女性の自殺率との関係が指摘され、大きな社会問題となっている妊娠中や産後のうつ。対応策として期待されているのが、「栄養」によるアプローチだ。症状が出てからの治療に加え、妊娠を考える時期から生活習慣や食事のあり方を考える「プレコンセプションケア」にも注目が集まる。(江田 憲治=Beyond Health)

*以降の内容は、2019年12月26日に掲載した記事の再録です。肩書・社名、事実関係などは原則、掲載時のままとしています。

妊娠中や産後(周産期)の女性の自殺率の多さが社会問題になっている。背後には、子育てへの不安やストレスが引き金となる「うつ病」があるとされる。うつ病は妊娠中の合併症として、最も多い病気でもある。

周産期にうつ病が増えるのは、この時期、大きく変動する女性ホルモンや環境の変化に女性の心身が晒されるからだ。しかし、症状の兆候に気づいたとしても、妊娠期・授乳期の投薬には慎重にならざるを得ず、有効な“打つ手”が模索されている。

そんな中、誰もが取り組みやすい「栄養」というアプローチで、妊娠中のうつリスクを軽減することを目指す研究が進んでいる。「魚の摂取量が多い国ほど産後のうつ病有病率が低い」という海外の研究報告などをヒントに、うつ症状のある妊婦を対象に魚由来の油を使って国内初のランダム化比較試験(RCT)という精度の高い研究を行ったのが、東京大学大学院医学系研究科准教授の西大輔氏だ。

西大輔氏 東京大学大学院医学系研究科 精神保健学分野 准教授
西大輔氏 東京大学大学院医学系研究科 精神保健学分野 准教授
九州大学医学部卒業。九州大学付属病院、国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所室長などを経て2018年より現職。うつ病や不安障害などの予防に貢献できる研究に取り組む。現在、年間27万人の妊娠報告がある「ルナルナ」の妊娠育児向けアプリ「ルナルナ ベビー」と協働し、「インターネット認知行動療法」による妊娠うつ病、産後うつ病予防の研究を進行中(写真:本人提供)
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 女性にとって、妊娠期と産後はストレスがかかりやすい時期だ。急激なホルモン変動によって体調が波打つように変化し、子育てが中心となる生活の変化も、身体・精神的に大きな負荷をかける。疲労感、不眠、不安感、イライラ、意欲の低下、自責感……。産後の場合、子どもに愛情を感じられなくなる人もいる。

 うつ病にかかる人の割合は国によって差があるが、妊娠中や産後にうつ病にかかる人は10%を超えるという海外の研究がある1、2)。また、「妊産婦死亡の原因の中で最も多いのは自殺」という国内の調査もある3)

 いまや妊娠中、および産後のうつはわが国の大きな社会問題の一つだ。「世の中では産後うつが主に注目されているが、実はその前段階である妊娠期に生じるうつや不安感が、産後うつの大きな要因の一つとなっている。妊娠期から産後までの“周産期”に、切れ目のないうつ対策が必要だと考えている」と話すのは、精神科医としての臨床経験を生かし、うつ病やPTSD(心的外傷後ストレス障害)の予防をテーマに研究を行う東京大学大学院医学系研究科准教授の西大輔氏だ。

 「妊婦のうつ病は本人にとって大変苦痛であり、自傷や自殺の危機、飲酒や喫煙といった健康リスクにもつながる。胎児の成長や出生後の発達、パートナーとの関係にも負の影響を及ぼす可能性が高くなる。つまり、妊娠中からうつを予防、改善することができれば、2~3人分のリスクを予防することになりうる」と、西氏は妊婦のうつ対策の重要性を強調する。

 一般的にうつ病の治療は、精神科や心療内科での投薬や心理療法が中心となる。だが、妊娠中は、抗うつ薬成分の胎盤への移行という難しい問題が横たわる。産後も、母乳を介して成分が胎児に移行する。そのため「大部分の母親は、服薬を希望しない」(西氏)。

 一方、「国際的なガイドラインでは、重度のうつ病の場合には薬物療法が薦められるが、軽度のうつ病の場合は抗うつ薬ではなく、心理教育やストレスマネジメントなどが推奨されている」(西氏)。

 日本人成人のうつ病の7~8割は軽度や中等度4)であるため、ガイドラインに従うなら、症状のある妊婦の多くは心理療法での治療を受けることが有効な対処となる。しかし、国内の心理療法の専門家の数は十分とはいえない状況だ。「そのため、多くの妊婦が、精神ケアの手が届かず宙に浮いた状態にある」。西氏は、周産期女性のうつ治療の難しさをこのように説明する。

世界の研究では「妊婦と子どもには魚油」という潮流

 妊娠期のうつ対策には従来の治療法とは異なるアプローチが求められる。

 そこで、西氏が着目したのが栄養だ。具体的には、青魚に豊富に含まれる、EPA(エイコサペンタエン酸)、DHA(ドコサヘキサエン酸)などの不飽和脂肪酸。n-3系脂肪酸とも呼ばれるこれらの油は、自分の体では合成できない必須脂肪酸で、脳や神経、心血管系などを中心に全身の臓器、細胞の機能維持に欠かせない重要な栄養素。しかし近年、我が国ではその主要補給源である魚の摂取頻度が減っていることから、摂取量が減少している脂肪酸でもある。

 西氏がn-3系脂肪酸に着目したのは、海外を中心に信頼度の高い研究報告があるからだ。例えば、母乳中のDHAが多く、魚の摂取量が多い国ほど産後のうつ病有病率が低いことが報告されたのは2002年(図1)。2007年には、妊娠期のn-3系脂肪酸摂取量が多いほど、8歳時点の子どもの言語知能指数(IQ)が高くなるとの報告も5)

図1●魚の摂取量が多いほど産後うつになりにくい
図1●魚の摂取量が多いほど産後うつになりにくい
「エジンバラ産後うつ病スケール」を用いた産後うつ病の有病率データ(被験者1万4532名)と、母乳中のDHA、EPA、およびアラキドン酸含有量、23カ国の調査による魚介類消費量を比較した。その結果、母乳中のDHA含有量の低下と魚介類の摂取量の低下のいずれも、産後うつ病の発生率の上昇に関連していた(出所:J Affect Disord. 2002 May;69(1-3):15-29.のデータを基にBeyond Healthが作成)
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妊婦にn-3系脂肪酸を与えた国内初の試験

 海外ではその後もn-3系脂肪酸と妊婦のメンタルヘルス、また子どもの成長、発達への効果を裏付ける研究が蓄積され、米国食品医薬品庁(FDA)は、「Advice regarding eating fish」と題して、「出産年齢の女性、妊娠中および授乳中の女性、幼児は、積極的に魚を食べることを推奨する」と食生活ガイドライン(2015~2020年版)に記載するに至っている6)

 一方、魚の摂取量が減少傾向とはいえ、欧米に比べて日常的に摂取機会が多い日本やアジアで、同様のことが言えるのか──。

 そこで西氏は、2013年から17年にかけて、n-3系脂肪酸のうつ症状への有効性を検討するために、日本・台湾で国際共同ランダム化比較試験(RCT)を行った。これは、うつ病という疾患を対象にしたn-3系脂肪酸の、わが国初の介入試験だった。

 国内の2つの医療施設、および台湾の1医療施設で、妊娠12~24週の妊婦をリクルート。うつ症状のある妊婦(エジンバラ産後うつ病自己調査票で9点以上)を対象に、1日あたり、介入群にはn-3系油を含む魚油サプリメント(EPA1200mgとDHA600mg)を、対照群にはオリーブオイル(2880mg)をカプセルで12週間のんでもらい、効果を確かめた。

 1日あたりの量は、厚生労働省の「日本人の食事摂取基準」で妊婦の摂取目安量とされている1800mgを根拠とし、EPAとDHAの比率は、「メンタルヘルスに良いとされるEPA2に対し、胎児の成長や発達に重要なDHAを1とした」(西氏)。

 「最も困難だったのは、被験者集め。妊娠期にサプリメントをとることに抵抗を感じたり、配偶者の反対を受けたりする人もいて、リクルートに多くの時間が必要だった」(西氏)。

 ようやく国内で51人、台湾で57人、合計108人の被験者を得て、12週間、試験が実施された。その結果は残念なことに、介入群と対照群の間でうつ症状に対して統計的に有意な差は出なかった。

 「しかし、あらかじめ実施が計画されていたサブグループ解析で、施設ごとの解析を行ったところ、1施設において確かなうつ改善効果が確認された」(西氏)。それが図2だ。

図2●n-3系脂肪酸摂取でうつ症状スコアが改善
図2●n-3系脂肪酸摂取でうつ症状スコアが改善
台湾と日本のうつ症状のある妊婦108人を、1日1800mgのn-3系脂肪酸をとる群、オリーブオイル2880mgをとる群に分け、摂取前と12週後のうつ症状スコア(HAMD)を比較。被験者全体での有意差はなかったが、施設ごとに解析すると、エストロゲン値が高くなる妊娠21.7週から開始した25人の群ではうつ症状スコアが有意に下がった(出所:Psychother Psychosom. 2019;88(2):122-124.のデータを基にBeyond Healthが作成)
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 1施設だけ効果が認められた理由として、「研究参加時点の妊娠週数が施設間で異なっており、ほかの群は妊娠17~18週から摂取していたのに対し、この群は21週、つまり妊娠中期から後期のエストロゲン値が急上昇するタイミングに摂取してもらっていたからではないか」と西氏7)

 「妊娠の自然経過でエストロゲン値が上昇するタイミングでn-3系脂肪酸が十分にあると、両者の間でなんらかの共同作業が行われ、メンタルヘルスの改善に働いたのではないか」と西氏は考える。そして、「もしエストロゲンとn-3系脂肪酸が共同作業をするならば、エストロゲン値が上昇する妊娠中期から後期にかけてn-3系脂肪酸を服用することで、抗うつ効果が期待できるかもしれない。今回の研究はサンプル数が少ないために、国の指針を変えるほどのパワーを持たないが、さらに被験者を増やした研究が実施されれば、妊産婦が実践しやすいエビデンスになりえると思う」(西氏)。

妊娠中期以降に1日1800mgのn-3系脂肪酸を

 ちなみに、妊娠中にとるn-3系脂肪酸がメンタルに好影響をもたらす理由の一つとして、妊娠時にはより多くn-3系脂肪酸が母体に必要となることが挙げられる。「妊娠期には、胎児の脳や骨髄、肝臓などの組織を形成するために、多量のn-3脂肪酸が必要になることがわかっている8)。また、1回の妊娠で、健常な母親の大脳の堆積は出産までに約2~6%も減少するという研究報告もある9)」(西氏)。脳の主要構成要素である脂質が使われている可能性があるのだ。

 妊娠期には胎児の発育のために、通常の時以上に母体のn-3系脂肪酸が消費されるため、母体に必要な量が不足し、それがうつ症状につながっているのではないか、と考えられるわけだ。n-3系脂肪酸がうつ改善に働くメカニズムについて西氏は、「EPAが持つ抗炎症作用、ドーパミンやセロトニンなどの神経伝達物質への影響、腸に作用することによる腸脳相関などの可能性を考えている」と話す。

 西氏の研究を参考にすると、n-3系脂肪酸の目安量は1日1800mgとなる。試験のようにサプリメントで取るのが手軽だが、「サプリメントを使うことに抵抗を感じる妊婦さんが多いのが現実」(西氏)。そこで、食事でとる方法として「青魚をはじめ、n-3系脂肪酸の一種であるαリノレン酸を含むアマニ油、エゴマ油などからもとることができる。外食時には魚のメニューを選ぶ頻度を増やし、アマニやエゴマの油をみそ汁などに加えるのもいい。今回の研究の結果から、妊娠を考える人には、妊娠前から妊娠前期は二分脊椎症の予防効果が認められている葉酸を、中期から後期にはうつ予防が期待できるn-3系脂肪酸を積極的にとることをお薦めしたい」と西氏はアドバイスする。

 西氏が栄養によるうつ改善の研究を開始した2008年当時は、栄養とメンタルヘルスの関係に関心を持つ国内の精神科の医師は非常に少なかったという。

 しかしその後、西氏の研究と並行して、わが国でも妊娠期の十分なn-3系脂肪酸摂取が母親のメンタルヘルスに有効という疫学調査の結果が2018年と2019年に報告された。これは、環境省が2011年に開始した全国10万組の子どもとその両親を対象にした「エコチル調査」(子どもの健康と環境に関する全国調査)の一環で約7万5000~8万4000人を分析したところ、妊娠期に魚を食べる量が多い群は少ない群と比べて抑うつ状態になりにくく、産後6カ月間の産後うつ病リスクおよび産後1年間の精神疾患の発症リスクが低下すること、また調査対象の配偶者である父親も、魚食がやや多い群で抑うつ状態になりにくいことが分かったのだ10、11)

 国内でもエビデンスが積み上がりつつある今、「産婦人科の医師たちは、栄養とメンタルヘルスの関係に関心を示してくれている人が多い」と西氏。薬一辺倒だった医療の世界でも、栄養による予防・治療の可能性に期待が寄せられている。

 「精神的な苦痛は、生活機能や社会機能を落とす。症状が出てからの治療も重要ではあるが、もっと手前の、妊娠を考える時期から生活習慣や食事のあり方を考える“プレコンセプションケア”にも着目し、妊婦やその家族、子どもの健康をより高める、という視点で今後も研究を深めていきたい」と西氏は語る。


(タイトル部のImage:公文 美和)