前編に引き続き、山田香織さんの経営戦略の話に入る前に、盆栽の世界について少し触れておきたい。盆栽とは、1本の木で大自然の風景を表現する“想像の遊び”であるという。作り手は、「丘の頂の1本の木」や「その昔街道の一里塚で、行き交う人を見守っていた松」など、一つの鉢に自分なりのモチーフとストーリーを持っている。

清香園5代目園主、山田香織さん(写真:花井 智子、以下同)

 清香園の盆栽園を歩くと、不思議な感覚がある。近くにある小さな盆栽の木なのに、遠くの丘の上にある木を見ているような錯覚にとらわれるのだ。たくさんの盆栽の間を歩いていると、まるでガリバーになったような気分になる。一鉢一鉢の中に、「日本人がいつか見た風景」が精妙に表現されているのだ。

 盆栽の取引は骨董品と似ていて、バブルの頃は高価な鉢もよく売れたそうだ。有名な鉢は協会に登録され、来歴が分かる。しかし現在は盆栽園の数も減り、跡取りがおらず廃業する園も少なくない。このコラムの第1回(参考記事はこちら)で取り上げた呉服といい盆栽といい、継続が難しくなっていく業界であることは確かだ。そんな中で、日本の伝統文化を守るために奮闘しているのが跡取り娘たちなのだと思う。

 盆栽の世界を広め、既存の顧客ではない層にアピールするために、山田さんはまず「彩花」盆栽の教室からスタートした。「彩花」は既存の盆栽とは違い、木と草の寄せ植えで風景を創る。鉢は従来のような長方形や丸い形ではなく、山田さん自身がデッサンを描いて注文している、常滑と信楽焼きのオリジナルである。

 山ゴケの下に雪割り草が隠れていて、しばらく世話をするとコケの下からかわいい白い花が咲く…、そんな時間差の楽しみが満喫できるような仕掛けがほどこしてある。3種類の寄せ植えのうちひとつが枯れても、教室に持ってきて植え替えをすることもできる。

 「生徒さんの半数が、マンション住まいの方。お庭はなくても、鉢の中に庭ができてうれしいと言ってくださいます。こういうところに、彩花のニーズがあると思いました」

カルチャースクールへの進出と女性への提案

 2000年には、カルチャースクールに盆栽教室の講座を持つようにもなった。タウン誌編集者の紹介で、さいたまスーパーアリーナのカルチャースクールに入れてもらったのだ。華道やフラワーアレンジメントと違い、これまで盆栽は「習い事」の範疇には入っていなかったが、カルチャースクールに進出することで新しいお客が増えた。

 「盆栽教室として募集すると、これまでのように年配の男性ばかりが応募してきます。そこで『ミニ盆栽』『サイバー盆栽』と教室の名称に工夫をすると、女性が増えるのです」。提案の仕方次第なのだと思った。2002年にNHKの「おしゃれ工房」に出てからはじわじわと反響がきて、「メディアの力はすごい」と実感した。

 こうした教室を広めるために、2000年にはホームページをオープンし、2002年にリニューアル。2005年に再度リニューアルし現在の形になっている。「山田香織のボンサイ日記」というブログは四季折々の花や木の写真が美しく、人気コーナーになっている。

 ミニ盆栽の通信講座も開設している。ホームページから申し込め、年8回がワンクール。1年で7鉢を楽しむことができる。2年目には追加のメンテナンスがあり、「決して作りっぱなしにはしない」のが基本だ。

 現在、園の経営は父親が見ているが、教室とカルチャースクール、通信講座は山田さんとスタッフが運営している。新しい層に伝えるのは、山田さんの役割というわけだ。「盆栽の既存のイメージを壊していきたい。そのためにはホームページやカルチャースクールなど、いろいろなチャンネルを通して伝えていくことが大切だと思います」

盆栽家は、絵描きに負けてはいけない

 最初のうちは、家業に対してマイナスイメージを持ち、コンプレックスを感じていた山田さん。それだけに現在は、「盆栽という日本独自の文化の素晴らしさを、より多くの人々に分かってほしい」という思いが強いのだと言う。

「彩花」盆栽の一例。常滑の器に白玉椿

 新しいことをやりつつ、5代目として毎日父について修業をする山田さん。山田家の口伝に、「盆栽家は絵描きに負けちゃいけねえ」というのがあるそうだ。盆栽つくりも絵を描くことも、どちらも日本の自然を独自の世界観で表現する仕事だ。絵描きは、木々の見事な枝ぶりを一筆で描くが、一鉢の中に5年、10年の期間をかけてつくるのが盆栽家。

 「例えば二条城のふすま絵(狩野探幽の松)などを見ると、つくづくいい枝ぶりだなあと思います。同時に、盆栽家としても負けちゃいけない、とも思うんですよ」

 しかし山田さんの修業は、先は長い。枝を落とす時に迷いがあると、必ず父は「お前、この枝迷っただろう」と見抜いているのだ。また、地震、台風、地球温暖化など、自然の力から盆栽を守るのも仕事である。「小さな頃から、雪が降ったら一緒に雪払いをしていました。家業に反発していた頃でも、一緒に育ったものだからこそ、盆栽も寒いだろうなあとか、今は暑いだろうなあと分かるんです」。しかし最近は気象の変化が激しく、「4月にはこれを行う」という、昔ながらの作業手順が通用しなくなってきたのも、悩みの一つだ。

 盆栽は作品であり商品であると同時に、“命あるもの”でもある。個人的に手放したくない、と思うものもある。「盆栽は骨董品のように取引されているので、回り回ってこの園に戻ってくることもあります。どんな姿になっていても、うちの木だとひと目で分かります」。中には持ち主の技量不足や、主を転々とした結果、すっかり形が崩れたり枯れたりして戻ってくるものもある。そんな時は、「よく戻ってきたねえ」と涙が出そうになる時もあると、山田さんは言う。そんな一鉢を5年、10年かけて元の美しい姿に戻していくのだ。

 バブル崩壊後や、主が亡くなって盆栽の価値を知らない相続人の手に渡ったりして、人知れず失われてしまったものもたくさんあるに違いない。

 父が買ってきた鉢に針金をかけて、徐々に自分たちの色に変えていくこともある。山から掘り出された木を盆栽にすることもあれば、庭木の一部を挿し木や取り木で切り離して盆栽にすることもある。この取材をするまではなじみのない盆栽の世界だったが、話を聞くうちに、日本人の持つ自然に対する繊細な美意識や、気の遠くなるような長いスパンでの遊び心が垣間見えた。山田さんが受け継ぎ、また次の世代に伝えていくのはまさに“命を伝える仕事”なのだ。

 そして長くこの盆栽の文化を伝えるためには、イメージ戦略や新しい提案も大切であることを、山田さんは知っている。永続的な経営とは「時代とともに、破壊と創造のサイクルを繰り返しながら成長する」とものの本には書いてあるが、跡取り娘は本能的にそれを実践しているのだ。

 しかし、古い業界ならではの反発はないのだろうか? 山田さん自身はまだ出ていないが、競りに出ると、買おうとする鉢に対して周囲が結託して値をつり上げるといった厳しい場面もある世界だ。「まだ新米なのに目立ったことをして、という批判は当然あると思います。もし私が男だったら、同じことはできなかったのではないでしょうか。新しいことをやり始めた時点で、『この若造が…』とつぶされていたと思いますよ」と山田さんは言う。

「彩花」の一例。泰山の銘の鉢に、椿、吉祥草をあしらう

 既にBONSAIは世界共通語である。今年で81回を迎えた国風盆栽展には、海外からの愛好家も集まる。「一人の力は限られているから、盆栽のよさを伝えてくれる人を、教室を軸にもっと増やしていきたい。将来は海外での教室をやってみたいです」

 2006年に結婚し、夢に向かってサポートしてくれるパートナーもできた。夫は違う仕事をしていたが、今は清香園に入り修業を始めた。「大きな鉢の扱いなど、私の力が及ばないところもカバーしてくれるのが夫です。何かを決める時も、相談する相手がいると結論が早く出るようになりました」

 これまでは、男性が家業を継いでも、その妻が家業に入る例はあまりなかった。しかし今までの取材で、家業に入った妻を支えるために、夫が自分の仕事を辞めたという例は、山田さんで3人目だ。外の違う業界から来た夫が家業の力になってくれるのも、跡取りが娘である大きな強みのひとつかもしれない。

取材雑感

 私にとって、全く未知だった盆栽の世界。これまでは「おじいさんの趣味」「高価なもの」という意識しかなかったのだが、今回の取材で、ロハスやガーデニングを愛する女性たちにも大きな訴求力があることに気がついた。

 しかし私自身は、サボテンですら枯らしてしまうほど、植物の世話が苦手な人間。育て続けるコツを山田さんに伺うと、「盆栽の基本は光と水。つまり太陽光を当てることと、毎日の水遣りです。この2つをちゃんとしてあげれば、大丈夫です」とのこと。マンションの一室でも、小さな鉢の中に自分の庭を作れる。こんな盆栽の世界、あなたも体験してみてはどうだろう。


山田香織(やまだ・かおり)
1978年生まれ。盆栽家。「彩花」盆栽教室主宰。清香園4代目園主、山田登美男の一人娘として生まれる。立教大学経済学部卒業。NHK文化センターさいたまアリーナ教室講師、NHK教育テレビ「おしゃれ工房」「趣味の園芸」「趣味悠々」などに出演。監修書として『はじめての盆栽グリーン』、エッセイの入った著書『小さな盆栽のある暮らし』『山田香織のミニ盆栽でつくる小さな景色』など。海外の盆栽講習会などでも精力的に活躍している。

日経ビジネス電子版から転載。
日経BP総研 HR人材開発センター長 大塚葉が担当した記事を再掲。