毎年3月になると、京都嵐山のトロッコ嵯峨駅から、トロッコ列車が走る。鉄橋の遥か下、保津渓谷の流れに目を奪われていると、片道7.3キロ・25分の道のりもすぐに終わってしまう。風情ある旅の終点が、トロッコ亀岡駅。この町に丹山酒造5代目であり、全国でも珍しい女性杜氏がいる。丹山酒造4代目社長である長谷川敏朗さんの次女、長谷川渚(29歳)さんだ。

丹山酒造5代目の長谷川渚さん(写真:藤本 純生、以下同)

 京都の西、嵐山の上流に位置する亀岡市は緑と水の町と言われ、なだらかな山すそに田園風景も見られる。かつては、明智光秀が亀山城を築いた城下町でもある。「家の横に酒づくりの蔵があって、小さい頃はそこが遊び場でした。お酒がお米と水からできるというのが面白くて、いつかは自分でやりたいと思っていたんです」と長谷川さんは言う。「高校生の時に、この道に入りたい、そしてどうせなら手に職をつけたいと思いました」

 杜氏を目指す長谷川さんは18歳で高校を卒業してすぐ、酒造職人になるための最も近道を選んだ。滋賀県の日本醗酵機構余呉研究所に研究生として入り、ここで1年間、そして東京農業大学で研究生として半年学ぶ。その後家業に入り、南部杜氏の阿部芳雄さんのもとで杜氏の修業を始めた。

 東京農大といえば、醸造化学科には造り酒屋の娘や息子が何人もいると聞くが、長谷川さんが4年制のコースを選ばなかったのは「1日も早く職人になりたい」という思いからだった。

 造り酒屋の跡取り娘なのに、長谷川さんは職人志向だ。普通、創業者の一族が製造者である杜氏を目指すのは珍しいという。ましてや、女性杜氏はもっと珍しい。「夏子の酒」という漫画で女性杜氏が注目されたことは記憶に新しいが、関西でも女性杜氏はまだ数人だという。

 そもそも杜氏とは、収穫を終えた雪国の農家の男たちが蔵人(くらびと)という酒造職人として出稼ぎをする、季節労働者のことを言う。四季醸造の技術のない時代、酒は「寒造り」と呼ばれ、冬にだけ行われていた。11月に始まり、3月までの「100日」が酒づくりの期間だった。こうした蔵人たちの長が、杜氏である。

京都亀岡市にある丹山酒造

 優れた技術を持った杜氏たちは出身地別に流派に分かれているが、中でも「杜氏といえば丹波」といわれるほど丹波は酒造が有名で、灘の酒の名声とともに、丹波杜氏の名も全国に広がった。丹山酒造は、丹波杜氏の流れを汲む灘の名酒の蔵元である。

 長谷川さんは19歳で家業の杜氏見習いとなる。当時の丹山酒造では、杜氏と社員3人と長谷川さんの、総勢5人で酒をつくっていた。長谷川さんが蔵に入る時、母親は杜氏に「渚を甘やかさないようにしてください。覚えるのが遅くなりますから」とお願いしたそうだ。

 「酒づくりは11月からの冬場の仕事。実際に蔵に入ると、とにかく寒いんです。お酒は低温発酵なので、暖房が使えません」と長谷川さん。「それに、30キロもあるお米の袋を担がなくてはいけないんです。酒づくりの期間は、毎朝5時半から仕事でした」。この華奢な体で30キロのお米を担ぐのかと驚いたが、「コツを覚えれば大丈夫です」と笑顔で答える。昔の米俵は60キロもあったそうで、「昔だったら、女性の杜氏は無理だったと思います」と長谷川さん。

 杜氏としての仕事を始めてから、「最初の2~3年はしんどかったですね。1月の成人式の頃はお酒の仕込みのピークなので、式には出られず、夕方に振袖を着て挨拶回りだけ行きました。夜は仕事はないのですが、あまり遅くまで友達と出かけたりすると、翌朝が早いのでしんどいのです。友達は理解してくれましたが、夜のつき合いには行かなくなってしまいましたね」。

 20歳前後といえば、就職したり大学に進学した友人にとっては、一番楽しい時期だ。そんな時に長谷川さんは早朝から、人がすっぽり入れるような大きなホウロウのタンクに入って、中の掃除をする。今の若い人なら、敬遠しそうな職場である。しかし「タンクの洗い方が悪いと、よく怒られました」と訥々と語る長谷川さんは、柔らかな京都弁で、たおやかな京美人。その内には、粘り強い職人の気質のようなものが一本しっかりと通っているのだ。

仕込み用タンクの前で、櫂棒(かいぼう)を手にする長谷川さん

 いったい酒づくりの何が、彼女をそこまで惹きつけるのだろう? ある日長谷川さんは、杜氏から「酒づくりは生き物相手の仕事だから、手を抜いたらそれだけのものしかできないよ」と言われたそうだ。「発酵は毎日進みます。搾ってお酒ができるまでは、成功か失敗か分からない。半日間違えると、甘さや辛さの微妙な具合が違ってきてしまう」。そんな奥深さが、長谷川さんを夢中にさせる。

 酒づくりの工程は「米を洗う」「蒸す」「仕込み(米を、水と酵母と麹に混ぜ、タンクで2週間かけて発酵させる)」「もろみ(できた酒母を大きいタンクに入れ、さらに水、麹、蒸し米を加えて20日間発酵させる)」「搾り」となる。

 丹山酒造の蔵には人の背よりも高い15個のタンクが並ぶ。全工程を1日ずつずらして仕込んでいき、毎年1200石(約216.5立方メートル)分の酒ができる。最近では、温度調整のできる蔵で年間通して酒づくりをしている蔵元もあるが、丹山酒造では昔ながらの手法を守り続けているのだ。

 「酒づくりの期間は、毎日気が抜けません。仕込みの温度設定、発酵の進み具合は、外気の温度でも全く違います。段取りが分からない頃は毎日がいっぱいいっぱいで、余裕がありませんでした」と長谷川さん。

 「見て覚える」が基本の、職人仕事。しかし、厳しい分喜びも大きい。19歳で初めて蔵に入った時、長谷川さんがつくった酒がある。名前は「渚 大吟醸」と「渚 純米吟醸」。命名者は、恩師である農大の小泉武夫さんだ。「お酒に自分の名前をつけるのは、最初は恥ずかしかったですね。でも酒づくりがやりたくてこの世界に入ったので、自分のお酒ができるんだ、と感慨もひとしおでした」

長谷川さんが19歳の時につくった「渚 大吟醸」と「渚 純米吟醸」

 「渚 大吟醸」「渚 純米吟醸」から10年。育ててくれた杜氏も引退し、今年から製造部の男性社員4人と長谷川さんで、酒づくりをしている。今では、どの蔵元も自分たちで製造をやるようになっている。杜氏たちも高齢化して70~80代となり、後継者がなかなか育たないためだ。杜氏たちに代わるのは、彼らの「技」を「科学」で伝承しようという試みだ。丹山酒造のように昔ながらの酒づくりにこだわる蔵元もあるが、コンピューターを使い、1年中安定して酒造管理ができる最新技術を追求する蔵元がどんどんでてきている。

 蔵元の中には、後継者が育たずに廃業していくところもある。長谷川さんの祖父の時代は亀岡市に5軒あった蔵元も、今は3軒になった。京都市内にいたっては、1軒しか残っていない。酒づくりに使うための井戸水が涸れてしまい、廃業した蔵元もある。しかしその分、「京都の地酒」というブランドの希少価値が増しているのも確かだ。

 次回は、丹山酒造のブランディングについて伺う。


長谷川 渚(はせがわ・なぎさ)
1978年京都生まれ。丹山酒造4代目社長、長谷川敏朗氏の次女。丹山酒造5代目であり、全国でも珍しい女性杜氏でもある。滋賀県の日本醗酵機構余呉研究所、東京農業大学の研究生を経て、現在は杜氏として修業中。「利き酒師」の資格を持つ。

日経ビジネス電子版から転載。
日経BP総研 HR人材開発センター長 大塚葉が担当した記事を再掲。