亭主が抹茶を点てて客にふるまう、茶の湯。最近では、若手経営者たちが茶道を学ぶ機会が増えている。千利休が「相客に心せよ」と教えた茶の道は、ビジネスパーソンたちの経営術にどんな影響を与えているのか。

 今回は、武者小路千家で茶を学ぶ楽天野球団社長の島田亨氏を、稽古場に訪ねた。

※本文中、太字で示した茶道用語は文末に解説を入れた。また取材時は、炉のしつらえで稽古をしている。

 島田亨は、水指茶道口に置いて襖を開けた。それから水指を両手で持ち、右足から静かに敷居をまたぐ。茶室に入って、点前畳の中央に水指を置こうとすると、稽古を見守っていた三浦大徹師から静かな声が飛んだ。

 「この場合、水指は畳右半分の真ん中に置くのです」
 「え、ここですか」

 戸惑いながら、言われた通りにやり直す。それからも三浦さんから指導の声が飛ぶたびに、島田は「ここですか?」「それはどうしてですか?」と丁寧に質問を重ねる。

 ここは東京・麻布にあるオフィスビル。そのワンフロアに茶室が設けられている。壁に掛けられた茶室の名を表す「重窓」の書は、家元がビルの中に茶室があることからビルの窓と茶室の窓が重なる様を見てこの名前をつけ、したためたものだ。

 会の名前は「碧雲会」という。4年ほど前に、三千家の1つ武者小路千家の若宗匠・千宗屋(せんのそうおく)氏が若手企業家8人を直弟子として始めたものである。千宗屋氏が文化庁主催の文化交流使として現在はニューヨーク滞在のため、家元水屋の三浦大徹氏が師匠となっている。

 楽天野球団の社長兼オーナーの島田も毎月2回、3時間ずつの稽古をここでつけてもらっている。茶を点(た)てる落ち着いた佇まい、所作は、時々三浦師から指摘は受けるものの、滑らかだ。

 「いえいえ、帛紗(ふくさ)を扱うところでちょっとごまかしちゃったんですけれど」と、本人は苦笑いするが。

壁に掛けられた「重窓」の文字

 お茶を始めたのは2002年、島田がUSEN社長の宇野康秀らと立ち上げた人材サービス会社「インテリジェンス」の取締役副社長を退任して、2年後のことである。ゴルフと海外旅行三昧という「セレプー(セレブでプータローの意)」と呼ばれていた時代だ。男性だけのお茶会に入っていた知人から茶会に誘われたのがきっかけだった。

 「お茶そのものというより『和の世界』に興味を持ち始めた時期で、気軽に始めました」

 しかし2004年にプロ野球に新規参入した楽天野球団の社長に就任してからも、お茶の稽古は続けている。それどころか昨年初めにオーナーに就任して楽天本社の役職を兼ねて忙しくなるにつれて、ますますお茶の存在が自分の中で大きくなっていくのが分かるという。

 「お茶をしている3時間は全く仕事のことを引きずりませんから。普段は家に帰ってもまだ頭の中に仕事が残っていますから、お茶は本当にいいストレスリリースの機会になりますね。ゴルフもするんですが、ゴルフはご機嫌な仲間たちとばかりするってわけにもいかないじゃないですか(笑)」

 お茶の稽古と聞くと堅苦しい場を連想しがちだが、実際は例えば島田が点前の稽古をしている時に主客役に座った他の仲間から雑談で声を掛けられるなど、緩やかでアットホームな雰囲気で行われている。

 「茶の湯」の稽古からはストレス解消だけではなく、ビジネスに通じる教訓も得られる。

 「ちょっとお点前に慣れ始めた頃に、自分でも気づかないうちにお点前の所作が必要以上にオーバーになっていたんですね。若宗匠から『そんなに派手にしなくていいですよ』とご注意を受けて、ハッとしました。これはやっぱり、お茶の所作だけでなく仕事でも一緒なんですよ。

 この歳である程度のポジションにあると、なかなか他人から『教わる』『叱られる』ということがありません。そういうものがないとだんだんと慢心してくると思うんですよ。でもお茶を習っていると、常に謙虚であることが求められる。それがいい。またお茶という非日常で知らない世界だから、ご注意も素直に受け入れられるのもいいですね」

 特にプロ野球チームの経営を任されることになって、いっそう「謙虚であること」を重要に思うようになった。

 「この仕事はマスコミの方に取り囲まれることが多いんですね。でもマスコミは僕のポジションからの発言に興味があるだけで、僕自身に興味があるわけじゃない。それを勘違いすると知らないうちに不遜な態度を取って、結果的には僕を通した球団のイメージにも影響してくると思うんですよ。常に『実るほど頭を垂れる稲穂かな』という姿勢をお茶をするたびに思い出します。

 お茶の所作も分からないなら分からないなりに素直に聞くしかないわけで、ごまかしてやってもダメ。むしろ聞かずにごまかしたままずっとやってしまう方がもっと悪い。仕事もちょっと背伸びするぶんにはいいんですけれど、背伸びしすぎたり、自分の力以上のことを無理にやったりすると痛い目に遭うわけです。つまり等身大でやっていくことの大切さをまずお茶で学びました」

 点前の所作で自分を測るようになって、逆に他の人の所作でその人の「人となり」が分かるようになったという。

 「お茶を点てる所作にその人の性格の一端が見えてくるのが分かりました。例えばどんなに大きな会社の人であっても、自分が慣れていないことに関して『恥をかきたくない』という意識が強くて変に偉ぶったりする方もいらっしゃれば、逆におどおどされる方もいらっしゃる。開き直って習うという姿勢を素直に持っていらっしゃる人もいる。

 動作も滑らかでかつ豪胆な方もいれば、忙しく細かくて、見ているこちらがあくせくしてしまう所作の方もいらっしゃいます。やはり『茶の湯』というのはその人の内面が表れるものなんですよね」

 島田は「お茶会はエンターテインメント。プロ野球にも通底するところがある」と言う。

 「エンターテインメント・ビジネスに大切なのは、お客さんの五感に訴えることです。ボールパークに行くとスタジアムの外がまず見えて、近寄ると中からお客さんの歓声が聞こえてきて、周辺で売っている食べ物の匂いが漂ってくる。

 入場料を払ってスタジアムという結界の中に入ると、やっと選手たちの姿が見える。お茶事もそうなんですよ。腰掛待合で待っていると亭主が動く様が視覚的に分かってお茶の用意がだんだんとできつつあるのを知ることができる。すると今度は亭主の無言の迎えを受け、準備が整ったことが分かる。

 露地を歩くことが許されて、わくわくしながら近づいていき、蹲踞(つくばい)で手と口を清めると、今度は茶席の釜の匂いがするわけですね。

 居ても立ってもいられなくなり、入ろうとすると『躙口(にじりぐち)』があって1人ずつしか入れない。ここで焦らされてまた期待感が高まる。

楽天野球団社長・島田亨

 炭点前で炉につがれる炭をみんなで囲んで拝見していると、まるでキャンプファイヤーのようで、参加者に一体感ができる。炭点前が終わり、懐石とお酒を頂き、お菓子を食べてから、そこで1回外に出されてまた入ったら、お濃茶。緩急の演出がある。今の仕事をするようになって、改めてお茶ってそのまんまエンターテインメントなんだな、と気づきました」

 茶道の原型は鎌倉時代初期に我が国に伝来し、室町時代に村田珠光(むらたじゅこう)によって芸道化されたと言われる。その後武野紹鴎(たけのじょうおう)によって「侘び茶」が始められ、その弟子・千利休(せんのりきゅう)によって、茶道文化が完成した。

 利休は1591年70歳の時に豊臣秀吉から切腹を命じられるが、孫の千宗旦(せんのそうたん)が千家茶道の基本を築き、のちに3人の息子が武者小路千家・表千家・裏千家(「三千家」)と千家茶道を継いでいくことになる。

 「茶の湯」の道はただ亭主が点てた茶を客が頂くだけではない。亭主は茶室において茶、菓子だけでなく、茶椀、掛け軸、花、花入れなど数々の道具で、その時期に合ったストーリーを組み立てなければならないし、客もそこに込められた寓意を読み取る教養が試される。「茶の湯」が「総合芸術」と称される所以である。

 島田によると、エグゼクティブクラスのビジネスマンで「茶の湯」を趣味にする人が増えてきているという。

 「もともと財界のエスタブリッシュメントな家系の人はお茶を趣味にされている方が多いですからね。最近少しずつ増えてきているのは、ちゃんとしたコミュニティーが確立されたこと。ここに来ると日常とは違った本音の話ができる。その先の人的なネットワークも広がりやすい。

 あとビジネスマンの趣味として、ゴルフと言っても普通だけれど、お茶は文化的にレベルの高い趣味ですからより興味を持ってもらえる。和文化が見直される中で、『茶の湯』を趣味にするビジネスマンも増えてくると思いますよ」

 現在の「茶の湯」のスタイルである「侘び茶」を完成させた千利休はもともと堺の魚問屋の出身で、自分でも経営に携わっていたビジネスマンだった。

 また「利休」という名前は1585年に豊臣秀吉が正親町天皇の禁中献茶に奉仕した時に天皇から賜ったもので、意味は「利心、休せよ」。才能におぼれずに老古錐(古くなって先の丸くなった錐)のごとくなれ、という意味があるという。

●茶道用語の基礎知識
・水指(みずさし)
茶碗をゆすいだり、釜に足すための水を入れておく茶道具。ここから柄杓で水を汲む。
・茶道口(さどうぐち)
点前(てまえ)の際に、亭主が出入りする入口のこと。
・点前畳(てまえだたみ)
畳には、機能によって様々な呼び名がある。亭主が点前をする時に座る畳が点前畳。このほか、道具畳(道具を置く畳)、踏込畳(茶道口から道具畳に行く通り道の畳)、貴人畳(身分の高い人が座る畳)などもある。
・帛紗(ふくさ)
点前の際に道具を拭いて清めたり、客が道具を拝見する時に下に敷いたりして使う、絹製の布。
・腰掛待合(こしかけまちあい)
客が茶室に入る前に、腰掛けて亭主の迎えを待つ場所。
・露地(ろじ)
茶室に通じる庭のこと。
・蹲踞(つくばい)
茶室に入る前に、手や口をすすぐための手水鉢。
・炭点前(すみでまえ)
炉(5~10月は風炉)に釜をかけて湯を沸かすが、このための炭をつぐ(並べる)手前のこと。流派によっては「炭手前」とも表記する。
・躙口(にじりぐち)
茶室の隅につくられた客用の小さな出入口。高さ約69センチ、幅約66センチで、にじって(身をかがめて膝で進むこと)入ることからこうに呼ばれる。千利休が考案した。
日経ビジネス電子版から転載。
日経BP総研 HR人材開発センター長 大塚葉が担当した記事を再掲。