アストラゼネカは2020年11月、オープンイノベーション活動を推進する「i2.JP」と呼ぶ組織を立ち上げた。i2.JPには、わずか半年で90以上のパートナー企業・団体が参加している。短期間で賛同を得られた秘訣やi2.JPが生まれた背景、目指す方向性などについて、同活動を牽引する劉雷氏に聞いた。(聞き手は菊池 隆裕=日経BP 総合研究所)

 新型コロナウイルスワクチンの国内承認で、日本でも急速に知名度が高まったアストラゼネカ。英国に本社を置く同社は、オンコロジー(がんを主体とした腫瘍の分野)、循環器・代謝/消化器疾患、呼吸器疾患を重点領域とする製薬企業である。

 1999年にスウェーデンのアストラと英国のゼネカが合併して誕生した背景から分かるように、出自そのものがグローバル企業と言える。現在では世界100カ国以上で事業を展開。日本は大阪に本社、東京に支社、滋賀県米原市に工場があり、総社員数は約3100人を数える。

 2020年11月11日、アストラゼネカはオープンイノベーション活動を推進する組織として「i2.JP(アイツー・ドット・ジェイピー)」を立ち上げた。i2の2つのiには「innovation」と「infusion」(鼓舞、注入)の意味が込められている。スタートアップ、アカデミア、大企業、各種団体らをパートナーとし、医療関連の課題解決、ヘルスケアにおける新技術やソリューション開発を目指す。

患者を中心に置き、患者の「ジャーニー」全体をカバー

 活動を牽引するコマーシャルエクセレンス本部の劉雷氏は、i2.JPの成り立ちを次のように説明する。「アストラゼネカは、2025年までに『先駆者としてイノベーションで患者の人生を変えるナンバーワン企業になる』との中期目標『Japan Vision 2025』を掲げている。中でもペイシェントセントリック(患者中心主義)にフォーカスしており、予防・治療・予後までのペイシェントジャーニー全体をカバーしていく。

 これまでアストラゼネカが強かったのは治療の部分。もちろん治療は従来以上に注力するが、治療の前後のプロセスにも活動を広げた領域には社内のノウハウが乏しかった。そのため、予防や予後に強みを持つ外部パートナーと組むことが必須と考え、オープンイノベーションに舵を切った」(劉氏、以下発言部同)

アストラゼネカの劉雷氏(写真:加藤 康、以下同)

 劉氏自身、i2.JP設立に当たって外部から採用された人材だ。GEヘルスケアの医療機器エンジニアを皮切りに、コンサルティング、スタートアップ、生命保険会社などで経験を積んできた。

 「2社目のスタートアップを卒業した段階で、大企業、スタートアップ双方の言語を理解できる翻訳家としての能力を、長く腰を据えて取り組める職場で発揮したいと思うようになった。オファーの中で最も心を動かされたのは、『君が作っていい』と言ってくれたこと。大企業は枠組みがある中でアクセラレーションする役割が多いが、アストラゼネカにはゼロイチの機会がある。その点は非常に魅力的だった」

2021年5月に移転した東京・田町の東京支社。受付エリアにコラボレーションスペースの「エクスペリエンスセンター」を設け、大型ディスプレイを備えた。「オープンイノベーションを意識した空間づくりを提案した。リアルイベントでも活用できるだろう」(劉氏)

 i2.JPは、すでにグローバルで始まっていたアストラゼネカのオープンイノベーションが原型だ。2014年にはスウェーデンのヨーテボリにあるR&D拠点と実験室スペースの一部をインキュベーション施設「BioVentureHub(バイオベンチャーハブ)」として開放し、企業や研究団体との協業を進めるなど、それぞれの国で盛んに活動している。日本は世界で16番目となる。

発足半年でパートナー数は90超

 よくあるオープンイノベーションコンソーシアムのように思えるが、「決してそうではない」と劉氏は否定する。参加は無料で、所属する上での責務は一切なく、同業界の競合が制限される縛りもない。こうした“緩いネットワーク”を築いた背景には、かつての劉氏の学びがある。

 「コンサル時代にコンソーシアムを担当していたが、決め事に縛られていつしかクローズドサークルになり、ときには対等なパートナーではなく上下関係のある“お客様”になってしまう例が散見された。i2.JPでは極力制限を取り払い、まずは参加することを目的としている。条件はi2.JPのビジョンに賛同していること、技術・製品・実証の場のいずれかを持っていること、そして反社ではないこと。退会もメール1本で完了するほど自由な組織だ」

 この特徴もあり、当初はわずか7つの企業・団体で始まったi2.JPはわずか半年でパートナーが90を超えるまでに成長した。そのうち6割をスタートアップが占め、大企業とコンタクトを取りたいとのリクエストは数多い。

 アストラゼネカがi2.JPで担当するのは「円滑なコミュニティ・マネジメント」であり、大企業のライトパーソン(適切な担当者)をつないで個別に企業同士を引き合わせたり、小規模なオンラインミートアップを開いて新規加入のスタートアップを組織で紹介したり、オンラインイベントを定期的に開催したりしている。「まずは仲間を増やしてほしい。ある程度の数になればケミストリーが生まれ、直接売り込むよりもi2.JPを経由してライトパーソンに当たったほうが効率的だと知れ渡るようになる」。

 通常は自社ビジネスに直結するオープンイノベーションが多い中、i2.JPの活動はまるでビジネスマッチングそのものだ。特筆すべきはアストラゼネカ以外に、製薬企業パートナーに日本イーライリリー、大正製薬が名を連ねていること。いくら競合を厭わないとは言え、このようなケースは極めて珍しい。

 「今は最初の実証期間であり、たくさんの知見や活発なコミュニケーションの中から予防と予後の部分で、これまでには見えなかったペインポイントを見つけることが重要。そこに対応できるテクノロジーやパートナーを探し出し、患者のペインポイントを解決したい。

 日本イーライリリーや大正製薬が参加している点こそまさにオープンイノベーションの肝で、アストラゼネカが取り組む疾患領域以外を得意とするスタートアップも存在する。それを日本イーライリリーや大正製薬がカバーできるのであれば、ぜひお願いしますというスタンス。『その疾患は対応できません』では、ペイシェントセントリックの考えとはかけ離れてしまう。ほかの業界ではユーザー中心主義で業績を伸ばしている企業も多い。同じ手法が製薬企業でも活用できるとの仮説を現在進行形で確かめているところだ。そこから結果的にビジネスに貢献する事業の種が出てくる可能性は十分にある」

薬で競合するも、デジタルではコラボ

 i2.JPの設立と並行して行なわれた在日米国商工会議所 (ACCJ)主催によるヘルステック領域のピッチイベントは、これらのオープンな姿勢を象徴するものだ。メインスポンサーを務めたのはバイエル薬品、アストラゼネカ、日本イーライリリーのほか、コンサル企業のデロイトトーマツで、バイエル薬品以外は主催のACCJを含めてi2.JPに参加している。「薬では競合するが、デジタルではコラボできる余地があることが証明された。このようなイベントを通じて大企業同士の交流も生まれている」

 そのほかのi2.JPの主な活動としては、チャレンジ公募がある。初回は「慢性腎不全の早期診断」「COPD(慢性閉塞性肺疾患)患者の早期治療介入の実現」「在宅モニタリング」と3つのテーマを用意し、アストラゼネカが受け皿となってパートナーを募集している。

 「社会性があるかどうか、ビジネスの可能性があるかどうかの2つを評価軸とした。慢性腎不全とCOPDはアストラゼネカの専門領域だけに、大いに期待している。在宅モニタリングは非常に間口が広いヘルステック領域のため、スタートアップからの提案が多数寄せられている」

 今後の展望としては、数年後に何かしらの医療ソリューションやデバイスなどが生まれ、「できれば上市して患者に貢献していることが望ましい」とする。そのためにも参加者をどんどん増やし、熱量が変わらないようにエネルギーを投下していきたいと劉氏は話す。

 「自走する健康的なコミュニティになるのが理想。自走はコミュニティ・マネジメントで最も難しい課題だが、皆さんに使いやすいプラットフォームだと思っていただけるようにトライを重ねていく」

「Zen space」と呼ばれるオープンスペースは癒やしの空間でビジネスアイデアをリフレッシュできる。オフィス内にはカフェがあり、SDGsに配慮した飲食が提供される

(タイトル部のImage:出所はアストラゼネカ)