(前回から読む)

 伊香保おかめ堂本舗の4人の跡取り娘たちの中で、最後に伊香保に戻ってきたのが、いかほ秀水園3代目の飯野由希子さんである。取材の朝、飯野さんを訪ねると、キリリと勇ましい作務衣(さむえ)姿で出てきた。「動きやすいので、いつもこの格好です」。

いかほ秀水園3代目の飯野由希子さん(写真:山田 愼二、以下同)

 いかほ秀水園は伊香保温泉の高台にあるので、ラウンジから赤城山、谷川岳、三国山脈の絶景のパノラマを望むことができる。玄関を入ると迎えてくれるのは、信楽焼きの狸の置物。館内に10匹いるという狸は、幸運の印ということだ。

 ホテル松本楼と洋風旅館「ぴのん」の若女将、松本由起さん(参考記事はこちら)、千明仁泉亭の千明恭子さん(参考記事はこちら)、そして3軒目の旅館であるいかほ秀水園を訪ねて、なぜライバルのはずの旅館の娘同士が仲良くやっていけるのかよく分かった。

 3つの旅館の個性が全く違い、上手にすみ分けできているのだ。例えば松本さんの「ぴのん」は英国調、千明仁泉亭は大正ロマンとモダンが同居、そして、昭和レトロで民芸調のいかほ秀水園。どの宿にもそれぞれの個性があり、それぞれのお客様がいる。

いかほ秀水園のフロント
いかほ秀水園の部屋の中
昭和レトロな雰囲気だ

 旅館の成り立ちも違う。飯野さんのいかほ秀水園は、3代前は石段街の土産物屋で、もっと遡ると米屋だった。代々、女系家族で婿取りをしてきて、米屋のお婿さんに屈強な男性が来たが、土産物屋になってから来たお婿さんは手先が器用な人。この人が、飯野さんの祖父に当たる。今もロビーを飾るちょうちんに描かれた字は、祖父の遺作。その息子として60年ぶりに飯野家に生まれた男子が、飯野さんの父の英世さんだ。

 「旅館が土産物を売るようになって、土産物屋は危機に陥り、そこで旅館に商売替えしたのが、うちの旅館業の始まりです」

 飯野さんは2人姉妹の長女。何となく「私が継ぐんだろうな」と思いながら育った。大学卒業時には「どうせ家業に戻るんだから、今のうちにほかで働こう」と就職活動をし、営業職を目指す。家業のサービス業はあえて避けた。

 しかし1999年当時は就職氷河期、流通会社や食品メーカーにことごとく落ち、落ち着いたのがスエヒロ商事。サービス業ではあるが、同族企業で、跡取り息子との年齢も近いことから、この会社への入社を決意した。いずれ家業に戻る飯野さんを「修業だから、いろいろ経験していけばいいよ」と育ててくれる懐の深さがあった。

 着物姿で接客する日々が3年半続いたが、26歳で「そろそろ実家に戻らないと」という空気になってきた。原因は、飯野さんの母が体調を崩したこと、祖父母が年老いて店を手伝えないことなどだ。

 「ユッコはどうしたの?」と祖父は孫娘の帰りを待ちわびているという。楽しくて仕方なかった東京を離れ、若女将として家業に戻った飯野さんは、松本さんと同じく、最初は「気合が入りまくって」周囲の空気となじめなかった。「KY(空気が読めない状態)でしたね。空回りばかりしていた」。

 実家に戻ってから無我夢中で過ぎた5年間を、今31歳になった飯野さんは振り返る。跡取りの誰もが経験する、最初の試練である。いかほ秀水園は1991年に改装を行っていたので、新しい改築などには手をつけなかったが、飯野さんが行ったのは地味でも大切な内部環境の整備だった。

 「タイムカードの装置が暗い場所にあったので、事務所の整理をして真ん中に置くようにしました。そうしたら、全員が『おはようございます』と目を合わせて挨拶するようになりました。また、朝礼をやるようになったら、時間管理もとてもよくなったのです」

 物品管理、労務管理や旅行業者とのつき合い、営業体制なども見直す。旅館のウェブサイトもなかったのだが、これを立ち上げたのも飯野さんだ。30室の旅館にとって、ウェブサイトを通じての予約は大きい。

担当表で仕事の分担を明確にし、効率化を図る

 「固形燃料がないんですよ。若女将さん」。ある時こう言われて、これも若女将の仕事なんだ!と驚いた飯野さんは、担当表を作った。今までは「何かあると、若女将に言えば何とかなっていた」という仕事を、次々と見直したのだ。

 固形燃料に関しては、ネット通販で安価な店を見つけ、取引先を替えることでコストダウンを図った。同様に、割高のものを見直していくと、古くからの取引先がどんどん減っていった。「あんたにかかると、全部取引を切られてしまう」。そんな苦情も言われたが、「しがらみのない私だからできる」と、あえて損な役割を引き受けた。

 「今まで営業、接客、銀行との折衝など、若女将の仕事が多すぎました。環境を整備して仕事を割り振り、若女将でなくても管理ができるようにして、若女将の仕事を減らし効率化を図りました」。30室の旅館で、現在従業員は27人。部屋数に比べると少ない方なので、仕事の省力化が必要なのだ。

 飯野さんも、団体客から個人客へのシフトなど、伊香保の客層の変化をひしひしと感じている。宴会場は200畳の大宴会場を含めて9カ所。今は2~8人の小宴会場が主流になっている。

 若い女性客やカップルを開拓しているのは、雑誌「じゃらん」に掲載して人気が出た「陶芸教室付プラン」。陶芸の先生は、父の英世さんだ。英世さんは土産物屋を継ぐつもりで、大学卒業後に陶芸の専門学校に通ったのだが、卒業した時は家業は旅館に商売替えしていた。芸術肌の父が「伊香保湯の花焼き」を教える。お客が作った陶器を父が窯で焼いて、30~40日後に完成品として配送する。

陶芸をする父と、父の作った置物
エステルームも開設した

 また飯野さんのいかほ秀水園では、千明さんの千明仁泉亭と組んでエステルームも開設した。1つの旅館でエステティシャンを雇っても、仕事が少なくて高くつく。そこで数件の旅館が組んで、エステ会社からエステティシャンを派遣してもらうという派遣制を取っている。これなら効率よく、コスト削減できる。

 「娘は朝から晩まで働いており、今はほとんど任せています」と、現女将で飯野さんの母の晶子さんは言う。芸術家肌の父、実務家の母にしっかり者の娘。祖父の手描き文字のちょうちんや、父の焼いた壺が飾られる館内は、飯野家の温かさに満ちている。


 伊香保の跡取り娘たちと話して、旅館の継承の難しさに改めて気づかされた。

 まず跡取りの結婚問題だ。経営者である娘は、名字を変えるのが大変なのだ。会社員なら、通称使用として日常的に旧姓を使いつつ、戸籍上は相手の姓になることも可能だ。しかし経営者として名を連ねる以上、名字はできれば変えたくない。当然のことながら、こちらの姓を名乗ってくれるような結婚相手を探すことになる。

 松本さんは新婚だが、「最初は家に入ってくれる男性を探していました。でも、そういう人にはなかなか会えず、諦めて『もう独りで生きていこう』と決めた瞬間、今の彼に出会ったのです」という。夫の光男さんとは3月に出会い、8月に結婚。ダスキンの元社員で「お掃除のプロ」は頼もしい。

 跡取り息子たちにとっても、旅館の女将になってくれる結婚相手を探すのは大変だ。最近は、妻を女将として旅館には出さない人も多いという。女将とは「その家に生まれるか、その家の人と結婚しないと、なかなかなれない特別な職業」と松本さんは胸を張る。

 思ったよりも多くの家が「跡取り娘の女将」によって継承されている。そして、時代の流れも、旅館ビジネスを大きく変えようとしている。

 「2003年が“黒船来航”だったね」と4人の跡取り娘の誰もが、ターニングポイントを語る。温泉偽装問題で、伊香保の客足が落ちた。2004年からの就職氷河期の前年である。会社の景気も悪くなり、宴会をする団体客に支えられてきた伊香保にとっては、危機が訪れる。初めて「外資(伊香保以外の資本)」が入ってきたのが2003年なのだ。

 今伊香保温泉には52軒の旅館があるが、経営者の交代も多く、創業者一族がやっていない旅館も増えた。

 真淵さんは「大資本が怖い」と言う。「街の商店みたいな顔をした大資本系の店が増えると、小さな商店は本当にやっていけません。何百年もやってきているので、簡単にのみ込まれたくない。何とか心意気を見せたいと思うのです。それには、地域の力が必要です」。

 松本さんも、東京の最新のスポットを回って同じ感想を漏らしていた。「六本木ヒルズは、怖くなかったんです。大資本の商品はどこも同じ。私たちは『そこにしかない』もので勝負すればいいと思っていました。でも先日、東京ミッドタウンに行って驚きました。大資本のオリジナル商品がたくさんあって、まるで地場の商店のように見える。これは怖い、と初めて思いました」。

 最後に跡取り娘たちに、今後の自分と伊香保について聞いてみた。

 千明さんは言う。「温泉地として拓かれた500年の重みを、次の世代にきちんと渡したい。最初のうち、跡取りは大変で、やりたくないと思っていましたが、今は本当にやってよかったと思っています」。

 まだ跡取りとして日が浅いという飯野さんは、「私はまだ、ほかの3人のように街については語れませんが、正直言って今は、大きな波にのまれないように必死に立っている状態です」と言う。「少し落ち着いてきてやっと、自分の足で立てるようになったところなので、焦らないでいきたいと思います。次につなげるには、自分なりの資本やアイデアが必要。いつかは、人に渡してつないでいくという決断をする時もあるかもしれません。どんな状況になっても、自分で決めていきたいと思います」。

 母親としての悩みを漏らすのは、真淵さんだ。「小さな街でも、いい人材を生み出す努力をしなくてはいけない。でも今は、子供にいい教育を受けさせるために、外に出す親が増えています。ジレンマですね。私たちは地元で生まれ育っているけれど、伊香保で子育てができなくなるのは悲しい。一人だけでなく、皆が暮らしやすい街にしたいんです」。

 そして松本さんは、こう語る。「伊香保温泉を、『一度は泊まってみたい』という場所にしたい。予約した時からワクワク感があって、旅から戻っても『人とのふれあい』が心に残るような場所。働きやすい街なら、社員もいい接客ができます。街も自分の家も目的は同じ。ともに成長していきたいし、街づくりには、これで終わり、ということがないんです」。

 一度外の世界に出て戻ってきた娘たちだからこそ、ずっと伊香保にいる両親たちよりも危機感を共有できるのだ。「今が踏ん張りどころ」と4人の娘たちの誰もが言う。

 伊香保だけでなく、日本で100年以上の歴史を持つ中小企業はどこも、「今が踏ん張りどころ」なのだと、跡取り娘たちが教えてくれるのだ。


飯野 由希子(いいの ゆきこ)
1976年、群馬県生まれ。1995年、県立渋川女子高等学校卒業、1999年、東洋大学社会学部社会学科卒業。1999年4~2002年7月まで、スエヒロ商事勤務、2002年8月より家業に戻り、いかほ秀水園若女将として勤務。

千明 恭子(ちぎら きょうこ)
千明仁泉亭常務取締役。1974年、群馬県生まれ。県立渋川女子高等学校卒業、帝京大学経済学部を卒業後、アパレルメーカーに勤務。その後、派遣でホテル、レストランに勤務し、1999年より家業に戻る。

松本 由起(まつもと ゆき)
ホテル松本楼常務取締役。1969年、群馬県生まれ。県立渋川女子高等学校卒業、産業能率短期大学で経営能率を専攻(経営者二世コース)、産能大学経営情報学部経営学科編入。英国ウエストミンスターカレッジに語学留学。1993~95年までロンドンのThe Tower Thistle Hotel、コッツワルドのThe Lygon Armsで研修を終えたのち、1995年から家業のホテル松本楼に若女将として勤務。

真淵 智子(まぶち ともこ)
1965年、群馬県生まれ。県立渋川女子高等学校卒業、群馬大学工学部建設工学科(当時)を卒業後、1988年NTTに入社。1989年、NTTデータに異動。1999年退社し、2001年に家業の山白屋商店に戻る。

日経ビジネス電子版から転載。
日経BP総研 HR人材開発センター長 大塚葉が担当した記事を再掲。