長らく日本における医療分野は、教育分野と並んで強固な規制に守られ、変化は緩やかで、かつ、政府によってコントロール可能な範囲で起きてきた。また、医療に関連する周辺産業も医療分野の規制の影響を受けており、製造業などの他の業界とは異なる様相を呈している。ところが、こうした日本の医療・健康分野の在り方が大きく変わろうとしている。思いがけず、二つの「促進役」が登場したからだ。それは、社会に大きな変化をもたらした新型コロナウイルス感染症(COVID-19)と、2020年9月に発足した新政権が打ち出す規制改革路線である。

 世界における医療分野は、激変する産業の一つとして大きな注目を集める存在だ。DX(デジタル・トランスフォーメーション)の波にさらされ、IoT(モノのインターネット)やAI (人工知能)、遺伝子工学などの革新によって、新たな技術や商品、サービスは次々に生み出されている。

 にもかかわらず、日本の医療分野の変化が緩やかな背景には、世界の先頭を走る少子高齢化という社会構造の変化がある。医療に関連する既存の制度やサービス、原資の按分や分担を調整しながら、急速に進む社会構造の変化に対応する難しいかじ取りが求められる。例えば、完全無償だった高齢者医療に自己負担金を設定すれば、大きな反対の声が上がる。薬価を引き下げると、投薬量が増える。医療分野の様々な領域で、こうしたいたちごっこが常に繰り返されてきたのである。

 それでも、政策当局は小さな実績を積み重ね、少しずつ変化の流れを作り出してきた。最近の象徴的な例では、2020年6月に国内初のデジタルセラピューティクス(デジタル治療、DTx)として、キュア・アップ(CureApp)が開発したニコチン依存症の治療用アプリの薬事承認が決まった。薬の代わりにアプリを処方するというわけだ。

 このほかにも、ロボットが手術をしたり、介護をしたりする。一度も医師と対面することなく診察から処方を受け、自宅に薬が届く。日本国内においても、これらが合法的に可能となり、実際に起きている。さらに、今後は再生医療や遺伝子治療についても本格的拡大を迎えると見られている。日本医療研究開発機構(AMED)の調査によれば、再生医療と遺伝子治療を合わせた国内の市場規模は、2040年に1.1兆円に成長する見込みという1)。再生医療と遺伝子治療は世界的な成長分野で、この調査では世界の市場規模が同年に12兆円に達すると予測している。

日常では考えられない対応が進行

 緩やかな変化の中で、2020年にCOVID-19が国内の医療分野を直撃した。この感染症は医療現場にとって、終息に向けて全力で戦うべき強力な敵である一方で、皮肉なことに医療分野の様々な規制を取り払い、変化を促進する役割を果たしている。

 COVID-19は社会のリモート化を推し進めた。ビジネスの現場はもちろんのこと、お茶の間を賑わすテレビのバラエティー番組に至るまで、リモートによる取り組みが当たり前になった。対応の中心であった医療分野では、緊急措置として様々な特例措置や臨時措置が取られた。今後、それらの措置の多くは継続もしくは拡充される可能性が高い。

 オンライン診療は分かりやすい例だろう。従来のオンライン診療のタブーが次々と破られた。初診からのオンライン診療が認められた。長期の投薬処方も可能となった。病院や診療所に足を運びにくくなったこともあって、多くの人がオンライン診療を体験することとなった。それらを実現するために、既存制度の運用ルールの見直しや臨時措置など、日常では考えられない対応が次々となされた。

 そうした中で、日本では菅義偉首相による規制改革内閣が誕生し、これまで以上の変化への期待が高まっている。COVID-19の終息を待たずして突如としてなされた政権交代では、新政権のテーマとして「規制改革」や「デジタル化」という言葉が飛び出してきた。新首相からは自民党総裁選の最中に「オンライン診療などの時限措置を永続的に」という言葉が出るなど、これまで以上の規制改革路線を打ち出す姿勢を見せている。

 時代のニーズとしての変化圧力に、政策の方向性が加わり、医療・健康分野は大きく変わらざるを得ないだろう。我々には、この変化を大きな流れの中で理解しつつ、10年後のあるべき姿について想像を巡らせ、「変わって良かった」と思える未来を創り出していくことが求められている。

参考文献
1)日本医療研究開発機構、「令和元年度(2019年度) 再生医療・遺伝子治療の市場調査 最終報告書」、2020年3月.
鶴谷 武親(つるたに・たけちか)
早稲田大学 大学院経営管理研究科(ビジネススクール)客員教授
K.I.T.虎ノ門大学院客員教授
日経BP総研 客員研究員
セコムにてグループ事業戦略などを担当。その後、デジタルハリウッド、アイ・エム・ジェイ、デジタルスケープをはじめ、数多くのスタートアップの創業に携わる。また、総合電機メーカー、総合商社、通信キャリアなど、多くの企業の事業アドバイザー・社外取締役を務めるほか、医療法人社団理事、政府委員会委員、非営利団体理事などを歴任。現在、早稲田大学経営管理研究科(ビジネススクール)客員教授。早稲田大学では社会人教育をはじめ、博士人材の育成、起業家育成等を担当。早稲田大学EDGEプログラムアドバイザーを務め、大学発ベンチャーの育成にも力を入れる。