日本の居酒屋で、お酒の定番メニューになっている「ウーロンハイ」「グレープフルーツサワー」。最近は、生のグレープフルーツが絞り器と一緒に出てくる「生グレープフルーツハイ」なども人気だ。この「ハイ」と「サワー」は、焼酎をジュースやお茶、炭酸飲料などで割る飲み方の一般名称だと思っていたが、実は博水社2代目社長だった田中専一さんが作った「ハイサワー」という炭酸飲料が元になった言葉だという。

博水社代表取締役社長の田中秀子さん。ハイサワーのロゴ入りエプロンをかけて(写真:いずもと けい)

 「ハイサワーの『ハイ』は『我輩』の『輩』で、本当は『輩サワー』なんです。父がこの商品を自分で作った、という思いを込めて『我輩のサワー』と命名したのです」と語るのは、2008年4月に博水社の3代目を継いだ田中秀子さん。こんな話は、雑学を紹介するテレビ番組「トリビアの泉」でも聞いたことはなかった。このハイサワーが後に「ハイ」と「サワー」に分かれて、「○○ハイ」「○○サワー」というメニューが全国に拡大し、定着したのだ。

 博水社は、1928年に田中さんの祖父、田中武雄さんが品川区で創業したジュース会社。当時は「みかん水」「ラムネ」「サイダー」などを作っていた。昔はこのような小さなジュース会社が、日本全国にたくさんあった。東京でも、今は40軒ほどになっているが、かつては200軒はあったという。

 そして1980年、2代目社長になった専一さんが、焼酎を割るための炭酸飲料ハイサワーを発売する。このハイサワーが、「焼酎を割って飲む」というスタイルを作ったのだ。


 焼酎割り飲料としては、既に1948年にホッピーが出ている。終戦直後の闇市では「カストリ」「バクダン」いう密造酒が飲まれていたが、ホッピーが登場して、焼酎をホッピーで割る飲み方も、闇市から生まれたという。1981年には1日に20万本を売ったホッピーだが、その強力なライバルとなったのがハイサワーだ。

 ハイサワーは、麦芽を使ったホッピーとはまた違う味わい。炭酸にイタリア産のレモン果汁を使った、爽やかなテイストだ。しかし実は、ハイサワーの前に専一さんは、ホップを使った別商品を開発していた。試作を重ね、完成を目前にした頃、不運にも米国のホップメーカーが倒産。ホップを使えないことになり、一から開発したのがハイサワーだったのだ。

 ハイサワーはレモンと炭酸の入った、焼酎を割るための清涼飲料水だ。隠し味に使われているのは、白ワイン。田中さんの母が「ぶどう酒も入れてみたら?」と提案したことでまろやかさが増して、1980年に製品が完成した。

 「でも当時、飲食店で出るお酒は、ウイスキー、ビール、日本酒が中心でした。焼酎は“労働者の飲み物”と思われており、常備しているお店はほとんどなかったのです」と田中さんは言う。焼酎がないとハイサワーは飲めない。そこで田中さんの父の専一さんは、ハイサワーを広めるための方策を考えた。

 「工場や配達担当の若い社員たちに頼んで、地元目黒の飲み屋さんに営業に行ってもらったのです。ハイサワーと焼酎をP箱(酒を入れて運ぶプラスチックケース)に入れ、肩にかついで、行きつけの飲み屋やスナックを一軒一軒回ってもらいました」

 とはいえ、ただ店に置いていくだけではダメだ。店で焼酎をハイサワーで割り、氷を入れてから「ママ、とりあえず一杯飲んでみてくださいよ」と言ってみる。近くにいるお客にも、無料で薦めてみた。

 爽やかなレモンと炭酸の味の新しい飲み方は、「初めて飲む味だ」「なかなかおいしいね」と、どの店でも評判になった。ハイサワーは新しい「焼酎のカクテル」として、2年ほどの間に爆発的にヒットし、ホッピーのシェアを奪うまでになる。居酒屋用のビン入りの200ミリリットル商品を最初に出し、家庭用の360ミリリットルビンも生産するようになった。

ハイサワー。ビン、紙パック、ペットボトルなど様々。味はレモン、青リンゴ、グレープフルーツなど6種類(写真:山田 愼二)

 今は家庭用商品は、1リットルのペットボトルにもなっている。ハイサワーの大ヒットで、飲食店のメニューとして「○○ハイ」や「○○サワー」という名称が定着するまでになった。

「博水社3代目シスターズ」のイラスト。姉の田中秀子さんは右、左は妹

 そんな歴史を持つ創業80年の会社の3代目社長に、田中さんはこの4月に就任したばかりだ。妹と2人で「3代目シスターズ」を名乗り、会社のウェブサイトでブログも公開している、「ハイサワーの看板娘」である。

 今回田中さんのことを知ったのは、「ハイサワーも、4月に跡取り娘が社長になったらしい」という情報を小耳に挟んだのだ。焼酎を割る「割り材」メーカーといえば、この連載で以前取材した「ホッピーの看板娘」、石渡美奈さんがいる。2大「割り材」メーカーの跡取り娘対決…。これは面白そうだ。

 連載の取材ではたいてい本社に行くのだが、今回は生産現場―ハイサワーの生産を請け負うジャパンフーズ(千葉県長生郡)に行くことになった。

 初めて会った時の田中さんの印象は、腰が低くふんわりとした雰囲気で、優しい美声の持ち主。母親のような包容力がある女性、という第一印象だったが、後になって本当に2児の母だと分かった。元気でバリバリと社員を引っ張るホッピーの跡取り娘、石渡さんとはまた違うタイプの、魅力ある女性社長だ。


ジャパンフーズの工場で。トラックで到着した商品をコンテナで仕分けする(写真:いずもと けい)

 工場に着くと、ちょうどハイサワーを乗せたトラックが到着し、コンテナに載せて仕分けをしているところだ。

 田中さんと一緒にジャパンフーズの工場に入っていくと、ジャパンフーズ専務取締役で工場長の飯沢研司さんが、「秀子ちゃん」と行って親しげに近寄ってきた。

 「ジャパンフーズさんには、もう30年もお世話になっているんですよ」と田中さんが言えば、「最初に博水社さんとおつき合いを始めた頃は、秀子ちゃんのお父さんは会社のバンでやって来てたものだね。会社がだんだん大きくなって、車がセダンになり、その次は外車になっていったものだなあ」と飯沢さんが当時を振り返る。

 博水社の本社は目黒にあるが、今は自社工場を持たず生産をアウトソーシングしている。ジャパンフーズは、同社の最大のアウトソーシング先だ。ジャパンフーズは約12.5万平方メートルという広大な敷地面積を持ち、アジア全土から見学者がやってくる。

 HACCP(製造工程で重要な部分を重点的に管理する仕組み)、環境マネジメントに関するISO(国際標準化機構)14001、品質マネジメントに関するISO9001を導入・取得する工場で、ハイサワーのほかに、日本の大手飲料メーカーなどから生産を請け負う。工場には11のラインがあり、ペットボトル、缶入りジュース、炭酸飲料、お茶やコーヒーなど様々な種類、様々な容器の製品を生産できる。

 例えば1.5リットルのペットボトルでも形は多様で、口の広さもそれぞれ違う。各メーカーの規格をすべてラインに載せるには、相当の技術力が必要だ。色も形も違う飲料が、次々と運ばれ、オートメーションで箱詰めまでされていく様子は時間も忘れて見とれてしまう。最近は、「大人のための工場見学ツアー」を開催する企業があるとも聞いているが、こういう工場見学に大人がはまってしまう気持ちがよく分かる。

 1分間に800~1000本を生産するため、品質管理は特に厳しい。ちょっとの手違いで、あっという間に不良品ができてしまうのだ。工場全体では年間5000万ケースまでの生産が可能で、約400種を扱う。飯沢専務は「清涼飲料業界では、1つの商品が3年続くと大ヒットと言われる。ハイサワーのようなロングセラー商品は貴重だ」という。

工場内の調合室。果汁、砂糖、香料などをタンクで混合する。担当者と話す田中社長(写真:いずもと けい)

 夏場の工場はフル稼働状態。商品は近くの倉庫にどんどん運ばれる。1台のコンテナに800ケースのハイサワーが積まれ、30台のコンテナが行き来する。この工場での、ハイサワーの1日の生産量は1万~2万ケース。1ケース15本だから、15万~30万本ということになる。

 「1980年までは、博水社は目黒に小さい工場を持っていたのです。ハイサワーがヒットしたので生産が追いつかなくなり、工場を拡大するかという問題が出てきました。しかし目黒の近隣が住宅地になっていく中、大きな工場を建て直すかどうかで、父は一つの選択をしたのです」


目黒にあった博水社の工場。ガラスビンを木箱に入れている。ペットボトルの登場など考えられない時代
ハイサワーの生みの親、父の田中専一さん。1986年、ハイサワー販売キャンペーンでのショット

 夏場の受託は多いが冬には枯れるという、季節によって受注量の変動が大きいのが清涼飲料水の特徴だ。しかし酒を割る炭酸飲料水なら、年間通して受注が安定する。ここで、博水社とジャパンフーズの出合いがあった。

 田中さんの父は、「工場に設備投資する」か「商品PRにお金をかける」かのうち、後者を選択した。工場の機能をすべてジャパンフーズに託すことにしたのだ。「今にして思えば、父がこう決断したのは、うちに男の子がいなかったからかもしれません。“男の跡取り”がいれば工場を建てたかもしれませんが、娘しかいないから誰も後を継がないかもしれない、と思ったのかもしれませんね」と田中さんは言う。

 こうして博水社は、早くから生産も運送もアウトソーシングすることに成功し、代わりにハイサワーのブランドPRに注力した。テレビCMを打ち、雑誌に広告を載せた。テレビCMの「わるならハイサワー」というメロディーがすぐに浮かぶのはそのせいだろう。商品が広く認知されると、スーパーのバイヤーが取り扱ってくれるようになる。

 「業務用と家庭用では、ハイサワーは家庭用シェアが多いんです。特に今は不況なので、“家飲み”の時代になってきたのかもしれません」

 小さな町工場から、会社が拡大していくのを、田中さんは長女として目の当たりにしながら育った。ちょうど20歳の頃がハイサワーのヒットの時期で、大量生産したくてもビンの製造が追いつかず、父がスーパーのバイヤーたちに頭を下げる姿も見てきた。いいことも悪いこともあったが、「こんな大きく、様々な認可も受けた工場で作ってもらえるようになった」と、今でもジャパンフーズへの感謝の気持ちを忘れない。

博水社代表取締役社長の田中秀子さん

 取材で撮影する際、田中さんは「ハイサワー」のロゴの入った赤いエプロンをかけた。「このロゴがハイサワーのトレードマーク。もっと皆さんに知っていただきたいので…」

 しかし田中さんは、跡取り社長への道をまっしぐらに歩いてきたわけではない。小学生の時からバレエを習い、振付師になるのが夢だった。背筋がしゃんとしていて、話す時に表情が豊かなのはそのせいだろうか? 最初に会った時、「この人は女優でもやっていたのだろうか」と思ったほどだ。

 高校から振付師の先生に弟子入りし、ニューヨークへの留学も決まっていた。ところが出立のわずか数カ月前に腰を痛め、踊りができない状態に…。「あの時は本当に、泣いて、泣いて、泣いて…。そして諦めました。あの出来事がなければ、今このエプロンはしていませんよ」と田中さんは言う。

 その後短大に入学し、卒業後は父の会社、博水社に就職した。「男の子もいないし、私がお父さんを手伝ってあげないと…」。父の苦労を見てきただけに、漠然とそんな気持ちがあったのだ。


 しかし酒や飲料の知識もない田中さんにとって、会社に入ってからは分からないことばかり。短大の英文科で習ったことなど、何も役に立たない。父は0.1ミリリットルの100万分の1という精度で、味を追求するような職人肌だ。「俺の背中から盗みな」というタイプで、何でも「まず自分でやってみな」と言う。手取り足取り教えてくれるはずもない。

 これではいけない…。一念発起した田中さんは、東京農業大学の社会人クラスへの入学を決意する。


田中 秀子(たなか・ひでこ)
1960年、東京生まれ。1982年、山脇学園短期大学英文科を卒業し、博水社に入社。妹と一緒に「三代目跡取りシスターズ」として活動。2008年4月、代表取締役社長に就任。東京FM 月曜日から金曜日13:53~13:55「聴くならハイサワー劇場」に出演中。

日経ビジネス電子版から転載。
日経BP総研 HR人材開発センター長 大塚葉が担当した記事を再掲。