さいたま市北区で開催された講演会「地元さいたまで活躍する女性企業人」では、この連載でも登場した日本電鍍工業社長の伊藤麻美さんと、盆栽家の山田香織さんが登壇した。連載筆者の白河桃子さんがコーディネーターとして、2人の経営戦略を伺った。

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白河 では、お2人が会社を継いでから、どう変えていったかをお聞きします。まず伊藤さんの会社、日本電鍍工業は大きな負債を抱えていましたが、どのようにしてV字回復させたのでしょうか。

伊藤 メッキを専門にしている当社は、創業当時は腕時計の仕事がメインで、セイコーウォッチ、シチズン時計、オリエント時計などほとんどの時計メーカーさんのメッキ指定工場として会社が伸びてきました。しかし1990年頃からの産業の空洞化で、時計をはじめ様々な産業が海外にシフトしていきました。

 1980年代から既に時計は成熟産業だったので、父は携帯電話やパソコンなどの部品の仕事の検討も始めていました。業績がいいからこそ、時計のメッキにこだわらず業態を変えることを考えるべきだと言っていたのです。しかし、それが実現する前に父は病で亡くなりました。経営を引き継いだ者は父の言っていたことを守らず、売り上げはどんどん減っていき、赤字の垂れ流しが10年近く続いたのです。

白河 会場の皆さんは、うなずいておられますね。日本でモノ作りをなさっている方にとって、産業の空洞化、海外に工場の拠点が行ってしまう状況では、一品種だけに寄り掛かっていると大変なことになる。まさにそういった経験をされたわけですが、この事態を伊藤さんはどうやって打開したのでしょうか。

伊藤麻美(いとう まみ)日本電鍍工業代表取締役。1967年東京生まれ。上智大学外国語学部比較文化学科卒業。FMラジオ、テレビなどのフリーランスDJとして活躍した後、98年に米国カリフォルニア州、宝石の学校GIA(Gemological Institute of America)にて宝石の鑑定士・鑑別士の資格を取得。帰国後、2000年3月、日本電鍍工業代表取締役に就任(写真:皆木 優子)。

伊藤 当時売り上げの8~9割が時計分野でしたので、その比率を下げたいと思いました。私が就任した2000年は、すべての業種が悪かったわけではなくて、携帯やパソコンなどのIT分野は非常によかったのです。こういう分野に携わっているメッキ会社は、とても業績がいい。うちもこの分野へ行きたいと思って営業を掛けたのです。

 しかし当然、後から参入してきた会社はなかなか受け入れてもらえません。そこで、こうなったらどんな分野でもと思い、テレビや雑誌、新聞に取り上げられているメーカーさんに「メッキ物の仕事はないか」と電話を掛けまくりました。展示会に出展するお金もなかったので、展示会に足を運んで金色の部分のある製品を探しては、「これはメッキですよね。うちはメッキ屋なんです」と言って名刺を出したりしていました。

白河 会社のホームページも作りましたよね。

伊藤 はい。ディスクジョッキー時代に、インターネットが私の一番の情報源だったことを思い出したのです。これを会社も活用できないかとウェブサイトを立ち上げたり、中小企業の製造業向けの受発注ページに登録したりして、うちの存在をほかの業種の方々に知ってもらえるように活動しました。

 実は私は会社の代表になったらすぐにサイトを作るつもりで、早い時期から「nihondento.com」のドメインを用意していたのです。ただ、サイトのデザインを外注する費用はなかったので、何人かの社員と一緒に自力でサイトを作り、会社の紹介ができるようにしました。すると、当時中小企業でサイトを持っているところが少なかったこともあり、いろいろなところから問い合わせが来ました。

 ある時、医療関係会社からのメッキの依頼が来たのです。新製品を作るため、長年ほかのメッキ会社に試作を依頼していたのですが、どの会社もうまくいかなかった。諦めようと思いつつネットで検索したところ、うちのサイトを立ち上げた時にマッチして、うちのページがヒットしたとのことで、すぐに連絡が来ました。「こんなメッキ屋さんがあるとは知りませんでした。早速ですがやってもらえませんか」と試作の案件を受けたのです。

白河 その時、社員の皆さんの反応はどうでしたか。

伊藤 最初、社員の中に「それはできそうもない」と言う人がいたのです。うちはほとんどのメッキ液を自社開発していますが、うちにとって当たり前と思っていた技術は、ほかの分野では素晴らしいものだったり、その逆ということもありました。つまり「井の中の蛙」のように外が見えなくなっていたのですね。でも、今回の案件を受けなければ、うちの会社に明日はない。それに私には、医療と美容と健康の分野は不況になっても強い、という思いがありました。この分野でどうしても仕事を取りたかったのです。

 私には、メッキのことは分からない。だから、何でも「できる、できる」と簡単に言ってしまう。社員にとってはいい迷惑かもしれません。でも結局社員は私の気持ちに応えてくれて、メーカーさんが大喜びするほどの品質に仕上がりました。その受注が量産につながったことが、何よりも社員の自信やモチベーションの向上につながりました。これをきっかけに、本当に社内の雰囲気は変わったと思います。

白河 それは「できる、できる」と言い続けた伊藤さんの力ですね。

伊藤 うちの会社のスローガンは「なせば成る」なのですが、私は人生の中で「できないことは絶対にない」と思うんです。今できなくても明日できるかもしれない。3年後には当たり前のことかもしれない。それはもう強く信じていたので、とにかく「できる、できる」と語り続けました。

白河 次に、山田さんが「会社を変えたきっかけ」をお聞きします。山田さんは、既存の盆栽愛好家層でない、新しい客層にアピールすることを早くから始めていますね。そのお話を聞かせてください。


山田香織(やまだ かおり)1978年生まれ、盆栽家。「彩花」盆栽教室主宰。清香園4代目園主、山田登美男の一人娘として生まれる。立教大学経済学部卒業。盆栽の魅力を伝えるべく、雑誌、講習会、講演会などで精力的に活動している。2008年4月より、NHK教育テレビ「趣味の園芸」の司会を務める。主な著書に『山田香織の盆栽スタイル』(日本放送出版協会)、『山田香織の暮らしを彩るモダン盆栽』(講談社)など(写真:花井 智子)。

山田 そもそも、「盆栽の業界は、もう廃れてしまうかもしれない」と感じていました。日本の伝統文化産業は皆同じで、後継者もいないし職人さんの数はどんどん減って、モノも作れなくなっています。需要と供給も先細る、大変厳しい状況です。でも私が5代目で、しかも女性として継いだ時、何かできるのではないかと考えたのです。

 そのためには、父がこれまで大切にしてきたお客様とは全く異なる層のお客様を自分で開拓して、一緒に共感してくださる方を増やしていきたいと考えました。まずは、これまでの業界や盆栽のイメージを変えるために、自分が講師になってお客様にお伝えできる活動を始めようと思いました。「若い女の子が盆栽をやっている」ということで、それも1歳でも若いうちに始めた方がインパクトがあると考えて、1999年、大学4年の9月から「彩花」という教室で教え始めました。

 「彩花」とは盆栽の新しいスタイルで、木と草を寄せ植えするものです。カジュアルな盆栽とでも言いましょうか、鉢もいろいろな色があって、女性にも親しんでいただける形を意識しています。

 最初は教室を始めても、なかなか生徒さんは集まらず、3人とか8人という時期が3~4年続きました。新聞の折込広告を出しても、ほとんどレスポンスがなかったのです。ところがある時、この教室を業界誌が取り上げてくださったことがきっかけで、少しずつ出版業界の方々の目に留まるようになりました。こういう積み重ねで少しずつ認知されてきましたが、もっとも大きな分岐点だったのは、NHKで取り上げていただいた時でした。

白河 こつこつとやってきたことが大きなメディアに取り上げられ、ブレークしたのですね。「彩花」というのは、手間のかかる高価な盆栽とは全く違う方向のものですよね。


盆栽の新しい形、「彩花」(写真:花井 智子)

山田 全く違います。かかる時間もお金も、従来の盆栽の逆を行くようなものです。実はこれまでの盆栽の世界というのは、すごく「職人気質」で、皆プライドが高いんです。自分の作った商品がどんなに素晴らしくても、それをプレゼンテーションしないんですね。「見て分かる奴だけが分かればいい」という感じなのです。

白河 玄人好みの世界ですね。お互い無言で見交わして「うーん、こいつ、できる」みたいな。

山田 そうなんです。でもそういう世界のままでは、新しいお客様に振り向いていただけないと思ったのです。例えば「盆栽教室をやります」と言って募集すると、申し込みをされる方の8割は年配の男性なのです。私は、これまで盆栽に見向きもしなかったような方に振り向いていただきたい、と思いました。

 そこで、小さな鉢に数種類の草木を寄せ植えする「彩花」のスタイルを始め、募集をする時に、「彩花」とか「ミニ盆栽」「草花」という単語をつけました。こうしたことで、応募してくださる女性が半分以上になりました。それほど、これまでの「盆栽」という単語の持つイメージは強く、それだけ障壁も高かったのですね。

白河 1999年から「彩花」盆栽の教室を始めて、今は通信講座、カルチャースクールを含めて生徒さんは何人くらいになりましたか。

山田 今700人ぐらいで、約8割が女性ですね。

白河 ガーデニングブームもあり、またマンションでも手軽に育てられる「彩花」が女性に訴求したのでしょうね。


人からもらったうれしい言葉

白河 会社が変わった瞬間をお聞きしましたが、会社の業績がよくなったり生徒さんが増えたりすると、周囲の反応も変わったりすると思います。業績が伸びたり人に認められたりするようになった時、誰かから言われてうれしかった一言はありますか。

山田 私の場合、認められるようになってうれしい瞬間はあるかもしれませんが、あえて感じないようにしています。それを感じてしまったら、「負け」のような気がして。例えば、樹齢何百年の木とかを前にすると、本当に自分が「ひよっこ」に見えちゃうんですよ。自分自身はまだまだ、至らないことばかり、課題も山積みという状況なので。

白河 いい気にならないよう、自分を戒めているのですね。「まだまだ」と思う気持ちが、これからも存続していくための秘訣なのかもしれません。伊藤さんはいかがですか。

伊藤 うちも最悪の状態からは何とか抜け出しましたが、まだ再建中なので、さらに上を目指さないと、と思います。今の段階でまだ社員に満足いくほど還元できていないので。ただ、周りの方々から「よく頑張っているね」とか、お客様から「すごくいいメッキだ。ありがとう」と言われると、とても励みになります。

 就任してからずっと「本当に私でよかったのか」と不安に思い続けていました。そんな時、会社を継いで2年目に社員がサプライズ・バースデー・パーティーをやってくれて。それでようやく本当に認められたというか、仲間として一緒にやってきてよかったと思った瞬間でした。

白河 私も伊藤さんの会社に伺いましたが、非常に明るい雰囲気でした。みんなを引っ張っていく力のようなものが、創業者の娘さんにはありますね。これが創業者の血なのだな、と。それから跡取りの方を見ていて思うのは、皆さん勤勉というか、働き者ですよね。それは家業があって、お父様の背中を見て育ったからだと思います。お2人とも、「父の背中を見ていて学んだもの」はありますか。

山田 私の父は婿として入ったので、苦労をしたようです。でも、父はものすごく努力をした人で、周囲からの風当たりの強さをバネに、技術力を磨いたのだと信じています。そういう父の姿を見ていると、私も勤勉にならざるを得ないんです。父に恥ずかしい思いはさせられない、という気持ちがあるので、父は目標でもあります。

 技術的なことに関しては、今でも父について修業しています。ただ、手取り足取り教えてくれるわけではなく、「背中を見て盗みなさい」という感じで。どうしても分からない時だけこちらから聞いて指示をもらっています。

白河 伊藤さんはどうですか。会社を継いだ時は亡くなられていましたが、今、仕事をしていくうえで、お父様の偉大さのようなものをだんだんに感じてくるとか。

伊藤 そうですね、父は27~28歳で独立して会社を作り、その後いくつかの会社を興しましたが、健在の時会社はずっと順調で、収益性も高かったのです。今の私に同じことをやれと言われても、それは非常に高いハードルなんですね。

 また、父は社員の家族が特殊な病気にかかった時は、親身になって様々な病院を探していました。経営者としてだけではなく、人としても非常に素晴らしいなと。そういう話を父の死後に社員から聞いた時、「父は、こんな話を私には決して言わなかった。でも父は、ちゃんと社員を家族と思いながら愛情を注いでいたんだ」と感銘を受けました。

白河 親の世代から継承するもの、学んだことをとても大切にしておられますね。また、先ほど「守るべきもの」のお話をしましたが、お2人ともお子さんがいらっしゃるんですよね。今、おいくつになりましたか。

伊藤 うちは、2歳半になりました。

山田 うちは1歳2カ月になります。

白河 控室でも子育ての話をなさっていましたが、一時は寝る暇もなくて、うつ病になりそうだったとか。多忙な仕事と家庭を両立させなければいけない、女性ならではの苦労をなさっていると思いますが、そのあたりを伺いたいと思います。

伊藤 確かに子育ては大変ですが、誰でも生きていく中で大変なことは山ほどあると思うんです。逆に、子供によって癒やされることもあります。会社で嫌なことがあっても、子供の顔を見ると辛いことも吹っ飛んでしまったり。それから私は、子供が生まれたことによって、自分のキャパシティーが広がったように感じます。例えば経営者というのは、すべて「白か黒か」で片づけられないことがあるのです。グレーゾーンというか。

 でも、女性はどちらかというと白か黒かはっきりさせたがるところがありますよね。私も独身の頃は、とにかく明確にイエスかノーか、とやっていました。でも、子供を授かってから少し変わったのです。子供というのは急に泣き出したり、予測のつかない行動を取る。それを経験することで、理屈だけでモノを考えないという部分をもっと自分の中に取り入れないといけないと思うようになりました。

白河 子供ができたことで、忍耐力もついたのではないでしょうか。また、男性も育児休業を取って子育てを経験すると「できない部下」の気持ちが分かるようになって優しくなれたという話もあります。子育ての経験をすることで、仕事にプラスになるということですね。

伊藤 そうですね。日本も少しずつ、子供を育てながら仕事がしやすい環境にはなりつつありますが、まだまだ厳しいところはあります。でも、チャンスがあれば子供はつくった方がいいと思います。子供を通して学ぶことも多いので。「子供がいるから何かができない」ではなく、「子供がいるからこそ何かをしよう。その子の未来のためにも日本を豊かにし続けなければいけない」という気持ちを強く感じるようになりました。

白河 「子供がいるからこそ何かをしよう」というのは、女性にとってとても励まされる言葉ですね。山田さんはいかがですか。今はまだお子さんが小さくて、毎日大変だと思いますが…。

山田 産後は本当に大変でした。自営業なので、産休制度など守られているものは何もありません。睡眠時間も細切れの状態でした。また、出産後1月半ぐらいでNHKの教育テレビの司会のお仕事をいただいて…。家族とも相談しましたが、今こうしたご縁をいただいたのだから、そのチャンスを大事にして真剣にやらせていただこうとお引き受けしました。ただ、その頃は「1日24時間では足りない」というほどの忙しさでした。

 でも、子供を持って思うのは、子供というのは母親の力を奪い取るだけではなく、与えてもくれる存在なのだということですね。また、命の大事さを強く感じるようになってきました。

白河 100年、200年生きてきた盆栽も守っていかなければいけませんが、子供という守るべき存在、次世代につなげるものができたことで、女性の力はきっと2倍にも3倍にもなるのではないでしょうか。ところで子供のことも含め、お2人から女性経営者として行政に対してのご提言はありますか。

講演会を主催した「明日のさいたまを創る会」のメンバーと

伊藤 子育ての話に関連しますが、本当にこれから日本を発展させていくためには、もっと子供を産みやすく育てやすい環境が必要になっていくと思います。例えば保育施設の拡充ですね。これからは確実に人材不足になっていくので、企業に女性の力は不可欠です。女性がもっと活躍できるような環境を整えていただければなと思います。

山田 やはり産婦人科の数が足りないと感じます。私の場合、早産だったのですが、出産した当日も産婦人科の先生は7人ぐらい産婦さんを抱えていました。小さい産院なのに、産婦さんが集中すると分娩監視装置も回ってこないんです。私は早産が進んでいたのですが、週数が早かったので、ほかの切羽詰まっているお母さんが優先されました。

 結局、私は救急搬送されて最後は市立病院で産みましたが、その時先生に「あなた運がよかったね」と言われたんです。「普通だったらここの新生児室の病床も空いていないから、お断りすることもたくさんあります」と言うのです。最近よく聞く「妊婦のたらい回し」というのが現実にあるのだということがよく分かりました。ですから、まずは産む施設を増やしてほしいです。

白河 では最後に、働く女性たちへのメッセージをお願いします。

伊藤 私は、専業主婦というのもとても立派な仕事だとは思いますが、女性の皆さんに、パートタイムでもいいので、ぜひ働いてもらいたいと思います。そして若い方には、結婚相手を年収で決めないでほしいですね。やはり、自分が働けば相手の収入ばかり頼らなくていいし、それに人間の本当の魅力を発揮して結婚相手を選べるようになると思うのです。男性に依存して生きていくよりも、お互いにパートナーとして生きていくことは、とても大切だと思いますし、そういう女性が増えてくれるといいと思います。

 日本はこれだけ発展している国ですが、女性経営者の数は少ないんですね。もっと女性が活躍するためにも、ベースとしてまず働いて、自分の能力をもっと世の中にアピールしてほしい。当然、体力などの点で男女平等にならない部分はたくさんありますが、それでも女性の魅力を十分発揮できる場はあるのですから。

山田 私は、人生に1回ぐらいは自分の限界に向かっていく時間があってよいと思います。自分がどういう人間なのか、本当に理解するのは大変です。でも、何か「私がやらなくちゃ」という状況に立った時にようやく出る能力のようなものがあると思うんですよ。だから一生に1回くらい、それに挑戦したい。自分が女性だからとか私は子供がいるから、といった理由で、限界への挑戦を経験しないで過ぎていってしまうのは、もったいないです。

 大きなことを言ってしまうと、それは日本の国力に対しても、もったいないのではないかと感じています。女性だからこそ生きる面もあるし、子供がいるからこそ振り絞れる力とかアイデアもたくさんあると思います。

白河 お2人とも、芯にしっかりした強さと優しさを持っていらっしゃると思います。こういった跡取り娘の方が日本にもどんどん出てきて、女性のパワーを発揮していただければうれしいです。そして会場の皆さんもぜひ、跡取り娘たちを応援してあげていただきたいと思います。今日はお2人とも、ありがとうございました。


日経ビジネス電子版から転載。
日経BP総研 HR人材開発センター長 大塚葉が担当した記事を再掲。