「第3子以降に100万円を支給」。2007年7月、富士フイルムが新設した出産祝い金は、当時大きな話題を呼んだ。これは、富士フイルムが育児支援制度の一環として設けたものだ。

 育児支援制度の拡充は、同社が抱える問題を解決するための施策の1つである。デジタル化の波に押され、柱であった写真フィルム事業の売り上げが大幅に落ち込んだ富士フイルムは、2年前から新事業を起こす必要性に迫られた。この結果、会社が生まれ変わるには、個々の社員のパワーアップが必要不可欠であると認識された。「強い組織」をつくるためには、「強い個」を育てなければならないとの結論に至ったのだ。この状況を富士フイルムでは、「第2創業期」と位置づけている。

 同社はまず、女性社員の可能性を伸ばすことに着目し、2007年3月、女性社員が活躍できる風土づくりを後押しする「F-POWER プロジェクト」が人事部内に誕生した。F-POWERとはFujiFilm Positive Women's Encouraging Renovationの略である。

 「F-POWER プロジェクト」のリーダーに選ばれたのは、人事部担当課長の根岸多賀子さんだ。「メンバーは私を含み8人で、女性6人、男性2人です。全員が通常の業務と兼任でプロジェクトの活動に取り組んでいます。いろいろな視点が必要だと考えたので、年齢、職種、子供の有無など状況が異なる人を集めました。役職者もいれば、労働組合の役員もいます」と根岸さんは説明する。

責任ある仕事を女性にも

人事部担当課長の根岸多賀子さん(写真:山田愼二、以下同)

 女性社員を育成するには、まず状況を把握する必要がある。「F-POWER プロジェクト」でヒアリングや調査を行った結果、女性社員からは「責任のある仕事は、男性に任されている」と訴える声が寄せられた。一方で男性からは、「女性は補佐的な役割の枠にとどまる傾向がある」との意見も聞かれた。また、子供を持つ女性が直面する制約に対し、必ずしも全社員が理解を示しているわけではないことも判明した。

 これらの声をまとめると、4つの課題が浮かび上がった。まず女性の働き方に対する意識改革の必要性。長期間にわたって働くことを念頭においた女性社員の育成。育児と仕事の両立支援の徹底。そして女性社員のキャリアの相談相手、精神的なサポートとなるロールモデル(お手本になる人)の確立である。

 これらを会社に提言すると同時に、社員に報告するため、6月から7月にかけて説明会を行った。

 「東京、神奈川、埼玉、静岡にある5事業所に出向き、合計23回の説明会を開きました。女性を対象にしたものと、役職者を対象にしたものに分けて行いました。任意参加でしたが、女性1200人のほとんどが説明会に出席しました」と根岸さんは言う。「役職者の会には、予想以上の男性社員が出席しました。多くの質問が出て、活発に意見が交わされたことから、女性の育成に取り組もうとする真剣な姿がうかがえました」と根岸さんは説明会の成果を語る。

 会社がこのようなプロジェクトを始めたことに対し、男女から非常に良い反応があった。「しかし説明会後に行ったアンケートを見ると、女性社員をどう育成したらよいのか明確なビジョンを描けない男性がいることも分かったのです。これも、今後の課題として受け止めました」と根岸さんは付け加える。


「キャリアアップ」という言葉を使わない

 社員に「F-POWER プロジェクト」の活動が開始したことを伝えた後、4つの課題に取り組む作業を開始した。

 まず、女性の働き方に対する意識改革を促進し、育成につなげるために「キャリア・デザインセミナー」と「キャリア・デザイン研修」を企画した。しかし根岸さんはどちらの場合も、キャリアアップという言葉を使うことをあえて避けたと言う。

 「キャリアアップという言葉は、高い目標を設定してそのために立ち上がったり、奪い取ったりするイメージを連想させます。しかし私たちが行った調査では、女性は必ずしも役職に就くことを目指して働いているのではないこと分かりました。だから1年先、5年先を視野に入れ、現在の自分の強みや弱点を考える機会を提供することを目的としました。つまり、キャリアという言葉からイメージされる高いハードルを下げながら、キャリアは自分を育てていくものなのだと伝えたかったのです」

 「キャリア・デザインセミナー」は総合職と一般職に就く女性と、女性を部下に持つ上司を対象に開かれた。キャリアカウンセラーを招いたが、一方的な講演会ではなく、参加型セミナーの形式を取った。参加者が「自分が得意とする仕事とその理由」「次は何にチャレンジしたいか」などを紙に書き、隣の席の人と一緒にプレゼンテーションする時間も設けられた。

 このセミナーは6回開かれ、毎回200人前後が出席した。富士フイルムの全社員約8200人のうち、約1500人が参加するという高い出席率だ。多くの男性社員も参加した。「東京の場合、200人中約50人以上が男性で、私たちの予想を上回る数字でした。また、セミナーの翌日、『楽しいセミナーだった』『元気が出た』と声をかけられることもありました」と根岸さんは手応えを感じた。

 次は、東京地区の一般職の女性を対象とした1泊2日の「キャリア・デザイン研修」を開催した。根岸さんはこう説明する。「一般職に就く女性の数は多く、勤続年数も長いのですが、高い資格を持つまで育つ人が少ないのです。総合職は、役職に昇進するという明確な目標がありますが、一般職は、何を目標に働くのか定かでない場合が多いようです。総合職に転換するシステムもありますが、責任が重くなるのでその道を選ばない人もいます。そのような人たちに対し、生き生きと働くためのヒントを伝えたかったのです」

 年齢によって仕事に対するスタンスや受け止め方が違うので、「キャリア・デザイン研修」は同じ年齢層の人を集めて行う。社内の別の職場を発見する機会になり、仕事に対する刺激を受けたとの意見も聞かれた。ネットワーク作りにも役立っているようだ。合計8回行われる予定で、5回開催された現在、100人が参加している。

 3つ目の課題である両立支援に関しては、冒頭に述べた第3子以降に100万円(第1子は5万円、第2子は10万円)の出産祝い金が支給されるほか、子供が小学校3年になるまで、半日単位で取得できる看護休業制度を導入し、1日最大2時間の短時間勤務制度も新設された。「看護休業を半日単位に設定したことや、小学校入学までではなく3年生になるまでとしたのは、子供がいるメンバーの経験から生まれた案です」と2児の母である根岸さんは語る。

 富士フイルムでは毎年、約40人の女性社員が育児休業後に復職する。復職の際、当人と直属の上司と人事部の社員の間で行う3者面談制度が2008年から始まった。

 「育児休業後スムーズに復職してもらいたいし、成長し続けてほしい。でも子供がいると当然、時間の制約があります。それが理由で責任ある仕事を任せないと、その人の成長の機会を奪うことになります。従って、どのような工夫が必要なのか率直に話し合う機会を設けたのです」と根岸さんは語る。

 根岸さんは、この3者面談に立ち会うメンバーの1人だ。2人の子を出産し、3年7カ月の育児休業を経て復職した経験を持つ。「当人には、最初の1年は大変ですが、そこさえ乗り越えればどうにかなるから頑張りなさいと応援します。また上司には、育児中は特別な時期だと思って、制度を活用しながら働かせてあげてほしいと伝えます」

本当に頼るのはロールモデルではなく、自分自身

広報部長の吉澤ちさとさん

 「F-POWER プロジェクト」は、イントラネットでロールモデルを紹介している。第1回目のロールモデルとして登場したのは、「F-POWER プロジェクト」創立メンバーの1人でもある、広報部長の吉澤ちさとさんだ。

 イントラネットに紹介されてから、吉澤さんは女性社員からメールをもらうことが増えた。一緒にランチに出かけて、相談に乗ることもある。

 しかし吉澤さんは、自分の経験からロールモデルについて1つの考えを持っている。「自分のキャリアをどう進めたいのか迷っている時期には、ロールモデルの存在は確かに心の支えになります。私も入社間もない頃、このまま働いてどうなるのかと、漠然とした不安を抱くこともありました。でもそれは受け身の状態。そこから脱出するのは自分次第だと気づいてから、不安や不満が解消されたのです」

 つまり、社内で活躍する人を手本にしたり前例の有無を気するだけでなく、自分がどうしたいかを明確に知ることが、自分の将来を決めていくのだ。

 吉澤さんは、部下から「どうしましょうか?」という相談を受けても、「こうしたら?」とは言わずに、「あなたはどうしたいの?」と聞くように心がけている。キャリアを考えるうえでもこうした姿勢が大事だと考えているためだ。

 秘書室で働いていた吉澤さんは最初の出産後、育児休業を経て復職し、希望していた営業部に配属された。1台2000万円する医療機器を、大学や企業の研究者に販売する仕事だ。馴染みのない技術に関する説明をしなくてはならない立場になった。

 「文系出身だから技術は分からない、という言い訳は許されないので、最初は大変でした。でも、次第に技術に対する不必要な恐れが消えました。その経験が、今の広報の仕事に役立っています」

 富士フイルムは写真以外に医療診断機器、化粧品へと事業を拡大している。「守備範囲が広くなり、新しい製品、新しい技術を説明する機会が増えました。しかし以前の経験から自信がつきましたし、比喩を用いて技術を説明する術も身につきました」と吉澤さんは言う。

 広報部の14人の部員のうち、8人が女性だ。育児休業中の1人を含め、4人の女性が子持ちだ。吉澤さん自身も、15歳と9歳の子供の母親。「子供がいると時間的制約があるので、機動力が弱い面があるかもしれません。でも育児経験から、難局を迎えた時に腹が据わることを習得できます。子育ては、機転を利かせるためのトレーニングになるかもしれません」と吉澤さん。「仕事だって、ストレートにうまくいくばかりではない。これは、子育てと同じですね」

 「F-POWER プロジェクト」が開始してまだ1年。女性の管理職登用の数値目標は掲げていない。現在は女性が抱えるハンディーを解消しながら育成に向けての地道な作業を続けている。それが確立された後に、数字として表れると確信しているのだ。

 「第2創業期」を乗り越えるために必要な人材を育てるという目的を持つ「F-POWER プロジェクト」は、混乱をきたすことなく活動を進めている。社員の一人ひとりと向き合う、丁寧な活動が成果を収めることだろう。


日経ビジネス電子版から転載。
日経BP総合研究所 大塚葉が担当した記事を再掲。