「救急医療の現場は、圧倒的にデジタル化から取り残されています」──。現役の救急医であり、千葉大学医学部発のベンチャー「Smart119」の代表取締役を務める中田孝明氏は、日本の救急医療の実情についてこう話す。その結果生じているのが、アナログ情報のリレーによる「情報伝達の齟齬」や、患者の搬送先が見つからない「たらい回し」などだ。こうした課題をテクノロジーの力で解決すべく立ち上げた同社が手掛けるシステムは、実際に千葉市消防局での活用が始まり、救急医療を大きく変えようとしている。

「たらい回し」と「伝言ゲームで正確に伝わらない」を解決

 千葉大学発のベンチャー「Smart119」が開発中の「脳卒中予測アルゴリズム」の研究論文が、2021年10月にイギリスの科学雑誌「Scientific Reports」に掲載された。患者の容体から脳卒中の可能性や病状を導き出す脳卒中予測アルゴリズムは、同社の救急出動支援システム「Smart119」を導入している千葉市消防局の救急車に本年度中に実装される見込みだという。

 Smart119を代表取締役として率いているのは、千葉大学医学部附属病院の救命救急センターで救急医療に携わる現役医師、中田孝明氏だ。

 「医療技術はめざましい進歩を遂げていますが、救急医療の現場は驚くほど時代遅れです。搬送の過程で、伝言ゲームのように話が食い違い正しい情報が伝わらない、患者さんのたらい回しが起きる。そういった問題点の背景には、時代に取り残されたアナログのシステムを『これこそが正しい』と押し通してきた柔軟性のなさがあります。私は、医者だけで医療を変えられるとは思っていません。日本には優秀なエンジニアが多数います。テクノロジーと医療を結びつけることによって現場の問題を解決できるのではないかと、2018年にICTの専門家たちと手を組んでSmart119を立ち上げ、研究・開発を行ってきました」と語る。

 デジタル化の遅れはどの程度で、救急医療現場ではどのような問題が起こっているのか。

 「世の中でIT化が進む前のシステム、例えば紙に書かれて貼り出された連絡網やファクスのやりとりがいまだに通常モードだったりします。ところが現実世界では、私の子どもと親、つまり小学校低学年の孫とその祖父はLINEでやりとりをするのが当たり前です。比べると、救急医療は世間から何周も遅れています。時間的ロスが命取りになる現場だからこそ、根本的な仕組みを変えていく必要があると強く感じました」(中田氏、以下コメントは全て同)

 中田氏らが提案した「救急の現場にて傷病者が早く正しい医療を受療できる技術開発プロジェクト」(2016年)、「救急医療予測アルゴリズム研究開発」(2019年)は、いずれも日本医療研究開発機構(AMED)の研究開発課題として採択されている。

「アナログ・リレー方式」から「リアルタイム共有方式」へ

 中田氏がSmart119の活動で最初に手がけたのが、Smart119という救急出動支援システムの設計・開発だ(図1)。

 これまでの救急出動の流れは「アナログ・リレー方式」(図1の左側)だった。まず、住民が消防指令センターに119通報をし、救急車が手配され、救急車が患者を受け入れて医療機関に運ぶという方式だ。

 「消防指令センターは救急隊に患者の一報をつなぎ、救急隊はメモなどをとり、患者を搬送しつつ医療機関に電話で情報を伝えます。つまり医師に情報が伝わるのは最後の最後、救急車が到着する直前の30秒から1分ほどの電話によるものです。しかも、こうした情報伝達は “伝言ゲーム”になりがちで、正確には伝わりづらい。必要なのは1つの正しい情報です。図の右側のように、それを真ん中に集め共有することで、より早く正確に情報のリレーが行われることを目指しました」

図1●救急出動支援システム「Smart119」のイメージ図
図1●救急出動支援システム「Smart119」のイメージ図
「Smart119」は、救命のために必要な情報を、住民、消防指令センター、救急隊、医療機関が同時共有。時間的ロスを防いで医療準備を進められるのもメリットの1つ(画像出所:Smart119)
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 住民、消防指令センター、救急隊、医療機関の真ん中に1つの情報を置く「リアルタイム共有方式」で期待、得られるメリットは以下のようなもの。

●住民(患者)のメリット
救急搬入困難者(いわゆるたらい回し)がなくなり、適切な医療に早くアクセスできる。 搬送時間が短縮され、重症化の防止、救命率が向上。

●消防指令センターのメリット
通報時の音声を自動的にテキストデータに変換できる。救急隊のタブレット端末に転送され、正確な情報伝達と業務負担の軽減が可能に。

●救急隊のメリット
複数の病院に一括で受け入れ打診ができる。受け入れの可否が素早く判明し、たらい回しを予防、受け入れ要請の時間と手間を省ける。緊急実務実施報告書の自動作成もされ、報告書作成時間を省ける。

●受け入れ医療機関のメリット
指令センターと救急隊からリアルタイムで送信される患者容体から、受け入れ判断がしやすくなる。移送中のバイタルサインなど数値情報をリアルタイムで確認でき、受け入れ準備をスムーズに整えられる。

 Smart119は、Android端末を使い、タッチパネルやキーボード操作だけでなく、音声認識による自動入力が可能なことも特徴の1つだ。消防指令センターに寄せられた通報の復唱音声を自動的にテキストデータに変換し、救急隊のタブレットに転送。救急隊は現場状況を手で入力、あるいは音声入力も可能。「言葉を正しく文字化できる確率は91.6%で、精度は担保されています」。

 こうした効率的なシステムを使うことにより、一刻の猶予もない現場で、「より早く、正しく」が実現されるというわけだ。Smart119は、2020年7月から千葉市消防局で採用され、ちば消防共同指令センター、同局の救急車25台に搭載されて運用されている。

救急隊がタブレットから入力した情報は、すぐに現場の医師に届けられ、専門医の招集など受け入れ準備をすぐに始めることができる。「私はいつもスマホで通知を受け取っています」と中田氏(写真:福知 彰子、以下同)
救急隊がタブレットから入力した情報は、すぐに現場の医師に届けられ、専門医の招集など受け入れ準備をすぐに始めることができる。「私はいつもスマホで通知を受け取っています」と中田氏(写真:福知 彰子、以下同)
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脳卒中の可能性をAI解析、急性期治療のスタートを早められる

 情報のリアルタイム共有に加え、「より早く、正しく」治療が行われるために、中田氏がもう1つ「欠かせないもの」として取り組んでいるのが「予測診断」システムの開発だ。まずターゲットにしたのが「脳卒中」。三大疾病であるがん、急性心筋梗塞、脳卒中は救急搬入数に占める割合が多い病気だ。

 「なかでも脳卒中は突発的に発病しやすく、何種類かの病状に分類されます。救命はもちろん、片麻痺などの後遺症を抑えるためにも、迅速かつ最適な急性期治療が求められます。しかし、現実は救急隊でも隊員によって適切に判断できる方と、そうではない方の差は見られます。また『脳卒中が疑われます』と電話で言われても、それがどのぐらいの精度かは実際に診るまで分かりません。病状の特定は、最終的に病院到着後に行う、というのが通常でした」

 そこで、中田氏はAI予測診断のための開発に着手。2018年より、千葉市内の医療機関や千葉市消防局の協力を得て、救急搬送時に脳卒中の可能性あり、と判断された救急患者約1500人のデータを収集。うち、1200人分のデータをベースに、搬入時の状態・条件(容体、疾患履歴、気象状況など)から脳卒中の可能性や症状を判断する予測アルゴリズムを開発。研究によって精度(AUC値)を上げ、高精度とされる閾(しきい)値0.8を上回る0.980となる水準に達し、その結果を国際科学誌「Scientific Reports」に発表、大きな反響が寄せられているというのは冒頭で触れた通りだ。[1]

 「脳卒中AI予測アルゴリズム」の仕組みを、少し詳しく見ていこう(図2、3)。①患者に脳卒中の可能性があると判断した場合、救急隊は「脳卒中診断ボタン」をタップし、診断専用ページから、選択肢に従い容体(血圧、頭痛、けいれん、麻痺の有無など)を入力する。②AI予測診断により導かれた病状に対応できる専門医、設備がある医療機関が自動選択され、受け入れ要請が実施される。③受け入れ医療機関は、これらの情報をもとに、専門医を招集したり、救急車が到着するまでに緊急手術などの準備をしたりすることができる。

 「救急隊が脳卒中を疑ったときに、その場で所見を取りに行ってくれるメリットは大きいです。同じ脳卒中でも、出血する、詰まるなど、脳に何が起こっているかを判別するのは難しいのですが、そこを高精度のAIが解析してくれます。本年度中に試作機づくりを完了し、千葉市の救急車で実装している『Smart119』に追加機能として搭載する予定です」

 脳卒中の診断については、映像や音声を利用したAI予測など、さらなる開発も進められている。脳卒中の診断をするとき、医師は目の動きを見たり、顔のゆがみから顔面麻痺をチェックしたりする。「そこで、救急車内に取り付けたカメラやマイクで自動的に読み取った情報を医療機関と共有する、ということができないか、研究しています」。AI予測の開発は、心筋梗塞についても進められているという。

図2●脳卒中予測アルゴリズム(モデル概略図)
図2●脳卒中予測アルゴリズム(モデル概略図)
救急隊の判断の精度を高め、医療機関での急性期治療の迅速化につなげる「脳卒中予測アルゴリズム」。脳卒中の可能性、さらに「くも膜下出血」「脳梗塞」「脳出血」「主幹動脈閉塞」のうちどれである可能性が高いかをAIが予測、医師は予測を元に治療の準備態勢を整える
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図3●AI予測診断機能画面(デモ画面)
図3●AI予測診断機能画面(デモ画面)
救急隊と医師が情報を共有する、AI予測診断機能の画面。「脳卒中診断」のボタンを画面に配置。救急隊がこのボタンをタップし、患者の容体や年齢、性別、当日の天気などを入力すると、脳梗塞や脳出血といった病状を自動判定、専門医や設備が整った医療機関が自動選択され患者の受け入れ要請を出してくれる、というシステムだ
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患者自身が「自分を守る」仕組み、個人アプリも開発中

 中田氏が手掛けているのは、実は医療の受け入れ側のシステム開発だけではない。患者側の準備として個人向けアプリも開発中だ。

 「救急外来で患者さんを診療するとき、当たり前のようなこととして、“治療が終わる頃にお薬手帳が出てくる”という現象があるのです。最後になって、この薬を飲んでいたとか、ご家族と連絡が取れ、実は3日前まで隣の病院に入院していた、ということが判明する。現場ではそんなものだ、と思っています。しかし、このような無駄はなくしたいし、患者さんがいざというときに自分の情報を正確に提示できない、自分を守る仕組みがないことは大問題だと思っています」

 最低限、診察券があれば受診している医療機関が分かる。また、明細書をスマホで撮影しておけば、飲んでいる薬も分かる。

 個人用アプリの仕様は、概ね以下のようになっている。本人が診察券や保険証、処方箋などをスマホで写真撮影すると、アプリは文字認識機能によってデータを蓄積する。離れて暮らす家族ともグループをつくれば情報を共有できる。アプリは日常の「お薬手帳」として機能するほか、いざ「救急車を呼んでもいいのか」と困る事態が起こったとき、チャット形式でAIとコミュニケーションすれば、アプリが個人の既往症や薬歴からAI救急診断支援へとつなげるところまで想定し、開発をしている。

 「この開発の話をしているとき、ある方が『都内の自治体では、冷蔵庫に飲んでいる薬と病名を書いて貼っておくことを呼びかけていますよ』とおっしゃっていました。しかし、それは、自宅で倒れた方以外は助けられない、ということを意味しています」

 常に持ち歩くスマホにこれらの情報を搭載しておけば、そのアプリが自分の命を守り、適切な医療に結びつけてくれることを期待できる。いざ救急車に乗るとなったとき、本人はもちろん家族も、冷静かつ正確に情報を伝えられるという人は少ないだろう。スマホ1台で情報を管理し、医療機関につなげてくれることは大きな安心につながる。

 「情報を手間なく皆で活用する、そのルートの1つでも欠けると、本来あるはずのセーフティネットが機能しなくなります。AIというテクノロジーをどうやってうまく使いこなすかをテーマに、今後も現場の声を拾いながら、医療を変えていきたいと思います」

 救急車を呼ぶのは、家族や身近な人といるときだけとは限らない。いざというときにAIがチャット形式で対応し、救急車も自動で呼んでくれる未来も、すぐそこにやってきている。

中田孝明氏<br>千葉大学救急集中治療医学教授、Smart119代表取締役
中田孝明氏
千葉大学救急集中治療医学教授、Smart119代表取締役
なかだ・たかあき。1999年、千葉大学医学部卒業。同大学救急集中治療医学講座に所属。ブリティッシュコロンビア大学医学部ポスドクなどを経て2019年より現職。2016年に研究課題がAMED研究開発事業に採択され、2018年に千葉大学発ベンチャー「Smart119」を設立する。災害やテロなど緊急事態発生時の職員集合要請システム「respon:sum」は、千葉大学医学部附属病院、地方独立行政法人りんくう総合医療センター、島根大学医学部附属病院、大阪急性期・総合医療センターで導入
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[参考文献]

[1]Sci Rep. 2021 Oct 15;11(1):20519.

(タイトル部のImage:福知 彰子)