「外資系企業ではダイバーシティーマネジメントが進んでいる、というイメージがあるかもしれません。でも、我が社の日本におけるダイバーシティー推進は、昨年まで手つかずの状態でした」。こう話すのは、スイスに本拠を置く製薬会社、ノバルティス ファーマで、「ダイバーシティ推進室」室長を務める藤井幸子さんだ。

ノバルティス ファーマ ダイバーシティ推進室 室長の藤井幸子さん (写真:厚川 千恵子、以下同)

 ノバルティス ファーマは世界140カ国で医薬品事業を展開するグローバル企業だが、日本の現地法人で本格的なダイバーシティー推進が始まったのは、2006年4月だった。当時、医薬品事業本部 循環器事業部でマーケティング部長を務めていた藤井さんは、ダイバーシティー推進の舵取りを任され、ダイバーシティーマネジメントの先駆的な活動を行うNPO法人(特定非営利活動法人)、GEWELの代表理事、堀井紀壬子さんにアドバイスを求めた。

 「弊社はスイス本社でも様々な取組みを行っていますが、日本と、性別・国籍・文化など様々な価値観が混在する海外とでは、根本的なメンタリティーが違います。そこでGEWELさんと一緒に、日本独自の研修プログラムを構築しました」

 ダイバーシティ推進室設置の際も、堀井さんの助言を受け、人事部から独立した組織とした。藤井さん自身も「既存の制度に縛られずに自由な発想で改革を図るには、推進室はトップ直轄でいくのがベスト」と考えていたという。同月、藤井さんと各部門の推薦を受けた女性5人と男性1人の有志による「ダイバーシティチーム」を結成。推進室で実質的に1人で活動を開始した藤井さんをサポートすることになった。

 5月には、ダイバーシティーに関する知識などについて、全社員に意識調査を行ったが、この結果藤井さんは「アウェアネス(認知度)」の向上が第一義、と痛感した。「“ダイバーシティ”という言葉の認知度は、40%しかありませんでした。その意義も理解している人は、もっと少なかった。多様性を受け入れ、それぞれの価値を認め合う組織風土が、企業の持続的な成長に不可欠だということを、全社員に浸透させなくてはと考えました」

 そこで、6月に「ダイバーシティ キックオフ」を決起。ここでは、社員にダイバーシティーという言葉を浸透させるためのユニークな企画が実現した。ある朝社員がパソコンの電源を入れると、突然ディスプレイに馬場宣行(当時)社長の姿が現れるのだ。そして、「ダイバーシティ」の言葉とともに、「多様性は可能性」というメッセージが映し出される。


 社内LANを通じて社員全員のパソコンに仕掛けられた「社長メッセージ」は、1週間続いた。「事前に告知や説明をしなかったので、社内では『パソコンが壊れた!』『いったいいつまで続くのだろう』と、ちょっとした騒ぎになったようです」と藤井さんは笑う。

 “ダイバーシティガム”なるものも配布した。「1つのパッケージに様々な味のガムをセットしたものです。カラフルな包み紙と併せて多様性をイメージし、“様々な個性が集まる楽しさ”を感じてほしいというメッセージを込めました」

 8月までの3カ月間、藤井さんはGEWELの堀井さんとともに各地を回り、全国の管理職約400人に向けて、「ダイバーシティ管理職研修」を実施。ダイバーシティー推進が、企業戦略としていかに重要かを説いていった。

ワーキングマザースクラブの開設

 また、5月の意識調査の際、結婚・出産後も働き続けることに不安を持つ女性の声が多く聞かれたことから、ダイバーシティチームはキックオフに先駆けた5月に「ワーキングマザースクラブ」を結成。月に1度、昼休みに情報交換をしたり、育児経験を持つ先輩からアドバイスを受けられる場を持つようにした。そのリーダー的な役割を果たしているのが、現在オンコロジー開発部でプロジェクトリーダーを務める井上美衛さんだ。

ノバルティス ファーマ オンコロジー開発部 プロジェクトマネジメントグループ プロジェクトリーダーの井上美衛さん

 井上さんは同業他社に18年間勤務した後、2005年12月にノバルティス ファーマに入社した。前職時代には2人のお子さんの出産・育児も経験している。転職当時の印象を、井上さんはこう話す。「ノバルティス ファーマに入社した時、女性管理職が思った以上に少ないこと、ワーキングマザーの影が薄く、女性同士のネットワークがなかったことに驚きました」

 以前の会社で井上さんが第1子を出産した1990年には、育児休暇制度もなく、出産後3カ月を待たずに職場に復帰したという。「昼休みに更衣室で、ひとりで搾乳したりしていると、なんだか自分がかわいそうになって泣けてきたこともあります」と振り返る。

 だが、当時の女性上司が井上さんの実績を認め、励ましてくれ、周囲の理解を得られるように配慮してくれた。「ノバルティスは支援制度は整っている半面、ロールモデルとなる女性が少なかったので、精神的なサポートが得られる体制が必要だと感じました」という井上さん。「でも、ダイバーシティチームができてから、かなり環境がよくなったと思います。ワーキングマザースクラブの活動を通じて、自身の体験が少しでも役立てれば…」と語る。


 推進室ができて半年、11月に再び意識調査を行ったところ、5月には40%だった“ダイバーシティ”の認知度は80%まで上がり、その6割が、意義と方向性も正しく理解していた。

 女性が働きやすい環境を整えていく一方で、藤井さんはダイバーシティー推進が、「女性だけのための活動」と捉えられることに危惧を持つ。「ダイバーシティー推進は、互いの価値を尊重し、能力を発揮することによって企業の成長に貢献していくものです。それを正しく理解してもらうために、男女ともに参加できるフォーラムやセミナーを企画しています」

 最近は、ワークライフバランスの認識を高めるための研修に注力する。「仕事や生活に対する満足度を上げ、自分の価値に気づくことは、個人の価値を認めることにも通じるはずです」と藤井さんは言う。しかし井上さんは、「これまで仕事中心の生活を送ってきた40~50代の人にとっては、ワークライフバランスを考えることに戸惑う場合も多いですね」と指摘する。

 また、「11月の調査では、パワーハラスメントに対する問題意識が根強いことが明らかになり、中間管理職へ向けたハラスメント対策の研修を企画しました」と藤井さん。

男性管理職のためのファッションショーも開催

 12月には全国の営業所長や部長など管理職約200人を対象に、ちょっと変わったフォーラムを開催した。「LEONフォーラム」と呼ばれるこの研修では、昼間はハラスメントについての講義などを行ったが、夜の懇親会では“ちょい悪オヤジ(不良がかった中年男性)”のファッションやライフスタイルを提唱して人気を博した、雑誌『LEON』さながらのファッションショーを開催したのだ。

「『LEON』は“LEaders Of Novartis”の略でもあるんですよ。ショーでは研修に参加した男性管理職6人をモデルに見立て、有名タレントのスタイリングを手がけるプロのスタイリストに、それぞれの個性を引き出すファッションをコーディネートしてもらいました」と藤井さんは言う。スタイリング前の男性たちの姿がスライドで映し出された後、華麗に変身した本人が登場すると、その変貌ぶりに会場は大いに沸いたという。

 キックオフでの仕掛けに続き、ユーモア溢れる催しを企画した意図を、藤井さんはこう話す。「中間管理職の世代は、変化を受け入れることに抵抗のある人が少なくありません。ダイバーシティーという大きな変革では、なおさらです。そこでこのフォーラムでは “変わる”をテーマに掲げました。普段は想像もしなかったファッションに挑戦することで、新しい自分を見つけ、変わることを楽しんでもらいたい。変わることはそんなに大変ではないんだよ、というメッセージを伝えたかったのです」

 ファッションショーの模様は、後日イントラネットと社内報で紹介され、若い世代も驚いたという。「若い世代には、『管理職は大変そう』と、管理職になりたがらない人もいます。管理職が魅力的な姿を見せることで、若い人たちの意識も変わっていくのではないでしょうか」と井上さんは話す。

 「ワーキングマザースクラブ」も、今年1月からは「ワーキングペアレンツクラブ」と名称を変え、男性も参加するようになった。独自にブログを開設し、定例会以外での情報交換や相談も活発に行われている。「身近に相談できるロールモデルやネットワークができたことで、結婚や出産後も働き続けたいと考える女性が増えてきました。問題となっていた女性MR(医薬情報担当者)の離職率の高さも、改善の兆しを見せています」と藤井さんは話す。

 ノバルティス ファーマのダイバーシティー推進活動が、わずか1年で認知度を高めたのは、旗手を務めた藤井さんの手腕によるところが大きいだろう。藤井さんは、2000年に上市(研究開発された薬剤が製品として市場に流通すること)した、同社の主力製品である高血圧症治療薬「ディオバン」の売り上げを、わずか5年で1000億円にまで引き上げた経歴の持ち主だ。

 そんな藤井さんに会う前、井上さんは「怖い人に違いない、と思っていました(笑)。でも一緒に活動を始めるとすぐに、仕事ができて尊敬できる人だと思うようになりました。それに、気配りが細やかで人の力を引き出すことにも長けているのです」。

 イベントなどの担当者を決める時、みな忙しくて手が回らない時でも、藤井さんは「これは、あなたならできる」「こっちはあなた」と指名するそうだ。「人を見る目があるというか、人選がうまいんです。どんなに忙しくても、藤井に言われるとその気になるし、実際にできてしまう。職場を離れてもつき合い続けたいと思える、数少ない中の1人です」と井上さんは言う。

ダイバーシティーは企業同士が手を携えるべき事業

 藤井さんは、今後は社外での活動にも力を入れたいと意欲を見せる。「このダイバーシティー推進の活動は、他社と競合するものではありません。むしろ、手を携えていくことで、社会全体の活性につながる。それを考えると、とてもワクワクした気持ちになりますね」

 ダイバーシティ推進室には、2006年10月にMR出身の福田華子さんが加わった。ダイバーシティーサイトには、藤井さんと福田さんがライフジャケット姿で登場している。「ダイバーシティー推進の活動を、“職場風土に風穴を開ける工事”と見立てているんです」と福田さん。「安全第一」ならぬ“人材第一”と書かれたヘルメットもあるという。

 同社のダイバーシティー推進活動には、一貫して「楽しもう」というメッセージが込められている。それは、これからも多くの人を巻き込んでいくことだろう。

日経ビジネス電子版から転載。
日経BP総合研究所 大塚葉が担当した記事を再掲。