女性は87.74歳、男性は81.64歳──。厚生労働省が2021年7月に発表した簡易生命表によれば、2020年の日本人の平均寿命は過去最高を更新した。WHO(世界保健機関)の統計では、日本人女性の平均寿命は36年連続の世界1位、男性はスイスに次いで世界2位で、先進国の中でも最も早く超高齢社会に突入している。そんな中、注目を集めているのが抗老化研究の行方だ。「人生100年時代」と言われるが、そんな時代は本当に来るのだろうか? 今、老化制御サイエンスが注目されるのは、なぜなのか? 書籍『「100年ライフ」のサイエンス』の監修者で、大阪大学大学院医学系研究科内科学講座(老年・総合内科学)の樂木宏実教授にインタビューした。

大阪大学大学院医学系研究科内科学講座の樂木宏実教授(写真:大腰 和則)
大阪大学大学院医学系研究科内科学講座の樂木宏実教授(写真:大腰 和則)
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四半世紀で高齢女性は20歳、男性は10歳若返っている

 「人生100年時代」は、ロンドン・ビジネススクールのリンダ・グラットン教授の著書『ライフ・シフト』(日本では2016年に刊行)が、世界的ベストセラーになったことをきっかけに、よく使われるようになった言葉だ。グラットン教授は、「いま先進国で生まれる子供たちの半数が、100歳以上を生きることになる」と説く。

 日本の100歳以上の高齢者は2020年9月1日時点で8万450人、初めて8万人を超えた。調査が始まった1963年には100歳以上の人は全国にたった163人だったというから、57年間で約500倍に増えたことになる。それでも、多くの人が、「人生100年時代といっても、本当にそんな時代は来るのだろうか」などと、考えているのではないだろうか。

 しかし、樂木教授は、「医学の進歩によって、80代でもがんや心臓病などの外科手術を受けられるようになり、90代でも大学病院の外来に来る人は少なくない。元気な高齢者が増えており、100歳を超えた人を身近に知っているようになる『人生100年時代』は、かなり近づいている」と話す。

 根拠の1つとして樂木教授が指摘するのが、「日本の高齢者は若返っている」という事実だ。例えば図1の「高齢者の歩行速度の推移」。これは国立長寿医療研究センターを中心に進められている「長寿コホート総合的研究」によるデータで、2017年の85歳以上の平均歩行速度は、男性は1992年の75~79歳レベル、女性は65~69歳レベルになっている。つまりこの25年間で、男性は約10歳、女性は約20歳、体力的に若返っていると見ることができる。

 日本老年学会・日本老年医学会は、樂木教授が同医学会理事長だった2017年に、現在65歳以上となっている「高齢者」の定義を変え、「75歳以上」に引き上げるように提言している。確かに、いまの65歳は、高齢者というのが憚れるほど若々しいと感じている人も多いのではないだろうか。

図1●高齢者の歩行速度の推移
図1●高齢者の歩行速度の推移
2017年の85歳以上の歩行速度を25年前の1992年と比べると、男性で約10歳、女性で約20歳分速くなっている(厚生労働省「人生100年時代に向けた高年齢労働者の安全と健康に関する有識者会議報告書」[2020年1月]を基に日経BP総研作成)
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健康寿命の延伸が期待される老化研究

 ただ、「人生100年時代」には大きな課題もある。健康上の理由で日常生活が制限されることがない期間を示す「健康寿命」は、2016年時点で女性74.79歳、男性72.14歳で、「平均寿命」との差がそれぞれ12.35年、8.84年もあることだ。男女とも平均で10年前後、介護が必要な状態を含めて日常生活に制限がある状態になっていることになる。

 「老化研究が注目されている理由の1つは、その成果によって健康寿命を延ばす可能性があるから。健康寿命を延ばすためには、がん、心臓病、脳卒中のように命に関わる病気を治すことだけではなく、年を取って疲れやすい、臓器や認知機能が全体的に低下しているという老化自体を制御する必要がある」と樂木教授は指摘する。

 老化を制御するための基準であり、健康寿命を延ばすためキーワードとなっているのが、「フレイル」だ。虚弱や脆弱を意味する英語の「Frailty」を語源に、日本老年医学会のワーキンググループが作成した造語で、身体機能、認知機能、病気やストレスに対する予備能が落ちて、要介護状態になる一歩手前の状態を示す。フレイルの状態で介入すれば、健康で自立した状態に戻せる可能性があるため、厚生労働省は、2020年度から各市区町村で75歳以上を対象に、フレイルの早期発見と介護予防を目指す、いわゆる「フレイル健診」をスタートさせている。

老化は20代から始まり50代で加速

 とはいえ、老化はフレイルが顕在化する前から始まっている。樂木教授は、「細胞と臓器の老化は20代から始まり、50代で加速する傾向がある。国内外の研究から、生活習慣の改善などによって老化の進行を遅らせられることが分かってきた。高齢者になってからできる対策もあるものの、老化の進行を遅らせて健康長寿を目指すためには、例えば30代~40代くらいから老化制御に取り組むなど、早くから抗老化を意識することを勧めたい」と話す。

 人の一生における老化の進み方と健康寿命の関係性を示すために樂木教授が作成したのが、図2の4つのモデルだ(図2参照)。横軸は年齢で、縦軸は生存率や自立度、簡単に言うと元気さを示している。

 このうち、樂木教授が「残念な老化パターン」として注意を促すのが、左から2番目の生活習慣病モデル。「働き盛りの世代である50代から生存率が下がり始めるのは、エイジングドミノなどが進行するから」。エイジングドミノは、加齢や喫煙、運動不足、過食などの生活習慣、ホルモン低下、酸化ストレスといった老化要因が重なり、臓器の老化が進み老年疾患を発症するなど、ドミノ倒しのように老化が加速する現象を指す。「健康に不安を抱えているのに何も手だてをしないと生活習慣病モデルのようになる可能性が高い」。

 「健康老人モデル」を越えて「長寿老人モデル」を目指す必要性が増す今後は、より早く、より有効性の高い方法で老化制御に取り組む必要がありそうだ。

図2●年齢と老化の関係モデル
図2●年齢と老化の関係モデル
細胞と臓器の老化は一般的に20代から始まるが、その進み方には個人差がある。健康寿命を延ばす方向へ生活習慣を改善することで、健康老人、長寿老人への道は開ける(樂木教授作成)
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老化細胞除去薬、オートファジー、NMNに期待

 より有効性の高い老化制御の確立でカギを握るのが老化研究の進展だ。「ここ5年くらいの間に、社会実装できそうな成果が多数出てきて、老化研究の“出口戦略”が見えて来た。いま老化研究が注目されるのは、科学的裏付けがある新しい老化制御法が実用化に近づきつつあるから。2030年くらいまでには、老化を制御してエイジングドミノを止めることが夢物語ではなくなっている可能性もある」

 そう話す樂木教授が、特に注目しているテーマは、「老化細胞除去薬(セノリティクス)」「オートファジー」「NMN」の3つだという。

 老化細胞除去薬は、分裂を停止したのに臓器の中に蓄積して老化を加速させる「老化細胞」を取り除く薬だ。樂木教授ら大阪大学の研究グループでも、加齢に伴って増加する老化T細胞を除去するワクチンを糖尿病モデルマウスに投与すると、老化による体の炎症が抑えられ糖尿病も改善することを確認している。米国では別の老化細胞除去薬において、ヒトへの効果を見る臨床試験が進んでいる段階で、国内外で様々な研究が進んでいる。

 2つ目のオートファジーは、たんぱく質をリサイクルし新陳代謝を促す「細胞の掃除機構」だ。アルツハイマーやパーキンソン病の原因となるたんぱく質、病原体などを排除する仕組みがあることも分かってきている。オートファジーの働きを阻害し老化を加速させる因子が特定されてきており、それを取り除くことによる老化制御法の開発や、オートファジーを活性化させる方法の開発にも注目が集まる。

 3つ目に挙げられたNMN(ニコチンアミドモノヌクレオチド)は、ビタミンB₃(ナイアシン)からつくられたサプリメント。老化を制御する酵素とされるサーチュインを活性化させ、加齢に伴って低下する糖代謝を改善し、健康寿命を延ばすことがマウスで確認されている。現在は、ヒトへの効果を確かめている段階で、樂木教授らの研究室でも、2020年に身体的フレイルの糖尿病患者にNMNを投与する臨床試験を行った。

 樂木教授は、老化研究の成果を見る注意点として、「実験が、酵母やマウス、サルなど動物試験の結果なのか、ヒトに対するデータなのか必ず確認、理解することが大切」と強調する。マウスなどの動物で良い結果が出ても人間には効果がないこともあるからだ。

 また、「60代の人が20代の頃のような肌を取り戻すなど、タイムマシンのような若返り法はあり得ない。研究成果を上手に活用するには、個人にもリテラシーを高めてもらうなどの課題もあるだろう。その上で老化研究や抗老化ビジネスは、加齢を悪ととらえるのではなく、年を取っても、たとえ認知機能が落ちても、今が一番幸せと思える幸福長寿を支える方向で進んでほしい」と話す。

樂木宏実(らくぎ ひろみ)氏
大阪大学大学院医学系研究科内科学講座(老年・総合内科学)教授
樂木宏実(らくぎ ひろみ)氏 1984年大阪大学医学部卒業。米国ハーバード大学ブリガム・アンド・ウイミンズ病院内科、米国スタンフォード大学心臓血管内科研究員などを経て2007年より現職。老年医学、高血圧学を専門に研究し、「元気な高齢社会」への展開を目指す。日本老年医学会前理事長、日本高血圧学会理事長、日本心血管内分泌代謝学会理事。『「100年ライフ」のサイエンス』(日経BP)監修者。

(タイトル部のImage:出所はGetty Images)