全国各地の認知症条例を見ることで、認知症そのものの問題を考える本特集。最終回は、和歌山県御坊市の「御坊市認知症の人とともに築く総活躍のまち条例」だ。同条例の特徴は、とことんまで認知症の当事者目線にこだわったこと。おかげで、他市の条例にはあるが御坊市にはないもの、逆に御坊市にはあるが他市にはないものが生まれた。

御坊市役所(撮影:末並 俊司)

 この特集でお伝えしてきた愛知県大府市や兵庫県の神戸市などを始め、現在全国に10例ほど、自治体による独自の認知症施策に関する条例の施行が見られる(2020年7月現在)。

 なかでも様々な意味で異色なのが、今回紹介する御坊市だ。紀伊半島の西、和歌山湾の入り口にある人口2万3000人ほどの小さなこの市が、認知症条例の施行を考える全国の自治体から注目されている。

 御坊市の条例の何が異色なのか。まず、A4用紙2枚の条文のどこをどう読んでも「家族」という言葉が見当たらないことだ。御坊市介護福祉課地域支援係の谷口泰之係長に聞いた。

 「他の自治体さんの条例には『認知症の人及び家族』といった文言が条文の各所に登場します。でも御坊市の条文には認知症の人という文言はあっても家族という単語はありません。もともと事務局案では『家族』も入れてありましたが、認知症の施策は、これまでは支援者、特に家族の立場に立った施策になってしまいがちでした。もちろん、それが悪いと言っているわけではありません。ただ、条例の条文に入れてしまうと、やっぱり当事者の思いよりも家族の思いが優先になってしまうのではないか。そんな認知症の人の声があり、御坊市では家族という言葉を削りました」(谷口氏、以下「」内の談話は全て同じ)

御坊市介護福祉課地域支援係の谷口泰之係長(撮影:末並 俊司)

 とはいえ、家族を軽視しているわけではない。同条例の基本理念である第3条、その(3)を見ると、「認知症の有無にかかわらず、全ての市民が暮らしやすいまちとなるためにそれぞれが活躍できること」とある。この「全ての市民」に当然「家族」も含まれているわけだ。

 認知症でもあってもなくても、その人自身であることには変わりはない。また認知症の診断を受けたからといって、急にその人の暮らしが変わるわけでもない。もちろん、少しずつ判断力が衰えるなどしてくると、失敗も増える。おかげで周りにいる人、とくに家族の負担が増える可能性はある。だからこそ、御坊市以外の認知症条例の条文には「認知症の方とその家族」といった言葉が散見される。

 実際、介護についての相談は認知症の当事者ではなくその家族からのものがほとんどだ。「当人は認知症で何もわからなくなっているのだから当然だろう」と思われるかもしれないが、そんなことはない。

 「現に御坊市の条例は認知症当事者の方の意見が根幹を作っている」と谷口さんはいう。

当事者目線のワーキングチーム

 「条例を作るにあたり、当市では2018年に総員13人のワーキングチームを発足しました。メンバーは市の職員に加え、認知症サポート医やケアマネジャーなど。そしてここが特徴だと思うのですが、当初から2人の認知症の当事者の方に参加してもらったのです。当事者の言葉を聞きながらすすめたからこそ、御坊市の条例がいまの形になったと考えています」

認知症の当事者さんを含めたワーキングチームの会議の様子(御坊市提供)

 御坊市が検討を始めた約1年前にはすでに、愛知県の大府市と兵庫県神戸市が認知症条例を施行していた。条例名は、大府市が「大府市認知症に対する不安のないまちづくり推進条例」、神戸市が「神戸市認知症の人にやさしいまちづくり条例」だ。

 2018年の6月、ワーキングチームの第1回会議が開かれた。仮りの条例名を「認知症にやさしいまちづくり条例」とし、これを意見交換のたたき台とした。

 この仮条約名にある「認知症にやさしい」とはどういうことか。どういうまちになれば認知症にやさしいと言えるのか──。そこから議論がスタートした。

 「具体的なイメージはなかなかまとまりませんでした」

認知症の当事者の目線から様々に発言してくれる山際さん(御坊市提供)

 それぞれに考えてはみるのだが、しっくりくるものがなかった。空気を変えたのは、参加する認知症当事者の言葉だった。

 「当時70代後半の男性、山際さんという方です。認知症と診断され6年目でした。その方が、『失敗すると、どうせ認知症やからと思われる。それが怖くて失敗を隠したくなるんや。こっちは失敗せんように、頑張ってるんやけどな。だから失敗しても気にせんでええまちになってほしい。だって認知症じゃない人だって失敗するやろ』と、そう言われたんです」

 これが突破口となった。

認知症にやさしい、ということ

 確かに、人は誰でも失敗する。ただ、山際さんは「失敗しても許してくれ」と甘えているのではない。「失敗しても気にせんでええまちになれ」と、激励したのだった。

 「『認知症にやさしいまち』という言葉だと、認知症の方に手を差し伸べたり施したりするイメージになりがちです。自然、認知症の方は自分たちのことを支援の対象、守ってもらう立場、だと感じる。そんなプレッシャーの中では失敗できません。行動したくても失敗が怖くて動かなくなる。本末転倒です」

 そしてもうひとつ「私たちからできること、リスクを奪わないでほしい」という言葉も、谷口さんの頭の中にあった。若年性認知症の当事者で、日本認知症本人ワーキンググループの丹野智文さんの言葉だ。

 「以前、丹野さんとお会いしたときに、そう話しておられたんです。『リスクを奪われる』というのは私にとって、とてもショッキングな言葉でした。我々の支援は一方で大切なものを取り上げることでもあったのかもしれない。と感じた。このような示唆から、『認知症にやさしい』とは認知症の人を区別することなく、いっしょに同じ方向をむいていることなのだと気づいたのです。そこから徹底的に認知症の方の目線、立場で条例を作っていこうとの方針が決まった」

 ワーキングチームは会議を重ね、条文を練り上げていき、条文内に「家族」という言葉のない条例ができあがった。繰り返しになるが、認知症施策から家族を締め出したわけではない。認知症の人とその他の人を区別しないだけだ。だからこそ、第一条では「認知症に関する発想を全ての市民の幸福と共生を目指す未来志向に転換し──」(下線筆者)と謳った。

 御坊市の条例が異色な理由はこれだけではない。

認知症の人の役割を明記

 「認知症の方からできることを取り上げない。支えられる一方ではなく、自分たちも地域づくりの一員になりたい。そのような認知症の方の思いから、『認知症の人の役割』の必要性を感じ、これを明記することにしました」

 第5条には以下のような言葉が記されている。

 「認知症の人は、暮らしやすいまちを築くために、自らの希望、思い及び気づいたことを、身近な人、市、関係者等に発信するものとする」

 谷口さんは、御坊市の認知症条例を「理念条例」と表現する。理念さえしっかりしていれば、担当者が変わっても施策がブレることはない。

 「そして理念さえしっかりしていれば、まちは実際に変わる」と谷口さんは語る。「認知症の人の役割」、これを条例に盛り込むことこそ、理念の柱であるとも言える。その実態とは──

わかりやすいボトル

 御坊市では2カ月に1度、認知症の当事者や家族等が集まって交流する「ごぼうほっとサロン」が開催されている。市内のスーパー銭湯などが会場だが、ある日「風呂場のシャンプーとボディシャンプーがわかりにくい」という声が当事者の間から出た。

わかりやすくなったボトル(御坊市提供)

 「認知症の人の役割の『発信』とは、こういうことです。日々の暮らしの中で感じていることをどんどん発信してもらいたい。スーパー銭湯のオーナにシャンプーの話をすると、『実は多くのお客さんが間違っていることに気づきました。貴重なご意見ありがとうございます』とすぐに対応してくれました」

 これだけではない。

 2019年3月、市の地域支援係に一本の電話がかかってきた。市役所のすぐ前で、高齢女性が道に迷っているというのだ。谷口さんが駆けつけると、確かに不安げに立ちすくむ70代後半くらいの女性がいた。どうされたのか聞くと「郵便局がなくなった」というのだった。

 「御坊市役所の隣は、市で一番大きな郵便局です。女性はそのすぐ裏手で郵便局を探していました。いつもと違う道を使ったために、見つけることができないのでした」

かつての郵便局(御坊市提供)
現在の郵便局(撮影:末並 俊司)

 谷口さんは、女性の話に耳を傾け、「いつも使っている道」と「たまたまその日だけ使った道」を自分でも歩いて本人の視点で動画を撮ってみた。

 「すると、女性がその日使った道からは、郵便局のマークが見えにくいことがわかったのです。郵便局側に動画を見せ事情を説明すると、『確かにこれは郵便局とわかりにくいですね』と言い、本社に熱意を持って掛け合っていただき、年をまたがずに対応してくれました」(写真参照)

 まさにこれが「認知症の方の役割」だ。日頃不便に感じていることを臆せず発信することで周りが反応し、変化のきっかけとなる。

 こうした変化は、認知症当事者以外の人たちにも「わかりやすくなった」と喜ばれている。「認知症にやさしい」とはつまりこういった変化を促す空気のことなのだろう。

 「ただそれは、急に変わったということではなく、住民が気付いたらいつの間にかわかりやすくなっていた。認知症の人の視点から『認知症バリアフリー』に繋がり、私たち市民もその『わかりやすさ』の恩恵を受けているのです」

 同市は全ての人が少しずつではあるが、力強く変えている。その動きの根底に「御坊市認知症の人とともに築く総活躍のまち条例」があるのだった。この条例、今のところは「異色」だが、今後はこれがスタンダードになっていくのかもしれない。

 5回にわたり、認知症条例や認知症保険について特集してきた。団塊の世代が後期高齢者に突入する2025年には、認知症の人の数は700万人にのぼるという。条例制定はそんな未来を明るく照らす手がかりとなりそうだ。

(タイトル部のImage:Imagepocket / Daniel Berkmann -stock.adobe.com)