(前編から読む)

 創業250年の醤油屋かめびし17代目として修業中の、専務取締役の岡田佳苗さん。彼女が跡取りを表明した時、16代目である父親はこう言った。

 「俺が継いでくれと言ったわけじゃないからな」

 実は、父は大学で経済学を専攻し、かめびしの外で身を立てるつもりだったが、家業の危機で呼び戻されたのだ。父には、「お坊ちゃま育ち」の祖父に代わり、苦境の時代をなんとか切り抜けるガッツがあった。また、岡田さんが大学に進んだ頃には、家業を一息つける状態まで回復させるだけの才能もあった。

かめびしの17代目、常務取締役の岡田佳苗さん(写真:瓜生敏夫、以下同)

 だが「かめびしは自分の代で終わり」と決めていたところ、突然の娘の跡取り宣言…。父自身は、「この仕事は受け身の気持ちで始めたら、越えられない山がある」と痛いほど分かっている。一方で、娘が自ら決めたことを放り出さない頑固な性格であることも知っている。うれしい半面、家業を背負う人間の辛さを誰よりも理解しているだけに、複雑な気持ちにもなっただろう。

 岡田さんの父には、1つのこだわりがあった。それは、かめびし醤油の味を守るためには必須の「味覚の継承」である。会社経営は、努力次第でうまくいくかもしれない。しかし、ほんの少しの味とにおいの変化も見逃さない鋭い味覚と嗅覚という細やかなセンサーを持たない人間には、かめびしの看板は継げない。

 「幸い、私は父と同じ味覚と嗅覚を持っていました。私と父が本当においしいと感じる範囲は、とても狭いのです。同じ家族でも、母と妹の場合はもう少し幅広い」

 味覚と嗅覚のセンサーは、例えば香水を作る調香師や食品メーカーの開発担当者などにも必須だ。岡田さんは、蔵に入った瞬間に「あ、掃除が足りない」と分かる。同じ桶から搾って別のタンクにブレンドした醤油の味を見て、微妙な仕上がりの違いを感じ取ることができる。もちろん、「この道何十年」という職人なら同じことができるかもしれないが、岡田さんはその感覚を経験からではなく、最初から持っていたのだ。


 今までの取材を通じて、家業を持つ家の人たちの勤勉さや商才は、その環境で育ったから受け継がれると感じていた。さらに、遺伝という強みもあることに、岡田さんに出会って初めて気づいた。伝統のブランドを守るために経営者を外から雇うことはできても、遺伝という「ギフト」こそは、お金では買えない宝物である。岡田さんが父から受け継いだ味覚と嗅覚は、実は岡田さんの娘にも継承されているという。

 こうして「跡取り」として家業に入ったが、岡田さんはまず最初の壁に突き当たる。

 3年間蔵に入り、職人の工程をすべて学んだ。「社長のお嬢さんが、何を始めたのか?」という周囲の目を、意地でも納得させなくてはならない。しかし屈強な40~50代の男たちの仕事を女がこなそうとしても、物理的にできないことがある。例えば40キロの麹の入った木桶を、肩にかついで歩くことができない。重い鉄の棒を操り、もろみに空気を送り込む攪拌作業も、思うようにはいかない。

岡田さんが導入した仕組み。レールを使って、麹を混ぜたり運んだりする作業は格段に楽になる

 岡田さんは思い立ち、父に相談した。「女性でも作業できるように改良しよう」。いずれ職人たちも年を取る。老齢で体が動かなくなっても楽に作業できるように改善すればいい、という合理的な考え方だ。重い桶を手で持たなくてもいいように工夫してレールを敷き、道具もすべて手作りで現場に導入した。

 しかしこうした『改善』は、当時職人たちには快く受け入れられなかった。「こんなの、邪魔くさい」「前のやり方の方が早い」と反発し、「女が醤油屋しようと思ったって、無理なんで…」と辞めていく人もいた。

 辞めた男性の代わりに20~40代の女性を雇ってみたが、子育てや介護などの事情で長続きしなかった。結局、岡田さんが家業に入って10年目に、若い男性を雇って一から育てるという方向で落ち着いた。


仕込みに備えて、むしろ麹のむしろを干して叩く作業。鉄の棒で、2人がかりで力いっぱい叩く

 なにしろ「5K(きつい、汚い、臭い、苦しい、格好悪い)」の職場である。人材確保は頭が痛い。人材の募集はハローワークなどで行うが、「やる気」だけでは続かない。

 今は14人のスタッフのうち事務を除く8人が職人として働く。女性の職人も1人いる。全スタッフにむしろ麹を経験してもらうことにしているが、それは実際にお客に接する販売担当のスタッフにも、リアルな経験を通して「ものづくり」の心を知ってほしいからだ。

 「『ものづくり』に憧れて志望してくる若い人もいますが、実際に5Kの労働現場を経験すると、すぐに辞めてしまう人も多いんです」と岡田さんは苦笑する。


一番古い職人の池本勝さん(72歳)と一緒に

 岡田さんを子供の頃から知る職人が今でも残っていて、後進の指導に当たってくれている。その人、池本さん(72歳)が「ス直し」という作業を見せてくれた。青竹を割って乾燥させたものを次々に荒縄で編んでいったものを「ス」と呼び、この組んだ「ス」の上にむしろを敷いて麹をつくるのだ。「ス」は、何回も使ううちに縄が解けてほつれるので、夏の間に編み直す。池本さんの手は塩気にさらされ、荒い縄を編んで皮が厚くなった働き者の手だ。その手をそっと取って岡田さんは「彼の手はうちの宝物なんですよ」と大事そうにさすった。

 孤軍奮闘する跡取り娘は、賜った味覚や嗅覚と池本さんのような人材という、2つの宝物に恵まれていたのだと思う。


 次に岡田さんが当たったのは、「コミュニケーションの壁」である。人の上に立つ者として、社内での調整や対外折衝も岡田さんの役目だが、最初の頃は苦労した。ある業者さんとどうしても折り合えず、最終的には社長である父が出てきて納まった。「私の言っていることは正しいのに、どうして突っぱねられるのか」。…悩んだ末に、気がついた。相手は50代の男性だったが、反発されたのはこちらが間違っていたからでなく、何かで彼の感情を害してしまったためだ。アプローチの方法が悪かったのだ。

 「父から、『お前は客向けのプレゼンはうまいが、内向けは下手だ』と怒られます。誰かを動かしたいと思ったら、『これが正しいからやりなさい』ではダメなんですね。私は、相手の気持ちに寄り添う気配りに欠けていたのです」

 実力もないのに突っ張って、ずいぶん無駄な回り道をしたものです、と岡田さんは笑う。父と同じようにやっているつもりでも、父とは経験も年齢も性別も、声のトーンも違う。「自分なりの持ち味を見つけなさい」と、社長である父に諭された。

 「男に負けまい」「女だからとなめられたくない」という気持ちを忘れて肩の力を抜くと、すっと楽になった。女には女の方法論があるのだ。

 今の岡田さんは、とても柔らかい。かめびしの現場を一緒に歩いていても、スタッフたちに必ず「ありがとう、お疲れさま」と声をかける。語尾がやさしく上がる讃岐弁は、耳に心地よい。

醤油を絞る「風呂敷」と呼ばれる布が干されている

 「相手に思いを分かってもらう手段はいろいろあるのに、昔は一本調子のアプローチばかりで失敗していました。男性担当者をやりこめてしまい、まとまる話もまとまらなかったことも…。余裕がなく、から回りしていたのですね。今は、分からないことは素直に教えを請うことができるようになりました。讃岐弁も意識して使うようにしています。やはり地元のものをアピールするのに、東京の言葉で話しても感情がこもらない。女性だということを上手に使っていければいいと思うんです」

 キャリア女性には、「女を使う」ことを嫌う人もいる。しかし「女力」には2種類あると思うのだ。「出る力」と「退く力」だ。女であることを強く押し出す力と、女だからこそ一歩退いてみる柔らかな「退く力」。岡田さんもそうだが、跡取り娘たちは自然に「退く女力」をうまく使っているような気がする。

 「無駄な回り道も多かったけれど、不器用だから、自分で痛い思いをしないと変われないんですよね」。そんな岡田さんを厳しく指導しつつも、一番サポートしてくれるのは父親だ。5年前から父は岡田さんに実質的な経営を任せ、今は岡田さんの出した企画に「やってみ」とゴーサインを出すことも多い。

 「私も経営者として、人の親として、父の気持ちが分かるようになってきた。父はワンマンで厳しい経営者で、よく対立しました。でも今では、父は私なりの持ち味を生かせる道を探してくれ、育ててくれているのだと思えます」


 7年前から岡田さんは、住人たちが結成した町並みを守る保存会の一員として引田の復興運動にも関わっている。保存会では空き家になっていた隣の醤油屋敷地を市に買い取ってもらい、歴史ある町並みを復興して観光客を呼べるよう、保存会の人たちと一緒に陳情した。

 「幸い、地域の活性化を目指す人たちがたくさんいました。皆、このままでは地域全体が“地盤沈下”してしまうと危機感を持っていたのです」

物販も充実している「かめびし茶屋」。もろみアイスを食べながら休憩もできる
もろみアイスは大人の味。

 今は、赤いもろみ蔵から続く町並みは美しく整えられ、隣の醤油屋跡は観光交流の拠点「讃州井筒屋敷」として再生した。引田の町を歩くガイドツアー「引田のひなまつり」「ひけた着物語り」などイベントも充実してきた。

 客が来れば休憩所や食事処も必要と、茶屋やうどん屋も作った。茶屋では「もろみアイス」などの茶菓のほか、かめびしの全ての商品を買うことができる。昔は人を入れなかったもろみ蔵を見学するコースも作った。

 「醤油屋はもともと冬場の農閑期の仕事で、夏の間は仕事がなかった。今は正社員である従業員に通年仕事を割り振るため、こうした新しい事業が必要なのです」

 かめびしのブランドは、高級醤油として確立している。また、自然食品店など旧来の得意先に加え、インターネット経由の得意先件数も増加している。マクロビオティック愛好家にも愛されるかめびしブランドだが、驚いたことに「完全無農薬」とは謳っていない。


讃岐うどんが食べられる「うどん茶屋」も開業した

 「うちは国産大豆、国産小麦だけを使っていますが、3年間醸造すると残留農薬はゼロになります」という。つまりかめびしの醤油は「無農薬」と同じことになる。その話を聞いて思い出したことがある。「『菌がすべてを浄化する』というアニメがありましたよね」と言うと、岡田さんも「ナウシカですね」と答えた。宮崎駿氏が映画「風の谷のナウシカ」で表現した圧倒的な自然の力が、もろみの杉桶の中でも働いているのだ。

 しかし岡田さんは、さらに先を見ている。「醤油全体が斜陽産業であることは確かです。大手メーカーの商品も、海外向け以外は消費量が減っています。醤油業としてどうやって生き残るか、これからの展開にかかっていると思うのです」

 一から育てた職人が育ち、2年ほど前からは、少しずつ岡田さんが現場を離れていられるようになった。自由に営業に出られるようになった岡田さんが本格的に乗り出した新事業が、ソイソルトだったのだ。

 「変えるところ、変えないところを見極めることが大事です。高級醤油としてのかめびしは、高コストでも味を守るために変えられない部分。もう1つは、もっと自由な形で醤油に注目してもらうための事業で、どんどん変えていく部分です。これからは、この2本立てでやっていきたい」


 醤油の地位を向上するために、岡田さんは広い視野でのアピールを考えている。こだわって作っても、醤油にはワインのようなランク付けやバルサミコ酢のようなクラス分けもない。水より安い醤油さえある。

 また、高級マーケットには「××年醸造」と謳った醤油が出ているが、「正確に言うと、どの工程から何年寝かせたものを『何年醸造』と言うか、表現の基準もないのが現実です」と言う。

 海外では和食ブームもあり、醤油の評価は高まっている。だからこそ、もっと醤油をアピールする間口を広くしたい。その1つとなるのがソイソルトだ。新しい形のシーズニングとして話題性があり、醤油をもっと知ってもらう機会づくりにもなる。「将来は醤油の認定の基準作りに働きかけ、さらに杜氏のような資格『むしろ麹氏』をつくりたい。望みは大きいんですよ」

 父、そして岡田さんの味覚を受け継ぐ14歳の娘さんは、一緒に集まりなどに行くと、自分からかめびしの商品のアピールをすると言う。既に18代目の片鱗を見せているが、岡田さんはこう言う。「一回、外にはじけて飛んでいろいろ経験した後で、(跡を継ぐかを)考えてくれればいい、と思っています」。かつて自分がそうであったように…。

 跡取り息子と違い、必ずしも家を継ぐことに縛られない跡取り娘たち。彼女たちは最初、家業という大木から勝手にはじけて散っていく種子だ。そして再び戻ってきたら、血によって継承される「ギフト」と外の世界で積んだ経験を糧に、斜陽産業であることの不利をものともしない情熱で、家業の存続に取り組んでいく。岡田さんの娘の代になる頃には、そんな女性たちが珍しくなくなっているに違いない。


岡田佳苗(おかだ・かなえ)
香川県生まれ。上智大学国文学科卒。大学4年で米国カンザス州セントメアリーカレッジへ交換留学。1991年に国際交流基金に就職。94年に退職し、父の跡を継ぐべく実家に戻り、かめびし17代目修業中。伝統のむしろ麹製法を守りつつ、革新的な提案も行う。

日経ビジネス電子版から転載。
日経BP総研 HR人材開発センター長 大塚葉が担当した記事を再掲。