前編から読む)

 亀岡商会に入った亀岡さんの仕事は、ビル管理だけではなかった。メインの大手メーカーを取引先とする潤滑油と産業燃料の販売やガソリンスタンドの仕事がある。潤滑油販売はミシン油のような機械油から特殊な潤滑油まで扱う、専門性の高い商売だ。

亀岡商会 常務取締役 亀岡幸子さん

 営業は、油の専門家としてコンサルタントの役割もする。石油は元売りの石油会社から特約店というオーナー会社に卸されるが、この業界は、ほとんど「男の世界」だ。東京の特約店オーナーの集まりでも、女性は亀岡さんだけ。全国でもガソリンスタンドの女性オーナーは数人程度だと言う。全く知らない業界の勉強を一からしなければならず、また男性の年配者がほとんどの、業界のおつき合いも欠かせない。

 「ガソリンスタンドも以前は4軒持っていたのですが、今は1店舗だけです。都心のガソリンスタンドはどんどん減っていきますね。都心では土地代もアルバイトの人件費も高いし、ガソリンの価格も高い設定になるのは仕方ないのですが、お客様には『高い』と文句を言われてしまう。ガソリンスタンドの経営は本当に難しいんです」

 麻布十番のスタンドを閉めて賃貸マンションに商売替えしたら、収支は大きく好転した。しかしそうなると、ガソリンスタンドの従業員の行き先に困る。「石油の仕事は業界全体の動向から見ても、ずっと続けられるかどうか分からない。次の事業を常に模索しています。年配の従業員が多いので、石油の仕事を辞めた時の働き先の確保として、新規事業を始めたこともあります」

 それが、高齢者向け弁当宅配のフランチャイズ店だ。3年前に4店舗のフランチャイズを構えたが、550円の弁当を1個単位で宅配する仕事は採算が合わず、2年たたずに撤退した。「人様のお役に立てて、年配の従業員にも仕事が確保できる。そんな気持ちで始めたのですが、自治体との契約を取れなかったのが、うまくいかなかった主な原因でした」

 亀岡商会の社員は30人ほどだが、亀岡さんを悩ませているのは、社員のキャリアプランを立てづらいことだ。ガソリンスタンドのスタッフも、1店舗では将来マネジャーになれるとは限らない。かといって、いきなり潤滑油の法人営業をしてもらうのも難しい。

「うちは歴史だけはある会社なので、私が会社に入った時は、嘱託社員で勤続50年以上という社員もいました。私が入ってから、70歳過ぎの方は徐々に辞めていかれましたが、いつも社員のキャリアプランをどうするかが問題です。今は若い営業スタッフを中途採用して、社員の平均年齢が下がり、年功序列の給与体系の見直しや新しい組織作りに努めています」

 MBA(経営学修士)を持っていることもあり、亀岡さんにとっては5年後、10年後の自分のキャリアプランを考えるのはごく自然なことだった。「でも、みんな同じじゃないんですね。面接の時、ある内勤の社員に『将来は専門職か管理職でキャリアアップできるように、準備していこうよ』とアドバイスしたら、それが逆に彼女のプレッシャーになってしまったんです」

 「同じ仕事をひたすら続けていくのは辛いのではないか」という亀岡さんなりの思いやりだったのだが、結果は逆だったのだ。高校生からずっと米国で過ごした亀岡さんにとって、「ずっと今のままで満足、という人もいる」ということが、新鮮な発見だった。

初めての人材選びは自分の手で

 父の右腕となり、会社を切り回していた管理部部長の“番頭さん”が70歳で退職した時、その後任選びは慎重に行った。誰の紹介も受けず、インターネットで人材紹介会社にアクセスして、3社ほどに適任者を探してもらったのである。

亀岡商会 常務取締役 亀岡幸子さん (写真:山田愼二、以下同)

「誰かに紹介してもらうと、ダメだと思ってもお断りできない。重要なポストですから、適任者探しにはお金も時間もかけました。うちのような零細企業では、なかなかいい方に巡り合えないのですが、50代の不動産関連の管理部門経験者が来てくださって、採用は成功だったと思います」

 彼を後任に決める時、まず畜産大学卒という経歴が目を引いたと亀岡さんは言う。面接の際、「高校の頃から動物が大好きで、その道に進みたかった」と目を輝かせて話してくれたそうだ。「良い大学から良い企業へ」というレールに身を任せるのではなく、高校生の時に自分が本当は何をやりたいかはっきりしていた、というのは評価すべきことだ。何よりも、人柄がいいことが決め手となった。「この時は、私が自分1人で選び、父には事後報告でした」

 経営者として、適切な人材を選ぶのは重要な仕事だ。亀岡さんは、自分の判断に誇りを持っている。

 「社員を採用するに当たって一番大切なのは、正直に話をすること」と亀岡さんは言う。「うちのような企業は、待遇面などで、同族会社ならではの不満も出てくると思います。その意味で、入社してから『話が違う』とやる気を失ってしまっては、本人にとっても会社にとってもマイナスです。ですから、待遇などは最初に正直にお話しして、理解してもらえる方、納得して下さる方かどうかを見るようにしています」と亀岡さん。

 「採用とはこちらが選ぶばかりでなく、採用される側も会社を選ぶわけですから。お互いにニーズが一致すれば、ご縁ができます。いったん社員になってくれたら、最後まで面倒を見なければと思いながら選ぶので、互いに真剣です」

 亀岡さんが経営を考える時、いつも最初に思い浮かぶのが社員のことだ。ここまで社員のことを考えようとする経営者は珍しいのではないか。「それは、私にとって会社を継ぐことが当たり前ではなかったからかもしれません」

 男兄弟のいない亀岡さんにとって、父親の大病は大きな転機だった。この先父に何かあっても、自分が突然会社をやめることなんてできないのではないか…。

 気がつくと、急に社員のことが見えてきた。「この会社でどんな人が働いているのか、実際に見てしまうと、もうやめられない。責任が出てくるんです」

 石油業界は成熟産業で、新規開拓は難しい。大企業に権利を売り渡すオーナーも年々増えている。亀岡商会がそれをしないで踏ん張るのは、社員に対して責任があるからだ。会社をやっていくと決めたからには、前へ前へと進まなくてはいけない。

 「対鶴館の地下のカフェは夏までにリニューアルして、新しい形にしようと思っています。銀座で働いている人が、仕事帰りにふと立ち寄って息抜きできるようなお店にしたいですね」と亀岡さん。

対鶴館旧館(昭和~大正時代)

 銀座の街への貢献も、重要な仕事のうちだ。東京マラソンの時は、銀座の会の若手が総出で、警備や誘導に当たった。「100年銀座にいて、たくさん恩恵を受けているから、少しでもお返ししたい。夏には大銀座落語祭、秋には茶道の三千家が同時開催でお茶を点てる『銀茶会』や、銀座中が音楽会場となる『銀座インターナショナル・ジャズ・フェスティバル』があります。他にも、通常早く閉まってしまう画廊を夜遅くまで開けて、シャンパンでお客さまを迎える『画廊の夜会』というイベントもあります。こういった催しを通じて、銀座のよさをもっと多くの人に知ってもらいたいですね」

 跡取り娘の取材をしていて思うのは、彼女たちには共通のキーワードがあるということだ。今回も「社員のため」と「恩返し」という言葉が出てきた。損得だけで言ってしまえば、会社をやめても豊かに暮らせるだけの資産を持っている跡取り娘たち。しかし彼女たちの人間性の中に見え隠れするのは、今どきの地位ある人々ですら失ってしまった「ノーブレスオブリージュ」という感性なのかもしれない。


亀岡幸子(かめおか・こうこ)
1969年東京生まれ。銀座対鶴館ビル4代目館主、亀岡信幸の次女として生まれる。高校から米国に留学。1996年に米国ワシントンDC、ジョージタウン大学でMBAを取得。帰国後、マイクロソフトにてマーケティングリサーチを担当、1999年より、1902(明治35)年創業の商社、亀岡商会およびびビル管理会社、対鶴館を運営する。現在は常務取締役。

日経ビジネス電子版から転載。
日経BP総研 HR人材開発センター長 大塚葉が担当した記事を再掲。