ホッピービバレッジ副社長の石渡美奈さん(写真:久保田 史嗣)

前編に引き続き、ホッピービバレッジ副社長の石渡美奈さんにお話を伺う。2003年、入社6年目にホッピービバレッジ3代目として経営にたずさわることになった石渡さんの経営戦略とは、どのようなものだったのか。

 既にネットを使って、ホッピーの認知度を上げることには成功。ホッピーのネットショップ、取扱店の紹介、おいしい飲み方や新しい飲み方の提案など、ウェブサイトの情報はどんどん充実し、新たなファン層獲得の確かな要因となっていく。

 また広告宣伝費を潤沢にかけられないため、物流会社と提携して、車体全面にカラフルでポップなホッピーのイラストを描いたトラック、「ホピトラ」を街に走らせた。

 ホッピーの認知度を上げ、新たな顧客層を開拓するために石渡さんが奮闘していた頃、こんな追い風も吹いた。

 1つは「レトロ」ブームの訪れだ。2003年頃から、昭和30年代を模したミニテーマパークやイベントスペースが次々に誕生した。来場者たちは、昭和30年代をリアルに懐かしむ層ではなく、自分たちの知らない昭和を新鮮に感じる20~30代である。このブームに乗って、ホッピーは「忘れられたブランド」から、新たなファン層に「レトロな雰囲気の飲み物」「ダサいけど、ちょっとかわいい飲み物」と認識されるようになる。

 そしてもう1つは、健康志向。ホッピーはもともと「低カロリー、低糖質、プリン体ゼロ」の飲料である。以前はこのことをあえて宣伝していなかった。しかし、「ホッピーが健康にいい飲み物だということを、実はお客様に教えてもらったのです」と石渡さんは言う。

 ビールはプリン体が多いことで知られており、中ジョッキ1杯分で、シュガースティック5本分もの糖質が含まれている。生活習慣病を気にしたり、ダイエットをしたりしている顧客層が増え、ビール業界も「低プリン体」「低カロリー」をうたった新商品を開発するほど、アルコール類にも健康志向のニーズは高まっている。そんな中でホッピーの資質をアピールすることは、大きな強みとなった。

 焼酎割りが主力だった飲み方も、変化してきた。リキュールなど、焼酎以外のアルコールで割る飲み方も提案し、カクテルを主流に持ってきたことで若い層の顧客が増えた。「お客様の変化はとても早いです。外食産業は5年で環境が変わりますから。答えは常に現場にしかないんです」

 こうしてブームの追い風も受け業績は回復しつつあったが、石渡さんの前には大きな壁が立ちはだかっていた。「ホッピーのブランドは“復活”しつつありましたが、社内の問題は全く手つかずでした。社内は閉鎖的な空気で、派閥の対立もあり、新しいことをやろうとすると古参幹部の反発に遭う。長年蓄積された問題が山積みだったのです」と石渡さんは当時を振り返る。

 「父から全権を託された私は、まず社内の環境を整備することに手をつけました。父はそんな私を、何も言わずに見守ってくれました」

 石渡さんの施策を面白くないと思う社員は辞めていく。結局、管理、営業担当者がほとんど入れ替わるほど大幅な人事刷新となり、石渡さんの改革に賛同してくれる若い社員を中途採用で募ることになった。

 改革が始まったばかりの2003~04年当時の自分を振り返って石渡さんは、「社内外から、クレームの嵐でした。私自身、毎日ピリピリしていて、怖くて近寄れない感じだったと思います。こんな私に、社員はよくついてきてくれたと思いますよ」

 断行した人事刷新のおかげで社員の年齢も大幅に若返りった。若い経営者の下、全く新しい組織が誕生しつつある。今年度は、創業以来初めて新卒社員を7人採用した。日清製粉のOL時代に人事部にいたとはいえ、自分で採用を担当するのは初めてのこと。「体当たりの採用チーム」だったが、ウェブサイトなどを見た応募者が、300人以上集まった。

 「会社に欲しいのはスペシャリストではなくて、ジェネラリストです。素直で明るくて失敗を恐れず、一緒にゼロから新しいものを築いていける人。変化することを恐れる人はいりません」と石渡さんは言い切る。

 「経営者は方針を決定し、それを社員にしっかり伝える。社員はそれを聞いたら、まず実行する。しかし経営者は神様ではないから、失敗もあります。だから、やったうえでうまくいかなかったら『ここは、もっとこうしたらどうか』という提案は喜んで聞きます。でも、やってみる前から『ダメではないか』というのは、いけません。まず、『やってみよう』という姿勢を持つ人がいいですね」

 常に変わり続け、成長し続け、それを柔軟に受け入れられる組織でいたい。…そんな強い気持ちが、新卒採用の基準に表れている。それは「変わろうとしない保守的な組織」で七転八倒している石渡さんが、最も痛感していることなのだろう。

ネガティブリーダーはいらない

 「結局、内部環境の整備が業績回復の一番の要因だったんです。大鉈を振るったせいで、今はようやく会社が一つになりつつあると実感しています。社員が楽しく働ける環境があってこそ、お客様に楽しさが伝えられる。ネガティブリーダーは、自然に会社からいなくなりました」

 今の組織は、少数精鋭でジェネラリストを育てる教育をしている。「人に仕事をつける」のではなく「仕事に人をつける」ようにしている、と石渡さんは言う。「同じ仕事を1人で長年やってしまうと、経験にしばられて変わることができなくなってしまう。うちでは、経理をやっていた人間が営業に回ることもありますし、逆もあります。人数が限られているので、1人何役もの仕事をする。一般社員は1人2役、幹部は1人3役。私を筆頭に、勝つためには人の3倍仕事をすることを目指しています」

 「慣れてきたところで仕事を替えられる社員は、正直言って楽じゃないと思います。私の下で働くのはきついよ、といつも言っています。でも、変わることをやめたり、『まあ、このへんでいいや』と私が成長をすることをやめたら、会社の成長も止まってしまう。成長のない会社では、社員たちの幸せな人生を実現することはできない。私自身は決して満足しない」

 常に変化する石渡さんと、今は一緒に走ってくれる社員がたくさんいる。社員の名刺には、みな自分のキャラクターを表すキャッチコピーが入っているのが印象的だ。例えば石渡さんの名刺には「空飛ぶ看板娘」、管理部門兼HP未来開発室兼広報担当の前田綾一さんは「HAPPY水先案内人」になっている。名刺を見るだけで、会社の「元気」が伝わってくるようだ。外部の人からよく、「社員はみな、石渡さんと同じように熱っぽくホッピーを語る」と言われる。みなが「ホッピーの伝道師」の役割を、きちんと自覚しているのだ。

 石渡さんの経営改革で上り調子のホッピービバレッジは、投資家から声がかかることも増えた。この波に乗り、もっと大きく飛躍する気持ちはないのか?「そういうふうに言ってくださる方もたくさんいます。でも、身の丈を知ることは本当に大切です。会社の成長を止めることではなく、体力に合わせた確実な成長がいいんです。しょせん、私の器に合わせてしか成長できない。だから私には、勉強と現場の経験が大切なのです」

 石渡さんがこう語るのには、苦い経験があるからだ。東京では「赤ちょうちん=ホッピー」というイメージがあまりに強かった。そこで5年前、新しい飲み方を提案するために、地方に打って出ようとしたことがある。既成概念がない場所なら、カクテルホッピーなどの新しい飲み方も受け入れられるのではないか。

 現に当時名古屋ではカクテルが主流で、それが逆に東京に流入していた。そこで、地方でホッピーのイベントを行った。「最初は、確かに話題になりました。でもうちは営業担当が5~6人ですから、地方にちょくちょくは行けない。足しげく通えないところには、結局は根づかない。最初花が咲くけれど、実にはならなかったのです。実にならないことは、身につかない(笑)。こういった結果を見て、『身の丈』を知ったのです」と石渡さんは言う。

 今はたまたまホッピーが注目されているが、それに浮かれることに、石渡さんは警鐘を鳴らす。「商品を育てるという文化が希薄な現在の日本のマーケットでドーンと打って出ても、ブームが終わった時に急に廃れるのが怖い。一時的に市場が拡大しても、火が消えてしまうと、売っても売っても売れない商品になってしまうことは間違いありません。うちはホッピー単体がメインの会社ですから、屋台骨が揺らぐことになってしまいます。一時の流行に左右されることなく飲み継がれていくように、オンリーワンの商品として多くのお客様に愛され、育てていただいたホッピーを一つの文化として継承させることが、私の使命だと思っているのです」

 今の時代、話題になった企業にはいくらでも投資や買収の声がかかる。大手企業にブランドを切り売りして億万長者に…という老舗も少なくはない。その中で、自社ブランドを大切に守っていこうという強い信念…。外部からどんなに優秀な経営者を雇っても真似のできない、3代目ならではの心意気とはこういうものなのだと、石渡さんの言葉を聞いて思った。

 元気のいい経営者の下で働く元気のいい社員たちの会社、というイメージなのが、3代目率いる「新生」ホッピービバレッジだ。1968年生まれの石渡さんは、「働く女性」の端境期に就職した。女性総合職がバブルで華々しく活躍する一方、社長の娘である石渡さんの前には「“腰掛”の一般職として働き、いい婿を見つけて“寿退社”」という路線が敷かれていたし、それに疑問を抱かなかったのも無理はない。まだまだ、そういう時代だったのだ。

 しかし、その路線から外れたところに彼女の転機があった。会社で四面楚歌という状態の中でも、もくもくとホームページ製作をし、結果を出してしまうという彼女の根性には驚いた。またそんな彼女を黙って見ていて、きっぱり全権を委ねてくれた2代目社長の勘のよさと決断力にも感心した。石渡さんの母方の実家も商家だそうで、「両家の商家の血が、最も色濃く出てしまったのが私」と笑う。彼女がたとえどんなに高学歴で優秀な婿を取ったとしても、彼には、会社を今のような姿にはできなかっただろうと思う。


石渡美奈(いしわたり・みな)

1968年、東京生まれ。90年立教大学卒業後、日清製粉に入社。広告代理店を経て、97年に祖父が創業した会社、ホッピービバレッジに入社し、広告営業企画を担当。99年公式ウェブサイトを立ち上げ、日記も書き始める。2003年5月から副社長に。

日経ビジネス電子版から転載。
日経BP総研 HR人材開発センター長 大塚葉が担当した記事を再掲。