「銀座あけぼの」といえば、おなじみの和菓子屋。各地のデパートの地下にある店舗でも知られている。お中元やお歳暮で届く、あられの詰め合わせを思い浮かべる人もいるかもしれない。築地育ちの私にとっては、三愛ビルの隣にある「気になる和菓子屋」だ。おいしそうな季節の和菓子をディスプレーしていて、通るたびに目をひかれた。

 イチゴの季節にはイチゴをふんだんに使った和菓子が売られ、餡子がたっぷり入っていそうなふっくらとした大福が山と積まれている時もある。和菓子の老舗というと、見本が宝石のように飾られていて、しんとして入りづらい店が多いのだが、あけぼのの店はいつもポップで元気な印象が強い。銀座の店頭は、いつでもお客でいっぱいだ。

曙代表取締役社長の細野佳代さん(写真:皆木 優子、以下同)

 今回の跡取り娘は、2004年11月に銀座あけぼのでおなじみの曙の社長に就任した、細野佳代さん。祖父が銀座で興し、料亭などに和菓子を卸していた老舗の3代目になる。「初めは、社長になるつもりは全くなかったんですよ」と柔らかな笑顔で言う細野さん。取材当日は黒いパンツスーツで現れたが、着物でも着ていたら、おっとりした老舗のお嬢さんというイメージそのものだ。「大学卒業後、しっかり仕事をするつもりはあまりなかったのです。銀座あけぼのに入社したのも、結婚までの腰かけのつもりでした」。しかし実際は、大学を卒業してからずっと銀座あけぼので働いている、和菓子業界20年のベテランでもある。

 細野さんは、銀座あけぼの2代目社長の長女として生まれ、幼稚園から私立の玉川学園に入る。しかし、あまりにおっとりした娘の性格を心配した母親が、「このままでは先行きが心配」と、公立の小学校に転校させたそうだ。高校と大学はまた玉川学園に戻り、教育学部を専攻した。

 しかし教育実習で小学校1年生を受け持った細野さんは、ある子供が問題行動を起こす様子を見て、行き詰まる。「こういった子たちに私がしてあげられることがあるのだろうか? これを仕事にするのはキツイ、と思ってしまったんです。あとから考えたら、仕事の厳しさはどこでも一緒だったんですけれどね」。どうしても教師になりたかったというわけでもなく、厳しい就職活動をすることもなく、進路はすんなり銀座あけぼのに決まった。20人の新入社員とともに入社したが、両親は決して細野さんを甘やかさなかった。

 入社した新人の配属先は本社か店舗だったが、細野さんの行き先は工場だった。16人の社員のうち、障害を持った人が半分という小さな工場だ。入社1日目から、細野さんはショックを受ける。ほかの社員はみなベテランなのだ。卵を割る作業ひとつとっても、細野さんはみなに全くかなわない。「仕事をなめていた。これは頑張らなくては、と思いました」

 早くほかの人に追いつきたいと奮起するあたり、細野さんは本当に素直だったのだと思う。可愛がられて育った「お嬢様」が会社に入ったら、1日でいやになる人もいるかもしれない。しかし細野さんにとって、工場は楽しい職場だった。

 2人でペアを組み、1日に作るお菓子の量はざっと30万円分。これらがちゃんと流通に乗って売れていくさまを見て、「私は、世の中の人においしいと思ってもらえるものを作り出しているんだ」と細野さんは初めて思った。

 仕事の楽しさに目覚めると今度は、「このお菓子をもっとおいしくするには?」「もっと売るためには?」と試行錯誤するようになった。ついには、新作を持って関東圏の70店舗を訪ね歩き、営業するまでになった。

 これまで、こんな社員はいなかった。当然店舗の反応も様々だった。「社長の娘だから話を聞いてやるか、という態度の人もいましたし、こんなものは売れないとつき返され、泣きながら帰ったこともありましたね」。ちなみに、この時の新作菓子は、しっとりタイプのマドレーヌ。細野さんの母親が得意だったお菓子である。今では、ハート型のマドレーヌ「銀恋」として、商品化されている。

 「和菓子の新作がマドレーヌ?」と思う人もいるかもしれないが、もともと銀座あけぼのの和菓子は、斬新なものが多いというのが私の印象だ。細野さんは「父親も、新しい発想をする人でした」と言う。例えば、おかきにチーズを入れた商品を開発したのも父親だ。「邪道と言われるようなことをやって、それをうまく商品として成功させるカリスマ性が、父にはあったのです」

白玉豆大福皿

 「でも父は何も私に教えてくれませんでしたね。ほったらかしで、自分で考えて行動するしかない。当時は、父に冷たくされていると思っていました」。しかし、工場に配属した娘が思わぬ熱心さで仕事にはまっていくのを見て、カリスマ社長はひそかに「してやったり」と思っていたのかもしれない。

 細野さんは25歳の時、新しい直営店舗、たまプラーザ店の店長になる。細野さんは、新店舗の立ち上げから関わった。菓子の包装は、小さい頃から手伝っているので慣れている。しかしアルバイトを雇ってシフトを組み、一店をすべて仕切るのは予想以上に大変だった。「毎日店を開けて、閉めるまでで精一杯でした」

 店舗には喫茶スペースも併設していた。アルバイトを含めて5~6人で切り盛りしていたが、朝アルバイトから「今日は行けません」と突然電話が入ったりする。接客に追われ、気がつくと喫茶部門のスタッフが誰もいず、焦ったこともあった。「衛生管理士の資格は工場にいた時に取っていたので、ほかにスタッフがいない時は、お客さんの注文した品を私が自分で作って出すことも、しょっちゅうでした」

 細野さんが25歳の頃といえば、巷はバブルの真っ盛り。彼女の友人たちは華やかな日々を過ごしていたと思うが、細野さんは「3年間、毎日朝の7時から夜の9時まで働き続け、店を閉めると翌日のスタッフのシフトを考えたりしていて、11時頃になることもありました。休みは全くなし。当時は、友人の結婚式があるとやっと休みが取れる、という感じでした」

 しかしこの頃の細野さんには、辛いという気持ちはなかったと言う。むしろ、お客と間近に接する楽しみを強く感じた時期だった。「本当にこの仕事が好きだったんでしょうね」

 「ただ、私のあまりの忙しさに、さすがに父もかわいそうと思ったのか、ある朝私が早くに出る時に、急に時計をくれました」。父親は無造作に「あげるよ」と時計を差し出したという。多分娘への精一杯の、そして不器用なねぎらいだったのだろう。しかし細野さんは内心、「そんな時計をくれるより、スタッフを増やしてほしい」と思ったとか。しかしもちろん、「社長」に面と向かってそんな要求はできない。父親でもあくまで社長だ。その頃は既に、細野さんの意識は「銀座あけぼのの社員」になっていた。

 27歳で、企画室に異動となる。店舗ディスプレーや商品企画などを担う、同社の花形部門だ。しかし「私が入った時は、年配の室長が1人いるだけでした。父の代は、各店舗のディスプレーに関しては、『次は、春らしい感じでやるぞ』と大雑把な号令をかけるだけで、詳細は各店の店長任せだったのです」

 季節のキャンペーンや新商品発売の際も、全店舗で統一したキャッチコピーやポップを作るという発想がなかった。開店日や新商品発売の時に昔からつき合いのあるデザイナーが出向いていき、その場で手書きの看板を描く、という状態だった。

子供の頃からお菓子好き、という細野佳代さん

 企画室に異動して1年後に細野さんは室長になり、いよいよ自分の発想で商品企画や宣伝を担当することになる。現在のように、統一したディスプレーを全国100軒の店舗で一斉に行うスタイルは、細野さんが始めたものだ。

 自分で企画した商品に思い入れはあるが、大失敗もあった。「敬老の日に『ますますこれからまんじゅう』というのを企画したのです。枡の中におまんじゅうを詰めた商品でした」。祖母や祖父に「これからも、ますますお元気で」という意味合いを込めたもので、社内でも「これは当たる」と好評だったが、うまくいかなかった。理由は、日持ちしない商品だったこと。敬老の日に、直接祖父母に会いに行ける人ばかりとは限らず、遠距離で送りたい人もいる。しかし賞味期限が当日だったため、お客が買い控えしたのだ。

 ヒットした商品もある。夏に出した商品で、シロップの中に梅、抹茶、漉し餡の3種類の水饅頭が浮いている「浮き浮きまんじゅう」だ。「ディスプレーから広告まで、すべて自分でやった商品が売れた。珍しく、コピーなどは外注して力を入れた商品なので、こんなにうれしいことはなかったです」と言う。細野さんが30歳の時だった。実は、この大ヒット商品の広告コピーを担当したのが、細野さんの今のご夫君である。

 企画室長になった後すぐに、営業部長も兼務となった。企画室も人手が足りず、新卒や中途採用で、社員教育も一から行った。たった1人だった企画室のスタッフは、今では8人になっている。

 銀座あけぼのは、3週間でディスプレーを替える。さらに定番商品のリニューアルを行い、新商品も多い時で1年に5~6個は出す。多忙な日々の中、34歳で結婚。しかしその頃になっても、「結婚したら、会社を辞めてもいいかなと思っていたんです」と、あくまでも仕事に欲がなかった。しかし、夫はコピーライターなので、自宅で仕事をする。そうなると、細野さんは外で働く方が夫婦としてはバランスがいい、と仕事を続けることになった。

 さらに結婚3年目で、夫はあけぼのに入社することになる。「私が仕事の話をすると、夫はブランディングの専門家なので、あれこれと意見を言ってくれるのです。でも、口で言うのは簡単だけど、実際にやるのは大変なのよ…、といつの間にか口論になったりして。そんなこともあり、結局夫は会社に入ってくれたのです」。しかしこの頃になっても、細野さんには「自分が将来の社長」という意識は全くなかったと言う。

(後編に続く)


細野 佳代(ほその かよ)
1964年東京生まれ。4人兄弟の長女。玉川学園大学卒。卒業後、祖父が興した「曙」に入社。工場のスタッフから始まり、たまプラーザ店店長、企画室長、営業部長、商品本部長を経て、2004年11月に父親である社長から代表取締役社長に任命される。

日経ビジネス電子版から転載。
日経BP総研 HR人材開発センター長 大塚葉が担当した記事を再掲。