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 28歳で家業の品川女子学院(当時品川中学、高校)に教師として着任した漆紫穂子(うるし・しほこ)さんは、“進学塾行脚”を始めた。受験生の多くは、塾に通っている。受験生のニーズを知り、学校の情報を伝えてもらうためにも、進学塾の力は無視できない。

 しかし、塾経営者の見る目は厳しい。「今さら改革なんて、もう遅いですよ」「手遅れじゃないですか」といった反応も返ってきた。私学でも、中高一貫を強く打ち出してこなかったことがネックになる。…そんな中、ある塾経営者が「これ以上落ちることはないのだから、安心して改革をどんどんやってみれば」と助言してくれたことで、漆さんの目からウロコが落ちた。

品川女子学院校長の漆紫穂子さん(写真:山田 愼二、以下同)

 漆さんは、改革に成功した他校にも赴いた。同業者なのに、驚くほど親切にノウハウを教えてくれる経営者もいた。「あなた自身があきらめない限り、学校は大丈夫ですよ」、そんな励ましの言葉をもらったことも、漆さんの改革への意欲を支えた。

 「私があまりにもモノを知らず、必死だったから、かわいそうだと思ってくれたのかもしれません(笑)」。若いが熱心な教師に、同じ私学の経営者として共感を持ってくれた人も多かったのだろう。漆さんの祖父も父も、私学の協会の役員を務めるなど、教育界では人望があった。

 私学回りで学んだ重要なことの1つが「経営」だ。「私学では、経営は大切。帳簿を読めるようになれば、校舎の立て替えなどの大きなお金が動く決断がしやすくなりますよ」。そう教えられて気づいた。漆さんは教師の教育は受けているが、経営は学んでいない。経理は母親が担当していたが、体調を崩してから経理を長期的な視野で統括する人がいなかった。その頃から、漆さんの中に「経営」というアンテナが1本立った。

 「アドバイスをもらい、話を聞けば聞くほど、あれもこれもやらなくちゃと欲張ってしまった。優先順位という言葉も知らなかったんです」。よそで聞いて「これはいい」と思うことを、漆さんは全部実行していく。しかし、次々に着手してもダメならすぐにやめる、即決即断である。年度の途中でも、うまくいかなそうだと思うものはすぐにやめた。


校庭で生徒たちと

 「10やったことのうち8は失敗だったかもしれません。どんどんやってパッとやめるので、教職員同士で情報共有もできていなかった。訳も分からずに振り回される周囲は、大変だったと思います」。跡取り娘の取材をしていると、本人が改革を焦るあまり、周囲から浮き上がる時期を皆経験していることが分かる。漆さんはどうやって、改革のリーダーシップを取っていったのだろうか? 周囲の反対はなかったのだろうか?

 「心配はされました。誰もが、学校のためによかれと思うゆえの善意の反対だったのです」と漆さん。心配した先輩教師に、「居場所がなくなっちゃったらどうするの? 新任のうちは、3年間はおとなしくしていた方がいいですよ」と忠告されたこともある。だが漆さんも「学校を守るために」必死だったのだ。


 そんな漆さんを支えたのは父である当時の校長だった。「父は人望がありました。改革をしようという教員たちの言うことに、聞く耳を持ってくれました。最終的には『校長先生の言うことならやりましょう』と、見切り発車でも全員が協力してくれました」

 周囲と協調することにも少しずつ慣れ、1人で提案するのではなく、プロジェクトチームを組んで改革を進めるようになった。外部に情報収集に行く時も、漆さん1人ではなく何人かで一緒に行くようになる。プロジェクトにはチームリーダーを立て、任せるところは任せる。情報を共有するために、広報は外部だけでなく内部向けを徹底させ、内部広報はあえて古参の先生に任せた。改革に熱心な先生との温度差を埋め、改革への参画意識を共有するためだ。

 中高一貫を打ち出すために、学校名を「品川女子学院」と改めた。「セーラー服の化石」と評されたこともある制服も一新した。「有名なデザイナーに頼むとお金がかかるし、生徒のニーズも反映できないので、私物のタータンチェックのスカートをモデルに自分たちでデザインしました」。伝統ある制服の刷新は、生徒たちにはおおむね好評だった。

 校舎のリフォームに関しては、バブル時のこともあり「高層ビルに建て替え、学校のほかに貸しビル業もやっては?」といった話もたくさん来たが、これらの話には乗らなかった。「たまたま両隣が、既に同じようなビルを建てていたのです。これから同じことをやっても、皆が成功するのだろうか、と疑問がわきました」

休み時間、廊下に仮設の机と椅子を並べ、先生の説明を受けられる

 高層ビル建設を勧めのは、皆自分が得する立場の人ばかりだ。そんな中で、信用できると漆さんが直感したメーンバンクの支店長にアドバイスを仰ぎに行った。「この改革に失敗したら、学校がなくなってしまう」…。真剣な漆さんの問いに支店長は、「お金を借りてまでやらない方がいい」と言った。こうして、校舎の改築工事は拡大しないと決めた直後、バブルが崩壊した。

 生徒に授業アンケートを実施し、生徒の意見にも耳を傾けた。教員が「生徒にとってよかれ」と思っていた「先生主導型」の運営に対して、生徒たちは意外に不満を持っていることも分かった。そして「自らを考え、自らを表現し、自らを律する」の校是の通り、生徒会やほかよりも多い文化祭、合唱祭などの行事は、生徒自身が実行委員会を作って運営するようになっていった。時には失敗もあるが、品川女子学院は生徒たちに失敗を恐れず進むように教育している。それが将来の糧となるからだ。

 授業のカリキュラムも、必修科目にTOEICを取り入れて大幅に変え、毎年、シラバス(指導要領)をはっきりと提示し、先生によって進度のムラが出ないようにした。


 28歳で品川女子学院に戻ってから、約7年の間に一気に推し進めた改革は、90年代に入ってから、結果に結びついた。改革に着手した翌年から受験者数が毎年倍増し、偏差値も上がってきた。

 最初に推し進めた改革は、「とにかく学校をつぶさないため」。それは成功したと言える。外からは順調に見えていた。しかし改革疲れもあってか、経営危機を乗り切るために一致団結していた先生たちの気持ちが、バラバラになっている…。そんな危機感を感じたのが、漆さんが副校長に就任する2000年頃だった。

 改革に伴い、先生たちの仕事は増える。日々生徒の指導をしながらの改革なのだ。常につきまとうのは「仕事が多くなりすぎて、目の前の生徒のことに注力できないのではないか」という疑問だ。漆さん自身、週に20時間の授業を持ち、4つの部署を掛け持ちし、外回りもしていた時期もある。

 「私も悩みました。教員にとって一番やりがいがあるのは、担任を持ち、授業をし、生徒と直に関わっていること。それは私も同じです。しかしどんなにいい教育をしても、生徒がいなければ、学校がなくなってしまう。経営者としての責任もあるのです」

 総括の時間もなく、やり始めたことがやめられない。スピード重視のプロジェクト制や会議の統廃合が、コンセンサスを阻害する。改革を乗り越えた古参の教員と、高い競争率をくぐってきた若手教員との間に温度差も生じる。みんなが一生懸命なのに、歯車がかみ合わない…。誰もがジレンマを抱えていた。第2の改革の時期が来ていたのだ。

  「自己啓発などの企業研修も取り入れましたが、先生たちの心に響かない。経営コンサルタントの友人に相談すると、「必要なのは研修ではないかもしれない」と指摘され、一部にヒヤリングを実施した。

 その結果「目標が共有できていない」という問題が明らかになった。そこで、一人ひとりが学校の教職員になった時の原点に立ち返り、全員でミッション・ビジョン・バリューをつくったのだ。ミッションは、「私たちは世界をこころに、能動的に人生を創る日本女性の教養を高め、才能を伸ばし、夢を育てます」。構想から完成まで、2年かかった。

校内の和室では、着物の着付けや茶道を学べる

 ミッションを作ると、改革の軸がぶれなくなる。例えば高校での生徒募集をやめた。これによって約6000万円が減収となる。しかし、ミッションに照らした時、その実現には6年間かけて生徒を育てることが必要、と判断した。

 しかし私学としては、英断だ。漆さんはこのような発想をどこから得るのだろうか? カギは豊富な人脈にありそうだ。

 「経営の軸をぶらさない」例として会社を経営する友人が、不採算ではないが、目標に沿わない子会社を売却したという話を教えてくれた。経営者や企業の中で活躍する異業種の友人が、多くの情報や発想のヒントをくれた。

 「生徒たちはいずれ社会に出て働きます。でも自分は学校の世界しか知らず、企業での社会人経験がないことがコンプレックスでした。外部の勉強会に出て、視野を広げるよう努めました。多摩大学ルネッサンスセンターのCEO講座にも1年通い、大企業の部課長と机を並べさせてもらいました。異業種の友人たちからは、社会が求める人材のニーズを知ることもできます」


 品川女子学院の大学進学率は上がったが、生徒の自主性に任せすぎた結果、校則では禁じている“茶髪率”が20%まで上がったことがある。そんな時、漆さんはホテルオークラが「社員が染めていい髪の色」を決めていることを知った。「社会に出てから、会社の規則を守れないような人を育ててはいけない」…。こうして、校則を学校のウェブサイトに掲載し、入学前の説明会でも伝え、入学後の指導を引き締めた。

 漆さんは常に「実社会に出てからの生徒の姿」を意識している。学校は、生徒を6年間だけ無事に守り育てればいいというわけではない。「学校のホスピタリティーとは、たとえ煙たがられても、生徒が大人になった時、この学校で教育を受けてよかったと思ってもらえること。生徒たちの未来へのプレゼントをすることなのです」。「28歳になった時に社会で活躍できる女性を育てる」ことを目的とした「28プロジェクト」は、まさに「未来へのプレゼント」にほかならない。

 その取り組みの1つが、大学や社会の一線で実際に活躍する人物、トレーダーの藤巻健史氏など社会人講師を迎える特別講座や、企業とのコラボレーション授業だ。

ポッカコーポレーションと共同開発した「桃恋茶(とうれんちゃ)」と販促用ポスター。商品コンセプト、パッケージデザイン、ポスターにも生徒のアイデアが
「眠眠打破ハードグミ」の「起(き)まずいじゃん」は常盤薬品工業との共同開発

 福助とは「本当に女子中高生がはきたいソックス」を企画し、学校の指定ソックスを共同開発。また、常盤薬品工業とはドリンク剤「眠眠打破」のグミ版を「品女バージョン」としてリパッケージし、製品化した。中3の1年間をかけた授業で、生徒たちは時には街に出てアンケートも取った。

 例えば映画を書店でプロモーションする時は、半日書店に立ち、実地のマーケティング調査まで自主的にやる。企画からプレゼン、CM作りまで、生徒たちは「実業」に触れ、驚くほど積極的に動き出す。ストックリーグなど株の教育もした。ベンチャーファンドの協力を得て、文化祭の模擬店を「起業」したこともある。設立、登記、解散まで、実際の企業と同じにやり、投資家の前でプレゼンをして投資を募るのだ。初年度は失敗もあったが、2年目の成功につなげた。

 学校という場で、何の目的で勉強するのか? 生徒の誰もが一度は突き当たるその問いに、これまでは「将来の自分のため」という答えしかもらえなかったのではないか。品川女子学院はその答えを、より具体的な形で提供しようとしている。

 「好きなことはあっても、普通の授業だけではそれがどんな風に仕事に結びつくか分かりません。実際に社会人と共同作業をすることで、会社にはどんな仕事があるか、自分は将来何がやりたいのか、リアルにイメージできるようになります。学校の勉強と社会がつながっていること、今と未来がつながっていることに気づいてほしい」。薬品会社は、薬をつくるだけではない。清涼飲料水の部門もあれば、法律業務を担う法務部もある。「こんなところに、こんな仕事があるのだ」と、生徒たちが目を輝かせる瞬間がある、

 「学校外とのコラボレーションは、大変なエネルギーが必要です。大学進学だけを考えれば、回り道かとも思いましたが、大学のその先に目標を置くことで生徒のモチベーションが高まり、勉強に打ち込める。結果として、第一志望校への合格者が増えました」


 偏差値の高い学校、進学率のいい学校というだけでなく、「生徒が生き生きしている」と評判の品川女子学院の秘密は、実社会を早くから体験させる教育にある。しかし漆さんはこれを「キャリア教育」とは呼ばず、「ライフデザイン教育」という。仕事もプライベートも含め女性たちのライフデザインをするという意味だ。「社会や仕事に対して、モチベーションの高い女性を育てることが日本を支えることになるのです」

 しかし、仕事と出産については問題もある。ある時授業で、MBA(経営学修士)を取得し、その後出産した女性が講演をしたら、ある生徒が「そんなに素晴らしいキャリアなのに、どうして子供を生んじゃったんですか?」と質問したのを聞いて、はっとした。キャリア教育だけに偏ってしまうと、生徒は女性が出産することは仕事のリスクと考えてしまうのだ。

 「実際に日本には、出産年齢で労働力率が下がるという現象もあり、女性が出産を機に退職すると元のポジションに復帰しにくい現実もあります。ですから28歳までに資格や専門性を身につけ、その後どんな選択をしても自分が望めば仕事を続けていける女性になってほしい。28歳までに、その先も問題なく進めるようなライフデザインができるための教育なのです」。出産年齢には限界がある。出産を考える年齢になってから、産後も復帰できるような専門職につきたいと思っても間に合わない。その時になって困らないためには、16~17歳の進路選択から始めるべきなのだという。

 先日取材した団塊ジュニアの事務職女性は、「就職氷河期で、営業も事務職も手当たり次第受けたが、営業がいやで事務職になった」という。大学を出て仕事を考える時「営業職か事務職か」の2つしかないというのは貧しい職業観だと思ったが、それは今まで誰もそこまで教育してくれなかったから無理はない。

 漆さんの言葉に深く共感したのは、私が少子化問題をライフワークとしているからだ。現在、派遣社員や専業主婦志向の女性ほど結婚がしにくい。女性も生涯働いていく覚悟やスキルがないと、不況下では養ってくれる男性を見つけられないのだ。25~29歳女性の未婚率は5割以上。大量の未婚者が出産限界年齢になれば、少子化はますます加速してしまう。品川女子学院の推進する「28プロジェクト」は、まさに少子化対策なのだ。

 「28プロジェクトは、目の前の生徒のためであると同時に、人口減少社会に向かう将来の日本のためと思って進めています」。漆さん自身には、多くの生徒たちという子供はいるが、自分の子供はいない。だからこそ、ここまで考え抜いた教育ができるのかもしれない。

 漆さんには、もう1つ夢がある。品川女子学院の卒業生たちの支援だ。卒業生が互いに助け合い、ワークライフバランスを保っていけるような組織づくりをしていきたいと思っている。そのためには、彼女たちの未来のパートナーになるような男性の養成も必要だ。「うちの生徒に、『私たちはもうやる気十分ですから、先生はぜひ男子校に行って教えてください』と言われました(笑)」

 「私の実家は、4世代が同居していました。祖父が毎朝新聞を取ってきて家族のコーヒーをいれ、父が朝ごはんをつくっていました。男性も家事をする家庭だったのです。学校で経理を担当し、夜の帰宅が遅い母が、朝は一番遅くに起きてきました」。漆さん自身は24歳で結婚したが、転勤についていけない漆さんのために、夫は会社を辞めて税理士の資格を取って開業した。

 品川女子学院卒の元気な働く女性のために、ぜひ「28パートナープロジェクト」も推進してほしい。漆さんなら、将来ニートや引きこもりにならないような男子生徒を育てることも可能なのではないか。

 2006年に6代目の校長、漆家としては4代目校長に就任した漆さん。取材をしていると時々、「この人は将来の日本に必要だ」と強く感じる女性に会うことがあるが、漆さんもその1人だ。「社会で輝く女性を」という曾祖母からの思いを積み重ね、漆家は今、漆紫穂子さんという人材を、絶妙なタイミングで輩出した。1代や2代では成らない、“後継”という文化の不思議を、一番感じるのはこんな瞬間なのである。


漆 紫穂子(うるし・しほこ)
1961年東京都生まれ。1925年に荏原女子技芸伝習所(現品川女子学院)を設立した漆雅子さんの曾孫。中央大学文学部卒業、早稲田大学国語国文学専攻科修了後、都内の私立中高一貫校の教師を経て、89年に品川女子学院へ。学校改革に参加し、7年間で中等部入学希望者数が60倍に。2006年4月、父の跡を継ぎ、第6代校長に就任。趣味はトライアスロン。産経新聞の教育コラム「解答乱麻」で執筆中。

日経ビジネス電子版から転載。
日経BP総研 HR人材開発センター長 大塚葉が担当した記事を再掲。