2007年2月17日、キリンビール(現キリンホールディングス)で働く女性社員のネットワークグループ、「キリン・ウィメンズネットワーク」の設立総会が開催された。今後女性の活性化を推進するに当たり、中核的な役割を担う組織が誕生したのだ。会場の東京簡易保険会館には全女性社員の半数の約600人のほか、社長、役員、部門長など経営トップ陣が約70人出席し、700人にも上る盛大な催しとなった。

人事総務部 多様性推進プロジェクト事務局 キリン・ウィメンズネットワーク推進委員長 の河野真矢子さん(写真:山田 愼二、以下同)

 人事総務部 多様性推進プロジェクトのメンバーであり、キリン・ウィメンズネットワーク推進委員長の河野真矢子さんは、当日をこう振り返る。「社長は、自分が先頭に立って女性活躍運動を応援するというメッセージを送りました。また、ゲストスピーカーに日本IBM技術顧問の内永ゆか子さんを招きました。キャリアを選んだ女性は、結婚や育児などを乗り越えて仕事を継続することが大切だというお話を伺い、参加者の多くは感銘を受けたようです」

 参加した女性の95パーセント以上が「参加してよかった」と感想を述べ、「会社が本気で社員の多様化推進に取り組む決意を感じた」「自らの働き方を見つめ直すきっかけとなった」などの意見が寄せられた。予想をはるかに超える成果を得られた、と河野さんは語る。

 キリン・ウィメンズネットワーク設立以前から、キリンには女性の力が十分に発揮されていないのでは、という認識があった。2003年に人事部が行った社員の意識調査では、仕事の満足度について男女の間に大きな隔たりがあると分かった。入社5年前後の女性総合職の離職率が非常に高く、対策を講じる必要性も指摘されていた。

 そこで2004年の中期経営計画は、女性活用を重点目標の1つとし、人事部内に女性活動を支援するプロジェクトチームが発足。協議を重ねた結果、2006年10月に「キリン版ポジティブアクション」が制定された。ポジティブアクションとは、性別による役割分担や格差が存在すると認識された時、その是正に会社が積極的に取り組むことである。

 「『キリン版ポジティブアクション』の究極的な目的は、女性だけでなく、国籍の異なる社員や障害を持つ社員など、多様な人材が活躍できる風土を醸成することです。その第一歩として、女性活用に焦点を当てることにしたのです」と河野さんは説明する。

 「キリンの6000人の社員のうち20パーセントが女性です。育児支援制度やキャリア支援制度を充実させ、女性が活躍しやすい職場をつくることが大切です。また、転勤制度を見直すことも重要な課題でしょう。ポジティブアクションでは、女性経営職(キリンでは管理職のことを経営職と呼ぶ)数を、現在の39人から2010年までに100人に増やす数値目標を掲げました」

 冒頭で紹介したキリン・ウィメンズネットワークは、ポジティブアクションの一環として立ち上がったものだ。「まず2006年11月に準備委員会を設立し、メンバーを公募したところ数十人が応募し、女性社員の関心が高いことが明らかになりました。様々な背景の人がメンバーになるように、独身、子供がいる人、研究職に携わる人、一般職の人などが選ばれ、私を含む8人がメンバーになりました。全員、本来の業務と兼任です。2007年2月の設立総会に向けて、準備を開始したのです」

 設立総会のあと、準備委員会は「キリン・ウィメンズネットワーク推進委員会」と改名し、本格的な活動を開始した。活動スローガンは「半歩でもいいから前へ」。そこでまず、行動を起こすためのヒントを得るために、講演会を企画した。「まず、スポーツ応用心理学を用いてスポーツ選手や企業のアドバイザーをしておられる辻秀一先生を講師に招きました。選手が能力を発揮できるか否かは、スキルだけでなく心の問題によるところが大きい。心は、自分次第でポジティブな状態に変えられるというのが辻先生のメッセージです。この講演を聴いた社員は大いに刺激を受け、元気が出ました」と河野さん。


活動は地域に根づかせることが大事

 この活動は、東京本社のみならず地方でも活発に繰り広げられるべきだと河野さんは考えている。「全国を8つのブロックに分け、2007年7~9月の間に各ブロックで『キリン・ウィメンズネットワーク地域会』を22回開催し、ネットワークの目的や女性の活用の可能性について話し合いました。合計630人の女性が参加しました」

 同時に27人の地域サポーターを選出し、地域会の運営を手伝ってもらった。2008年には地域会を2回開催する予定で、その1つはキリン・ウィメンズネットワーク推進委員が企画し、全国統一のテーマで行う。もう1つは地域サポーターに企画を委ね、それぞれの地域に適したテーマで開催してもらうという。

 キリン・ウィメンズネットワークの活動は、男性の間でも好意的に受け取られているようだが、さらに理解を深めてもらうため、河野さんは全国20営業所に出向いて男性経営職と意見交換を行った。活動を応援したい男性は増えているが、具体的にどう行動すべきか分からない男性もいるからだ。

 「男性経営職の下では、いろいろな女性が働いています。仕事に専念したい人もいれば、出産や育児に携わる時期は家庭に軸足を置きたいと思っている人もいます。上司は女性部下の個々の状況を理解し、対応しなくてはなりません。男性経営職と話し合うことによって、理解を深めてもらうのが狙いです」

 キリン・ウィメンズネットワークでは、推進委員や女性経営職らを交えた会合を通して女性が働く環境を見直す施策を立案し、会社に提言している。

 課題の1つは前述のように、入社5年前後の女性総合職の離職率が高いことだ。「アンケートの結果、入社3年前後の多くの女性は仕事に不安を持っていると分かりました。『自分は一生続けたい仕事に従事しているのか』『本当にやりがいを感じているのか』など、漠然とした疑問を抱いている女性が多いのです。さらに、ロールモデル(お手本になる人)がなく相談相手が身近にいないことが重なり、退職してしまうケースが多いのです」

 キリンでは男性経営職が1700人いるのに対し、女性経営職は39人しかいない。「これもまた、女性の離職率の高さが原因です。経営職(副理事以上)になるには試験を受けることが条件ですが、受験資格のあるポストに達する前に退職してしまう女性が多い。結果的に女性管理職が少なくなるのです」と河野さんは説明する。

 女性が活躍できる環境をつくる具体策として、2008年2月から「メンター(相談者)制度」を導入する。直属のリーダー以外の上司がメンターとなり、キャリアに関して相談できる機会を設けるのだ。また、女性社員のためのキャリアサポートセンター設立も視野に入れている。総合職と一般職の間の垣根をなくしていくことも、課題の1つだ。

 キリンには「社員にはいろいろな職場を体験してキャリアを積んでもらう」という方針があるため、転勤も多い。総合職の女性は、男性と同様転勤の機会が増える。「転勤が結婚や出産、育児と重なったタイミングで退職する女性が多いので、結婚や出産を考慮に入れた転勤制度をつくる必要があると思います」。河野さんは、次なる一手について思いを巡らせている。

営業スタイルにも変化。女性の活躍の場も

 近年、酒類業界の営業スタイルに変化が生じている。従来は酒店が主な得意先だったが、ここ数年はスーパーやコンビニエンスストアとの取引が増えている。生活に密着した店舗なので、メーカーも必然的に客のニーズと直接に向き合うことになる。また、2002年にキリンは営業方針を「価格営業」から「価値営業」に変換した。価格で勝負するより、どのような価値を客に提供できるかを重視するようになったのだ。「その意味では、従来の発想より、女性の新しい発想の方が、業界の変化や『価値営業』に対応できる場合があります。男性もこれに気づき始めています」と河野さんは言う。

 「例えば、生活の中にお酒を取り入れるスタイルも変わってきました。好みのお酒を買ったりワインに詳しい女性も増えました。そうした傾向に合わせてスーパーの本部などに提案を行うと、喜ばれることが多いのです」

広島流通部長の神元佳子さん

 こうした背景もあり、営業部門での女性の活躍が目立ってきた。2006年には広島流通部長職に、2007年には奈良統括支社長職に女性が昇進した。広島流通部長に就いた神元佳子さんは、スーパーのチェーン店など流通企業を統括している。「お酒を含む食品業界には男性が多いので、女性の存在は目立ち、すぐに顔を覚えてもらえるというメリットもあるんですよ」と神元さんは語る。

 神元さんが経営職に昇進して1年半後に、マネジャーとなり部下を持つようになった。「当初はつらく、1人で仕事をしている方が楽だと思いましたね。最近ようやく、チームとしての成果を楽しめるようになりました」と語る。「でも営業現場で働くのは好きなので、できるだけ現場に近い仕事を続けていきたいと思います」

 9人の部下のうちの7人が男性だ。「仕事上、男女の違いは感じません。部下というより、良き同僚だと思っています」と神元さんは言う。「中には『自分の部下を心から好きにならないといけない』という人もいますが、私は必ずしも好きにならなくても自然体でつき合っていければ、と思っています。今の部下は、私のような大まかな性格の上司についてきてくれて、本当にありがたいです」

 神元さんは福岡で生まれ、地元の大学卒業後にキリンビールに入社した。「幸運にも最初は福岡に配属され、10年前に広島に転勤になりました」。神元さんはそれ以来広島勤務のため転勤経験は1度だけだが、これは社内では例外的に少ない方だ。「お話ししたように、転勤の多さが女性の離職率を押し上げる一因にもなっています。このため、女性は結婚や出産後の一定期間は転勤しなくてよいなど、転勤制度に柔軟性を持たせることを検討しています。これは必要不可欠な改善策で、今後会社はこの方向に変わっていくでしょう」


女性経営職と常務が参加したラウンドテーブル

 取材した日は、女性経営職9人と常務の男性2人の間でラウンドテーブルが行われていた。各自が自己紹介した後、テーマを決めて意見交換を行ったが、ここでも入社5年前後の女性の離職率の高さが議題に上がった。女性の管理職と男性常務の間でこのような自由なディスカッションの場が設けられたのも、キリン・ウィメンズネットワークの成果であろう。

 キリン・ウィメンズネットワークが誕生してやっと10カ月。今後の活動を通じて、キリンの女性社員がどのように活躍の場を広げていくのか楽しみだ。


日経ビジネス電子版から転載。
日経BP総合研究所 大塚葉が担当した記事を再掲。