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 1996年3月、坂本智美さんの祖母であり、丸信金属工業の前身となる会社の創設者の妻である小和田タカさんがなくなった。坂本さんに「家を継いでほしい」というのが、祖母の一番の望みだった。その気持ちを知りながら、坂本さんがそれをかなえられないうちに祖母は他界してしまった。

父の小和田社長(左)と坂本智美さん(写真:山田 愼二、以下同)

 「家に戻って、きちんと家業を継ごう」。…祖母の死をきっかけに、同年6月、坂本さんはNECを退社して家業に入った。最初は経理をやればいいと言われていたが、坂本さんはおとなしく数字をにらんでいられない性格。「とにかくじっと座っていられないんだ」と父親の小和田社長は言う。

 NECに勤務していた頃は、国内外からの電話がひっきりなしに鳴っていた。しかし、実家の会社では、電話が鳴るのは1日に3~4回。会社って、こんなに静かなものだったろうか…。そう思ったら、何か動かずにはいられなくなってきた。

 「ウチは今日の注文は今日出す方式。空調の部品と一緒になべ、やかんもまだ扱っています。でも、なべもやかんも、もう斜陽の産業。本当にこのままでいいのか、心配になってきたのです」。空調の部品は、1社からの注文が売り上げの大半を占めている。以前のように、1社に頼っていたために、一気に注文がなくなってしまうようなことは繰り返したくない。

 「会社の今の柱がしっかりしているうちに、何か新しいことを始めよう」。父と娘の考えは一致していた。そこで跡取り娘が動き出したのだ。アルミという素材を使って何かできないか? 時はガーデニングブームで、まず植木のポット(鉢)などを作ってみた。試行錯誤を繰り返し、「これはどうだろうか?」「あれはだめか?」と父に相談したが、父は「うーん」と言うばかりで、なかなか納得してくれない。

 坂本さんが、アルミの丸いリング状の素材を曲げたり伸ばしたりしているうちに、ある日ふとひらめいた。「剣山の代わりに花を留められ、自分で育てた短い花を挿して楽しめるような花器はできないだろうか?」「機能を持った形」というアルアートのコンセプトが誕生した瞬間である。


坂本さんが最初につくったアルアートの花器「花あそび」に葉を生けたところ

 父に見せると、今まではなかなか首を縦に振ってくれなかったのに、初めて「面白い」と言ってくれた。楕円のアルミのトレーと自由に形を作れるリングというセットで最初の坂本さんのプロデュース製品、アルミで作った花器「花あそび」が誕生したのだ。小さな頃から工場でアルミという素材を触っていた坂本さんだからこそ考えついた、アルミのしなやかさを生かした作品である。

 しかし作品ができたとはいえ、販路はまだない。事務所の玄関に、前の庭で摘んだ花を生けて置いておいたところ、「これ、いいね。ちょうだい」という人が現れるようになった。「売りたい」という人も現れた。しかしその時、坂本さんは妊娠しており、自分で営業に飛び回れない状態だったのだ。NEC勤務時代、取引先であるシャープに勤めていた夫と97年に結婚し、98年に第1子が誕生する。

 アルアートの最初の作品である「花あそび」に関して坂本さんは、「妊婦の時に考えたから、丸みのあるデザインになったのかもしれませんね」と言う。最初の頃、販売を代理店に一任していたが、思うように売れ行きが伸びない。この頃は、作品のパッケージデザインも人に依頼していたのだが、「やはり自分でやりたい」という思いを持った坂本さんは、すべて自社デザインでパッケージングをやり直した。

 やがて「花あそび」が日刊工業新聞に掲載されたことから、浅草の雑貨商から展示の申し入れがあり、200個300個とまとめて注文してくれる会社も出てきた。さらに同年栃木県優良デザイン選定生活部門で大賞を受賞。需要が先行し、98年にアルアートはやっとブランドとして走り始めたのである。

 ブランディングはできた。次はマーケティングだ。どこで売るか…。そう考えた時、坂本さんは真っ先に三越に売り込みに行った。最初に一流デパートから攻めるというやり方は大胆である。それも、製造業者としての先輩である祖父から「『ウチの商品は絶対です』と、自分の手を離れる物は自信を持って送り出しなさい」と励まされ、「まず上流から攻めよう」と決めたのだ。

 三越の担当者は「面白いね」とは言ってくれたが、半年間音沙汰なし。あきらめた頃に、「2週間、園芸フェアに出ませんか」というオファーが来た。フェアに出品したところ、アルアートの製品は1日40個から50個売れた。

 自社デザインゆえに、デザインの秀逸さの割には、意外に値段が安いのだ。Sサイズで1000円、Mサイズで1400円。この値段なら「ちょっと面白いから買っていこう」と思う人がいても不思議ではない。あまりに売れるので、次々フェアに出展できるようになる。

 「スタートしたからには最低5年はやろう。毎年10個デザインを増やそう」と心に決める。2000年に常設の生活備品市場(銀座三越)、インテリア用品売り場に正式に展開することも決まった。その後、高島屋、東武、伊勢丹、スパイラルにも卸し、青山のセレクトショップからもオファーがある。

右から坂本智美さん、母、夫、そして社長の父

 「花あそび」を考案してから5年間、坂本さんはたった1人でアルアートの製造、企画、販売、営業のすべてを担当していたが、5年目に強力な助っ人がやってきた。夫の勇樹さんがシャープを辞めて、専務として丸信金属工業に入社してくれたのだ。ものづくりが好きで絵心のある夫は、デザインもしてくれる。アルアートのカタログの半分は夫婦共同の作品である。

 「3年間で、売り上げは倍に伸びた。6年目に伸びがちょっと鈍くなり、8年目に新ブランド『誉(ほまれ)』を立ち上げてからは、また15%伸びました」

 アルアートは「花器」が中心で、無機質なアルミと植物の取り合わせの意外性や機能性のあるデザインが楽しい。花1輪がアルミの縦長の板に留められ、その姿が磨かれたアルミに映り込んで、花が2輪あるように見える遊び心のあるデザインもある。見えないようにガラスの小さな器が配され、きちんと花が水を上げられるように工夫している。

 庭やプランターに咲いた小さな花や野花を摘んできても、すっきりと生けられる。このセンスは、枝を落とし、できるだけシンプルに野花を生ける「茶花」(茶席に飾る花)の手法に似ている。世界にも通用するこのセンスはいったいどこから生まれたのか?


花器「UTAKATA(うたかた)」と「YURAGI(ゆらぎ)」

 「祖母がお茶、お花をやっていて、茶花も教えていました。家にはお茶室があり、お茶道具も祖母から伝わったものが結構あるんですよ。小さな頃から家にある祖母の読む雑誌、お茶道具の本や、『家庭画報』や『婦人画報』が大好きでしたね」

 坂本さんにそう言われて、納得した。モダンなようで、どこかミニマリズムを重視するシンプルなデザインは、日本の芸術や文化を小さな頃から見ている坂本さんならではのセンスなのだ。知らないうちに日本の良いものに触れる環境…。跡取り娘の強みの1つだ。

 「自分が美しい、と思う感性だけで作品を作っています。でもあくまで身近に花を生けるためのデザイン。あまりとんがらず、みんなが美しいと思ってくれる、いいものを出していけば、商品はどんどん一人歩きしてお客様を呼んでくれます」

 2006年に立ち上げた新ブランド「誉」は、和の「文様」である「源氏香」などを生かした、ペンダント、名刺入れ、携帯ストラップなど。こちらはアルミを重厚に使うデザインで、アルアートとはまた趣が違う。磨かれたアルミと伝統色の真田紐を組み合わせたストラップは、お土産などに喜ばれそうだ。

新ブランド「誉」。日本の文様をかたどったペンダント、箸置き、ストラップ、菓子皿など

 「軽さを生かした花器と対極の重みを生かしたデザインなら、アクセサリーがいいと思った。アルミは身に着けてもアレルギーが出ない金属なんです」

 2年前から、美大を出たデザイナーの小泉真二さんが製品作りに参加してくれるようになった。坂本さんの「こうしたらどうかなあ」というボンヤリしたアイデアも、小泉さんの手を経て格段に完成度が高くなった。見せ方も洗練されてきた。

 小泉さんは、「坂本さんは、特にデザインの勉強をしていないのに、小さな頃からアルミ工場の現場を見てきているからか、ヒラメキと感覚がすごい。ただ、彼女のアイデアを実際に形にするのは、なかなか大変ですが…(笑)」。

坂本さんと一緒にデザインを試行錯誤する、デザイナーの小泉真二さん(真ん中)と夫

 夫が専務として、そして小泉さんがデザイナーとして加わって、現在製品は150アイテム。坂本さんが2人でやっていた頃に比べると、格段に製品の種類が増えた。

 「アルミのいいところを生かしたから、成功したのだと思います。アルミという金属は鉄の3分の1の軽さで、加工しやすく、耐久性がいい。また何回も再使用できる、環境に優しい金属です。最初の精錬に使う電気量の27分の1で再加工できます」

 例えばラインボールという、細長いアルミの針金のようなものをボール状にまとめた花留めがある。これはよく見るとアルミの削りくず。同じ製品を作っている工場ならどこにでもあるだろう。しかし技術を駆使して、細く長く削ってもらい、こういう形ができるのだ。


「LINE BALL(ラインボール)(左)」に花を挿す(右)

 アルアートの成功はやはり、丸信金属工業の揺るぎない技術と切り離せないだろう。同じようなデザインを考えるデザイナーがいたとしても、家の隣の工場ですぐに試作品を作れる坂本さんにはアドバンテージがある。普通はデザインをスケッチで起こし、形になるまで3カ月はかかる。実現化するスピードが違うのだ。

 現在アルアートは丸信金属工業の売り上げの15%。うち、80%が花器の売り上げである。決して主力製品ではないが、父の小和田社長は最初から寛大な目で坂本さんのやることをバックアップしてくれた。

 「会社をまわすのは、空調などの工業部品。しかし企業経営には、未知数を追っていく夢が必要なんです。常に何かに挑戦していく姿勢が大事。簡単にはうまくいかないが、努力してチャンスを求めていかないと製造業はつぶれてしまう。本当に悪くなってからは、もう動けませんから」と小和田社長は言う。「今まわっている仕事があるうちに、何か次を考えよう」という考え方は親子共通のものだ。

チーズにヒントを得た花器、「URBAN-STAND」

 アルアートのおかげで、普段は縁のない様々なつながりができる。それがまた自社の営業につながる。アルアートを見た人が「こんな技術があるなら、これはできますか?」と声をかけてくれる。工場で見せてもらったのは、イタリアンレストラン「ポンテベッキオ」のロゴの入った箸と箸置きのセット。OEM(相手先ブランドによる生産)で請け負っている。アルアートは丸信金属の夢であり、新しい営業ツールでもあるのだ。

 「アルアートを始めた最初の頃は皆、『跡取り娘が何をやろうとしているんだ?』『道楽だ』と思っていたかもしれません。でもみんな、とにかく私を助けようとしてくれました。今はやっと売り上げの数字が立ってきました。今後はプレス屋だけではなく、技術とソフトの部分、図面通りではないプラスアルファの提案もできる会社としてアピールしていく強力なツールとしていきたいです」


 丸信金属工業のウェブサイトは社員が作り、カタログのデザインや、写真撮影もすべて自社内でやっている。アルアートに関わる女性社員たちは、工場での作業から、デパートの展示販売まで活躍してくれている。

 「社員は20人。女性たちは外の営業にも行くのでアルアートのことをよく分かってくれているしモチベーションも高い。工場で働く社員と温度差があるのが悩みですが、いい物を作ろうという意識がとても高いのがうちの社員。これからアルアートがどのように会社に貢献できるか、ビジョンを社員全員で共有していくのが課題です」

「家族」と「社員」という二重のファミリーに囲まれて

 坂本さんに話を聞いているうちに「ただいま」とランドセルを背負った息子さんが工場の事務所に帰ってきた。今、10歳という。この子がお腹にいる時にアルアートを立ち上げ、育ててきた坂本さん。大きくたくましくなった息子さんの姿は、そのまま坂本さんがアルアートにかけた歳月でもある。

 足利でやかんやなべを作っていた小さなアルミ工場の製品が、この10年でデザイン商品として認められ、海外に出るようになったのだ。

 足利商工会議所主宰の2008年ジャパンブランド確立支援事業「足利幕府プロジェクト」には、コシノジュンコさんとの共同試作作品、行灯とランチョンマットを作った。これらは今年2月にワシントンで展示されている。

 「アルアートは会社の触手」と坂本さんは言う。日本の中小製造業はどこも厳しい現状があるが、こんな新しい触手を伸ばしてしぶとく生き残ろうとしている。こういう道もあるのだと、いつも跡取り娘たちに教えられるのだ。


坂本智美(さかもと・ともみ)
1970年、栃木県足利市生まれ。青山学院短期大学卒業後、1990年、NEC国際資材部に入社。1996年、NECを退社し、丸信金属工業に入社。1997年に結婚し98年に第1子誕生。同年、「AL art」で最初の製品を世に出す。

日経ビジネス電子版から転載。
日経BP総研 HR人材開発センター長 大塚葉が担当した記事を再掲。