難治性疾患克服研究事業や特定疾患治療研究事業などで行われてきた「難病」の解明・治療法開発が、ゲノムデータの活用で一気に加速しそうだ。厚生労働省は2019年10月に「難病ゲノム医療の推進検討会」を立ち上げ、12月にはがんと難病の患者10万人超を対象とする全ゲノム解析の実行計画を公表した。ゲノムデータの解析は、いまだ原因が分からず治療法がほとんどない様々な難病をどこまで解決に導くのか。希少遺伝性疾患の原因解明で世界をリードしてきた、横浜市立大学大学院医学研究科遺伝学教授の松本直通氏に話を聞いた。

謎の症状に苦しむ少女を救う

 「重要なのは、遺伝子の関与が明らかになると、治療手段が判明する可能性があること」と松本氏は説明する。

 2018年12月、原因不明の難病で寝たきりだった10代のロシア人女性が、横浜市立大学で遺伝子解析を受けたところ、葉酸の代謝に関わる受容体が欠乏するまれな遺伝性疾患であることが判明。葉酸誘導体の服用をしてもらう治療につながった。症状は劇的に改善した。

 米国では、希少難病の遺伝子異常を明らかにすることで、この異常に対応できる医薬品の開発につながる事例も。このほかATRXという遺伝子の変異によって知的障害が出てくる疾患が、市販されているサプリメントの投与で改善できる可能性が判明する事例もある。

 松本氏は、「原因を知ることが大切であり、難病研究の一丁目一番地と考えている。自分たちの専門性を最大限に活かして、他の研究者が見つけることが困難なものも見つける。そういう使命感に燃えている」と話す。

 こうした難病の原因を見つけるために欠かせないのが次世代シーケンサー(NGS)。松本氏は、「大きな転機となったのは、2009年~10年の時期。NGSを使えるようになってから」と話す。NGSの普及により、全遺伝子を含めたゲノム解析が2000年代後半から一挙に高速化した。「圧倒的に高出力となり、『全部シークエンスしよう』というような考え方になった。希少疾患研究の世界ではパラダイムシフトが起きた」

 遺伝性疾患の中には、遺伝子一つに変異があるだけで発症して、メンデルの法則に従って遺伝する「メンデル遺伝病」が知られている。さらに、複数の遺伝子が関与する遺伝性疾患もある。「Online Mendelian Inheritance in Man(OMIM)」というデータベースの中で、およそ9000種類のメンデル病が登録されているが、3300ほどの疾患の原因遺伝子は分かっていない。松本氏は、「体内には2万2000種類ほどのタンパク質をコードする遺伝子が存在するとされており、それぞれに対応するといって過言ではないほどの遺伝性疾患が存在していると考えられる」と話す。まだ数多くの疾患は特定されていない。

 例えば、脳の機能に異常を引き起こす「てんかん」は遺伝子が関与する難病の一つ。重篤なてんかんが存在しており、治療も困難で、原因が見つからないものも多い。こうした病気と遺伝子との関与がゲノムデータの解析から見えてきている。

横浜市立大学大学院医学研究科遺伝学教授の松本氏(写真:寺田 拓真、以下同)

国際連携でデータを集める

 原因を突き止める研究を成功させるには、大きく2つの壁を越える必要がある。いかにデータを効率的に蓄積し、その病気との関連性について関連データと突き合わせながら速やかに解明していくかが重要。

 一つの壁は、データの不足。遺伝性疾患は希少性のために、国内だけでは、十分なデータを集められない。ゲノムのデータだけあっても足りない。ある病気を調べたときに、関係ありそうな遺伝子は次々と見つかってきても、そのうちどれが病気との関連性が深いのか、病気の人の持つゲノムデータ以外のデータが欠かせない。世界ともつながり、病気の情報を集約していく必要がある。松本氏は、「一研究室でできなかったことを、世界中の研究者・医師が寄り集まり調べていく。現実的には競争もあるのだが、一方で協力をしながら、お互いの得意と不得意の分野を踏まえて補い合う」と説明する。

 日本では「IRUD(未診断疾患イニシアチブ、アイラド)」と呼ばれるプロジェクトが進められている。2015年から始まったもので、全国から原因の分からない疾患を、IRUD拠点病院に集めて、専門のIRUD解析センターでまとめて解析する体制。遺伝子をコードしているDNA全体を読む「エクソーム解析」で謎を解いていく。

 さらなる壁はテクノロジーの進化をいかに取り入れるか。松本氏によると、エクソーム解析によって3割ほどは解決できる。さらに、遺伝子領域だけでなくゲノム全体を対象とした全ゲノム解析も可能である。またこれまではゲノムDNA鎖を100~250塩基の細切れで読み取るショートリードの「短鎖シーケンサー」が主流だったが、今後は1万塩基を超える長い鎖を一度に読める、ロングリードに対応した「長鎖シーケンサー」を駆使した解析も必要になる。

 松本氏は、「ニューテクノロジーであったNGSで解析しているが、ショートリードでは限界もある。全ゲノムを読み、ロングリードなども用いて新しい発見をしていく。分かる部分を3割からどれくらい高めていけるかが勝負だ」と説明する。ゲノムデータと他の様々なデータとリンクさせて、病気の改善につながるヒントを浮かび上がらせていくことが重要になる。そういう意味では、ゲノムデータを持つ人が増えて、関連のデータも含めた情報が蓄積するほどに有利。松本氏はゲノム解析をほぼ全員が行う日も近いとみる。

大胆な仕組みで世界を変える

 国全体でも従来の常識に挑戦する必要はあるかもしれない。

 例えば、一つは、検査の効率的な運用を追求すること。米国では「CLIA」と呼ばれる検査室の認証制度を設ける。CLIA認証を受けた検査室は遺伝子検査の新しい項目の検査について速やかに対応し、医療現場へ新しい項目の検査を提供できる。日本ではそうした仕組みがない。さらに、日本の研究レベルの解析拠点は、未解明の疾患を研究しつつ、確立された疾患の遺伝子検査も引き受けてきた状況となっており負荷が大きかった。

 もう一つは、日本の国民皆保険との折り合いをいかに付けるかも課題。研究として進められてきた難病医療をいかに通常の医療に組み込んでいくかだ。

 「難病は公的助成があるじゃないか」と言われるかもしれないが、経済的な基盤は脆弱だ。難病の医療は、日本では1960年代にスモンという病気の原因を探索するところから研究が本格化している。1956年に設立された日本人類遺伝学会のメンバーも積極的に希少疾患の研究を進めてきた。1974年、56疾患が特定疾患治療研究事業の対象となり、公的助成で患者は治療を受けられるようになった。2015年に難病法が成立し、消費税などの財源が充てられた。指定難病は333疾患に増え、指定難病患者は90万人規模に。医療費助成の規模は年間2000億円を超えた。

 全ゲノム解析はカギを握るとみられる。今は公的助成で難病の医療ではゲノム解析が行われるが、ゲノムデータを取ること自体が、他の病気も含めて当たり前になれば、状況は変わるのかもしれない。海外では、米国の民間保険であるガイジンガー保険が、基本的な検査にシークエンス検査を位置づけると発表している。経済的な裏付けをもって、ゲノムデータをうまく通常の医療で活かしていけるかがこれからの医療の質を左右するかもしれない。

 さらには、情報処理の体制をいかに作るかも課題になる。解析のためのデータ処理の体制整備なども必要だ。現在では、医療機関ごとにデータを保管するサーバーを整備しているが、ネットワークにつながるクラウドサーバーの活用も視野に入れる必要もある。そこでは当然セキュリティーや悪用の問題を考える必要もある。

 こうした体制の改善を続けていき、難病の医療の効率化が求められている。難病に限らず、がんやその他の疾患も含めた総合的な発想転換がなければ難しいのだろう。

ゲノムデータが全ての医療を左右する時代に

 1980年代に産科での出生前診断に関わったところから遺伝子の研究へと道を歩み始めた松本氏は、遺伝学を専門としようと臨床医から研究者へと道を転向しようとしたとき、「なぜそんな道を選ぶのか」といぶかしむ声を聞いたこともあったという。難病は治療対象になり得ず、研究を突き止めても無駄だと受け止められたのかもしれない。松本氏は、「人生で一つくらい、遺伝病の遺伝子を特定できれば」と願っていた。

 しかし、時代は変わり今やゲノムデータが全ての医療を左右するまでになっている。全く新しい発想から、医療の概念が大きく変化しているといっていいだろう。難病研究での蓄積はそこで生きてくる。松本氏の言う「パラダイムシフト」とはこのことを指すのかもしれない。

 松本氏は2011年からは国で指定された国内5カ所の網羅的遺伝子解析拠点の一つを運営。2018年からゲノムばかりではなく、タンパク質なども含めた解析を行うオミックス解析拠点に。横浜市立大学ではメディカルゲノムセンターを設置。その中に、遺伝子診療科、がんゲノム診療科、そして2019年から難病ゲノム診療科を置く。大学内の遺伝子研究を横串で指す役割を果たしている。「横浜市立大学でも1万5000人分近くのデータを蓄積しており、今は世界で見ても悪くない位置だがこれからは分からない」と、松本氏は危機感を募らせる。

 厚労省は2019年10月、「難病に関するゲノム医療推進に関する検討会」を開催。難病医療へのゲノム活用を進める方針を固め、12月20日には「全ゲノム解析等実行計画」を発表した。がんと難病を対象として最大10万人規模の患者の全ゲノム解析を実施する計画だ。松本氏らもオミックス解析拠点の一つとして難病研究をリードすることになる。

 世界を変えるためには大胆な発想が欠かせない。既存の考えに縛られて、変われないのは愚かしいことかもしれない。医療従事者ばかりではなく、国の医療に関わる全ての人が、医療提供の形を変えようという発想転換が必要。そこに向けた啓発も大切。イノベーションはそこから始まる。


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