ワクチンと言えば、新型コロナウイルスやインフルエンザなど、感染症の予防を目的としたものが思い浮かぶ。ところが最近、臓器などにたまった老化細胞を除去するワクチンが、抗老化研究者や医療界で話題になっている。加齢や肥満などによって内臓脂肪に蓄積した老化細胞を取り除き、動脈硬化やアルツハイマー型認知症などの病気の改善、早老症の治療にも役立つ可能性があるという。どういうワクチンなのか。老化細胞除去ワクチンの開発に取り組み、昨年末、開発の成功が発表された順天堂大学大学院医学研究科循環器内科の南野徹教授に、その特徴と実用化までの道筋を聞いた。
GPNMB陽性老化細胞を選択的に除去
順天堂大学大学院医学研究科循環器内科の南野教授は、循環器内科医として第一線で心臓病の治療に邁進する傍ら、30年以上に渡り抗老化研究に取り組んできた。今回開発に成功した老化細胞除去ワクチンは、老化した血管の内皮細胞の表面にあるGPNMBという老化抗原(目印)を標的にしたワクチンだ(図1)。
「老化抗原のGPNMBは、老化した血管の内皮細胞の表面に特異的に発現がみられる分子です。これを標的にしたワクチンを投与すると、血管や臓器にたまった老化細胞に対する抗体(抗原を体外に排除するためにつくられるタンパク質)ができ、白血球などの免疫細胞がそれを異物として認識し攻撃するようになって老化細胞が除去される仕組みです。通常は役に立たなくなった細胞は免疫の働きで消えて排除されます。しかし、老化細胞は、細胞分裂を停止した後、なぜか細胞死もせずに血管や臓器の中に蓄積して慢性炎症を引き起こし、糖尿病や動脈硬化、アルツハイマー型認知症などさまざまな加齢性疾患の原因となっています。私たちはこれまでの研究によって、GPNMBは動脈硬化疾患のある高齢者や高齢マウスの血管及び内臓脂肪に発現が増加していることを確認していました。このGPNMB陽性老化細胞を選択的に除去するワクチンを接種すれば、そういった加齢性疾患も改善するのではないかと考えたのです」と南野教授は説明する。
マウスへの接種で糖代謝異常や動脈硬化、フレイルが改善
このGPNMBワクチンを高脂肪食で飼育したマウスに接種したところ、内臓脂肪に蓄積した老化細胞が除去され、食後血糖値が下がりやすくなり、肥満によって起こっていた糖の代謝異常が改善した(図2)。
また、動脈硬化モデルマウスにこのワクチンを接種した実験では、動脈硬化巣に蓄積した老化細胞が除去され、血管を狭くしているプラークの軽減も確認された。この他、早老症の中でも症状の重いハッチンソン・ギルフォード症候群のモデルマウスにワクチンを接種すると、平均寿命が明らかに延びた。この早老症モデルマウスは、ワクチンを接種しなければ長生きしたとしても30週齢くらいで全例死んでしまうが、ワクチン接種後40週齢近くまで生きたマウスもいた(※)。
さらに、人間の50歳代くらいに相当する中年マウスにワクチンを接種したところ、70歳代くらいの高齢になっても、ワクチンを接種しなかったマウスに比べて活動量や歩行速度が維持され、フレイルへの進行が抑えられた(※)。フレイルは、身体機能、認知機能、病気やストレスに対する予備能が落ちて、要介護状態になる一歩手前の状態を指す。中年期に老化細胞除去ワクチンを打てば、老化に伴う身体機能の低下が抑えられる可能性があるというわけだ。超高齢マウスにワクチンを接種すると、驚いたことに、約2カ月後には毛並みがふさふさしてよく動くようになったという。
先行して開発が進められている老化細胞除去薬の動物実験では、変形性膝関節症、アルツハイマー型認知症、心不全、慢性肺閉塞性肺疾患(COPD)、腎障害など加齢に伴って増える病気が、老化細胞を除去することで改善することが示されている。「GPNMBなどの老化抗原を標的とした老化細胞除去ワクチンが、これらの加齢性疾患の治療にも役立つ可能性は高い」と南野教授は言う。
安全性や柔軟性などに優れるワクチンのメリット
ここで、老化細胞除去薬と老化細胞除去ワクチンの違いについて見てみよう。老化細胞除去薬は、既に米国を中心に世界中で開発が進められており、白血病の治療などに用いられる抗がん剤のダサチニブと食品成分のケルセチンを組み合わせた老化細胞除去薬など、ヒトへの投与が始まっているものもある。「日本は老化研究と社会実装で、遅れを取っている」と指摘する南野教授が、あえて老化細胞除去ワクチンの開発に挑むのは、なぜなのだろうか。
「現在、米国などで開発されている老化細胞除去薬のほとんどは抗がん剤を用いたもので、正常細胞にも悪影響を与える懸念があるからです。私たちが開発中の老化細胞除去ワクチンが標的にするGPNMBという老化抗原は、老化細胞に特異的に発現していて、正常細胞にはほとんどないものなので、接種による副作用も最小限にできると考えています。また、ワクチンは開発コストが抑えやすく、効果が比較的長期間続きます。1回接種すれば、効力が続く限り、本来その人が持っている免疫機能が強化される。つまり、長期間老化細胞が除去され続け、蓄積しにくくなるというメリットがあるのです」と南野教授。
①安全性、②柔軟性、③効率性を兼ね備えている点が、老化細胞除去ワクチンの特性のようだ。ただし、ヒトに応用する際には、特定の分子を標的にした抗体薬にするか、現在、国内外で接種が進められている新型コロナウイルスワクチンのようなmRNAワクチンにすることも検討中だという。
「ファースト・イン・ヒューマンと呼ばれる初めてヒトに投与する臨床試験に入る前に、サルなどもう少しヒトに近い動物での試験が必要かもしれません。社会実装を進めるためにも、近いうちに老化細胞除去ワクチンを開発するベンチャー企業を立ち上げ、5年以内に、ヒトへの安全性を確認する臨床試験に入りたいと考えています。がんの治療に使われている免疫チェックポイント阻害薬のニボルマブ(商品名・オプジーボ)が、最初に皮膚がんの一種のメラノーマ(悪性黒色腫)で承認を取って、肺がんなど患者数の多いがんへ適応を広げて行ったように、まずは早老症などの希少疾患や治療法が乏しい疾患の治療を目指して、老化細胞除去ワクチンの臨床試験に入れればと思います」
老化細胞の蓄積度の測定検査を5年以内に実用化へ
南野教授は、がん細胞の広がりを見る検査として使われているPET-CTを用いてGPNMB陽性の老化細胞の分布や蓄積度合いをみることで体の老化度を測ることも構想中だ。
「私たちの体の中にはさまざまな種類の老化細胞が存在していますが、現在は、どこにどんな老化細胞がどのくらい蓄積しているのか測定できないのが実情です。少なくとも、5年以内に、GPNMB陽性の老化細胞の蓄積度は測れるようにしたいと考えています。それぞれの老化細胞の蓄積度が測れるようになれば、GPNMB陽性の老化細胞が多い人にはGPNMB標的にした老化細胞除去ワクチン、他の老化抗原の発現が高い人にはそれを標的にした薬やワクチンを投与するといった具合に、老化の個別化治療が進むのではないでしょうか」と語る。
そもそも南野教授が、老化制御研究に力を入れているのは、日々、狭心症や心筋梗塞、心筋症などの治療をする中で、動脈硬化や糖代謝異常を予防したり根本的に治療したりする方法はないものかと考えたのがきっかけだった。目指しているのは、「老化細胞除去ワクチンの活用によって、70~80歳代になっても50歳代くらいの臓器や体の機能を維持する人が増え、健康寿命が延びる社会の実現」だ。
老化研究にはまだまだ課題もある。フレイルや老化は、老化研究が世界的に進んだ米国でさえ、病気と位置付けられていない。
「WHO(世界保健機関)の新しい国際疾患分類ICD-11(2022年発効)では、『老化関連疾患』を意味する拡張コードが新設されました。でも、フレイルや老化が治療すべき病気と認められない限り、日本の保険診療で老化細胞除去ワクチン、老化細胞除去薬が使えるようになるにはまだ時間がかかるのではないかと思います。そういう意味でも、まずは治療法が乏しい加齢関連疾患の治療を目的にしたワクチンや薬の開発からスタートしたいです」と南野教授。老化細胞除去治療の注目度が世界的にも高まる中、GPNMB陽性老化細胞除去ワクチンなどの社会実装を進めて行くことで、日本の老化研究の遅れを大幅に巻き返す覚悟だ。
※ Nature Aging 1, 1117-26,2021
順天堂大学大学院医学研究科循環器内科教授
(タイトル部のImage:Getty Images)