どれほど専門的な技術や研究開発であっても意識すれば親や子供と話す日常の言葉で説明できる。その努力をせず専門語を安易に使うのは危険だ。様々な人が集まって仕事をする際、対話が成り立たなくなる。ある言葉について全員が同じ理解をしているとは限らない。専門技術は慎重に取り扱う。言葉も同様である。

 ある製造業で業務改革のプロジェクトが始まったがリーダーと担当者の意見が合わないで困っている、という話を聞いた。現場の意見を聞いて回った担当者は生産関連の基幹情報システムを手直しする必要があると進言。だがリーダーはある部門で効果を上げたRPA(ロボティックプロセスオートメーション)ツールを全社に広げたいと言って譲らない。

 両者の議論は「基幹システム」か「RPA」かの二者択一になり堂々巡りを続けている。本来なら、現場の業務改革としてこういうことをしたい、そのために情報システムはこうしてはどうか、という流れになるはずだが話し合う前に対立関係が生じてしまった。

 そもそも「基幹システム」「RPA」と聞いて思い浮かべることがリーダーと担当者で一致していない。担当者はやりたいことを「基幹システムに手を付けないといけません」と表現し、それを聞いたリーダーは「大規模な基幹システムを作り直すなど不可能」と受け止め、拒絶する。

言葉の徹底的な吟味が必要

 評論家・劇作家の福田恆存氏は昭和43年に発表した『知識人とは何か』という一文の冒頭に次のように書いた。

 「今日、最も大切な事は、自分達が使つてゐる言葉の徹底的な吟味であります。殊にその言葉が解り切つたものとして平生何心無く使はれてゐる場合、それを自分がどういふ意味で使つてゐるかを改めて意識してみる必要がありませう。何故なら明治以来、私達が使つて来た言葉の大部分は翻訳語であり、本国の西洋において持つてゐた原意からは勿論、それに充當した漢語の原意からも遠く隔つてしまつてをり、誤解に基いた全く薄手な意味しか持つてゐないからです」

 「全く薄手な意味しか持つてゐない」基幹システムやRPAという言葉を「解り切つたもの」として使い「徹底的な吟味」をしないから無用な対立が起き、仕事を進められなくなる。昨今はDX(デジタルトランスフォーメーション)、マネジメント、イノベーション、アジャイル、パーパスといったように西洋の言葉が翻訳抜きで使われており「自分がどういふ意味で使つてゐるかを改めて意識してみる必要」がますますある。

 福田氏は昭和44年に発表した『教育の普及は浮薄の普及なり』という論文で、言葉との付き合い方について次のように書いた。

 「言葉はすべて流行語なのであつて、その羂(わな)に陥ると、人は身動き出来なくなる。言葉が障壁になつて、直かに現実に触れられなくなるからだ。現実に触れる為には、一度言葉を捨て、素手を以て事に當るほかは無い。その邪魔になるといふ點では、學術用語も流行語と同じである。學者は勿論、學生の先づ心懸けねばならぬ事は、高等下等の別を問はず、流行語を排して、出来るだけ自分が家庭で使つて来た日常語を以て物を考え喋る事である」

 技術の仕事をしている人が使う専門用語も学術用語と同じである。例えばアジャイルアプローチで仕事をする、と決めるとそれにとらわれ「現実に触れられなくなる」事態になりかねない。

 それを避けるには専門用語をいったん「排して、出来るだけ自分が家庭で使つて来た日常語を以て物を考え喋る」。自分が取り組んでいる仕事を親や子供に説明するにはどうしたらよいか考えてみる。自分の仕事の本質、意義、工夫、課題などの吟味につながり様々な気付きがあるはずだ。

 流行語や専門用語ではない日常語であっても油断はできない。例えば同じ企業であるにもかかわらず部門によって「お客様」「売り上げ」の定義が異なることがある。複数の部門で何かに取り組む際、それぞれが異なる「お客様」を思い浮かべていたため意思疎通が図れていなかったことが後になって分かったりする。ましてや他社、しかも異業種と組んで何かに取り組もうとしたら「解り切つたものとして」使われている言葉の意味を当初に確認すべきである。

未来を語る語彙を増やそう

 技術者は自分が担当する技術を慎重に取り扱う。それと同じくらい言葉を大切に使うことが求められる。技術を慎重に扱うのは、多くの先達がその技術を生み出し、改良し、使い込んできたことについて、たとえ意識していなくても敬意を払っているからだろう。1人の技術者より、技術の世界はずっと広く大きい。言葉もまったく同じである。

 「現実に触れる為には、一度言葉を捨て、素手を以て事に當るほかは無い」が、複数人が集まって仕事をするには言葉による対話しかない。言葉を駆使する前提は語彙(ごい)の充実である。斬新なアイデアが出たとしても言葉で表現できるのであれば、それは先達が考え、書いたことの応用や組み合わせになる。

 日経BP 総合研究所 未来ラボが発行しているレポート群は未来に向けた語彙集である。専門用語もあれば普通の言葉が新たな使い方をされていたりする。語彙を増やし、日常語で考え、いったん忘れて現実にぶつかり、対話を重ね、再度考える。この繰り返しから未来が観えてくる。

谷島 宣之(やじま・のぶゆき)
日経BP 総合研究所 未来ラボ 上席研究員
1985年から通算20年以上、日経コンピュータ誌の記者や編集委員を務め、情報システム構築プロジェクトの成功・失敗事例を取材。日経ビジネス、日経ビズテックの編集委員を経て、2009年日経コンピュータ編集長。2011年から日経BP総研を兼務し、マネジメントとテクノロジーに関する書籍やウェブサイトの企画、編集に携わる。著書に『システム障害はなぜ起きたか』、『ソフトを他人に作らせる日本、自分で作る米国』、『社長が知りたいIT50の本当』(いずれも日経BP)がある。

<関連レポート>
未来調査2026 全産業編

『未来調査2026 全産業編』は、日経BP 総合研究所が2020年春から継続している大規模調査プロジェクト「5年後の未来に関する調査」の結果を基に、今後5年間で起こりうる社会動向や各分野でのトピックスを交えて、様々な業界における事業戦略の立案や新規事業・商品企画の推進で必要となる未来のエビデンス(客観的な裏付け)を集めた未来調査の決定版レポートです。
著者:日経BP 総合研究所 未来ビジネス調査チーム
A4判、316ページ、2021年11月12日発行

詳細はこちら▶