(前編から読む)

 今、農業に熱い視線が集まっている。

 1月17日付の日経新聞によれば、製造業などの雇用削減を受けて「地方自治体や関係団体による第一次産業への就業相談会が盛況」ということだ。農林水産業に特化した求人サイト「第一次産業ネット」は約90件の求人に対して5000人の登録があるという。

 パソナグループも2008年秋から「農業ベンチャー支援制度」を立ち上げているが、大手町のパソナグループの地下2階で農業をやっているのだ。水耕栽培や人口光の実験的な施設があり、見学者を受け入れている。Agri-MBA農業ビジネススクール農援隊も、2007年から始まっている。

貫井園3代目の貫井香織さん(写真:皆木 優子、以下同)

 お茶としいたけの貫井園3代目の跡取り娘、貫井香織さんも、「実際に農業をやってみると、農業が危機というのは本当なのかと思うほど、若い生産者にたくさん会うんですよ」と言う。「もっと農業に関連のない人生を送ってきた人が、職業として農業を選択できるような環境、制度、イメージ作りが必要だ」とブログにも書いている。

 4月に就農した貫井さんは、恵比寿ファーマーズマーケットで「農家のこせがれネットワーク」の仲間たちと出会った。恵比寿ファーマーズマーケットは、NPO法人(特定非営利活動法人)「日本アグリデザイン評議会」や、服飾デザイン専門学校などで有名なバンタングループが主催している。

 最近は、おしゃれな場所で生産者と消費者を直接結びつけるファーマーズマーケットが盛んだ。貫井さんは2008年10月にも三菱地所が主催した「丸の内Liveマルシェー丸の内を変えれば日本が変わる!自給率1%UP運動」というイベントにも参加しているが、食や農業への関心の高まりは、このようなイベントが増えていることでもよく分かる。

 貫井さんは今、「農家のこせがれネットワーク」のメンバーとなり、広報担当の一員となっている。「農家のこせがれネットワーク」は現在、NPO法人化に際して発起人を募集中だ。

 「農家のこせがれネットワーク」を立ち上げたのは、養豚農家の息子、宮治勇輔さんで、貫井さんと同じく30歳。「一次産業をかっこよくて・感動があって・稼げる3K産業にする最短最速の方法は、東京で働く農家の跡取り息子(娘)が、実家に戻って跡を継ぐこと」と結論づけてスタートした集まりだ。


収穫した原木しいたけを手に

 確かに就農したい人にとって、貫井さんのように「実家が農家」というのは大きなアドバンテージがある。「農家のこせがれネットワーク」の主な活動は、各地の生産者イベントに参加したりML(メーリングリスト)などで発起人を募ったりすること。2009年は「こせがれCafe」をオープン予定で、準備段階のイベントも開催している。

 このほかに貫井さんは、「倅(セガレ)」という団体にも所属している。「倅(セガレ)」は、就農している人ではなく「農家を継がずに、東京で働く農家の息子(セガレ)や娘(セガール)」のチーム。

 「実家の農家を継いでいない、という後ろめたさを抱えつつも、東京にいながら農業や地元のためにできることはないかと、新しい農業との関わり方を模索する」という集まりだ。青山や表参道のファーマーズマーケットに、「セガレ」のブースで貫井園の商品を出展している。


しいたけを選んで箱詰めする父

 新しい農業を目指す仲間たちは、「生産者と消費者を直接結ぶ」という直販システムで、流通経路を開拓しようとしている。農協を通すと生産者の名前が消えてしまい、価格の決定権もなくなるからだ。よいものを作っているところほど損をしてしまう。

 貫井園は父の代から直販制度を取っているので、既にアドバンテージがある。近隣のスーパーへの直接の卸しと、お歳暮やご贈答のファクシミリでの注文は、父の代からの販路。さらに貫井さんはウェブサイトからの注文と、イベントなどで知り合ったレストランへの直卸しという新しい販路を模索している。現在、中目黒や銀座など都内の3店舗で「貫井園の原木しいたけ」が食べられるが、これは貫井さんが自分で開拓した卸先だ。

 今年の1月からは、「手もみ保存会」にも参加した。祖父のようにお茶を最初から最後まで手もみで作れる人が減っている。その「手もみ」の技術を保存するための会で、5月の新茶の季節などのイベント開催をお手伝いする。「とにかく、声がかかれば、できる限りどこにでも行くようにしています」と貫井さん。


出荷の準備をする母

 父の義一さんは、「モノがあればいいよ。しいたけの出来次第。好きにやればいい」と娘を温かく見守る。娘ばかりだし、自分の代で農業は終わりと思っていたところに、突然飛び込んできた娘の跡取り宣言。しかし農業の厳しさを知る両親にとっては、うれしい半面、複雑な思いもあるだろう。現に娘の就農に、母は反対した。

 「好きで始めた、というだけでは通用しない。収益が不安定で難しいのが農業です」と義一さん。しかし義一さん自身が親に「好きなことをやれ」と言われて育ち、農業の世界に飛び込んだのだから、娘に反対はできない。たまたま始めた原木しいたけが好調で、県下1、2を争う生産量になったが、それでもうまくいかない年もある。

 「おととしは失敗でした。種駒を植える自動植菌機を導入したらうまく種がつかなくて、雑菌が入って3000本がダメになりました」。

 保湿と保温の問題であると分かり、幸い被害は3000本にとどまったが、この教訓を生かしてそれ以降は失敗しないように努力を重ねた。しかし農業は、こうした地味な試行錯誤の繰り返しなのだ。

 地に足がついていないように見える娘に対して、父からはつい小言も出る。ファーマーズマーケットに出展した時に声をかけられ、貫井さんは今年、仏リヨンで開催される外食産業見本市「シラ2009」に「しいたけ茶」を持っていくことになった。

包装されたしいたけ
しいたけ茶。しいたけ茶はフランスでのイベントに出展する

 義一さんは最初、反対した。娘はフランス語も英語もままならないのに、向こうで商売ができるのか、と疑問に思ったのだ。海外輸出に挑戦しても成功しなかった、という話を仲間から聞き、海外展開はうまくいかないと考えていたようだ。

 しかし、娘には娘の思いがある。「父の作ったしいたけのおいしさを、もっと大勢の人に広めたい」。

 家に来た友人に、マヨネーズをのせてオーブンにかけ、塩をパラパラとふっただけのしいたけを出したところ、「おいしい!」と絶賛してくれた。「実はしいたけ嫌い」と言う友人が、貫井園のしいたけを食べて「しいたけ嫌いが治った」という話をしてくれたこともある。

 好き嫌いが多いしいたけだけに、新しい料理法を提案しておいしく食べてほしいという気持ちから、ウェブサイトには「みそ焼き」「エビしんじょ」「ベーコン巻き」など、様々なしいたけのレシピを掲載した。いつかは、レストランを開きたいという夢も、この流れの上にある。

贈答用のしいたけ。肉厚でおいしそうだ

 「もし私の父が、自信を持ってしいたけを作っていなかったら、家を継ぎたいと思わなかったかもしれません」と貫井さんは言う。就農を考えた頃に食品偽装問題が持ち上がった。この時期に、誰もが「生産者の顔が見えること」の大事さに気づいたが、貫井さんの実家のしいたけは既に3~4年前から、地元のジャスコでは「父の顔写真入り」で売られていたのだ。

 無農薬や有機栽培も注目され始めているが、しいたけは基本的に無農薬。父のしいたけは「この時代に強い」と確信できた。

 「菌床と原木の味の違いを、もっと知ってほしい。食べ比べてみると、おいしさが違います。おいしいと自信を持って言える、父の原木しいたけだからこそ、イベント参加やウェブで情報発信して、もっと広めていきたい。だから声をかけてもらったものには、できるだけ出て行くようにしています」

 365日天候に左右される仕事は、会社員の仕事とは異なる。社員も家族のほかに2人という家族経営で、他人同士が集まる会社とはまた違ったトラブルもある。しかしもっと違うのは、貫井さんが「農業は面白い」と日々喜びを持って仕事をしていることだ。

 貫井さんや宮治さんのような新世代が、日本の農業を変えていく可能性を感じる。第一次産業の跡取りたちの今後に注目したい。


貫井 香織(ぬくい・かおり)
1978年、埼玉県入間市生まれ。父は狭山茶と原木しいたけの生産者貫井園を営む。2001年成蹊大学経済学部経営学科を卒業し、ベンチャー企業のレイスに入社。2006年にPR会社ビルコムに転職。2008年、30歳で、実家の貫井園に「就農」。

日経ビジネス電子版から転載。
日経BP総研 HR人材開発センター長 大塚葉が担当した記事を再掲。