日本には、“日本人の知らない日本”がある。例えば、昨年高尾山には外国人観光客がどっと押し寄せた。日本人にとって高尾山は、都心から50キロの気軽に行ける山だが、あのミシュランのガイドで、最高の「3つ星観光地」に選ばれた故の賑わいである。

 また、青山のあるレストランは日本人の間ではそれほど有名な店ではないのに、いつ行っても外国人比率が高い。それも外資系金融などに勤める、エクスパット(Expatriate、略してExpats。海外の企業から日本に来ている職員のこと)のたまり場になっている。

 国際社会日本には、“日本人の知らない日本”が多重構造で重なっている。その多重構造をつくる1つの要素は、まぎれもなく言語だ。日本語ではなく英語で日本を知る人たちにとって、日本はどんなふうに見えているのだろう?

ビジネスワールド社 代表取締役社長 宮田真理さん(写真:山田 愼二)

 それを教えてくれる雑誌がある。在日外国人のための唯一の英文総合情報誌「J SELECT」である。今月の特集記事は、「日本ペット狂想曲」とでも訳したいような、過熱する日本のペットブーム。

 このほか、英文の古本の引き取りや歯医者、漢方薬局、チャリティーの寄付から、映画やコンサートなどのイベント情報、レストラン情報など生活情報ページも充実している。掲載されるレストランは、六本木のROTIなど外国人シェフの店が多い。英語のできる在日外国人は、この雑誌を通じて日本を知るのだ。

 「現在、登録証を持っている在日外国人の数は約208万人。東京都の人口の5%は外国人で、港区は10人に1人が外国人在住者なんです」。こう教えてくれたのは、ビジネスワールド社、代表取締役社長の宮田真理さん(36歳)だ。

 ビジネスワールド社は英文メディアに特化した雑誌社で、在日外国人向けの月刊誌、35年の歴史がある「J SELECT」や年2回刊の英文の東京レストランガイド「WINING & DINING IN TOKYO」などを発行している。発行部数は、「J SELECT」が5万5000部、「WINING & DINING IN TOKYO」が4万部。宮田さんは、2006年12月に創業社長である父からこの会社を任された。

月刊誌「J SELECT」と東京レストランガイド「WINING & DINING IN TOKYO」(写真:山田 愼二)

 2006年は宮田さんにとって激動の年だった。結婚し10月に出産、そして12月に代表取締役社長に就任したのだから。

 男の子を出産して産休中だった宮田さんはある日突然、父親の宮田泰紘さんに呼び出された。手渡されたのは、1冊のプロモーションノーティス。

 「もうお前に教えることはすべて教え尽くしたから、これからは自分でやりなさい」。父は、そうおごそかに告げた。「それっきり父はきっぱり引退してしまい、今は68歳ですが、年に1~2回会社に顔を出す程度です」

 父親の引退の理由は「これからはインターネットの時代。もうネットの世界についていけないので、次世代に渡す」というもの。宮田さんは父親が1971年につくった会社のすべてを引き継いだ。

英文情報誌の出版事業で、傾いた会社を立て直した父

 ビジネスワールド社を立ち上げた父親の泰紘さんは、満州生まれのアイデアマン。関西学院大学卒業後、日経新聞の広告代理店を経て、米人社長の英語教材販売会社に就職。関西学院は中学校からネイティブの先生について英語を学ぶ学校。英語が堪能な父親はすぐに副社長になった。しかし6000万円の借金を残して米人社長は夜逃げしてしまい、父親は借金ごとその会社を受け継ぐことに。

小学生時代、家族と一緒に(宮田さんは一番右)

 しかし父親はすぐに「日本には英文情報誌がない」ということに目をつけ、1971年に国際出版、国際広告および販促業を営むビジネスワールド社を立ち上げ再出発。まだ1ドルが360円の時代である。

 当時はツーリスト向け英文マガジンを発行する会社で、フリーペーパーというメディアが珍しい時代に、地図の形のフリーマガジン、英文ガイドマップ「ESCORT TOKYO」を創刊。これは、フォード元米国大統領やエリザベス英女王など外国VIP来日の際や、2回の東京サミットの時に、公式プレスキットとして採用されている。

 クーポン付きのフリーマガジンを発行したこともある。「L25」や「ホットペッパー」が影も形もない時代であるから、このビジネスモデルは先駆的だった。ソニーや東芝、キヤノンなどの大型スポンサーがついた。

 1989年に在日外国人の数が100万人を突破。泰紘さんは今度は、日本に住む外国人向けに「THE NIPPON VIEW」を創刊した。ツーリスト向けの「ESCORT TOKYO」は92年に「TOKYO DAY & NIGHT」と改題していたが、99年には「THE NIPPON VIEW」と「TOKYO DAY & NIGHT」を統合し、総合情報誌「J SELECT」として生まれ変わったのだ。


 一方娘の宮田さんは、中高大学を女子美術大学で過ごし、94年に鈴屋に就職。新卒170人中10人の大卒社員である。この当時は、父の会社には全く興味がなかった。

 学校ではデザインを学んだが、人と接する仕事が好きだった。高校時代は週8時間、大学時代は週30時間も美術の授業があったが、この時に学んだ色彩感覚を生かせるアパレルの世界へ。入社2年目で青山ベルコモンズ内の「コフィンテックス・キャロル」という高級ニットブランドの副店長になった。

 色彩が豊かなブランドで楽しい仕事ではあったが、店で客を待つという受け身の仕事に何か物足りなさを感じてもいた。自分から出ていく営業の仕事がしたい。そんな気持ちが日に日に大きくなるある日、父と差し向かいで飲む機会があった。「実は転職したいと思っているんだけれど…」と切り出した宮田さん。しかしこの時点でも父の会社のことは頭にはない。父の会社を継ぐという話も出たことがないし、父も、「娘はいずれお嫁に行くもの」と思っていたのだ。

 そんな宮田さんに、父の泰紘さんはこう尋ねた。「なんでウチの会社に来ないんだ?」。「だって英語ができないし…」、そうためらう宮田さんに父はすかさず言った。「馬鹿だなあ、勉強すればいいじゃないか」

 そのひと言で、違う世界が開いた。父の会社の社員はTOEIC800点以上の帰国子女か、ネイティブばかり。自分には無縁の世界と思っていたが、英語は嫌いじゃない。小さい頃から外国人社員たちとのクリスマスパーティーに行っていたし、英文で手紙を書くペンフレンドもいた。環境はもともとあったのだ。

24歳でビジネスワールド社に入社した頃

 こうして宮田さんは1996年、父親の会社に就職する。最初は営業の一社員としてだ。当時のビジネスワールド社は2人の編集員、20人の営業部員、さらに外注のライター40人ほどで構成されていた。しかし雇用形態が日本には珍しく、営業はすべてコミッション制の外交員。日本人の正社員は宮田さん1人だけだ。

 「今も当時も、うちの営業マンたちはコミッション、つまり出来高制です。当社では基本給があって交通費も支給、さらにコミッションがつきます。米国などは、営業のフルコミッションベースも珍しくありません」

 雑誌編集に携わるのも、外国人だけ。もちろん社内のコミュニケーションも全部英語である。しかも当時父親は中国語、韓国語の媒体も手がけ、ケーブルテレビや、さらにハワイの不動産売買も始めていた。


外国人スタッフに交じって広告営業に

 先輩ももちろん外国人だ。ビジネスワールド社の主な取引先は日本の会社。3万~100万円の広告スペースを買うのは、エアラインや資生堂、ケンゾーなどのファッションブランドから外国人オーナーのレストランまで。裕福な外国人エクスパットのコミュニティーに訴求できる媒体として、「J SELECT」は特化していたのだ。

 日本の会社相手に英語だけの営業はどうなのだろうかと宮田さんに聞いてみたが、英語で電話をかけると誰か英語のできる人が応対してくれるし、英語しか話せない営業はなぜかアポを取りやすいのだという。先輩たちのやり方を見ていると、セールスポイントを論理的に英語で説明し、実にビジネスライクに広告を取っている感じだった。

 「でも私は日本語ができる。日本企業の細かいニーズを把握できるんです」。最初は1日3件のアポを取れと教わった。しかし負けず嫌いの宮田さんは、1日5件のアポを取って駆け回った。成績がよく、7カ月で3人の外国人の部下を持つマネジャーになる。

 印象的だったのは、宮田さんが入社して半年後に取ったキデイランドの広告だ。先輩たちが何回もアプローチしても取れなかった難関だったと、契約成立後に知った。最初は宮田さんも、断られた。しかし父のアドバイスを受け、得意のデザインの腕を生かして、広告のラフスケッチを描いて持っていった。結果は見事成功。

 「今でも、営業に行ってその場でイメージのラフを描くことはあります。クライアントのニーズをすぐに目に見える形にする。絵心のある父から教わった営業方法です」

 しかし宮田さんは、自分が跡取りになるとはまだ思ってもいなかった。父も、娘が営業で会社回りをしているうちにいい人にめぐり合って結婚するかも…と思っていたのだという。


宮田真理(みやた・まり)
1972年、東京生まれ。女子美術大学附属中学校、高校を経て、94年女子美術大学芸術学部芸術学科を卒業。鈴屋に入社し、販売員、副店長を務めた後、96年にビジネスワールド社に入社。「TOKYO DAY & NIGHT」の営業を担当。その後営業統括マネジャー、2002年に副社長、2005年に編集長兼COO(最高執行責任者)に就任。2006年12月に、代表取締役社長。


この連載が『跡取り娘の経営学』として本になりました。

本書に登場している跡取り娘たちの最新の最近の活動は、下記の通りです。


『跡取り娘の経営学』白河桃子著 日経BP出版センター 1400円(税抜き)

浅野屋 代表取締役社長 浅野まきさん (記事はこちら

  • 「ソロモン流」(テレビ東京)、4月27日(日)放映分に登場予定。

伊藤ウロコ 専務取締役 伊藤嘉奈子さん (記事はこちら

  • 築地を舞台にしたコミックが、大沢たかおさん主演で映画化(『築地魚河岸三代目』(制作・配給松竹) 。この映画に、伊藤ウロコの長靴や前掛けが登場。

タナカ 取締役 田中千尋さん (記事はこちら

  • 「東海ウォーカー」で、「田中千尋のいとおかし」を連載中。
  • 「カフェ&レストラン」(旭屋出版)5月号に掲載

清香園5代目 盆栽家 山田香織さん (記事はこちら

  • 「趣味の園芸」(NHK教育テレビ、毎週日曜朝8:30~)番組のキャスターに

かめびし 常務取締役 岡田佳苗さん (記事はこちら

  • 4/23~4/29 高島屋新宿店にて『服部幸應のおいしい食卓展』に出店
  • 5/22~5/28 東急百貨店に出店
日経ビジネス電子版から転載。
日経BP総研 HR人材開発センター長 大塚葉が担当した記事を再掲。