日経BPの日経BP総研は2019年5月14日、健康・医療分野でイノベーションを起こしたい人のためのメディア「Beyond Health」をスタートさせる。多様な業種が参入し、イノベーションが加速していく健康・医療分野はどこへ向かうのか。立ち上げメンバー(以下)による議論をお届けする。

・日経BP総研 所長 安達 功
・日経BP総研 戦略企画部長/ソリューション・アーキテクト 高橋 博樹
・日経BP総研 医療・健康開発事業部長/Beyond Health 発行人 大滝 隆行
・日経BP総研 上席研究員/Beyond Health 編集長 小谷 卓也
・日経BP総研 戦略企画部/新・公民連携最前線 編集長 黒田 隆明


安達 日経BP総研では、書籍『未来をつくる100の新市場(仮)』の出版を計画しています(今秋発刊予定)。まずは、新たなブルーオーシャンの市場になりそうな領域の洗い出しを進めているところです。

日経BP総研 所長 安達 功(あだち いさお)
エンジニアリング会社勤務を経て日経BP入社。『日経コンストラクション』『日経アーキテクチュア』『日経不動産マーケット情報』などインフラ分野専門誌の編集・発行人、日経BP総研社会インフラ研究所長などを経て2019年4月より現職(写真:加藤 康、以下同)

 この洗い出し作業で各研究員に「2030年に大きなマーケットになっていそうな新しいフロンティア領域」について意見を求めたのですが、広い意味での健康・医療分野についての注目度が非常に高かったんですね。

 例えばスリープテック。人生の1/3の時間を費やすともいわれる「睡眠」の時間を、より快適にすることで健康を維持し、疾病や事故のリスクを下げようというソリューションです。テクノロジーの活用によって、より健康的な「食」を提供しようというフードテックも有望です。

 非侵襲(体を傷つけない)診断や、そのデータをまとめて何らかの形で提供する情報サービスも出て来るでしょう。

 こうした、従来の「医療」の範囲外で、関連市場が大きく広がっていきそうです。

高橋 健康、医療、人体といった領域は、センシング技術やデータ解析といったテクノロジーの進展と、マーケットの要請との相互作用で、新しい可能性が開けてきた――。今、そんな状況になってきています。

 マーケットについて言うと、日本では特に「健康維持」や「未病*1の改善」に大きなニーズがあります。年々増え続ける膨大な医療費を抑えなくてはならないからです。

 医療費は2017年で42兆円以上掛かっています。1990年、つまり約20年前には21兆円ほどだったので、ちょうど2倍です。これが2025年になると54兆円になると言われています。自己負担分も含んでいるとはいえ、大変な金額を税金から支出することになるわけで、このままでは医療以外の重要政策が後退せざるをえなくなります。

 ですから、「人生100年時代」というのは、元気で幸福に長生きしたいという個人の願いであると同時に、政府の要請でもあるわけです。

*1:「未病」とは、病院で治療を受けるには至らないものの健康とは言えず、健康と病気の間で連続的に変化している状態のこと。

「病院中心」からの脱却

日経BP総研 上席研究員/Beyond Health 編集長 小谷 卓也(おたに たくや)
大手電機メーカー勤務を経て日経BP入社。『日経エレクトロニクス』でヘルスケア分野に起きるイノベーションの動向を取材・執筆。『デジタルヘルスプロジェクト』プロデューサー、『日経デジタルヘルス』編集長を経て2018年12月より現職

小谷 医療費が非常に増大している中、その対策の一つとして、政府としては入院日数を短くしたいと考えています。そのため、現在150万床ぐらいある病院のベッド数は、究極的には120万床ぐらいに削減されていく方向です。

 もっとも、入院状態が長引くのはQOL(Quality of Life:患者の総合的な「生活の質」)の面でも良くありません。ですから、入院日数の短縮は、患者にとって良い側面もあります。

 つまり、病院中心の医療という姿は、今後はどんどん変わっていきます。「病院の外」でどのように過ごしていくのかが、求められてくると思います。

大滝 付け加えると、今までの予防医学というのは、要するに2次予防なんですね。2次予防というのは、健診などで障害や異常が見つかった時に初めてそこに介入して、重症化しないようにするということです。しかし今後は、何も症状がない未病の段階で積極的に介入を図る。そして、未病を治す、あるいは未病状態のまま生涯を過ごせるようにすることが求められてきます。そして、そこで期待されているのが、新たなテクノロジーなのです。

高橋 健康・医療関連ビジネスの主戦場も「病院ありき」からどんどん個人・家庭の方に移っていくでしょう。冒頭で話題になったスリープテックにしてもフードテックにしても、そういった方向性ですよね。

 医療費を抑制するには、「なるべく病院に行かないようにする」という新しい価値観をつくっていかなくてはなりません。

 つまり、家庭や社会の中で過ごす時間をより長くするということが、結果として、その人のQOLを高め、寿命を延ばしていくことにつながる。そんな価値観です。

小谷 要するに「病院中心の医療システム」からの脱却が、非常に重要になってくるということです。

黒田 家庭や社会の基盤となる住環境の改善にも注目が集まっています。例えば、国土交通省では「スマートウェルネス住宅」を推進しています。簡単に言うと、健康寿命を延ばせる住宅。今までも、断熱性の高い住宅は、ヒートショックが減るので事故も減り、それで寿命が延びると言われていました。そこにしっかりしたエビデンスと、医療との連携を持ち込んだのがスマートウェルネス住宅です。住宅の性能と健康向上との関連については、どんどん研究が進んでいます。

小谷 病院だとか住宅だとか、固定された場所ではなくて、社会のあらゆる場所を必要に応じてあたかも病院のようにしていく考え方もありそうです。その一つとして、次世代の移動サービスとして話題になっているMaaS(Mobility as a Service)が、どのように健康・医療の領域にかかわってくるのかにも注目しています。

 MaaSを手掛けるMONET Technologies(ソフトバンクとトヨタ自動車の共同出資により設立)が2019年3月末に都内で開催した会見では、「ヘルスケアモビリティ」のコンセプトが披露されていました。これは、同社とフィリップス・ジャパンがコラボして考案したもの。車両をクリニック化したり、薬剤師を配置したり、あるいはAEDを設置したりして、オンデマンドで必要な場所にサービスを届けようというものです。

日経BP総研 戦略企画部 プロデューサー/新・公民連携最前線 編集長 黒田 隆明(くろだ たかあき)
メーカー勤務を経て日経BP入社。『日経エンタテインメント!』副編集長、『日経BPガバメントテクノロジー』編集長などを経て、2015年2月、ウェブメディア「新・公民連携最前線」立ち上げに編集長として参画、現職

黒田 個人と社会との関わり方が健康に影響を与えることも明らかになりつつあります。「地域コミュニティーやサークル活動での付き合いが 活発な人の方が健康状態もよい」といった調査研究が各所で発表されています。

 こうしたソーシャルキャピタル(社会関係資本)の重要性については、以前は子供の教育効果、治安の向上といった社会的な文脈で語られることが多い印象がありました。しかし最近では、保健医療政策とからめて語られることも目立ってきています。

「行動変容」がキーワード

大滝 ここでのキーワードは「行動変容」です。なぜなら、人は「健康」を目的に行動するわけではないからです。健康になるためにコミュニティーに参加しろと言われて、それで参加したとしても大概は長続きしないでしょう。

日経BP総研 医療・健康事業開発部長/Beyond Health 発行人 大滝 隆行(おおたき たかゆき)
『日経メディカル』編集部で臨床医学の診断・治療技術に関する取材執筆活動に従事。『日経ヘルスケア』『日経ドラッグインフォメーション』の記者、副編集長、『日経メディカル』編集部長を経て、2018年12月より現職

 今までの生活習慣病の指導では、医者が「たばこをやめましょう」とか、「お酒や間食を控えめにしましょう」とか言うのがせいぜいでした。でも、そんなことを言われても誰も守りませんよね。

 では、どうするのか。一つの象徴が、「ポケモンGO」です。ゲームを楽しむことが歩行につながって、結果的に健康になる。こんな風に何らかの仕掛けによって行動変容を起こすということが重要で、その手段として注目されているのが治療アプリです。

 実際に米国では、糖尿病患者にそのアプリを使うことによって、ヘモグロビンa1cという血糖の数値が薬と同等に下がったというエビデンスが出ているんです。治療アプリが薬と同等なんですよ。これはすごいことで、今後、いろいろな領域において、アプリが行動変容のためのツールとして進化していくのではないかと思います。

日本が世界で戦える分野に

安達 こうして従来の「医療」の外側で、様々な業種が参入しながら広がっていくであろう健康・医療産業ですが、グローバル展開を考えた場合、日本に勝機はあるでしょうか。これまでの「医療」の世界で言えば、例えば製薬は世界の中で苦戦しているわけですよね。

大滝 ポテンシャルは十分あると思います。日本の医療機器は、「診断」の機器については世界的に見ても優れています。CTなどの放射線診断やMRIの診断機器においては、世界シェアも高く、先端技術の粋が集まっています。

 そして、センサー技術においても日本は非常に秀でています。この二つの技術、つまり日本の優位な技術を駆使すれば、未病を発見できる機器と治療を一体化して、健康寿命を延ばすようなビジネスモデルを構築できる。そうなれば海外に輸出できる可能性も大いにあると思います。

高橋 さらに、日本には「団塊の世代」という高齢者のボリュームゾーンがあるわけです。あれだけの数の高齢者が毎年1歳ずつ年を取っていく。それを検証できるということは、日本そのものが、ものすごく巨大な実証実験場になれるということを意味します。

 いわゆる「課題先進国」と言われている日本の状況がそのまま優位性となる。課題をチャンスに変えることができるわけです。

 こうして日本という実証フィールドで実績を積んだ高性能のヘルスケアソリューションは、日本市場だけでなく、いずれは中国のマーケットであるとか、インドのマーケットであるとか、これから高齢化するであろうマーケットに対して輸出できるようになるはずです。

小谷 ただし、これからは競争も激しくなります。米国では2017年、FDA(米国食品医薬品局)が健康・医療分野のソフトウエアの承認プロセスを簡易化するプログラムである「Pre-Cert Pilot Program」を立ち上げました。

 これは、医療用ソフトウエアに関して個別製品ごとに審査するのではなく、企業を認定しようというプログラムです。認定した企業が手掛けるソフトウエアであれば、承認プロセスを簡易化しますよ、というわけです。去年、Appleウォッチ4に心電図機能が付いたと話題になりましたが、このソフトウエアは、申請からきわめて速いスピードで承認されました。

 今後は日本でも、承認プロセスのスピードアップのために何らかの施策が求められてくるでしょう。

「健康」を超えて

安達 今、まさに病院外をフィールドに、そこへ異業種が参入して、新しい健康・医療ビジネスが立ち上がろうとしているわけです。

 そんな状況下で我々日経BP総研では、ウェブメディアでの情報発信を中心とした健康・医療ビジネスに関するプラットフォーム「Beyond Health」をスタートさせようとしています。

高橋 健康・医療分野のディスラプティブイノベーション(破壊的創造)は、大きなインパクトをもたらします。産業構造を変え、人々の価値観を変えていくはずです。大手企業ばかりでなく、様々なスタートアップだったり、医師発ベンチャーだったりと、多種多様なプレーヤーが参入し始めている。彼らの知恵を集めれば、もっとイノベーションは加速できるはずなんです。

日経BP総研 戦略企画部長/ソリューション・アーキテクト 高橋 博樹(たかはし ひろき)
日経BP入社後、インターネット草創期のビジネスモデルづくり、ICT、建設など幅広い分野を担当。2015年9月、日経BP総研の発足と同時に戦略企画部長に就任、現職。「Beyond Health」を創案、事業責任者も務める

 ただ、例えば医師の人たちが、自分たちの領域を超えた部分でのITの可能性について深く理解しているかというと、必ずしもそうとばかりは言えません。逆もそうですよね。そこで、ヒトとモノとアイデアが集まってくるハブとなるような、 大きなプラットフォームが必要になってきます。

 そのために我々は、まずこの分野における強力な情報発信拠点をつくる。メディアとして支持され出すと、逆に情報が集まってきます。するとよりクオリティーの高い情報を発信することができるようになり、サステナブルな成長を続けることができるのです。

小谷 これまでの健康・医療ビジネスにおける課題の一つは、「健康であること」という標準解に人を近づけようとするサービスばかりになっていることだと考えます。

 今、ビジネスの世界では多くの企業が「健康経営」に注力しています。ただし、たとえ社員が健康であっても、やりがいや幸福感を感じていなければ、パフォーマンスの最大化にはつながりません。つまり、「健康であること」だけを目的化するのではなく、その上で個人や組織が成し遂げたい多様な価値観までを考慮していく視点が不可欠です。

大滝 これは、ヘルスケアの価値をより大きく解釈していこうという話でもあります。だからこそ、ヘルスケアのコア部分のプレーヤーではない人たちも交えて、一緒に新しい世界を創出していく必要がある。

 そんな意味も込めて、新しくスタートさせるプラットフォームには、「Beyond Health」という名前を付けたのです。

(タイトル部のImage:加藤 康)