育児休業法が施行されたのが1992年。これにより、少なくとも産後8週間の育児休業の取得が定められた。だが住友スリーエムでは、既にその9年前から、1年間の育児休職が可能だった。同社人事本部人事オペレーション部でマネジャーを務める福田積子さんは、「当社ではそれだけ、“女性が働きやすい職場作り”が進んでいたのです」と話す。

住友スリーエム 人事本部 人事オペレーション部 マネジャーの福田積子さん(写真:厚川 千恵子、以下同)

 しかし90年代後半、「女性活用」を見直す転機が同社に訪れた。97年から、アジア太平洋地域財務担当ディレクターとして米国ミネソタ州の3M(スリーエム)本社へ赴任していた金子剛一副社長は、米国と日本の企業風土の違いにカルチャーショックを受けたという。福田さんはこう説明する。「当時、日本の住友スリーエムには女性管理職はほとんどいなかったのですが、米国では管理職の40%が女性で、多くの女性が副社長や本部長として活躍していたのです」

 住友スリーエムは、世界60カ国以上に設立された3Mの現地法人の中でも、最大規模を誇る。だが、女性の活躍という面では他国に後れを取っていた。このことに危機感を持った金子副社長は、2000年に帰国し人事担当の現職に就くと、人事制度改革プログラム「HRプラン21」を提唱したのである。

 「HRプラン21」では21世紀に向けて21項目の人事課題が掲げられ、「女性活用の推進」も盛り込まれた。これが、同社の女性活用推進活動の幕開けとなる。課題の実現に当たり、ワーキングチームも発足。当時情報システム部のマネジャーだった福田さんも、招集されてワーキングチームのメンバーになった。ここで福田さんは、一般職から総合職への転換制度の見直しを強く訴えたのだ。

 「その頃は、短大卒は一般職、大学卒は総合職と、コース制採用を行っており、私にも一般職と総合職の部下がいました。一般職の部下も、総合職として活躍できる能力と意欲を持っていたのに、待遇面では格差があり、公平ではないと感じていました」と福田さん。住友スリーエムでは、1996年に『ジョブチャレンジ制度』が導入されていたが、一般職から総合職へ転換するには、異なる職種へのチャレンジが前提となっていた。「つまり、情報システム部にいるままでは、一般職から総合職に転換できなかったのです」

 転換制度見直しの提案をしてからほどなくして、福田さんは自身が異なる職種にチャレンジすることになる。「人事部長から『あれだけ力説したのだから、自分で制度改革を担当してはどうか』と言われ、人事オペレーション部へマネジャーとして異動することになりました」

 情報システム部の部下たちに制度見直しの実現を誓い、送り出された福田さんだったが、まず着手することになったのは、人事部の風土改革だった。「人事部には一般職の女性が2人いました。とても優秀でしたが、その能力を十分に生かせる環境ではなかったのです」と福田さんは言う。

 「例えば誰かの目の前で電話が鳴っていても、最初に受話器を取るのは彼女たちでした。電話は一般職の女性が取るものだというのが、人事部の慣習になっていたのです」。こうした雑用に追われ、女性たちはなかなか能力を発揮できずにいた。

 そこで福田さんは、自分の電話が鳴った時は自分で取ると彼女たちに伝え、「私が席にいる時は、ほかの人の電話も取らなくていい、と言いました。私が自ら電話を取って取り次いだりしているうちに、ほかの人も自分で受話器を取るようになりましたね」。


 こうした小さな努力の積み重ねから女性活用に対する意識を高め、福田さんは1年がかりでジョブチャレンジ制度の拡大運用を実現。同一職種のままで、一般職から総合職に転換できるようにしたのである。

 しかし、これには管理職登用よりも厳しい選考過程が設けられた。「一般職として優秀でも、総合職には別の能力が求められます。一般職と総合職の間には、大きな川が流れているのは事実。本人が、そこにかかった橋を渡ろうとしているかどうかを見極めることは重要です」

 本人が総合職として働く意欲があれば、上司の推薦を受け、課題論文を提出し面接を受ける。こうした関門をクリアし、2001年には13人が、2002年には6人が一般職から総合職への転換を果たした。2003年からは「ジョブグレード制度」に移行し、生産職を除いては採用時のコース制自体も廃止した。

メンタリング制度に救われた女性管理職

 「HRプラン21」による女性活用推進では、人事部とは別に、有志の女性によるプロジェクトチーム「Eve21」を発足。「女性社員職場環境調査」などのアンケートを実施し、洗い出した課題を経営トップに提言するほか、米国から女性リーダーが来日した際にランチセッションを企画したり、外部講師を招いたフォーラムなどを開催するなどの活動も行った。

 2000年から3年間、「新しい文化の創造」に注力した「HRプラン21」は、2004年から「新しい文化の定着」を目指し、9項目からなるアクションプラン「Culture9」へと移行した。そこでは「女性社員の積極的活用」「メンタリング制度の導入」などが掲げられている。

 「メンタリング」とは、「メンター(よき指導者、相談相手)」が「メンティー(経験の浅い社員)」と面談し、キャリア形成や仕事と家庭の両立などに対するアドバイスを、一定期間継続して行うものだ。部署の上司は部下を育成し評価するのに対し、メンターは育成サポートはするものの評価はしない。仕事上の利害関係がないため、メンティーは臆することなくメンターに話ができる。

 メンタリング制度導入に当たり、社内でメンティーを公募するメンタリングプログラムが創設された。2003年、全女性社員約300人を対象にメンティーを公募。60人がオリエンテーションに参加し、34人がプログラム受講を申し込んだ。現在、カスタマーサービス本部オーダーセンターのマネジャーを務める庄子てる江さんも、メンティーになった1人である。

住友スリーエム カスタマーサービス本部 オーダーセンター マネジャーの庄子てる江さん

 庄子さんは1979年の入社以来、仙台営業所の業務部で一般職として働いてきた。2000年に東京で東日本受注センターが新設されることになった際、転勤しないかとの打診を受ける。「ずっと総合職への転換を希望していましたが、仙台には業務部しかなく、『新しい職種へのチャレンジ』という要件を満たせずにいたのです」。前述のように当時は制度上、異なる職種に移らないと総合職にはなれなかった。このため、庄子さんは転勤を決意。2001年に試験を受け、念願の総合職になると、数カ月後には管理職登用試験も受けるように促された。

 当時の心境を、庄子さんはこう話す。「短期間で一般職から総合職、管理職となったため、周囲から『どうしてあの人が?』という目で見られているような気がして萎縮していました。実際にそんなふうに言われることもあり、ますます自信がなくなっていったんです」

 また、管理職登用試験では「女性管理職としてできること」をリポートするよう求められた。「これには、本当に悩みました。『管理職』としてではなく、『“女性”管理職』としてできることと言われても…。周りにお手本となる女性管理職はほとんどいませんでしたし、私自身は女性も男性も関係ない、と思って仕事をしていたのです。あの頃はどうしたらいいのか分からず、自宅に帰ってよく泣いていましたね」。悶々としていた時、上司の勧めもあって庄子さんはメンティーに応募した。


 メンタリングプログラムは、原則として1年間、毎月1回1時間程度を目安に面談を重ねる。メンターはこの年、住友スリーエムの全役員および事業部長を含む28人が務めることになった。メンティーとの組み合わせは、人事部が様々な側面から考慮して決定する。面談の進め方は、各組で話し合う。

 庄子さんのメンターは、庄子さんと同様の業務経験のある事業部長が担当した。「会議室で面談をする人もいれば、毎回メンタリングのリポートを提出している人もいましたが、私の場合は、外でメンターと一緒にランチを食べながら、世間話のような形で進めることになりました。おかげで、あまり気負わずに話ができました」

 庄子さんはまず、管理職としてプレッシャーを感じていること、“女性として”の意見を求められるのが負担であることなど、愚痴めいたことも含めて正直に打ち明けた。「するとメンターは、『あまり悩まずに、自分のできることから一つひとつやっていけばいい』と言ってくれたんです。その頃の私は『頑張ります』というのが口癖でしたが、『頑張り過ぎなくていい』と言われ、肩の力が抜けたような気がしました」

 将来の目標についてはまだ漠然としていたが、「メンターからは、自分の部下に対して、『任されている』という自覚を持つように言われました。それまでは、自分がどうありたいかを軸に考えていたのですが、それを機に、管理職としての責任を意識し始めたのです」と庄子さんは言う。

自分らしい管理職になればいい、と気づく

 「私はそれまで、管理職とは仕事がバリバリできてリーダーシップのある人という、自分とはほど遠いイメージを抱いていました。でも、自分が無理にそうなる必要はない、自分らしくやろうと思えるようになったのです」。庄子さんは、1つの目標を持った。それは、「部下が話しやすい管理職になることでした。一番大切なのはコミュニケーションだと思います。困ったことが起きた時に、部下が私に真っ先に話せるような関係を築こうと決めました」

 庄子さんは、「自分の目指す管理職像が明確になったことは、私にとって大きな力になったと思います。仙台にいた頃、私は周囲から『いつも笑っていて元気だね』と言われていたのに、管理職になってからは気づかないうちに、下ばかり向いて眉間にシワを寄せていたんです」と、振り返る。

 そんな庄子さんを、福田さんはずっと見守っていた。「あの頃の庄子さんのプレッシャーは、相当なものだったと思います。彼女は実力で管理職に昇進したのに、『女性だから肩入れされたのでは?』と見る人もいたでしょう。そんな中で模索していた庄子さんを、会社としてもサポートしたいと思っていました」

 庄子さんのメンターを決定したのも、福田さんの助言によるところが大きい。「自分と同じ業務経験を持つ役員から建設的なアドバイスを受ければ、庄子さんはきっと伸びると思いました。実際、メンタリングを受けてからは、表情が見違えて明るくなり、芯の強さが感じられるようになりましたね」と、福田さんは管理職としてひと皮むけた庄子さんの成長を喜ぶ。

 2005年に実施された第3期のメンタリングプログラムでは、入社5年目までの男性社員8人を含む17人が参加した。2007年からは新入社員を対象としたプログラムに、入社3年目からマネジャークラスの社員を対象としたプログラムと、全社的な取り組みへと拡大している。

 そのほか同社では次世代育成にも注力し、充実した育児や介護支援制度の運用実績が評価され、2006年ファミリー・フレンドリー企業表彰において厚生労働大臣優良賞。今年5月には次世代育成支援対策推進法に基づく認定マークも取得した。

 新しい文化の創造、定着と歩を進めてきた住友スリーエムの女性活用推進は、持続的な改革へと、さらに進化し続けている。

日経ビジネス電子版から転載。
日経BP総合研究所 大塚葉が担当した記事を再掲。