(前編から読む)

 在日外国人向け英語情報誌「J SELECT」を発行する父の会社、ビジネスワールド社に入社して以来、“営業マン”として意外な才能と頑張りを見せてきた宮田さん。そんな娘に対して、父親は「なかなかやるじゃないか」と目を見張るところもあったのだろう。父親の中では宮田さんを一から跡取り候補として育てる気持ちが芽生えてきたのだ。

ビジネスワールド社 代表取締役社長 宮田真理さん(写真:山田 愼二)

 入社して7カ月後、25歳で外国人の部下3人を任されるようになった宮田さんは、同時に編集会議にも参加するようになった。その後副社長、COO(最高執行責任者)と順調に昇進。2006年12月、前編で書いた通り、跡取り社長として父の会社を任されることになる。

 宮田さんは、10年かかって跡取りとして父からマンツーマンで育てられたことになる。「必要なことは全部、父から教えてもらいました。営業、採用などの組織づくりからキャッシュフローまで…。編集作業はネイティブの編集者に任せていますが、マネジメントに関わるすべてのことを学びました」

 外国人社員は流動的だ。営業として応募してくるのは、本国から日本に派遣されるエクスパット(Expatriate、略してExpats。海外の企業から日本に来ている職員のこと)の妻などで、長くて5年で帰国してしまうことが多かった。

 編集者たちは本国でも雑誌を作っているプロたちだが、顔ぶれは時に入れ替わる。グラフィックデザイナーが突然辞めた時は、デザインのできる宮田さんがしばらくデザイナーを務めたこともある。美大出の強みだ。


 「スタッフが突然帰国したり、何かの理由で急に辞めてしまうこともあります。全てを他の人に頼りきらず、何かあった時は何でも自分でもできなくてはいけない、というのも父の教えです」

 ビジネスワールド社の媒体は広告収入が8割、販売収入が2割。広告収入の比率が多いということは、営業が強く、よい広告主を持っている優良会社ということだ。

 宮田さんの父は営業スタッフたちにいつも、「『3つのS』が成功のカギだ」と説いていた。「3S、つまりSmile、Style、Senseです。営業スタッフは、まず外見で判断される。笑顔(Smile)はもちろん、ファッションを含めたアピアランス(Style)は重要です。さらにビジネスセンス(Sense)や、ニュースや顧客のニーズを的確にキャッチすることなどもカギ。父にはいつも、内面も磨けと言われていました」

 宮田さんはその点、優秀な“営業マン”だった。日本人クライアントのニーズを細かく拾い上げ、粘り強く交渉する。例えば東京ビッグサイトは、今まで英語媒体に広告を出したことがなかった。しかし宮田さんは、「日本一の見本市会場には、世界への発信が必要」と繰り返し説得し、2年かかって契約にこぎ着けた。

 ヤマハに出稿してもらっているのは、「IR広告」だ。足の不自由な人のスキー大会をヤマハがスポンサーしていることなどを、外国人投資家にアピールするのはメリットがある、と指摘した。

 「父がよく言うのは、『大きな仕事を狙え』ということです。小さな仕事ばかりしていると、自分の器を小さくすると言われました」。

 加えて宮田さんのキャラクターがある。包容力ある経営者の父の元でのびのびと育てられた跡取り娘は、どこに行っても物怖じしない、愛されるキャラクターでもあることが多いのだが、宮田さんもその1人だ。

 「大企業の場合、広告を出すか出さないかを決める時は、年配の男性がキーパーソンになることが多い。私はどちらかというと人なつこい、サバサバした性格なので、個人的にファンになってくれた方もいらっしゃいます」

優良な顧客にアピールできる強みを生かす

 大きな広告主がつくのは、営業マンの頑張りのほかに、ビジネスワールド社の媒体が、ほかの媒体ではカバーできない優良な顧客層にアピールできるからだ。

スタッフたちと一緒に(写真:山田 愼二)

 クライアントにアピールする時に何を一番強調するかと尋ねると、宮田さんは「最も強調しているのは、読者が富裕層であることと配布網の広さです」とよどみない口調で答えた。

 「J SELECT」の販売方法は、書店売りが全体の部数の40%で、あとは定期購読である。ヘラルド・トリビューン・朝日(ヘラルド朝日)が読者サービスとして1000部以上を買い取っているのをはじめ、外国人向けの高級サービスアパートメント、ホテル、海外引っ越し業者などが、大口の定期購読をしている。

 また、20%を「J SELECT」のプロモーションとして、各国商工会議所、大使館、東京アメリカンクラブの新規メンバーに配っており、的確に外国人富裕層の目に触れる仕組みになっている。

 また「J SELECT」は2003年から、新しい試みも始めた。月刊誌ではあるが、イベント情報を2カ月分載せて、3月号なら「MAR/APR」、4月号なら「APR/MAY」と、合併号のような表記にして出すようになったのだ。

 「書店売りで返本された分は、回収して1カ月遅れで成田空港や各地の観光案内所などで配ります。こうすると雑誌の売れ残りを減らすことができ、一方で広告主は1カ月分の広告費で2カ月間マーケットにアプローチできるようになるのです」


月刊誌「J SELECT」(写真:山田 愼二)

 「J SELECT」の、編集面での強みは何だろうか。宮田さんは言う。「外国人の視点から見た日本を、生きた英語で読んでもらうのがモットーです。環境問題、国際教育、ビジネス、ファッション、映画、あらゆる話題をカバーする総合誌です。日本人の書いた記事を翻訳で読める英文誌はほかにもありますが、在日外国人の視点で見たものはない。その面白みは、翻訳ものとは全く違うんです」

 確かに「J SELECT」のユニークさは、記事の内容を見ただけでも分かる。例えば日本におけるウエデングビジネスを特集した記事がある。外国人から見ると、日本のブライダルビジネスは独特なのだ。キリスト教徒ではないのにチャペルで挙式をしたり、挙式会場によっては、牧師は1万円で雇われる外国人アルバイトだったりする。見た目のみの“フェイク”なのである。外国人が結婚式を挙げる時は、本人たちの手作りのプランニングなので、日本にブライダルコーディネーターという職業があること自体も珍しいのだ。


 「そのほか、確定申告のやり方や日本で不動産を取得する時の手続き、日本で子供を生んで育てる時のことなど、様々な視点から捉えた保存性の高い編集記事をつくっています。地震に関する記事を掲載したこともあります。外国人は、日本の地震をとても怖がっているので…」

 そう言われてみると、私が某国際企業のアジア統括オフィスで働いていた時、外国人エクスパット向けに配られる分厚い「地震の時の災害緊急マニュアル」を見て驚いたことがある。確かに、日本で大地震に遭遇した場合にサバイバルするための術は読まれるだろう。

 父親のつくり上げたビジネスモデルは、外国人の増加とともに順調に成長し、現在会社は銀行からは無借金。バブルがはじけた後の厳しい時期も乗り越え、ここ7年間黒字が続いている。そこまで育てた会社を、父はポンと宮田さんに譲り渡したわけだが、それは「守りに徹してほしい」という意味ではない。インターネットの時代、新しい経営の方向に舵を切ることが、宮田さんに任された仕事だ。

ホテルニューオータニの庭園で、父母や夫、子供と一緒に

 しかし、社長になった2006年には出産もしている宮田さん。翌年の1月の産休明けから社長として復帰し、いきなり子育てをしながらの社長業だ。この1年で、宮田さんのビジネススタイルはどう変わったのだろうか。

 「まず、今までしばらく採用していなかった日本人正社員を採用しました。それまではコミッションベースの外交員の中からマネジャー候補を選んでいましたが、これからは、私が営業の仕事を少し離れても大丈夫なように、営業の中間管理職を育てたいと思ったんです」

 求人募集する時に前面に打ち出したのは、「社長もワーキングマザー」であるということだ。「働く女性で子供を持つ人たちが、長く働ける環境であることを打ち出したのです」


 この春、2人の女性社員が入社した。1人は既婚者である。この2人や外国人スタッフの中から見つけた良い人材を、中間管理職として育てたい。そうすれば宮田さんも、営業現場を彼女たちに任せて、違う事業に乗り出していくこともできる。

 「インターネットの事業モデルは、既に出来上がりつつあります。平日は忙しくてできないので、休みの日に会社に来て、落ち着いて構想を練っています」と宮田さんは言う。

 「例えば、『この35年間の、東京におけるファッションの動向』といったテーマを英文で読めるのは、うちの記事データだけ。これを活用して、ただ情報サイトを運営するというのではなく、35年間の英文記事情報の蓄積をアーカイブとしてネットで生かしたいと考えています」

 雑誌をつくった時のデジタルデータもあるし、それ以前のものもPDFファイルにすることができる。ファッション、旅行、ビジネスなど、あらゆるデータの35年分の蓄積を、広告代理店やマーケティング会社に、データベースとして売ることも視野に入れている。

 幸いにもワーキングマザー社長には、完璧に育児を分担してくれるという頼もしい夫がついている。今は外資系IT(情報技術)関連企業勤務の夫が、週2~3日、子供を保育園に送り迎えしてくれる。「私が保育園に送りに行く日だったら、夕方は夫が迎えに行く。満1歳になるまでは、ベビーシッターもお願いしていました」。

 育児や家事に協力的な夫を、忙しい宮田さんがどこで見つけたかというと、実はインターネットだ。そもそも私が宮田さんと初めて会ったのは、ある女性誌で「インターネットの結婚情報サービスで結婚したカップル」を取材した時だった。出会って半年でプロポーズされ、結婚したという。

 「外国人から見れば、インターネットで出会うのは普通のことです。でも私の場合、会社の人はみな部下ですし、忙しくて出会いのチャンスもない。インターネットは、出会いの場をつくるには本当にお勧めです」

 笑顔で言う跡取り娘は、まさに「インターネット時代」にふさわしい継承者。父親がそんな彼女に「ネットの時代を娘に任せよう」と思ったのは、正しい選択なのだと思う。


宮田真理(みやた・まり)
1972年、東京生まれ。女子美術大学附属中学校、高校を経て、94年女子美術大学芸術学部芸術学科を卒業。鈴屋に入社し、販売員、副店長を務めた後、96年にビジネスワールド社に入社。「TOKYO DAY & NIGHT」の営業を担当。その後営業統括マネジャー、2002年に副社長、2005年に編集長兼COO(最高執行責任者)に就任。2006年12月に、代表取締役社長。

日経ビジネス電子版から転載。
日経BP総研 HR人材開発センター長 大塚葉が担当した記事を再掲。