食のプロたちの街、魚河岸の名で呼ばれる東京都中央卸売市場築地市場も2000(平成12)年の都営地下鉄大江戸線開通以来、ずいぶん様変わりした。かつては素人には敷居の高かった場内も、今では細い通路には、人気のすし屋などに並ぶ人でいっぱいだ。

 のんびり歩く観光客の群れをひらりとかわしながら、早足で歩く河岸の男たちの姿は、なんとも粋である。観光客と食のプロフェッショナルが交錯する独特の活気ある光景は、築地市場移転後にはどこにいくのだろうか?

伊藤ウロコ専務取締役の、伊藤嘉奈子さん (写真:山田 愼二)

 …1人の男性がある店の中に入っていく。店の看板には「伊藤ウロコ」とあるが、小さな店内は天井までゴム長でいっぱいだ。何足か試し履きをして、店を出る時の足元は、もう新品のゴム長になっている。その間はわずか10分ほどだろうか。

 「ありがとうございました!」と笑顔で見送るのが、今回の跡取り娘、築地市場の場内で唯一の長靴専門店、伊藤ウロコの5代目、伊藤嘉奈子さんである。

 「大抵のお客さんは、その場で履き替えていくんですよ。古いのはうちで預かって捨てます。事業ゴミになるので、捨てるのも結構お金がかかりますからね」

 伊藤さんの足元も、もちろんゴム長。逆三角形のウロコマークのついた、伊藤ウロコオリジナルの「ウロコ印 白底付大長(しろぞこつきだいなが)」、愛称「白ウロコ」だ。塩化ビニールではなく、天然ゴムでできたオリジナル商品は、滑りにくく、魚などの油汚れにも強く、ムレにくいのが売りだ。

 持ってみると、しっかりと重い。踵が2~3センチあるからだ。「踵が厚いでしょう? 2~3センチの高さが一番疲れないし、底冷えもしにくいし、歩きやすいと思います。河岸はハードな仕事場。河岸のプロたちが安心して履けるゴム長を作ってきました」

河岸のファッションはゴム長で決まり! (写真:山田 愼二)

 道行く河岸の男たちを見ていると、ウロコ印のゴム長を履いている人がかなり多い。河岸のファッションは「河岸着(写真参照)」と呼ばれるが、足元はゴム長。「一時は、ウロコを履いてなきゃ、築地のモグリと言われた時期もあったんですよ」。1950年頃、ウロコ印のゴム長は、築地では7割のシェアを持っていたという。

 伊藤ウロコの創業は、明治初期に遡る。下駄や草履を扱う下駄商だったが、2代目である伊藤さんの祖父が、足が濡れないように歯を高くして工夫した「板割り草履」を考案した。

 その魚河岸は日本橋にあり、伊藤家は昔から魚河岸の男たちの足元を守ってきたのだ。明治後半になると米国からゴムが入ってきた。2代目は1910(明治43)年に下駄商から転じて、「伊藤ゴム」を設立し、米国から輸入した天然ゴムを使ったゴム長靴の商品開発に着手する。滑りにくく、長持ちするゴム長を作るために創意工夫を重ねたそうだ。

 その祖父が昭和になって、ウロコマークのゴム長専門店「伊藤ウロコ」を設立。試行錯誤の結果、独自のゴムの配合に成功し、形にこだわった魚河岸のプロのためのゴム長はオリジナルの人気商品となる。3代目となった父がその店を継いで「ウロコ印」を商標登録し、さらに「河岸のプロ用の店」という特色を極めていった。ゴム長から「河岸着」、厨房用の白衣まで、何でも揃う店にしようというのが伊藤さんの父のポリシーだったという。

 約100年続く伊藤ウロコの長女として生まれた伊藤さんだが、家業を継ぐことなど全く考えていなかった。父の希望で私立のミッション系女子校に入ったが、「どうも性に合わなくて、初等科卒業後は公立の学校に替わりました」と言う。

出版の仕事をしていた頃

 大学を卒業し、就職したのは80年代のバブル時。父が、知り合いの弁護士事務所に就職するという「お嬢様コース」を用意してくれたが、反発して、かねて興味のあった出版関係の仕事に就いた。

 「書籍や雑誌などを作る仕事をしていましたが、出版業は時間があってないような仕事。父は朝4時に築地に出勤するので、昼の1時には帰宅して5時に食事をし、7時にはもう寝ている。一方で私は、仕事が終わって夜の11時過ぎに帰宅してお風呂に入っていると、父から『うるさい! 何時だと思ってるんだ!』と怒鳴られました」

 「今考えれば当たり前ですよねぇ」と伊藤さんは笑う。思えば、父がせっかく敷いてくれた「お嬢様路線」をはみ出し、“ヤクザな出版業”に身を投じた娘を、父親はハラハラしながら見守っていたのだろう。「食事の時に灰皿が飛んできたこともあるし、竹刀を持って追いかけられたこともありました」

 しかし、伊藤さん親子は決して仲が悪かったわけではない。父は築地生まれの銀座育ちで、高下駄を履いて明治大学に通った人。ドイツやソビエトが好きでよく旅行をしていて、見識も広く、小学校の頃、自宅にドイツの知り合いのお嬢さんをホームステイさせていたこともある。

大好きな父と一緒に

 「父はインテリで、江戸っ子でおしゃれ。いつも『本当にいい物を身に着けなさい、何事も自分の目で見て判断しなさい』と教えてくれました」、そう父を語る伊藤さんの口調は、ほとんど“憧れの人”を語るようだ。「実はかなりファザコンなんですよ」と照れくさそうに言う。

 しかし、その父親が1997年に急逝する。心不全で、あっという間の出来事だった。「会社に知らせが来て、すぐに病院に電話しました。一時、医療関係の仕事をしていたこともあるので、電話に出た病院の人の口調で『ああ、助からなかったんだ』と分かりました」

 父が海外で具合が悪くなると、伊藤さん自身もおなかが痛くなったというほど、シンクロしていた父娘の間柄だった。「これは何かの間違いだ」と願いながらも、父が既に帰らぬ人となったのを、伊藤さんの直感が告げていた。

突然の父の死、母が4代目を継ぐことに

 社長である父の突然の死で、伊藤ウロコは母親が4代目として切り盛りすることになる。弟はいたが、医学の道を進んでいた。しかし、魚河岸は男の世界である。しっかりものの番頭さんがいるとはいえ、いきなり4代目社長となった母には、大きな負担がかかってきた。

 「母の大変さはひしひし感じていても、お互い妙に照れてしまい、労うことができない親子でした。私にできることは、週のうち何日かでも早朝から店を手伝いに行き、7時半に会社に出社するという、バイトとしての働き方でした。夜は必ず11時前には寝て、土曜日は店の手伝い。そんな生活をしていましたが、1年ぐらいが限界でした」

2000年、店の仕事を手伝い始めた

 父の死の直後に比べれば店も落ち着いてきたが、店の仕事に関わることで、様々な事情も見えてくる。

 当時は量販店の塩化ビニール製の安い長靴が出回り、伊藤ウロコの天然ゴムのゴム長は、商売としては下向きになっていた。また不況で水産会社の業績が悪化すると、それまでは支給品だったゴム長を自前で買わねばならなくなり、安い量産品を履き捨てる人が増えた。河岸のプロだけを相手に商売をするのは、難しい時代となっていた。

 ついに2000年、伊藤さんは勤めていた会社を辞め、伊藤ウロコの正社員として家業に入ることになった。ちょうど大江戸線築地市場駅が開通し、観光客がどっと築地に押し寄せるようになった時期である。

観光客向けの商品も扱うようになるが…

観光客向けのTシャツ。コピーはすべて伊藤さんが考えた (写真:山田 愼二)

 観光客が来るようになった河岸で、伊藤さんの母は観光客向けのTシャツなどの土産グッズを扱い、カラフルなビニール製のゴム長も仕入れるようになる。

 「脂のってます!」「旨い魚、喰いてえよな」といった威勢のいいセリフをプリントしたオリジナルのTシャツも扱っているが、これらのコピーはマスコミに勤めた経験のある伊藤さんの作品だ。

 「でも本当を言うと、Tシャツなどはあまり売りたくなかったのです」。あくまで祖父や父の残した天然ゴムのゴム長にこだわりたいという跡取り娘の矜持は、経営者である母としばしばぶつかることになった。

 「母が経営者になったことで、父の代とは方針が変わってしまった。この時期を乗り切るために、しかたないのは分かるのです。でも母も私も、気が強い者同士。喧嘩をした時につい、『私が家業を継ぐから』と言ってしまった。後になって、失敗したかなぁ、と思うこともありますが…」

伊藤ウロコ専務取締役の、伊藤嘉奈子さん (写真:山田 愼二)

 父は勉強家で、製品についての研究をよくしていた。その後ろ姿を見て育った娘としては、このままゴム長の事業がジリ貧になるのを見ていられない。

 「父やじいちゃんの残したものを、なせ引き継げないのか。何とかしなくちゃ」。負けず嫌いの伊藤さんは自分の体で確かめようと、ゴム長をとことん履くことにした。学校もないし、工場で修業するわけにもいかない。自分の体で勉強するしかないのだ。

 小さい頃からものづくりが好きで、本や雑誌を編集していた頃も、実際にいろいろな紙を手で触って選んだりしていた。「出版や広告代理店の経験を経てきたことは、無駄ではなかったと思います。例えば広告代理店でクライアントのキャッチコピーを書く時も、『このお客様の“売り”はなんだろう』と必ず考える。同じように、「伊藤ウロコ」の“売り”である1本の柱を立てなくてはいけない、と思いました。『何でもあります』では、今は良くてもいずれ大手に負けてしまう。自信を持って安定供給できる“売り”を作らないといけません」

 祖父や父の代からの「定番商品」は既にある。その良いところを残して、もっと時代に合った、使う人のニーズに寄り添うような商品はできないだろうか?

 商品へのこだわりは、祖父や父譲り…。その日から、商品開発に懸ける跡取り娘の試行錯誤が始まった。


伊藤嘉奈子(いとう・かなこ)
東京生まれ、文化学院卒。伊藤ウロコ3代目社長、伊藤綱太良(こうたろう)氏の長女。出版社、広告代理店勤務の後、2000年に伊藤ウロコに入社。現在は専務取締役で、4代目の母に続き5代目修業中。また築地商業協同組合では事業部理事を務め、同組合(魚がし横丁)広報企画室では制作、進行を担当する

日経ビジネス電子版から転載。
日経BP総研 HR人材開発センター長 大塚葉が担当した記事を再掲。