前編に引き続き、日本電鍍工業代表取締役社長の伊藤麻美さんにお話を伺う。

 父の死後、赤字転落した会社の社長になることを決意した伊藤麻美さんの取った経営戦略とは、どんなものだったのか。

 2000年当時のメッキ業界は、携帯電話やパソコンのメッキ業務が主流になり、どこのメッキ会社も好調だった。しかし時計メーカーは、生産拠点を海外に移しつつあった。時計のメッキだけに依存していた日本電鍍工業は出遅れ、新たに携帯やパソコンのメッキ事業に途中参入できない。コストを極端に下げるか、またはどこかの会社がトラブルを起こし、そこの仕事が回ってくるのを待つしかなかった。もちろん、今から新たな設備投資をする資金もない。

日本電鍍工業代表取締役 伊藤麻美さん(写真:皆木 優子)

 「新規開拓しかない」。そう思った伊藤さんは、電子機器などの展示会に自ら足を運び、ブースを回って営業した。「この製品はメッキですよね? うちもメッキ屋なんです」、そう言って社長の名刺を出す若い伊藤さんに、ブースにいた担当者たちはさぞ驚いたことだろう。

 また伊藤さんは、女性の若手社員と一緒に会社のホームページを立ち上げた。その頃会社には、インターネットに接続できるコンピューターが1台しかなかったのだ。さらに、製造業の発注サイトにも登録した。

 これまでこのコラムで取材してきた「跡取り娘」の多くは、時代の流れのせいか、新しい経営戦略としてIT(情報技術)を推進した人が多かった。それが良い転機になった会社も少なからずある。伊藤さんの転機もITがきっかけで到来した。

 「ホームページを見た、といって注文が来たのは、今まで仕事をしたことのない医療機器メーカーでした」。このメーカーによれば、他のメッキ会社から、技術的に難しいと断られたメッキ作業があるという。困ってインターネットを検索したところ、日本電鍍工業のホームページを見つけたという。

 早速伊藤さんは、この医療機器メーカーの注文内容を社員に相談したが、「難しすぎて、できない」とみな首を横に振る。

 「これができなかったら、うちに未来はない。この仕事をやらないと、明日につながらない」。こう言って社員を激励したのは、伊藤さんだった。「うちの技術をもってすれば、できないことはないはず」と説得していくうちに、半信半疑ながら「やってみよう」という社員も出てきた。

 伊藤さんはなぜ、それほど自信を持って社員を引っ張っていけたのだろう。1つには、日本電鍍工業の技術力に対する確信があったからだ。「社員たちのポテンシャルを信頼していました。昭和40年代に、社員を既に欧州に留学させるほど技術開発には熱心だったのです。わが社ではメッキ液も開発しており、色もたくさんあります。厚くきれいにメッキする技術は手作業で、まさに『職人の技』なのです」。しかしこうした技術力は、意外に外部には知られていないというのだ。

 もう1つ、「やってできないことはない」というのが伊藤さんの信念でもある。「30年ちょっとしか生きていないのに生意気ですが、今までの人生で、自分がやりたいと思ってできないことは何もなかったと思います」。DJ時代も「この番組をやりたい」と強く思うと、そのオーディションの話が転がり込んできた。念じて努力すれば目標に近づいていける、と伊藤さんは思っている。

 「例えば父母にもっと生きていてほしかったと思うこともありますが、それは無理なことです。でも母は私が13歳の時に病気を宣告され、当時は『持って1年半』と言われていたのに、その後8年間生きたんです」

やってできないことはない、リストラは無闇にしない

 伊藤さんは常に、「You can do it」と言い続ける。それに呼応する社員も、徐々に増えてきた。最終的に、難しいと言われていた医療機器メーカーの発注に応えることができた時、日本電鍍工業の社員には大きな自信が生まれたのだ。

 また伊藤さんは、経営状態をオープンにすることを心がけた。借金の額や赤字などの厳しい数字を開示することで、社員たちは意気消沈するよりもむしろ危機意識を共有し、改善意識やコスト意識が生まれた。

 「無闇なリストラはしない」ということも心に決めていた。「前の社長の時に、1度リストラや給与カットをしたことがありました。でも、リストラは何度もやると士気が下がります。どうしても人材が負担にならない限り、やるべきではない。とにかく、今のままのメンバーでいこうと決めていました」

 結果的に見れば、時計メッキという1事業に特化していた会社から、「多品種少量受注」に転身したのが良かったのだ。1品種だけに頼って価格競争に陥り、安い大量生産をやっていたら生き残っていなかっただろう。

 今や日本電鍍工業のウェブサイトには、楽器や医療機器など様々なメッキ製品が掲載されている。全く新しい事業に転換したわけでもなく、新規の設備投資もせずに、伊藤さんのやったことは「会社のポテンシャルを最大限に引き出す」という戦略だったのだと思う。

 「私は、この会社の一番のファン。知れば知るほど、ウチは絶対にいい会社だと惚れ込んでいったんです。メッキの技術はすごく可能性のある分野。ロケットにも応用できる。将来は宇宙にだって行くかもしれないじゃないですか?」

 自信を持って生き生きと会社を語る伊藤さんを見ていると、全くビジネス経験のない社長に、なぜ社員がついていったのかがよく分かる。今となれば、どこに根拠があったのかと思うほど自信を持っていた、と語る伊藤さんの根底にあるのは、「父のやってきたことに間違いはない」という絶大な信頼だ。

 「何事も気持ち。気持ちで負けてしまってはそれまでです。心を込めてやれば、必ず成果は出るのです」。彼女の言葉通り、会社は3年間で黒字に転換した。

 「今になってみると、好きなことを仕事にしなかったのが良かったのかもしれない」と伊藤さんは言う。DJの時は、思い入れが大きかっただけに失望もあった。宝飾の世界も、コストを度外視してしまいがちだった。好きなことでは理想を追いすぎてしまう。また「仕事とは、やっていくうちに好きになっていくものだと思います。下積みの間に嫌いになることもある。仕事を客観的に見ることができた時、初めて良し悪しを判断できるのではないでしょうか」。

「ものづくり」は、日本の魂に触れる技との出会い

 未知の世界に飛び込んで始めた会社経営。しかし今は「ものづくり」が楽しくて仕方がない。「ものづくりは、日本のソウル(魂)に触れている気がするんです。戦後の成長期に頑張った先輩たちがいて、そのおかげで今の自分がある。この仕事には、日本人として誇りを感じます」。工場の現場に行くと、「匠の技」を持つ職人たちの目の輝きとプライドに、つくづく「かっこいい」と惚れ込んでしまう。

 残念ながら今の日本では、製造業の中小企業は厳しい現状にある。伊藤さんが母校の大学で講演した時、中小企業への就職を考えている学生は1人もいない、というさびしい光景を経験した。「ものづくりに対して、もっと光を当てないといけない、と同世代の製造業の2代目、3代目と話をしているんですよ」

 2年前から新卒を採用しているが、今は大手に人材を持っていかれる厳しい時期だ。将来的には女性技術者を確保するために保育室も備えたいという。それは伊藤さんが昨年5月に結婚し、自身にも子供ができたことからの発想だ。パートナーは海外で知り合い6年つき合った人で、今は同グループの他の会社に入っている。

遠距離恋愛が、成功の秘訣

 「恋愛中は『遠距離』だったのが良かった。帰国以来、3年で黒字にしなくちゃと、会社のことで精いっぱいだったからです」。近くに暮らしていたら、会う機会も多い代わりに、ストレスや悩みもストレートにぶつけていたかもしれない。また、「子供も欲しかったけれど、そのためにはまず『会社をよくしなくちゃ』と思っていました」と伊藤さん。

 両親を亡くした伊藤さんに、パートナーは「家族を作ってあげたい」と言ってくれた。会社が黒字になって、自分のことを考える余裕ができた頃、「なぜ自分がこれほど周りの人から助けてもらえたのか、と考えた時、両親がそういうふうに育ててくれたからだ、と感じたのです」と伊藤さん。

 「でも、感謝したくてももう親孝行はできない。代わりに恩返しできることは、『ルーツ』を絶やさないことだと思ったのです。『子供はいらない』と思った時期もあったのですが、いらないと自分で決めてしまうのは間違いだと思った。そろそろ自分の幸せも考える余裕ができたので、『じゃあ、結婚しなくちゃ』と(笑)」

 タイミングよく帰国したパートナーと結婚してすぐに子供を授かり、今は母親業と社長業の2本立てだ。子供ができて視野も広がった。自分が豊かに辛抱強くなり、キャパも広がったと感じる。「子供たちのために、未来の地球をよくしなくちゃいけない。会社をよりよく経営することが、私の社会貢献でもあると思うんです」

 人の上に立つ女性で子供を持つ人がもっと増えるといい、と思うのはこういう発言を聞く時だ。豊かな母性は、経営者としての視点に大きなプラスになる。

 伊藤さんの今後の目標は「社員にもっと還元すること」。「メッキ液も、もっと自社開発し、他社にできないメッキ作業をやりたい。『Only One』のものをつくりたいですね」

 来期が50期になるので、取りあえず「100年企業を目指したい」という伊藤さん。その頃は、自分は社長ではないかもしれないけれど…。微笑む彼女の目は、長いスパンで、そしてスケールの大きな視野で未来をまっすぐ見つめているのである。


 今までの取材で、父亡きあとの社長というのは伊藤さんが初めてだ。しかも父の元で跡取りとしての修業をしたわけでもなく、会社の危機に当たって全く別世界から呼び戻されて社長になったのだ。

 老舗企業を取材した野村進さんの『千年、働いてきました』によると、「老舗の基盤を作るのはだいたい3代目ぐらいの養子」という説があるらしい。家業に、新鮮な違う世界の視点を持ってくるのが婿養子なのだ。

 しかしこうして取材すると、家を継ぐことに拘束されない娘たちは、家業を継ぐまで様々なバックグラウンドを経験し、まさに異文化を持ってきているとも言える。これから先、「老舗の基盤を作るのは、『男女共同参画』の時代に跡を取った娘たち」という説も出てくるかもしれない、と感じた。


伊藤麻美(いとう まみ)
1967年東京生まれ。上智大学外国語学部比較文化学科卒業。FMラジオ、テレビなどのフリーランスDJとして活躍した後、1998年に米国カリフォルニア州、宝石の学校GIA(Gemological Institute of America)にて宝石の鑑定士・鑑別士の資格を取得。帰国後、2000年3月、日本電鍍工業の代表取締役に就任。

日経ビジネス電子版から転載。
日経BP総研 HR人材開発センター長 大塚葉が担当した記事を再掲。