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 「私は、男の子のように自由に育てられました。今の自分があるのも、親の理解ある放任主義のおかげだと思います」と語るのは、浅野屋3代目、代表取締役社長の浅野まきさんだ。

浅野屋代表取締役社長の浅野まきさん。(写真:山田 愼二、以下同)

 跡取りを意識せずにバブルを謳歌していたOL時代だったが、思えばその頃に、跡取りとしての浅野さんの土台はできていた。

 女性の中には、企業内でキャリアを積まなくても、プライベートでの人脈構築や情報収集・分析力に長けている人がいる。バブル期に「Hanako族」と言われたOLたちがそうだ。料理店の開拓や海外旅行のスケジューリングなどに、卓越した能力を発揮する。

 コミュニケーションもうまく、会の幹事も得意な女性たちのこうした能力は、広告代理店やマスコミに勤めていれば十分に生かされる。しかし企業でこの能力を生かせなかった場合、退職後にママさんコミュニティーを上手に運営したりして力を発揮するものだ。

 浅野さんは、それまでに培ったネットワークや感性を、家業に入ることで、マーケティングや経営企画に思う存分生かせたのだと思う。新しい出店や取引先開拓の際も、食を通じた彼女の人脈がものを言った。

 浅野さんが経営に参画してから、浅野屋はどう変わったのか? 浅野さんが最も注力するのが、社内の情報共有だ。浅野屋の正社員は約80人、アルバイトやパートも入れると200人いる。本社スタッフは15人で、新製品を企画する商品会議には、製造と販売の責任者10人が集う。

新商品、バゲットを桜の形にしたパン「スリジェ」

 「スタッフは東京と軽井沢に散っているので、私の役目は『メーラー』です。様々な情報を共有するために、あちこちにメールを送りまくっています」と浅野さん。例えば、新しいデニッシュを開発する時は、何通りもの大きさの試作品を作ることになる。「新規出店までは毎週商品会議をしますが、『私はこういう商品を作りたい』などと、会議メンバーにしつこく何度もメールするのです」

 東京ミッドタウン店のオープンに合わせて作った「スリジェ(桜)」というパンは、バゲットを桜の形にしたもの。浅野さんのリクエストを、全員が頭をひねって商品化したのだ。

 銀座の和菓子屋、曙4代目の細野佳代さん(参考記事は、こちら)も、「自分の目標があると、『こうしたら、うまくいくのでは』と社員にしつこく何度も伝えることで、達成できるものです」と言っていた。2人の跡取り娘のマネジメント手法は、よく似ているようだ。

 「父は、やれと言ったらトップダウンで指示する。私の場合は、しつこくみんなにリクエストするのです。協調的なのでしょうか」

 浅野さんの代になってから商品開発にも力を入れ、店の棚に並ぶパンの数は格段に増えた。今は定番が30種類。店頭には常に60~80種類の商品が並ぶ。

 情報共有の際に一番大事なのは、「悪いことほど、早めに報告すること」だそうだ。「お釣りの計算ミス、商品入れ忘れなどのクレームは、どんな小さなことでも、メールで全員が情報共有するようにしています。メールなら、言った言わないというトラブルもない。もちろん現場でも話をしますが、すぐにメールを全員に送ります」

 父の時代は、良いことはすぐ上に報告するが、良くないことは報告が遅れることが多かった。浅野さんの代になり、風通しがよくなったのだ。

 情報共有にこだわるのは、日々の改善意識があるためだ。売り上げの数字は毎日上がってくる。時間当たり、どれだけの人が何を買ったかすぐに分かる。非効率的な部分を正せば、売り上げは確実に上がる。

 「軽井沢の繁忙期には、1日何千人ものお客様がいらっしゃいますが、冬は100人以下になることも。どうすれば全店舗で効率よく売り上げられるか、常に改善を考えています」と浅野さん。浅野屋は対面販売だ。現場の失敗から学び、情報を共有し、具体的な改善点を整理してマニュアルに落として共有する。例えば銀座松屋店は、リニューアルで店舗面積は小さくなったが、収益は上がった。

 「レジの場所など店内レイアウトを変えるとか、袋やトング(パンを挟む道具)などの販売用ツールをどこにしまうかなど、小さな工夫を積み重ねていくのです」

店舗のスタッフと打ち合わせをする浅野まきさん

 東京ミッドタウン店の3台のレジは可動式で、客数に合わせて移動できる。これには浅野さんは設計段階から加わり、「番重(パンを入れるプラスチック製コンテナ)が何枚積めるかにこだわった」という。パンの焼き上がり時間をずらし、焼き立てを提供できるよう、ストックできる番重の枚数が効率化とサービス向上につながる。

 今までの店舗での試行錯誤が、自由が丘店と東京ミッドタウン店には生かされているのだ。効率を考え抜かれた店内レイアウトなら、製造も販売も確実にやりやすくなり、顧客満足度につながる。

 「1回来ていただいたお客様に、残念な思いはさせたくない。『常に正確に早く』が基本です。こういった訓示を朝礼で唱和したりはしませんが、スタッフがミスをしたら、そのたびに必ず確実にやり直すように指導します」

 ブランディング戦略としては、父の時代から「軽井沢レザン」などでイメージ構築していた「軽井沢色」をいっそう強く打ち出す。「軽井沢シリーズの一環として、量り売りのパンは軽井沢ショコラ、軽井沢キャラメルなどブランド化しています。東京ミッドタウン店のブラッスリーでも、信州豚のグリル、軽井沢ベーコンや星野温泉の地ビールを出しています」

パンを運ぶ男性が浅野屋のロゴマーク

 浅野屋のシンボルである「おじさんマーク」も、キャラクターとして生かすため、パンの袋にデザインした。ブランドマーク袋を持った人がいれば、認知度アップにつながる。自由が丘店開業時には、白地に赤のマークのトートバッグをノベルティとして配った。

 「東京ミッドタウン店では、ノベルティのバッグは黒地に金にしました。シックにしたかったのと、今年は“シャイニー系(光り物)”が流行ですから」。さすが浅野さん。おっしゃるとおり、ファッション業界では、2007年の靴やバッグはゴールドが流行なのだ。

 新規採用にも毎年力を入れるが、人集めは頭が痛い。製造部門はラインで流す大量生産ではないだけに、職人が一人前に育つのは時間がかかる。「最近は専門学校卒でも正社員になりたがらない人も多い。高卒の人の方が、よほど頑張っている場合もあります。うちではアルバイトでもやる気のある人は店長にして、アルバイト店長も誕生しています」

 浅野さんが一緒に働きたい人は、「職業意識のある人」だ。「私たちはパンを作って買っていただいて、日々生活が成り立っている。それを分かって働いてくれる人がいいですね」と言うのだ。

 「パンは生き物です。同じように作っても、季節や天気によって出来上がりが違う。長時間発酵をさせ、手間隙かけて作る。製造の担当者は、そのことを分かって作ってほしい。また、販売担当者は、そうして頑張って作っていることを受け止め、一生懸命売ってほしいのです。うっかりパンを落としてしまったら、ポイと捨てるのではなく、『もったいないことをしてごめんなさい』という気持ちを持ってほしいのです」

 こういう話をする時の浅野さんの目は、本当に真剣だ。やはり「ものづくり」に関わる人だなあと思う。浅野屋はやはり、製造業なのだ。

 「でもこの仕事をしていて、やるせない思いに駆られることもあります。飽食の時代でありながら、一方で世界には満足に食べることもできない子供たちがいますよね」という浅野さん。

 毎日多くのお客が訪れ、パンが売れていく。店頭に並ぶ70種類のパンも、トレンドに合わせてめまぐるしくメニューが変わる。東京ミッドタウン店の下は、24時間営業の巨大マーケット。まさに飽食の時代の現場にいるのだ。

 浅野屋では、孤児院や教会の施設にパンをプレゼントすることもある。企業としてできることから、社会貢献をしているのだ。最近は環境問題にも気を使う。「ゴミを出す企業として、考えるべきことがたくさんあります。昨年からは、紙の手提げ袋を有料化しました」

 レジ袋をもらわない客にポイント加算するサービスも始めたが、運用が難しかった。買うパンは1個でも3個でも1つの袋に入れるが、ある客に「パンを3個買って袋をもらわなかったら、3ポイントつくはずじゃない」と怒られたのだ。今は、新しいやり方を模索中である。顧客満足度アップとエコロジーの両立に悩む、浅野さんである。

 今の生活の中心は仕事。多忙のため、趣味の食べ歩きの機会も減った。「悲しいけれど、趣味は仕事です(笑)。あとは歌舞伎鑑賞。市川海老蔵が好きで、襲名の時はパリと九州以外は全国の公演に行きました。酒井順子さんの『負け犬の遠吠え』を読んだ時、これは私のこと?と思いましたよ」

 現在付き合っている恋人はいるが、結婚などの既成概念にとらわれたくない。「彼も食関係の人なので、仕事の悩みの相談にも乗ってくれます。もし結婚したくなったらすればいいし、子供も自然に任せればいいと思っています。でも、今でもこんなに忙しいのに、子育てと両立できるのか。私、あまり器用な方ではないですし…」

 「小さな会社ですが、何年かかってもいいから、試行錯誤して理想に近づいていきたい。いつも、『これが終点じゃない』という改善意識を持っていたいのです。毎日同じように作っても、パンはそのたびに違う。同じパンをずっと買ってくださるお客様をがっかりさせたくない。今日はいいものが作れた、素敵な接客ができた…。社員のみながそんなふうに少しずつ前進していければ…と思っています」

 まだ浴衣も自分ひとりでは着られない浅野さんだが、夢は着付けを習って、自分で着物を着て歌舞伎に行くことだそうだ。自由が丘、六本木と出店は一段落したが、次は各店舗を回りたいという。和服姿で優雅に歌舞伎鑑賞をする日は、まだ少し先になりそうだ。

【取材雑感】

 この取材を通じて、外から来た社長ではなく跡取りだから、そして息子ではなく娘だからこそ経営に成功したというケースを見ると、うれしい気持ちになる。外部の優秀な頭脳は移植できても、家業の根底にある“魂”のようなものは、跡取りでなければ持ち得ないだろう。

 また浅野さんは、女性らしいネットワーキング力を企画に生かし、協調性を強みにして父親や社員と良好な関係をつくりながら、果敢に経営改革に乗り出したと言える。

 日本の「ものづくりの魂」は、現代の跡取り娘たちがしっかりと受け継いでいるのである。


浅野まき(あさの・まき)
1969年東京生まれ。浅野屋2代目、浅野耕太の長女として生まれる。清泉女子大学卒業後、丸紅に入社。紙パルプ部に勤務する。1998年、浅野屋に取締役として入社。2006年7月、代表取締役社長に就任。日本ソムリエ協会認定ワインアドバイザーの資格を持つ。

日経ビジネス電子版から転載。
日経BP総研 HR人材開発センター長 大塚葉が担当した記事を再掲。