教育を処方して患者が自ら治る医療を

産業医としてもご活躍ですね。眼科医から産業医に軸足を移されたきっかけは?

 直接のきっかけは、2011年の東日本大震災です。「人生はいつ終わるか分からない」と死が身近になると同時に、絶対的な物は何もないと痛感しました。そして、他人の望む人生でなく、教育を処方して患者が自ら治る医療、すべての人が自分らしく生きられる世界を作りたいという夢に挑戦する人生を生きようと改めて思ったのです。

 私の身内は眼科医が多い家系で、自分も眼科医として修行して専門医資格も取り、母校の東京医科大学病院で働いていました。眼科はとても繊細な手術を必要とするのですが、私は手術が苦手でした。

 また、眼科医療にも限界を感じてきました。眼科医が一番怖いのは患者さんが失明してしまうことで、それは“死亡宣告”にも等しい。しかし、失明で命が奪われるわけでなく、患者さんは失明しても生きていける方法を教えてほしいと考えています。例えば、外科医が手術でがんを取り切れなかった場合、その先に終末期医療や緩和医療があります。ところが眼科では手術のかいなく失明すると、そこから先は福祉の世界に委ねるしかなく、患者さんも切り捨てられたと感じるのです。

 そんなとき、日本医師会認定の産業医研修会に参加し、産業医の仕事に魅了されたのです。病気の診断と治療を行う医者よりも、人を診て社会を元気にする医者になることが自分の目指すゴールであることに気づき、Studio Gift Handsを興し、眼科医としても眼科の緩和ケアのような位置付けで、現在の情報ケア外来を行うようになりました。

現在は産業医としての仕事がメインですか。

 眼科医が3割としたら、7割は産業医として働いています。ICT、住宅、人材派遣、フィットネスなどの企業30社と、産業医や顧問の契約を結んでいます。企業が一番困っているのは、モチベーションが低い社員やメンタル不調に陥っている社員の存在で、そのためにマネジメント層が病んでいる。そこで、教育こそ一番大切だと思い、マネジメントを頑張り過ぎず、もっと気楽に部下の意欲とメンタルのケアができるように努め、そうした趣旨の本も書きました(『マネジメントはがんばらないほどうまくいく』、2018年、クロスメディア・パブリッシング)。また、障害のある従業員の力を引き出すことに、特に力を入れています。

 多様な困難さを持つ社員の満足度を高めるには、仕事に社員を合わせようとするのでなく、私の働き方のように、その社員の個性に合せて仕事を調整することが大切です。

医師の働き方改革のモデルケースにもなりますね。

 かつて医師には、大学で研究者をするか、勤務医、開業医といった選択肢しかありませんでした。私の場合は、会社と言っても自分一人で運営していて、協業するのは全て非常勤のスタッフです。昔はなかった働き方で、医業も研究もでき、さらに一番やりたかった教育もできる。好きを仕事にしながら社会貢献もできている。今に感謝するとともに、私のユニークな生き方を通じて、多くの人が自分の才能に気づき、自分らしく生きるきっかけにしてもらえれば幸いです。

三宅 琢(みやけ・たく)
2005年に東京医科大学医学部卒業。2012年に同大学大学院修了。医学博士、日本眼科学会眼科専門医、日本医師会認定産業医・産業衛生専攻医、労働衛生コンサルタント、メンタルヘルス法務主任者、Studio Gift Hands代表取締役。公益社団法人NEXT VISION理事、東京大学未来ビジョン研究センター客員研究員、同大学先端科学技術研究センター客員研究員なども務める。(写真:寺田 拓真)

(タイトル部のImage:寺田 拓真)