前編に引き続き、代表取締役社長の細野佳代さんにお話を伺う。

曙代表取締役社長の細野佳代さん(写真:皆木 優子)

 2004年11月、父である社長と蕎麦屋で昼食を取っていた細野さんは、突然こう言われた。「この後の役員会で、来期からお前を社長にすると言うから」。早すぎる引退のように見えるが、「この年の2年前に、母が亡くなっていたんです。父は、母が病に倒れてから1年ぐらいは、面倒を見てやりたいと言って会社にはほとんど出てこなかったのです」。

 役員会の席で初めて妻が社長になると聞かされ、細野さんの夫も驚いた。「主人や弟を社長にすることもできたのですが、何よりも『お菓子屋ということで、女性がいいと思った』と父は役員会で言っていました」と細野さんは言う。「私は商品部長、企画室長、営業部長、店舗も工場も全部経験しています。また、銀座の商店会でも『社長の娘さん』ということで馴染みがあり、かわいがってもらえるなど強みもあると思ったのでしょう。主人がいて私を支えてくれるからと私を表に立て、『夫婦、兄弟みなで会社を盛り立ててほしい』と言い、父は本当にすっぱり引退してしまいました」

 さて、跡取り娘はどういった経営戦略を取ったのか。まず細野さんは、2000年からインターネット上のショッピングサイト「楽天市場」に出店して、銀座あけぼのの商品の販売を始めた。「これは、社員からやりたいという声が上がったものです」

 ネット通販は、販路拡大だけでなくマーケティングにも利用できる。「新商品を開発するのに1年はかかります。日持ち、安全性、輸送に耐えられるかどうかのテストや、社内での試食なども行います」。また、楽天市場を通じてメルマガ会員となっている「あけぼの顧客」約1000人からモニターを募集して100人ほどにサンプルを送って試食してもらい、アンケート調査も始めた。

 細野さんは店舗の社員300人に小さなノートを持たせ、お客からの声を漏らさず書きとめてもらっている。「部長だけの会議では、リアルなお客様のニーズから離れてしまうこともあります。社員一人ひとりのノートから、今何が必要とされているかが分かるんです」

 父親が社長の時代は「カリスマについていく社員」が求められた。しかし自分の代になってからは、何でもスタッフと話し合って決めていくのが細野さんのスタイルだ。300人が提出するノートには、きちんと返事を書いているという。

 女性活用も進めている。本社スタッフ50人中半数が女性。細野さんがビジネスの中心に参画してから、目立って女性社員が増えた。「そもそも私がいた販売企画は全員が女性でした。弊社くらいの規模で社員を募集すると、優秀な女性がたくさん応募してくれます。女性パワーを活用することが、中小企業には不可欠なのです」

 成績優秀なばかりではなく、女性には粘り強さがあると細野さんは指摘する。また、多くが男性という職人さんの懐に、するりと入り込むような仕事をするには、商品企画を女性が行うのが有利だ。時には気難しい職人さんたちと、うまく話をつけてくる女性が多い。

人気商品「味の民藝」

 お菓子好きな人が多いのも、女性の大きな強みだ。「私も仕事というだけでなく、お菓子が大好きです。小さい頃から、父が持って帰ってきたお菓子を食べながら『これはおいしいね』などと意見を言い合うのが、我が家の一家団欒でした」と細野さんは言う。「面接の時に、お菓子が大好きという情熱を感じさせてくれる人がいますが、ほとんどは女性です。ただ、まれに男性でも『お菓子オタク』というくらいお菓子好きな人が入社してくることもあります」。

 銀座あけぼのは以前から、「自社製造のおかきは、宮城県産の宮黄金餅米しか使わない」という原産地主義を貫いている。「うちではそれが当たり前だと思っていたので、商品に原産地を表示してきませんでした。祖父の代からのこだわりですが、江戸っ子というのは、あえてこういったことを言わないのです(笑)」

 ところが最近は他社の製品で、原産地をアピールするのが流行っている。そこで、「江戸っ子の粋」には反するが、銀座あけぼのでも原産地の表示を始めたそうだ。そうしないとお客に「何も書いていないから、外米を使っているのかと思った」と言われてしまうからだ。

 これまでの跡取り娘への取材では、「跡を継いだものの、古参の役員とうまくいかない」という話を聞くこともあった。若い社長になった彼女に、障害はなかったのか? これについては、父が母の看病のために出社しなかった間、既に細野さん自身が会社を切り盛りしていた経緯もあり、「思ったよりも社内の受け入れはスムーズでした」という。

 先代の父のやり方に真っ向から反発するのはだいたい男性で、私の知り合いの老舗の跡取り息子も、20代の頃は家を出たり商売を立ち上げたりし、家族との確執の末、今は家業に戻って落ち着いている。それに比べると女性の跡取りは、周囲とうまく折り合っていくタイプの人が多いようだ。無用な争いを好まない、女性ならではの「協調路線」なのだろう。また、大学卒業以来銀座あけぼの一筋のたたき上げでもある細野さんへの、周囲からの信頼も厚いのだと思う。

おかきの詰め合わせ「二〇〇七餅(にせんななべい)」のパッケージ

 「しかしただ父の言うことを守るだけでなく、それ以上の結果を出さないと認めてもらえないことは覚悟しています」。では、細野さんと父親のビジネススタイルは、どう違うのか。

 例えば春のディスプレーの企画が決まると、父親は「春らしい感じで」というイメージを伝えるだけだったが、細野さんの場合は「店舗のこのスペースにこの商品を置いて…」とシミュレーションを重ね、具体的な形に落とし込む。「具体的に明確に細かく指示していけば、どんな社員でもできるようになる。自分から発案する社員、指示待ちの社員、いろいろな社員がいますが、みんなが今いる位置からレベルアップしていけるよう、心がけています」

 木目細やかなフォローで“底上げ”していく、というのは、女性管理職が得意とするところだ。今期の企画や収益目標なども、細かいスケジューリングで指示していくことで、社員にも「そこに向けて自分はこう動こう」という自主性が生まれる。こういった具体的で明確な彼女の指示は、社内でも歓迎されている。

「未来を大きな長いスパンで考えるのは父や男性にかないませんが、細かくスケジューリングして目標に近づくのが私のやり方です」と細野さんは言う。部下に対して大雑把にしか指示を出さない男性社員を見ると、イライラすることもあるという細野さん。「もっと丁寧に指示してあげれば、できるのに…と思いますね」

 2007年で社長就任3年目を迎える細野さんだが、今後の目標としているところは?「弊社は90円から商品があるので、和菓子を通じて100円で“日本”を体感できるんです。すごいと思いませんか? 若い世代にも和菓子の素晴らしさを伝え、心を満たされるような時間をつくるお菓子を売っていきたい。日本文化に根ざした、世界に誇れるようなブランドにしよう、と主人といつも話しています」

 最近は洋のパティシエが和の素材を使って作ったわさびチョコレートや、抹茶、和栗、紫芋のケーキなどを見かけるようになった。こうした洋の世界の攻勢には、どんなスタイルで対抗していくのか。洋を取り入れる路線もあるのか、という問いに、細野さんはきっぱりと首を振った。「洋菓子が和テイストになったからといって、逆は絶対にしたくないのです。私たちはあくまで和でいきたい。ただ、若い人にも気軽にカフェで“和のデザート”感覚で食べてもらえるようにはしていきたいと思っています」

 例えば玉川高島屋SCの店舗で出す、「究極の寒天」を使ったデザート。寒天を龍泉洞(岩手県)の水で煮出して極限までゆるい寒天を作り、その上に秋ならカボチャ餡をカボチャの形にして載せる。とろけるような食感と和菓子らしい季節感が好評だ。

 今は、寒天と小豆と砂糖ともち米だけで作る「究極の最中」を開発中だ。厳選された素材でよりシンプルに。細野さんの理想の和菓子は和のミニマリズムを目指しているようだ。食器やお茶にもこだわった和テイストのカフェの運営が、当面の夢だという。

「二〇〇七餅(にせんななべい)」

 「私は、商売熱心だった祖母に似ていると言われます」と細野さん。銀座あけぼのは、祖父と祖母が焼け跡から銀座、赤坂、浜町に立ち上げた。祖父は相当変わった人だったそうで、お客が「こういうものを探している」と言うと、「じゃあ、明日までに仕入れておきます」と言って工夫して作ってしまう。三つの大豆を海苔で巻いた「山海豆」という商品がそれである。米菓も始め、当時からバームクーヘンも売っていたという、新進気鋭の人だったようだ。

 しかしこの祖父は、細野さんが7歳の時に亡くなっている。細野さんの思い出の中では、祖母の姿が鮮やかだ。「一緒に銀座に行ったり、よく母と3人でお雛様のあられを混ぜたりしました」

 「後継とは一種の文化」という言葉が、野村進さんの『千年、働いてきました 老舗企業大国ニッポン』にある。この本によれば、老舗の後継者は「跡継ぎになれ」と言わなくても、3世代、多世代同居をして祖父母や両親を見て育つと、自然に後継者になっていく文化があるのだという。

 細野さんと会って、この本の言葉がとても腑に落ちた。細野さんのような後継者が、女性だからといって排除されることなく、これからは続々と誕生していくのも一つの文化になっていくのではないか。跡取り娘を取材していくうちに、そんな気持ちを強く持つようになった。

「…いろいろな社員がいるけれど、みんな今いる位置からレベルアップしていけるよう、心がけています」という細野さんの言葉は、女性管理職らしい。

 そしてまた、細野さんが最初に働いた工場で障害のある人を雇用したのは、細野さんの母親の発案だと言う。「3歳下の妹がダウン症なのです。妹がちゃんと働けるような場所をつくろうと、母が中心になって銀座あけぼのの中に障害者の働ける工場をつくりました。今は父個人が、社会福祉法人も立ち上げています」

 たとえ能力差があっても、誰にも働く場所があって当たり前。そんな家庭で育まれた細野さんだからこそ、「明確に具体的に細かくフォローし、誰もがその仕事ができるようにする」という発想につながるのではないか、と感じた。


細野 佳代(ほその かよ)
1964年東京生まれ。4人兄弟の長女。玉川学園大学卒。卒業後、祖父が興した「曙」に入社。工場のスタッフから始まり、たまプラーザ店店長、企画室長、営業部長、商品本部長を経て、2004年11月に父親である社長から代表取締役社長に任命される。

日経ビジネス電子版から転載。
日経BP総研 HR人材開発センター長 大塚葉が担当した記事を再掲。