日本企業はデータの宝庫

 幸い、ゲノム事業は重粒子線の治療装置事業とともに、独り立ちしていない研究案件として残されることになった。「ゲノムについてもいろいろ話はあったと思うが、将来を考えると、まだ時間がかかると見なされた」と米澤氏らは当時を振り返る。ただ会社は稼ぎ頭だったCTなどの医療機器の事業は売却され、収益の柱は医療にはなくなった。研究余力も大幅にそがれてしまった。

 文字通り、ゼロからの出発が今の東芝にとってのゲノム事業となる。しがらみを気にしている余裕はなく、先入観なく考えざるを得ない。米澤氏らは、「ゲノム解析サービスを行っていたが、受託解析会社になりたいのではなく、ゲノム個別化医療をやろうと決めていた」と話す。受託解析サービスはあくまで入り口。そうした発想の先に生まれたアイデアが、従業員全体からのゲノムデータ収集だった。勝算はあった。

 米澤氏は、自らもゲノムデータを提供したという。「同意書にサインしたときに最初に感じたのは、自分が生きているという実感。自分の情報がしっかり将来の医療のために役立つ。無駄に生きているわけではない。実質的にその感じを体感できた。ポジティブに活用していこうと思った」と話す。

 ゲノム事業のキモとなるものはデータだ。COI東北拠点でゲノム解析の設計はしてきたが、読み取った遺伝情報にひも付く関係情報が増えるほどに、データの解釈は深みを増す。ゲノムデータは、単純に読んだだけでは、文字の羅列でしかない。その配列がどのような意味を持っているのか。意味を見いだす「アノテーション」が欠かせない。そのプロセスを経て初めて、医療や健康のアクションにつなげられる。

 海外では、英国でUKバイオバンクと呼ばれる50万人もの人々のゲノムデータを集めるプロジェクトが進められている。米国でも同様に民間保険の体制の下、大量のゲノムデータの収集が進む。健康情報とひも付けられたゲノムデータに基づき、医療や健康の方針決定に活かされようとしている。東芝、ひいては日本がここから巻き返すのは不可能にも見えるほどだ。

東芝サイバーフィジカルシステム推進部新規事業推進室長の米澤氏(写真:川島 彩水、以下同)

 しかし、東芝チームは唯一、世界に伍していける糸口が日本企業ならではの企業文化にあるとみた。1875年に東京で創業した東芝グループに集まった、10万人を超える従業員の協力を得ることだった。自社グループの従業員は毎年のように健康診断を受けており、膨大な健康情報が蓄積されている。欧米のように、流動的な労働市場ではなし得ない状況が社内には存在していた。