直腸がんなどの治療で人工肛門を使用することになった患者本人も、実は正しい知識が不足している場合があるという。「破れるんじゃないか」「匂いが漏れるんじゃないか」──そんな不安を払拭するために、工場見学で製品の正しい理解を深めた上で、温泉につかる“幸せ”を感じてもらう。そんなツアーが登場した。(小谷 卓也=Beyond Health)
*以降の内容は、2020年1月15日に掲載した記事の再録です。肩書・社名、事実関係などは原則、掲載時のままとしています。
2019年12月1日、京都でちょっと変わったハイキングツアーが行われた。主な参加者は60歳以上の8人。今回のツアー、何が変わっているかというと参加者の皆さんが機械の力を借りてハイキングを楽しんでいること。ツアーを主催した近畿日本ツーリスト・クラブツーリズムが見据えるユニバーサルツーリズムの未来形とは。
京都は寺院巡りもいいが、紅葉の季節は郊外の風景も格別だ。嵐山・嵯峨野を歩いて巡る。車を使えば楽だが、自分の足で歩くからこそ手に入れることができる風景もある。足腰に自信があれば、是非とも挑戦してみたいものだ。しかし、年齢を重ねれば体の自由も効かなくなる。
──つまずいて 足元見れば 何もなし──
シルバー川柳の名作だが、身につまされる人も多いだろう。
要介護まではいかなくとも、足腰に自信がなくなって外出をためらう高齢者は少なくない。そうした人たちに少しでも「あの頃の自信」を取り戻してもらおうと、クラブツーリズムが奈良市のベンチャー企業、ATOUN(アトウン)と手を組んで行ったのが、着るロボットをつけて臨む紅葉の嵐山・嵯峨野と京都三尾ハイキングだ。
近畿日本ツーリストとクラブツーリズムを傘下に持つKNT-CTホールディングス 未来創造室の波多野貞之氏は次のように話す。
「弊社では、『テクノロジーと旅を考える』といった、最先端の技術を取り入れた旅行のあり方を研究しております。実社会とテクノロジーの融合がさらに進むであろう今後に向けて、お客様と一緒に体験価値を作っていこうという流れのなか、今回のようなロボットと旅の融合を考えたのです」
ツアーに使われたのはATOUNが開発したパワードウェア「HIMIKO」。言わば「着るロボット」だ。
「ロボットといっても大げさなものではありません」と語るのはHIMIKOの開発を担当したATOUNの半沢文也氏だ。
「歩行支援用の『パワードスーツ』といったほうがわかりやすいかもしれません。本体を腰に巻きつけて、ワイヤーでつないだ膝サポーターを装着します。本体には4つのモーターが内蔵してあり、これでワイヤーを巻き取ったり、緩めたりすることで使用者の歩行を補助します」(半沢氏)
筆者も装着してみると…
百聞は一見にしかず、ということで筆者も装着させてもらった。
腰に巻く本体も、ワイヤーで繋がれた左右の膝サポーターも、脱着は非常に簡単だ。最初は半沢氏に手伝ってもらったが、慣れれば1人でわけなく脱着でき、1分もかからない。全体で2.5kgの重量も装着してしまえば気にならなかった。
装着して一歩を踏み出した瞬間にアシスト機能が作用していることが体感できる。モーターがワイヤーを巻き上げることで膝を持ち上げるのだが、実際には持ち上げられているというより、腿を軽く押し出してくれているような感覚だ。
「使っているうちに、本体がその人の歩行の癖を覚え、使用感が徐々になめらかになります」(半沢氏)
実社会は平坦な場所ばかりではない、上りもあれば下りもある。階段や傾いた場所も多い。HIMIKOは場所と使用者の特性を読み取って、最適なアシストをしてくれるという。
「過度なアシストは転倒事故にもつながるので、それぞれの特性に会った力加減が求められるのです」(半沢氏)
ツアーに参加した67歳の男性は「歩く距離がかなりあるので、最初は不安でしたがHIMIKOのおかげで最後まで歩ききることができました」と笑顔を見せた。
「使っている人が立っているのか座っているのか、そこが坂道なのか平坦な場所なのか、これらを分かったうえでアシストしないと、逆に歩きにくい。平地であれば前のワイヤーを引っ張って、後ろを弛緩させるのが基本なのですが、上り坂などでは両方を引っ張るほうが歩きやすかったりするのです。細かいことは企業秘密ですが、地面の状態の詳細な情報を拾いながらの微調整してくれるのです」(半沢氏)
1回の充電で1時間の歩行をアシストしてくれるので、日常の買い物などにも使えそうだ。
物理的なバリアフリーだけでない、視点を広げると…
近畿日本ツーリストとクラブツーリズムが取り組むバリアフリーツアーの歴史は実は古い。近畿日本ツーリスト首都圏 ユニバーサルツーリズム推進担当の伴流高志氏は次のように語る。当時伴流氏は対個人客を主に扱うクラブツーリズムに籍を置いていた。
「お年寄りに限らず介護を必要とされた方を対象としたツアーは20年以上前から行っております。それ以前は障害のある方々の旅行といえば、高齢者の介護施設や特別支援学級の定期旅行のようなものが主でした。自分の意思で自分の行きたいところにいくというより、施設の仕事として実施するというものに限定されていました。つまり旅行に行く本人の意思とは別の動機づけがされていたように思います。
しかしこれからは我々健常者と同じ、自らの意思でツアーに出かける。我々と同じプロセスを経て旅行に参加する時代がくるだろう。そんなふうな考えがベースにあって、今から24年前に『バリアフリー旅行センター』という部署が立ち上げられたのです」(伴流氏)
ほぼ四半世紀前だ。当時の日本はそれこそバリアだらけ。ほとんどの駅はエレベーター未整備で、観光地での車いす用スロープなどまだ数えるほどしかなった。
「とにかく人力でバリアを克服するのが我々のツアーでした。スロープがなければ車いすを持ち上げる。参加者さんをおんぶもするし抱っこすることもありました。お遍路巡りやマチュピチュ訪問など障害がある方々が尻込みするような、でも一度は行ってみたいと思っていらっしゃる場所にどんどんトライしました」(伴流氏)
バリアフリー旅行センターの立ち上げから19年経過した2016年。伴流氏は新たな旅行のあり方を模索し始める。
「クラブツーリズムはBtoCの旅行会社で、個人のお客様の物理的なバリアを解決していくというバリアフリー旅行を実施してきました。そこから少し視線を広げ、社会の課題を解決していくようなツアーを企画できないか。と考えるようになったのです」(伴流氏)
伴流氏は18年にBtoBを主に扱う近畿日本ツーリズム首都圏に部署替えを願い出て、新たな挑戦を試みることにしたのだった。
「そのまま温泉に入ったら中身が漏れるんじゃないか」
「クラブツーリズムと違って、近畿日本ツーリストは独自の会員組織を持ってはいません。様々な企業や団体と連携して、その企業や商品などのユーザーが抱える社会的な課題を解決するイトグチを見つけようとしたのです」(伴流氏)
2019年12月に実施した「オストメイト向けツアー」はその好例だ。人工肛門・人工膀胱を使っていらっしゃる方々の温泉旅行である。物理的なバリアではなく、「悪意の視線」や「無知からの思い込み」というバリアとの戦いである。
「ストーマ、つまり人工肛門や人工膀胱はお腹に直接穴を開けて、そこに袋をつけて大腸などから直接排泄物を溜めるものです」(伴流氏)
使用したことのない者にとって、ストーマは未知の道具だ。お腹につけた袋に排泄物を溜めることくらいは知っていても、その実態までは理解していない。
「袋は基本的にずっと付けていなければなりません。外すのは交換するときだけ。だからお風呂にも付けたまま入ります。そうしたときに、そのままお温に入ったら中身が漏れるんじゃないか、破れるんじゃないか、お風呂に入るときは外して来いよ──など、無知による批判にさらされるわけです」(伴流氏)
これが「工場見学」を実施する意味
伴流氏はストーマの大手メーカーであるアルケア(東京都墨田区)と手を組んで、オストメイト向けツアーを企画したのだった。
「アルケアさんはストーマを使用なさっている方々とのつながりがあります。そうした会社と協力し合うことで、目に見えにくい課題を解決していくことができるし、我々としては当事者の皆様との接点が持てるのです」(伴流氏)
ツアーの柱は「温泉の大浴場を楽しむ」「工場見学」「ストーマセミナー」の3つだ。
「温泉の大浴場に浸かりたいという思いは意外と大きいのだけど、他人の目が気になる。今回は千葉県木更津のホテル三日月さんにご協力いただいて、半分貸し切りの状態でお願いしました」(伴流氏)
実際にストーマを使っているご本人も、実は正しい知識が不足している場合がある。「破れるんじゃないか」「匂いが漏れるんじゃないか」──そうした不安を払拭するために工場見学をして製品の正しい理解を深める。
「袋は5枚重ねの構造で、ちょっとやそっとじゃ破れません。正しく使っていれば匂いが漏れることもない。製造の現場を見ることで製品への信頼も高まるのです。また、専門家を招いて行われたセミナーでは、使用者ご本人たちが自分たちの困りごとや工夫などを提示し合う場面もありました。企業と使用者が知恵を出し合うこうした取り組みを続けることで、今まで旅を控えてしまっていた方々がもっと自由に出かけられるようになるのだと思います」(伴流氏)
旅は道連れ世は情け。
旅の道連れを考え抜くことで、まさに世の情けが見えてくる。社会の課題をクリアするため、KNT-CTホールディングスはこれからも新たな旅の道連れを模索してくれるのだろう。
(タイトル部のImage:出所はKNT-CTホールディングス)