150年以上の歴史を持つグローバル食品飲料メーカーと知られるネスレだが、この10年ほど力を入れているのがヘルスケア事業だ。主力商品は、医療機関や介護施設向けの流動食や栄養補助食品であり、高齢化社会が一段と進行する今後、需要がさらに増えることが期待できる分野だ。社内カンパニーのトップを務める中島昭広氏に、これまでの成果や外部組織との連携における考え方、今後目指す方向などを聞いた。(聞き手は菊池 隆裕=日経BP 総合研究所)

 スイスに本社を置く世界最大の食品飲料企業であるネスレ。受験の験担ぎに欠かせない「キットカット」、コーヒーの「ネスカフェ」で一般消費者に広く知られる同社だが、2008年からはヘルスケア事業を強化。社内カンパニーであるネスレ ヘルスサイエンスを通じ、さまざまな製品を通じて栄養療法の提案を行っている。

 主力となるのは、医療・介護従事者の栄養療法をサポートする流動食と栄養補助食品だ。あのネスレが医療機関や介護施設向けに製品を提供していることにピンと来ない向きは多いかもしれない。しかし社名に「サイエンス」を冠したことから分かるように、その特徴は従来の食品事業で培ったノウハウに科学的根拠を加えた点にある。

 チューブを通じて摂取する流動食は大きく2種類。乳清ペプチドがベースの消化態栄養「ペプタメン」、食物繊維であるPHGG(グアーガム分解物)を含有する半消化態栄養「アイソカルサポート」をはじめとした「アイソカル」シリーズである。

「アイソカル」シリーズの1つ「アイソカル ゼリー ハイカロリー」(出所:ネスレ日本)
「アイソカル」シリーズの1つ「アイソカル ゼリー ハイカロリー」(出所:ネスレ日本)
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 「グアーガム」とは、インド・パキスタン地方で栽培されているグアー豆を精製した食物繊維で、PHGGは酵素処理によって粘度を低下させ、食品加工性を高めたもの。高齢者に多い便秘や下痢に効果があるとされ、論文や研究結果でも改善報告が出ている。

 口から食べるタイプの栄養補助食品はカップゼリーやストロー式の紙パック飲料など、より手軽に摂取できる製品。また、PHGGを採用した粉末状の「アイソカルサポート ファイバー」なども用意し、嚥下(飲み込み)の力が弱まった高齢者に負担がかからないことを心がけている。同社の調べによればカップゼリーは2019年に医療機関で販売数量シェア1位を獲得した。

 ネスレ ヘルスサイエンス カンパニー カンパニープレジデント 中島昭広氏は「従来、日本の流動食、医療用食品市場は価格重視で汎用品が主体だった。そこに我々が科学的なエビデンスに基づき、病態に応じた製品を提供することで栄養療法の道を切り開いてきた」と話す。汎用品と比較して高額だったため当初は受け入れられるかどうか不安もあったが、「患者の予後がまったく違うため、医師が我々の製品を選ぶケースが多い」(中島氏)という。

ネスレ ヘルスサイエンス カンパニーの中島昭広氏(写真:加藤 康、以下同)
ネスレ ヘルスサイエンス カンパニーの中島昭広氏(写真:加藤 康、以下同)
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日本の原料メーカーと協業したPHGGの製品群

 ネスレにとって、栄養を軸としたヘルスケア領域が発展する転機となったのは、2007年にグローバルレベルで実施したノバルティスからのヘルスケアニュートリション事業の買収だ。それまではコーヒー、チョコレート、調理食品といった身近な食品に健康的な価値を付加することに注力してきたが、この買収により、現在に連なる新事業の方向性がもたらされたことになる。

 こうしたバックボーンがあるためか、ネスレ ヘルスサイエンスでは他社と組むことをいとわない。栄養補助食品ではマルコメとインスタントみそ汁の「とろみ生活 料亭の味」を共同開発。ドラッグストアや通販でも購入できる栄養ケア食品では味の素とタッグを組み、ゼリーや紙パック飲料、経口補水製品などを販売している。味の素とはコーヒーでライバル関係にあるにもかかわらずだ。

 PHGGを生かした製品群も、日本の太陽化学との共同開発により製品化に成功した。太陽化学では1980年代からグアーガムの機能性について研究を進め、低粘度化する技術を確立。水溶性食物繊維として活用できるめどが立ったことで、流動食や栄養補助食品の可能性が広がった。

 「これは当カンパニーにとってオープンイノベーションの最大の成功例。ネスレはグローバル企業なので、いま、全世界の病院でPHGGを採用した製品が数多く使われている。日本発の技術がたくさんの患者に役立っている事実は非常に感慨深い」(中島氏)

 中島氏は、今後も日本の優れた原料・素材メーカーとコラボレーションしていきたいと言う。黒子になりがちなそれらのメーカーは、製品として流通する段階でのブランディングやマーケティング、販売ルートの道筋がないからだ。「グローバルにアピールできる技術を持った日本のメーカーは多い。我々が窓口となって拡大できれば、お互いのシナジーが生まれるはず。栄養に関する良質な技術を保持している人たちはぜひアプローチしてほしい」(中島氏)。

在宅高齢者の低栄養予防に注力

 太陽化学のような歴史のある企業ばかりでなく、スタートアップとの共創にも意欲を見せる。東京大学と関わりが深いライフサイエンス特化のベンチャーキャピタルであるファストトラックイニシアティブなどを通じて、スタートアップの情報をこまめに収集している。中でも注目しているのはデジタルヘルス分野。2020年9月上旬には65歳以上を対象とした栄養状態の可視化アプリ「MNAプラス」をiOS/Androidで公開した。

栄養状態の可視化アプリ「MNAプラス」(出所:ネスレ日本)
栄養状態の可視化アプリ「MNAプラス」(出所:ネスレ日本)
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 これは自社で開発してきたMNA(Mini Nutritional Assessment:簡易栄養状態評価表)をスマホアプリに落とし込んだもの。設問に答える形で自宅から栄養状態を簡単にチェックし、フレイル(虚弱)対策や健康維持につなげる。アプリの開発はヘルスケアサービスに強みを持つメディエイドが手がけ、高齢者でも無理なく回答できる平易なUI(ユーザーインタフェース)とした。

 「これから最も力を入れたいのが、在宅高齢者の低栄養の予防。徐々に食欲がなくなって低栄養になると、感染症にかかりやすくなったり、筋肉が落ちてきて転倒したり、最悪の場合は骨折して寝たきりになったりしてしまう。問題なのは、すぐに利用できる客観的な栄養状態の評価手段がないということ。知らぬ間に低栄養状態になっていることが多く、それが社会課題となっている。

 MNAプラスはその課題を解決するための第一歩。簡単に自分の栄養状態を把握し、低栄養であると判断したら、次のステップでは当社の栄養ケア食品や栄養補助食品を活用していただく。もちろん、我々だけでは構築できない仕組みなので、訪問型の医療・看護・介護、地方自治体の管轄部署などと協力して広めていきたい」(中島氏)

MNAプラスを使うと、自身の栄養状態を簡単に理解できる(出所:ネスレ日本)
MNAプラスを使うと、自身の栄養状態を簡単に理解できる(出所:ネスレ日本)
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 将来的にはPHGGの特性を生かして排便管理を行うためのアプリや、一人ひとりの体調に応じてサプリメントを提供できるようなサービスの開発を進める構えだ。

 「これまでは製品だけで活動してきたが、デジタルヘルスを活用しながらQoL(生活の質)向上や総合的な栄養管理に貢献できれば。今後の核になるのはパーソナルヘルスデータ。それを活用するためには、専門家とパートナーシップを組む必要がある。得意分野を持つスタートアップと協業して、オープンイノベーションを仕掛けていくつもりだ」(中島氏)

(タイトル部のImage:加藤 康)