技術で、まだ病気に勝てる分野が残っていた!

現行の検診の課題について、最初から把握していたのですか? 事業化の経緯と、そこへ至るまでの思いを聞かせてください。

 もともと、私の専門が航空宇宙学の分野でしたから、はじめからこの分野の問題点を把握していたわけではありません。3人の医師にヒアリングをした中で、思った以上に問題が集積していることを知りました。「こんなに大きな課題が、まだ取り残されていたのか。若い人が亡くなるがんの分野で、貢献できる部分がある」ということがわかって、突き動かされる思いでした。そして、「リングエコーを用いた画像診断装置は開発のしがいがある」と判断し、現在に至っています。

(写真:剣持 悠大、以下同)

 事業化への強い思いには、母を早くに亡くしたことも大きく影響しています。母は私が高校生のとき悪性度の高い脳腫瘍に冒され、手術を受けた甲斐なく医師の余命宣告通りに、46歳で亡くなりました。母が亡くなった後、「医療が病気に勝てなかった」と大きな挫折感を味わい、家族関係にもひびが入って私自身も傷つきました。そのため、その後進路を決める際も医療分野は外し、もともとやりたかった宇宙関係の研究職に就いたのです。

 その私が今、医療分野に身をおいているのは、超音波医療技術の開発に携わっている夫との出会いも関係していますが、リングエコーの可能性について、日本の乳がんの検診・治療をけん引する多くの医師にヒアリングをし、現状の問題がこの技術で大きく解消できると確信できたことが大きく影響しています。

 女性が抗がん剤治療でどれだけ苦しんでいるかとか、マンモによるがんの見落としでその後の人生がどれだけ変化してしまったかといった、生々しい話をたくさん聴いた中で、亡母の治療も大変だったことや、救えなかった敗北感がよみがえり、今こそあの時の思いを払しょくするチャンス、やり返すチャンスなのではと。技術でまだ病気に勝てる分野があるんだと奮い立ちました。その思いが、ずっと私の原動力になっています。

 乳がんは40~50代に多いがんで、母も同じ年代で罹患しました。この世代が闘病することは、家族への影響や社会的損失も少なくありません。マンモより精度が高い検査で、かつ、受けやすいとなれば、早期発見、ひいては死亡率低下に寄与できる可能性がある。リングエコーの開発は、単に新しい画像診断装置を世に出すことではなく、日本の社会課題を解決に導くものだと確信しています。

開発に当たり苦労した点は。

 すべてですね(笑)。まず、水を大量に使う検査機器は他にないので、水量の設定から始まり、検査台も高さや硬さはどのくらいが理想か、とか、撮像から画像表示までの時間は、とか。求めるべき画質のレベルも大勢の医師にヒアリングしましたが、放射線科と乳腺外科など診療科によって重視するポイントが違ったりして、落としどころに苦労しました。既存のものをマイナー改定するのとは違い、ほかにないものをゼロからつくったので、その仕様決めが大変でした。仕様が決まらないと、技術者は動けませんので。

 こうした仕様決めも含め、東京大学はもちろん、日本乳癌検診学会理事長の中島康雄先生(聖マリアンナ医科大学放射線医学 名誉教授)や、日本乳癌学会第四代理事長の中村清吾先生(昭和大学医学部外科学講座 乳腺外科部門教授)など多数の専門医の先生方に協力を得ています。また、ベッド部分の固さの改善などは人間工学の専門家である長澤夏子先生(お茶の水女子大学大学院 人間文化創成科学研究科准教授)と共同開発を進めています。