日経BP 総合研究所が運営するWebメディア「Beyond Health」は、「健康で幸福な人生100年時代を可能にする」社会を描くためのビジョンとして「空間×ヘルスケア 2030」を提案していく。それを実現するための新プロジェクト「ビジョナリー・フラッグ・プロジェクト(VFP)」をスタートさせた。メディアを活用したオープンイノベーションの取り組みだ。Beyond Health主要メンバー(以下)による議論をお届けする。

・日経BP 総合研究所 所長 安達 功
・日経BP 総合研究所 戦略企画部長/ソリューション・アーキテクト 高橋 博樹
・日経BP 総合研究所 上席研究員/Beyond Health 編集長 小谷 卓也

安達(左上)、高橋(右上)、小谷(下)。座談会はリモートで行った(写真:日経BP 総合研究所)

高橋 Beyond Healthでは今回、「健康で幸福な人生100年時代を可能にする」社会を描くためのビジョンとして、「空間×ヘルスケア 2030」を提案していきます。住宅、オフィス、学校、商業施設、駅、道路、モビリティーなど、人間が生活を営む街のあらゆる空間を、予防や健康増進に資するものにしていく。2030年を目標に、あらゆる空間を「未病の改善」*1に資する空間にしていくというコンセプトです。

小谷 2019年5月にウェブサイトをローンチして以来、「Beyond Health」では、「健康・医療ビジネスは『病院外』『異業種』で大きく伸びていく」*2ということを大前提として情報を発信し続けてきました。その延長線にあるビジョンが「空間×ヘルスケア 2030」ということになります。

病院外のあらゆる場所が「空間×ヘルスケア」の対象に

高橋 2030年に実現を目指す「空間×ヘルスケア」とはどのようなことなのか。我々はまず、分かりやすく表現した未来の旗印(Visionary Flag)を掲げていきます。「Beyond Home(未来の住宅)」「Beyond Office(未来のオフィス)」、そして「Beyond Pharmacy(未来の薬局)」という旗です。それぞれ、2030年に実現しているべき空間をイメージしてイラスト化しました。

 まずは「住宅」と「オフィス」という、人が生活を営むうえで基本となる空間を選びました。そして、「空間×ヘルスケア 2030」を街全体で実現していくうえでの拠点施設として着目したのが薬局です。

2030年に実装されているであろう「空間×ヘルスケア」の姿を描いた。Beyond Home(未来の住宅)、Beyond Pharmacy(未来の薬局)、そして、現在制作中のBeyond Office(未来のオフィス)。今後はBeyond School、Beyond Cityhall、Beyond ShoppingCenter、Beyond Roadsideなど、あらゆる空間の未来を描いていく(イラスト:kucci)

安達 全国の薬局の数は5万9613店。これはコンビニの5万5831店よりも多い*3。この既存の拠点を生かさない手はありません。薬局という拠点の存在を、処方せんに則って薬を渡すだけの場から、街の中で日々の生活に溶け込んで存在する「健康相談の場」としてアップデートできれば、街の在りようは大きく変わっていきそうです。

*1 「未病」とは、病院で治療を受けるには至らないものの健康とは言えず、健康と病気の間で連続的に変化している状態のこと。この未病状態を改善することで、病気の芽をつんでいく
*2 <関連記事>「健康・医療ビジネスは『病院外』『異業種』で大きく伸びていく」(Beyond Health)
*3 いずれも2019年3月末時点。薬局数は厚生労働省「平成30年度衛生行政報告例の概況」、コンビニ店舗数は「コンビニエンスストア統計時系列データ」より

コミュニケーションやヒーリングの場にも

高橋 「Beyond Pharmacy(未来の薬局)」について、我々は「薬に関する相談や受け渡しの場」という役割を大きく超えた存在として位置付けています。健康に関するデータ収集やコミュニケーションの場であり、ヒーリングの場となっていく。薬局が魅力的な場となれば、薬局を起点に個人の健康管理意識や行動も変わり、未病の改善に重要な役割を果たす場となっていくはずです。厚生労働省が定める「健康サポート薬局」の役割を拡張した内容といえるでしょう。

小谷 「Beyond Home(未来の住宅)」「Beyond Office(未来のオフィス)」といった、あらゆる空間をつなぐ結節点の役割を「Beyond Pharmacy(未来の薬局)」が担っていきます。いわば、「空間×ヘルスケア 2030」のインテリジェント・ハブという位置付けです。

 「Beyond Pharmacy(未来の薬局)」のイラストに沿って、「未来の薬局」の機能を説明していきたいと思います。まず図の右上ですが、ここが従来の薬局の調剤スペースです。ここでの薬のピッキング作業は、AIやロボット技術によってほぼ自動化されていくと想定しています。

Beyond Pharmacy(未来の薬局)。2030年、薬局は調剤だけでなく、ヒーリングやコミュニケーションの場となり、「空間×ヘルスケア」を実装した街のハブとしての役割を担う(イラスト:kucci)

 図の左上、大き目な一角を占めるコミュニケーション・スペースは、薬剤師が薬を処方して渡すだけでなく、健康全般の相談に乗るというイメージです。左下のスペースでは、スクリーニング(ある病気にかかっているかを選別する)機器を設置して、がん、心疾患、認知症などあらゆる病気を超早期に発見するサービスなどを提供したり、空気、照明、香り、音響などをそれぞれの人に最適化したヒーリングの場を提供している様子を描いています。

 右下のテレビ会議をしている部屋は、医療との連携をイメージしたものです。スクリーニングなどにより集積された個人の健康データを基に、薬剤師が健康についてアドバイスしたり、あるいは、医師と遠隔で連絡を取りあったりする。そんなイメージです。

高橋 薬局の入り口では、ウイルスや花粉、PM2.5などの小さな粒子を除去するという想定です。2030年には、新型コロナウイルス感染症の脅威は既に克服されているはずです。そのとき、人々の生活の多くは元に戻っているでしょう。ただし、感染症のパンデミック対策は、生活の中に組み込まれた形で発展していく。我々はそう見ています。

あらゆる空間でスクリーニングを

高橋 「空間×ヘルスケア 2030」の実現は、様々なテクノロジーの進歩や普及が前提となっています。このとき、ヘルスケアビジネスは業種を超えて大きく拡がっていきます。特に注目しているのはスクリーニングです。これまでスクリーニングは病院内で行われていましたが、これからは薬局をはじめ、住宅やオフィスなど、空間のあらゆる場所でセンシングして、病気の予兆、あるいは再発などをスクリーニングできるようになってきます。

小谷 最近話題の線虫によるがんスクリーニング*4を例に説明してみましょう。線虫は尿に反応し、ステージ0か1の段階のがんでも90%の割合で識別できます。線虫によるスクリーニングでは、今のところがんの部位までは特定できませんが、反応が出た人が、がん検診を受けるキッカケとなります。

 例えば「Beyond Home(未来の住宅)」のトイレにこの技術を実装しようとした場合、線虫の研究をするベンチャー企業、トイレ機器メーカーだけでなく、様々な事業者が関わってきます。誰の尿かを識別するために顔認証システムが使われるかもしれません。ネット経由でサーバーにデータを蓄積するには、通信やIT関連の事業者も関わってきます。また、利用者が毎日スクリーニングすることで、がんの罹患リスクを大幅に下げることができます。そうなると、保険の利用料や自治体の優遇措置なども考えられます。

安達 スクリーニングのためのセンシングは様々な技術が出てきていて、今、面白い分野ですね。寝室でさりげなく呼吸や睡眠状態を測る技術が出てきています。ワイヤレスで2.4GHz帯の電波を人体に当てて、反射する電波の位相のずれを測定するという手法です。車のハンドルをにぎるだけで血圧を推定したりする技術も数年前に既に登場しています。難しいとされていた血液でさえ、非侵襲で血糖値を測定できるようになりました。

*5 <関連記事>「『指に光』で血糖値測定、実用化近付く」(Beyond Health)
(写真:行友 重治)

高橋 「Beyond Home(未来の住宅)」では、風呂場や脱衣所、階段の手すりなど、あらゆる場所がセンシングやスクリーニングのデバイスになります。脈拍、体温、血糖値、酸素濃度など様々なデータが、本人が意識することなく採取されていくイメージです。スクリーニングだけでなく、例えば、顔の画像から肌の状態や自律神経活性の程度なども分かります。大きな壁面に美しい高精細映像を映せば、癒しの効果も出てくるでしょう。病院外の空間に広がるヘルスケアビジネスには、まだ未開拓の大きなチャンスが眠っているのです。

Beyond Home(未来の住宅)。センシングやスクリーニングのテクノロジーが、ふろ場や、トイレ、階段の手すりなど各所にそれと意識させないような形で設置されている。空調、照明などを最適化して良質な睡眠をとれるようにしたり、室内で楽しく運動ができる仕掛けも。玄関ではエアフィルターなどによる感染症対策を施している(イラスト:kucci)

これからの薬剤師=ヘルスケア・マイスター

高橋 こうして住宅やオフィスなど、様々なシーンで個人の健康データを集められるようになっても、有効活用できなくては宝の持ち腐れです。ここでキーとなるのが薬剤師です。AIが解析した情報から微細な病気の兆候を薬剤師がキャッチし、アドバイスしていく。このような形で、かかりつけの健康アドバイザーの役割を果たす未来の薬剤師を、我々は「ヘルスケア・マイスター」と名付けました。

「Beyond Pharmacy(未来の薬局)」より、ヘルスケアマイスターのイメージ。未病改善のためのかかりつけ健康アドバイザーの役割を担う。服装も白衣から親しみやすいデザインに(イラスト:kucci)

安達 昨年11月に可決・成立し、今年9月に施行される改正薬機法*6では、薬剤師の役割が大きく変わります。薬剤師には投薬だけでなく「服用期間を通じた継続的な薬学的管理と患者支援」が求められるようになってきました。改正法では、あくまでも「必要があると認める場合」の患者支援ということですが、これをチャンスとして捉えれば、薬局を起点として薬剤師の役割を再構築していくという将来像も描けそうです。

小谷 一般の人から見ると、薬局の薬剤師は病院と連携して医学的根拠を共有しており、「医学的な信頼性の高いアドバイスをしてくれる人」です。この信頼感を生かして、患者支援だけにとどまらず、薬局で薬剤師が人々の日々の健康相談に乗るような存在になれれば、新しい薬局と薬剤師像が生まれるはずです。

安達 一方で、新型コロナ対策のための時限・特例措置としてオンライン診療の規制緩和が行われ、普及に向けた機運が高まってきています。それだけでなく、「空間×ヘルスケア2030」が具現化した社会においては、未病の改善を進めるうえで、「診療」以前の「相談」の段階でもオンライン化は進んでいくでしょう。例えば、かかりつけのヘルスケア・マイスターに、気軽に「オンライン健康相談」をするような習慣が普及していくことが考えられます。個人の健康データは常時更新されながら蓄積されているので、端末とネットワークさえあればどこにいても相談ができるわけです。

小谷 医師不足の地方や、移動が難しい高齢者や障害者だけでなく、忙しくて通いきれない“診療難民”の人たちにとっても、オンライン診療は有用です。都市部の一般的な病院利用者も、わざわざ病院に出向いて長く待たされる必要がなくなる。新型コロナの感染が収束しても、顕在化したオンライン診療のニーズは高まりつづけると考えられます。

高橋 だからこそ「Beyond Pharmacy(未来の薬局)」は、わざわざ出向くに値する場となっている必要があります。2030年には、住宅やオフィスのような空間にも、スクリーニングやヒーリングの要素は盛り込まれているはずです。このとき、未来の薬局では、一般的な住宅やオフィスなどの空間と比べて、より高機能・高品質なスクリーニングやヒーリングを提供できる場である必要があるでしょう。また、ヘルスケア・マイスターには、対面ならではのきめの細かいコミュニケーションが、薬局空間には、居心地のよさの演出が求められてきます。

小谷 薬局がコミュニティーの場としても機能すれば、人々の幸福感の高まりにも寄与します。ソーシャル・キャピタル(社会や地域における人々の信頼関係や結びつき)の高まりと幸福度の高さとの間に相関があることは、様々な既存研究から明らかになっています*7

 我々が目指すのは「健康で幸福な人生100年時代を可能にする」社会です。幸福度を高める空間をいかにつくり上げていくかも、「空間×ヘルスケア 2030」の大きなテーマとなってきそうです。

*6 <関連記事>「KEYWORD: 改正薬機法」(Beyond Health)などを参照のこと
*7 内閣府 経済社会総合研究所「幸福度研究について」などでも言及されている

社会実装を目指す「ビジョナリー・フラッグ・プロジェクト(VFP)」を始動

高橋 Beyond Healthでは、「空間×ヘルスケア 2030」についての提言をするだけにとどめず、2030年の社会実装を目指していきます。そのためのプロジェクト「ビジョナリー・フラッグ・プロジェクト(VFP:Visionary Flag Project)」をスタートさせます。

 これまでのようなウェブやセミナーなどを通じた情報発信に加え、VFPではさらに一歩踏み込んだ活動を進めていくことになります。もちろん、VFPは我々だけで完結するとは思っていません。街のあらゆる空間が対象になるわけですから、医療業界を超えて、建築・建材、家電、設備、自動車、半導体、情報通信、不動産、保険、などあらゆる産業界と連携し、知見を集めてイノベーションを起こしていきたいと考えています。

小谷 シュンペーター「新結合」を引き合いに出すまでもなく、イノベーションは必ずしも最先端の技術から生まれているわけではありません。既存技術の組み合わせによって生まれます。ですから、異業種連携は必須といえます。

安達 ただ、異業種と連携してのオープンイノベーションは、必ずしもうまくいっているとはいえないのが現状です。オープンイノベーションで一番大事なのはパートナーを見つけることです。もともとよく知っている企業同士が組んでも、イノベーションは起こりにくい。同じ文化、考え方の世界にいる者同士だからです。新たな発想を得てイノベーションを起こすには、これまで想像もしていなかった企業と出会う必要があります。

高橋 新結合によるイノベーションを加速できるということが、VFPの特徴です。メディア企業のリサーチ・コンサルティング部門である我々は、情報発信力が最大の強みの一つです。メディアによる情報発信によって、「スパイラルタイフーン」と呼ぶ、イノベーションを加速させる正の連鎖を生み出すことができると我々は考えています。

メディアで広く情報発信・集積することによって新たなヒト・モノ・アイデアが集まり、大きなうねりをつくっていく(資料:日経BP 総合研究所)

 まず、健康で幸福な人生100年時代を可能にするという目的に向けて「空間×ヘルスケア 2030」という旗を立てます。そして、その情報をメディアを活用して積極的に発信していきます。これにより、新たなステークホルダーの関心を集め、ヒト・モノ・アイデアをいち早く呼び込み、VFPの取り組みを加速度的に進化させることができます。こうして進化したVFPの情報を発信すれば、さらに多くの新たなヒト・モノ・アイデアが集まってくる――。このように「メディアを丸ごと使ったオープンイノベーション」がVFPなのです。

 今回紹介した「Beyond Home(未来の住宅)」や「Beyond Pharmacy(未来の薬局)」は、まだまだ完成形ではなく、たたき台の段階だと考えています。これらを原案とし、皆さんと議論しながら、ビジョナリー・フラッグに新たな知見を加え、2030年に向けて新たな「空間×ヘルスケア」を創造していきたいと考えています。我々は、多くの賛同者に加わっていただきながら、VFP では「空間×ヘルスケア 2030」の大きなうねりをつくっていきたいと思っています。



安達 功(あだち いさお)
日経BP 総合研究所 所長
エンジニアリング会社勤務を経て日経BP入社。『日経コンストラクション』『日経アーキテクチュア』『日経不動産マーケット情報』などインフラ分野専門誌の編集・発行人、日経BP総研社会インフラ研究所長などを経て2019年4月より現職
高橋 博樹(たかはし ひろき)
日経BP 総合研究所 戦略企画部長/ソリューション・アーキテクト
日経BP入社後、インターネット草創期のビジネスモデルづくり、ICT、建設など幅広い分野を担当。2015年9月、日経BP総研の発足と同時に戦略企画部長に就任、現職。「Beyond Health」を創案、事業責任者も務める
小谷 卓也(おたに たくや)
日経BP 総合研究所 上席研究員/Beyond Health 編集長
大手電機メーカー勤務を経て日経BP入社。『日経エレクトロニクス』でヘルスケア分野に起きるイノベーションの動向を取材・執筆。『デジタルヘルスプロジェクト』プロデューサー、『日経デジタルヘルス』編集長を経て2018年12月より現職

(タイトル部のImage:jozefmicic -stock.adobe.com)