呉服屋「伊勢由」常務取締役の千谷美恵さん(写真:稲垣 純也、以下同)

 男女雇用均等法施行から20年、企業の女性活用の本気度がリアルに感じられる今日この頃だが、最近気になる女性たちがいる。それは女性の“跡取りさん”。今まで家業といえば、だいたいは長男もしくは娘婿が継ぐという流れだった。しかし最近ちらほらと、家業を継ぐ女性が登場しているのだ。

 友達の家業などを見ていると「あの家は、お兄ちゃんよりも妹が継いだ方がよかったんじゃないの? だいたい妹の方が優秀だし…」と思うことがたびたびあったので、この流れにはとても興味をそそられる。

 娘たちは、家業をどう支えていくのか? 嫁に行かせるもの、外に出すもの、または婿を取らせるものと思っていた娘たちが、事業に参加したいと表明した時の、父親の心境は? 女性が家業を継ぐことの、メリットとデメリットは何か? 斜陽産業を再生するのは、“跡取り娘”パワーなのか? 家業の経営者として活躍中の女性たちのインタビューを通じて様々なビジネスへのアプローチが、そして均等法以降の女性たちの働き方が見えてくる。

銀座の呉服屋「伊勢由」4代目は3人姉妹の三女

 銀座は金春通りに店を構える老舗の呉服屋、「伊勢由」。季節の反物やかわいらしい染の小物などが並ぶ店を訪ねると、奥から控えめな、それでいて粋な和服姿の若女将が現れた。彼女が創業138年の伊勢由4代目となる、千谷美恵さんだ。母親の光世さんは、既に銀座生活60年。銀座を代表する女将として、女性誌の特集などにもしばしば登場する、「銀座の顔」といった存在。店では必ず和服という娘の千谷さんも、しっとりと板についた若女将ぶりだ。

 千谷さんが家業を継ぐことを決め、着物を着始めた頃は、帯の下などに汗をかくことが多く、あせもができて皮膚科に通ったこともあるとか。しかし「8年間毎日着物を着ていると汗腺が変化するせいか、最近はほとんど汗をかかなくなりました」と言う。

 若女将の千谷さんは、実は伊勢由にお嫁に来たのではなく、この家の3人姉妹の三女。しかも前職は、シティバンク銀座支店長まで務めたというキャリアウーマンだ。以前、女性誌の取材で母親の光世さんにインタビューした時、傍らで微笑む千谷さんにとても興味をそそられた。1965年生まれでバリバリの「均等法世代」、しかもアメリカ留学経験のある千谷さんが、なぜ外資系企業でのキャリアを捨て、銀座の老舗の跡取りの道を選んだのだろうか?

 「最初は、家業に関心はなかったんです」と千谷さんは言う。「立教大学在学中に交換留学でアメリカに留学し、帰国して24歳の時にシティバンクに就職しました。シティバンクを選んだのは、ちゃんと働けるところに行きたかったから。当時は女性の総合職といえば、外資系企業くらいしかなかったからです」

 彼女が24歳の時といえば、バブルの最中。均等法施行元年の女性総合職はまだ少なく、希少価値があった。「女性総合職を採用しました」という企業のPRにはなったが、実際には採用した総合職女性たちを企業がまだ使いこなせていない状態で、特に日本企業の女性活用はお寒い状況だった。

 しかし、バブルの日本に進出してきていた外資系金融に、多くの女性たちがなだれ込んだ時期でもある。シティバンクは一番上り調子の拠点を拡大していた。千谷さんの同期は90名で半数は女性だった。

呉服屋「伊勢由」4代目 千谷美恵さん

 「当時の仕事は、“何でも屋さん”でした。支店が次々にオープンしたので、新しいオフィスの準備をしたり、引っ越しの手伝いをしたり…。誰も指示をしてくれる人はいないので、自分で仕事を見つけて何かしら働いていた。最短では、3日で次のオフィスに移動ということもありましたね。仕事がなくなると、ダンボール箱に荷物を詰めて次のオフィスに行くんです」

 「指示待ち」の姿勢では、やっていけない外資系。様々な仕事を経験しているうちに、千谷さんの中でやりたい仕事が見えてくる。それは「自分は接客が好き」という気持ちだった。入社3年目に、店頭の第一線であるカスタマーサービスの仕事に就くことになる。

 日本の銀行は窓口とオペレーションが分かれているが、当時のシティバンクは担当の顧客に関する事務手続きすべてを、接客したカスタマーサービスが担当していた。しかしこれでは効率が悪い。

シティバンクの銀座進出で、実家のそばで働くことに

 そこで千谷さんは、新宿支店に勤務していた時代、オペレーション専門の部署の立ち上げを提案したこともあった。こうして積極的に仕事にたずさわり、やがて96年、銀座支店の立ち上げに加わることになる。シティバンク銀座支店のすぐ裏は、実家の伊勢由だ。

 しかし銀座支店の立ち上げ当時は忙しく、実家に立ち寄る時間はほとんどなかったという。「当時は私も姉たちも、家業を継ぐことは全く考えていませんでした。銀座のお店は女が継ぐことはないし、養子を取るという話もなかったので…。だから当時も、会社の昼休みにちょっと実家の店に寄る、という程度。ただ、店に立ち寄るとちょっとした気分の“リセット”になる。きれいな反物や小物を見て、癒されるというのはありました」

 銀座支店の立ち上げと同時に千谷さんは、31歳で最年少の支店長に就任する。銀座支店では成績も上げ、サクセスしたキャリアウーマンとして羨まれるような地位に若くして就いた千谷さん。しかしその1年後、銀行を辞めて家業を継ぐという大英断をすることになる。そのきっかけになったのは、いつの時代も女性の究極の憧れである「銀座」という街の持つ魅力だった。

 「一番強く感じたのは、銀座のお客様は違うなあ、ということでした」と千谷さんは言う。それまでの支店では、お客との会話は単に預金に関する話題だけだった。しかし「銀座支店に来るお客様には日本舞踊の先生がいたり、80歳でハワイに移住する方がいたり、食に詳しい方がいたり…。お金だけでなく、趣味や生き方に関する話題がとても豊富なんです。人生のラストを優雅に送る人たちが多く、いいなぁとしみじみ思ったんです」

 しかしシティバンクにいる限り、異動は免れない。銀座支店も長くて1年半くらいだろう。「銀座に残りたい」、そう思った時に「ああ、家は銀座で商売をしているんだ!」と初めて意識した。銀座支店長を1年で退職し、伊勢由へ。スーツを脱ぎ、毎日和服で過ごす世界へと大転換したのだ。

 「銀行時代と今とで何が違うといえば、時間の流れです。銀行での1日は、5分刻みでしたから」と千谷さんは言う。そしてもう1つの違いは、男女の数。「銀座の商店も着物業界も、男ばかりの世界です。シティバンクの頃は、周囲に女性が多かったので、最初は驚きました」

 銀座には、老舗の集まった商店会の組織が無数にある。百店会や○○通り商店会など。しかし、こういう会の会合で300人ぐらいが集まっても、女性はたった2人ということも珍しくない。呉服業界も、顧客は華やかな女性だが、生産者や問屋などは、男だけの世界だ。女将が目立って見えるのは素人の目からだけ。やはり銀座は、「旦那衆の街」なのだ。

銀行と呉服屋では、ビジネススタイルが違う

 家業について千谷さんの父親は、どう考えていたのか。「父は養子を取ったりして、無理をして店を存続させることまでは考えていませんでした。また、銀座の店を女が継ぐという概念もなかったんですね」。しかし、千谷さんが家業を継ぐと決めた時、父親は大歓迎してくれたという。

 男ばかりの老舗の世界に入った千谷さん。外資系銀行キャリアでの接客のプロという視点は、新しい世界でも生かせるのだろうか?

 「同じ接客でも、銀行と呉服屋ではやり方が違うんです。シティバンクでは、マニュアルに従って接客をすればいいのですが、伊勢由では一人ひとりのお客様に対する個別対応なんです。銀行なら、踏まなければならない一定の手続きがありますが、呉服の接客にはそれがないんです」と千谷さんは言う。

 「お客様のご要望を聞くだけでなく、『この前お求めになったあの着物にはこの帯が合いますよ』とお薦めするには、お客様のワードローブも知っていなくてはいけない。お客様には、今度結婚なさるお嬢様がいらっしゃるとか、来年はお孫さんが七五三のお祝いとか、ご家族の状況も把握する必要があります」

 こうした顧客の状況をつぶさに把握しているのが、呉服屋のお客様担当というわけだ。「担当者がいないと、お客様のことが分からないんです。そこで私がやったことは、まずカスタマーファイルを作りました」と千谷さん。「でも、大事なのは人と人のつながりですから、これは壊さないように気を配ります。あまりシステマチックにしすぎても温かみがなくなってしまい、この仕事には合わないんです」

 システム化とリアルなコミュニケーションの、微妙なさじ加減ということだ。老舗の呉服屋は、お客との関係はそれこそ、2代3代にもわたる。産着に始まって、一生のおつき合いということもある。着物は洋服と違い、仕立て直しをして、母から娘へと受け継ぐこともできる。

 娘の嫁入り支度を全部任せてくれる母親も多い。こういう場合は、店が必要なものを好みに合わせて一式あつらえる。家の中の箪笥にしまうところまでつき合う。「この前作ったあの帯はどこにしまったかしら?」と電話でいつ訊ねられても、「奥様、それは箪笥の3段目の引き出しです」と即答できるのが、銀座の呉服屋の顧客文化だ。

 「私も店頭にいるだけでなく、新作の時期などお客様の家に出向きます。御用聞きですね。同じ商売でも、銀行とはビジネスの質が違います」。銀行に来る人は、必要に迫られた人たち。しかし銀座の呉服屋に立ち寄る人は「必要のないものを買いに来るお客様」なのだ。

 「着物って、幸せじゃないと買えないんですよね。精神的にも経済的にも生活に余裕がないと、なかなか着物を買う気にはならないでしょう。でも今は買わなくても、いずれ買ってくださるかもしれない。中には、話だけをしに来るお客様もいらっしゃいます。だからフラリといらっしゃる方も大切にしています」と千谷さんは言う。

 後編では、職人とのつき合い方についてお聞きする。


千谷美恵(ちたに・みえ)
1965年、東京生まれ。1990年立教大学卒業。交換留学生として、ミシガン州立ウエスタンミシガン大学を卒業。1989年、24歳で米国シティバンクに入行。96年、31歳の時に最年少で銀座支店長に抜てき。98年に退職し、銀座金春通りの呉服・和装小物の老舗「伊勢由」の若女将に。現在は常務取締役。

日経ビジネス電子版から転載。
日経BP総研 HR人材開発センター長 大塚葉が担当した記事を再掲。