを意識した生活を始めるといいだろう。「妊活には子宮内フローラのケアを」が、これからの常識になるかもしれない。

バリノスが販売する「子宮内フローラのためのラクトフェリン」。妊活サプリとして医療機関やアマゾンなどで販売。90錠、8100円(写真:稲垣 純也)

 子宮内フローラ検査には、海外からも熱い視線が注がれている。「検査希望のオファーなど、海外からの問い合わせも多い。近いうちに海外進出も果たしたい」と桜庭氏。最近発行された米国の雑誌『Startup City Magazine』では、アジア太平洋地域のバイオテック・スタートアップ企業のトップ10に選出され、桜庭氏と長井氏の写真が表紙を飾った。日本発の子宮内フローラ検査への期待は大きい。

 「今後は、受精卵の染色体異常を調べる『着床前胚染色体異数性検査(PGT-A)』にも本格的に取り組んでいく。正常な受精卵を見分けて移植することで、確実に妊娠率を上げ、流産を防ぐことができる。また将来的には、がんのゲノム検査にも乗り出したい」と桜庭氏は熱く語る。バリノスの挑戦は始まったばかりだ。

(タイトル部のImage:ekb -stock.adobe.com)